Episode04-1 ロマネスク様式とバロック様式とロココ調
「この大聖堂の歴史と建築様式を説明したまえ」
老人が発したその一言に、そびえ立つフロレンティアの象徴大聖堂の前に立っていたキアラの額を冷や汗が伝う。
ロマネスク様式。バロック様式。ロココ調。
建築様式に関する単語でキアラがしっている物と言えばそれくらいである。そして明らかに最後のひとつで無いことは確実だった。
歴史的建造物が並ぶフロレンティアに住んでいるとはいえ、キアラはその長い歴史の全て理解している訳ではなかった。
かつて学舎から始まったという国の成り立ちや、現在の政治形態や国王の名前くらいならわかるが、老人が指さすそれは国が興るよりも遥か昔に作られた建造物である。
そもそも、騎士学は死ぬほど勉強したキアラだが、それ以外のことはてんで駄目だった。騎士に関する事ならば網羅しているのだが、寺院の建築様式など気にしたこともなかったし、その知識を必要とする機会には運良く恵まれなかったのである。
「君は、それでもフロレンティア人かね」
黙っているキアラに向けられた嫌味に、すいませんと答えるほかない。
「自国の歴史も語れず、象徴となっている美しき大聖堂の建築様式すらわからないなんて、騎士の風上にもおけんな」
重ねられる言葉は正論である。そして正論を真っ向から受けるのがキアラだ。コレがレナスなら「そんなこと知らなくても国防くらい出来るわよこのクソジジイ」と逆ギレしてしまうところだろうが、キアラは心の底から打ち拉がれている。
「…すいません、私の勉強不足です」
「教養もなく色気もない、君は本当に駄目だな」
老人の言葉は、ただでさえ凹んでいたキアラの心を完璧に粉砕させた。
うなだれたキアラをみて、老人は意地悪く微笑み、そして畳みかけた。
「そんなレベルで、よくもこの国の王子とつき合っていられるな。まさか貴様、騎士の皮をかぶった魔女ではないのか?」
さあ言い返してみろとキアラに意地悪な笑みを浮かべた老人。
その直後、キアラがその場からフラフラと歩き出す。
「逃げると言うことはやはりそうか! 魔女め、ついに本性を現したな!」
一人高笑いを浮かべる老人に、周りの観光客は何事かと白い目を向けている。
響く高笑いは、どこからどう聞いても悪役のそれだ。
周りがどん引きしているのも気付かぬままに笑い続けること約3分。さすがに息も切れ、それでも満足げな笑みをたたえ続けていれば、彼の耳に信じられない言葉が飛び込んでくる。
「混成様式でした!」
声の方を振り向けば、逃げたと思っていたキアラが笑顔と共に駆け戻ってくる。
「この大聖堂は、3つの様式が使われているんです。イタリア的なゴシック様式を基本に、丸屋根と採光部は初期ルネサンス建築、そして大聖堂西側の正面はネオ・ゴシック様式です。これは大聖堂が長い年月をかけて作られたことを意味しており、建設から140年以上もの歳月をへて今の形になったと言われています」
それから……と言葉を繋げようとしたキアラに、老人が慌てて待ったをかける。
「……もしかして、今唐突に走り出したのは」
「あそこのカフェのオーナーが教会オタクだったのを思い出して……。だから失礼とは思ったんですが、聞きに行ってきました」
ただやっぱり、ルネサンスとゴシックとネオゴシックの何がどう違うのかわからなかったんです、と謝るキアラに、老人は呻く。
「君、私の話を聞いていたか?」
「教養もなく色気もない、あたりからあまり……」
キアラの返答に老人の怒りは限界に達した。
「観光はもう良い! 余は腹が減った!」
「よ?」
「聞かなくて良いところばかり聞くな! 良いから行くぞ!」
「でもせっかくだし大聖堂の中を…」
「三流ガイドが一緒じゃ見ても仕方なかろう」
老人の辛らつな言葉にキアラの心が再び折れる。そんな彼女を無視し、老人は持っていた地図を広げる。
「私はこの店に行ってみたい。今すぐ案内しろ」
「ここ、すごく高いですよ」
「君は水でも飲んでいればよい」
ここでもまた、キアラに拒否権はなかった。