村長の例の石
その頃、オーレンの容態は目も当てられないほどに悪化していた。
命を絞り出すような咳がずっと止まらない。
発作の時と同様に、体が小刻みに震えていた。
「オーレン」
祈る神を知らないシーラは、ただオーレンの小さい手を握っていた。
『混交竜血』は、人の体に混じった不純の魔物の血が暴れだして起きるものだ。
それは竜と同様に何年も眠りにつき、ある日とつぜん牙をむく。
覚醒と同時に竜の血が一気に増幅し、動物や人間などの宿主の体を支配し、その存在をモンスターに書き換えてしまうのだ。
竜の血は半分以上が覚醒し、オーレンの手に脈打つ『心臓』を再生していた。
すでにオーレンの体の一部はモンスターによって占拠されていた。
ひどく苦しませてしまった。後悔はつきない。
奇跡が起きてくれると信じて、できることはすべてやってきた。
長い長い苦しみの果てに、こんな結末しかないなんて、世の中はあまりに残酷すぎる。
「オーレン、すぐに終わらせるからね」
シーラは、傍らにあった茶色の皮袋を手に、立ち上がった。
すぐそばの台所でコップを取ると、袋の中の白い粉をその中にさらさらと落とし込んだ。
暖炉の火にかけていたポットからお湯を注いで、粉を溶かしこむように何度もかき混ぜる。
完全に溶け込むまで、何度も、何度もぐるぐるとかき混ぜた。
白っぽくなったお湯を持って、シーラはオーレンの隣に戻ってきた。
「さあ、飲んで……オーレンの好きなものよ」
唇をお湯で湿らせると、いっしゅん安らかな顔を浮かべたオーレン。
そのままぐいっと口の中に流し込んだ。
オーレンは、おもいっきりむせかえった。
「ぐはぁぁ! ぐあぁぁっ! なにこれ……!」
「オーレン! ちゃんと飲んで!」
シーラは暴れるオーレンを抱きとめて、さらにお湯を飲ませ続けた。
飲ませれば飲ませるほど、オーレンの容態はさらに悪化した。
シーラは悟った。
もはや体が食べ物をうけつけなくなっているのだ。
このままでは死を待つのみだった。
ドラゴンになってしまう前に、終わらせなければならない。
シーラは、剣を手に立ち上がった。
彼女は、生きるために多くのモンスターを殺してきた。
目的を達するのに必要な、熟練の技量を持っていた。
相手に応じて、正確な工数を把握し、急ぎもしなければ遅れもせず、機械のように正確に完遂することができる。
オーレンの細い首に狙いを定めて、息をふー、と深く吐き出すと、剣を鞘から抜き放ち、十分な高さから振り下ろす。
「ダメだよ、姉さん……こんな料理じゃ、ボクは姉さんの将来が心配だよ」
シーラの剣は、オーレンの首を切る手前で止まった。
どうやらオーレンは、夢の中でシーラの作った料理を食べている。
「オーレン、食べてるの?」
オーレンの方が料理は上手だった。
まだオーレンから学べていないことが沢山あった。
シーラはけっきょく、一度も完璧な料理を作ることはできなかった。
それでもオーレンは、シーラの料理をぜんぶ食べてくれた。
「そう。しっかり食べなさい、オーレン」
見ている間に、凄まじい勢いでオーレンの体は巨大化していった。
全身に細い毛が生え、ベッドに横たわる巨大な黒い犬のようになった。
毛は強固な鉄のウロコのように変形し、瞳が爬虫類のように細長くなった。
尻尾が生え、ムチのようにうねって壁を突き破る。
ワニのように前に突き出した口が明るく光を灯し、火を噴いた。
ベッドと小机が燃え上がるが、ウロコに包まれたオーレンは、火の粉を浴びてまるで平然としている。
あっというまにモンスターと入れ替わってしまった。
どんどん大きくなっていく『ドラゴン』は、激しく身震いすると、シーラの家を粘土細工のように崩壊させた。
攻撃を回避したシーラは、一定の距離を保ったまま、『ドラゴン』と対峙していた。
彼女は、『ドラゴン』と戦う時の『間合い』を把握している。
「久しぶりね、『ドラゴン』」
シーラがこの怪物と対面するのは、二度目だった。
『ドラゴン』は、爬虫類の目でシーラをじっと見降ろしていた。
『ドラゴン』は、高度な知能を持つモンスターだ。
自身を究極の生命体に作り替えようとした太古の魔法使いの一族『ファフニール教団』がその始祖だと言われている。
一度敗れ去って、わずかな血だけになっても、恐らくシーラの事を覚えているのだろう。
「ニンゲン……我ラ竜ノ、下位互換ヨ……我ラノ贄ニナル幸福ヲ、自ラ不意ニスルトハ、愚カナモノヨ……」
口の中に炎を蓄え、今にもブレスを吐き出しそうにしている。
だが、村を一瞬で破壊しつくしたほどの炎の勢いはない。
「グルルルッ!!!」
『ドラゴン』はむせかえり、小さな火の玉をぽんぽん周囲に吐き散らすだけだった。
すべての火の玉をかわしたシーラは、『ドラゴン』に反撃を試みる。
『ドラゴン』は、その剣気を察知し、とっさに低空飛行で飛びのいて攻撃をかわした。
「キ、貴様……何ヲ……ノマセタ……!」
「さあ? 【味の素】は、お店によって味が違うらしいから」
どうやら、村長がもたせてくれた【味の素】には、ドラゴンのブレスを封じる『隠し味』が仕込まれていたらしい。
村長は開拓時代の生き残りである。
まだ魔の山にドラゴンがいた時代、その特殊行動を封じる必須アイテムを持っていたのだ。
実は、このアイテムはリリース直後のフレイムドラゴン戦で実装される予定のものだった。
だが、これに関連したイベントを生成してくれるはずのAIが、「他社のゲームの商標を侵害するおそれあり」と判断したせいで、この必須アイテムそのものはこうした『混ぜ物』の形でしか実装されなかったし、本当の名前も公表されていない。
ところが、存在しないせいで想像が膨らみ、ユーザーや開発陣らはみんな『村長の例の石』と呼びあっており、なんらかの『石』であることは確実となっていた。
「オーレン、いい子ね」
効果はさほど持続しないだろうが、この機会を逃すはずはない。
シーラは剣を水平に構え、突撃する準備を整えた。
剣士スキル、第3階梯、【地平切り】。
水平に剣を振り、同じ『高さ』にいるすべてのモンスターを攻撃対象とする剣技だ。
何もかもシーラの宣言通り、この剣でオーレンの首をはねる。
「さようなら」
「シーラ!」
構えていたシーラの剣が、横合いから飛んできた何かにはじかれた。
槍だった。
槍スキル、第8階梯、【大投擲】。
槍を投げつけ、一定時間相手の攻撃を封じる技だ。
主武器の槍を手放すことになるかわり、射程範囲が通常の3倍までおよぶ、『先制』を極めたスキルである。
シーラの手がじんとしびれていた。
彼女の剣を防げるほどの力の持ち主がいる。
そんな人物は、この村に一人しかいない。
シーラは無意識に髪を手ぐしで整えてから、か弱い乙女のようにきゅっと脇をしめ、槍の飛んできた方へ可憐な仕草で振り返った。
「さ、サイモン……!」
シーラの中では、サイモンに自分の本職を知られてはならないのだ。
ドラゴンとまともに戦っている姿など見せられなかった。
村の入り口から急いで駆けつけてきたサイモンは、山のように巨大なドラゴンを指さして言った。
「オーレンを捕まえてくれ! ……あとは俺がなんとかする!」




