レイモン編⑦
あの日から、自然と彼女のことを目で追うようになっていた。
二人で姫様の冠を見届け、俺のかつての夢を話した。計画を共にする同士として、親しくなれたように思っていた。
これからは飾らずに言葉を交わせる——そう思っていたのだが、彼女との距離が逆に離れてしまったように思える。
挨拶を交わすと、そそくさと会釈して立ち去るのだ。
それに加え、不自然なほど城の中で会う頻度が減っていた。
以前ならば、朝リネン室の前ですれ違うことも珍しくなかった。しかしここ数日は姿をみかけることがない。
まるで、偽装恋人の契約を交わした初日のようなぎこちなさだ。知らず知らずのうちに、エルの気に障ることをしただろうか。
これまでも恋人同士に見せかけるよう、互いに挨拶を交わすようにしていた。ただ、こちらの身勝手な事情に巻き込んでいる以上、後ろめたい気持ちから、深く立ち入ることはなかった。
だが先日の外出を経て、もっと互いの事を知るべきではないかと感じていた。
ナターシャ殿から釘を刺されたこともあるが、それよりも純粋に彼女と親しくなれたらという思いがあった。
※※※
そうして、一週間が過ぎた頃。
次の見回り場所へ向かう途中、通路の向こう饆から楽しげな声が聞こえてきた。
エルと、その友人が話し込んでいるようだった。
声をかけようと歩み寄ったところ、彼女の同僚がなにか思いついたように目を輝かせた。
「頑張って、エル!」
「えっ」
彼女は不意に小突かれ、そのまま体勢を崩したようだった。
「え、エルー!」
押した友人側は思いも寄らなかったのか、悲鳴をあげた。
慌ててエルの元へ駆け寄った。
「きゃ!」
彼女の重みが身体にのしかかる。そのまま抱き寄せ、自分がクッションとなるよう倒れ込んだ。
背中に衝撃が走ったが、大したものではない。
彼女は無事だろうか。己の腕の中で、固く目を閉じていた。
間一髪、間に合ったようだ。ほっと胸を撫で下ろす。
「大丈夫か?」
声をかけると、彼女はおそるおそる顔を上げた。俺の顔を見た瞬間、彼女は青ざめた。
「エル!大丈夫?」
後ろから、先ほどの友人が申し訳そうにこちらを伺っていた。
話を伺えば、ふざけている途中でこうなったとの事らしい。
危ない目にあいかけたにも関わらず、エルは許して欲しいとまで懇願する。
偽装恋人として日々を重ねる中で、わかったことがある。
彼女は、驚くほど他人の痛みに寄り添うのに、自分自身のことは蔑ろにしてしまう。それが、腹立たしい。
「まあ、大事がないから良かった――。もう一度本当に怪我がないか、確認させてくれ」
「いえ、大丈夫ですから」
エルはもう大丈夫だと口にするが、本当だろうか。どうしてか、引き下がりたくなかった。
「君は自分を大事にしないところがあるみたいだからな。……念の為だ」
再度怪我は無いか確認する。多少髪の毛は乱れていたが、どこか強く打ち付けた様子はないようだった。
もう十分だと頭の方を見れば、先日彼女に送った髪留めがきらりと光っていた。彼女の髪色とよく似合っていた。
「……髪留め、使ってくれてるんだな」
「――ええ。……とっても使いやすくて。本当にありがとうございます」
あの時贈った髪留めは、迷惑ではなかったのだ。
「それなら良かった。気に入ってもらえて、嬉しい」
日々のお礼として贈った品だが——使ってくれているのがこうも嬉しいとは、思いもしなかった。
少しでも彼女の力になれているのであれば、何よりだ。
もう少しその様子を眺めていたいが、そろそろ戻らねばならない。廊下の先で、いつまでも見回りから戻らないからか、部下が俺を待ちわびていた。
持ち場に帰らなければ、部下を困らせてしまう。
彼女の手を支えながら、立ち上がる。
「じゃあ、お互い頑張ろうな」
早足で部下の元へ向かう。
「すまない——ちょっとした事故があって遅れた」
「大丈夫です。途中から見てましたから」
そして少し考え込んだあと、後輩は呟いた。
「城の中で付き合うなんて面倒と思ってましたけど——羨ましいばかりです」
この後輩は、よく『城内で愛しい人を作るべきではない』と論じていた。昔、城に勤める者と、好き同士付き合ったが、別れた後も顔を合わせる機会が多く、かなり気まずかったのだと繰り返していた。
彼なりに、思うところがあるのだろう。
「そうだな」
護衛騎士を解任された当初と比べ、今の日々はなんと穏やかであるのだろう。これも——彼女が共に過ごしてくれたからだ。
もし、この契約の日々が終わってしまったら、俺たちはどうなるだろうか。互いに言葉も交わさず、他人としてすれ違うようになるのだろうか——。
冷たい予感が頭をよぎり、考えを振り払った。
今上手く回っているのだから、わざわざ先の別れを悲観しすぎることはないだろう。
それに、元々姫様が国を発つまでの関係だ。これ以上、彼女を付き合わせるのは、耐えがたかった。
それが互いのためになる。そう結論付け、その先について考えることを先延ばしにした。
それが間違いだったと気づくのは、彼女の涙を見た後だった。




