5分前の出来事
リアルの時刻は、午前5時15分。
『鳥』がやってくる深夜まで、あと5分を切っていた。
レイド戦の到来を知ることなく、静まり返ったヘカタン村を背に、サイモンは星空を眺めていた。
彼は星座をほとんど知らないが、北極星をもつ北の大きな星座だけは覚えている。
軍では行軍のときに星から方角を確認する必要があったのだ。
あとは、夏の大きな三角形と、冬の大きなバツ印ぐらいだった。
これらは、子どもの頃にシーラが見つけて教えてくれたものだった。
あの頃は、オーレンはまだ外を歩けなかった。
ヘカタン村の子どもが無事に5歳をむかえるのは奇跡に近かった。シーラは、オーレンが病気にならないかといつも気にしていて、3分おきに家に様子を見に戻っていた。
オーレンがひとりで歩けるようになると、シーラはオーレンを膝に抱きかかえて、同じように三角形とバツ印の正座を教えていた。
星など普段みないサイモンだったが、この日はなぜかあの頃のことを不意に思いだしていた。
『鳥』との戦い方を頭の中でシミュレートしていると、アサシンが息を切らしてやってきた。
「まって、サイモン」
「アサシン、どこに行ってたんだ」
アサシンは、肩で息をして、うまく言葉を継ぐことができないみたいだった。
言おうとしていたことが、とっさに出てこない様子なので、サイモンは言った。
「アサシン、今日はシーラが村にいるから、『ドラゴン』が現れないはずだ。
これまでみたいに一瞬でロストさせられるような、理不尽なことは起きないと想う。
今度こそ、『鳥』と真正面から戦えるかもしれない」
「うん……」
「『鳥』がどんな攻撃をしてくるか、まだわからない。お前のスキルが役に立つかもしれないから、よく見ておいてくれ」
「うん……けどさ」
「どうした」
「もしも、サイモンが『鳥』と戦って、勝ったとするじゃん?
明後日の秋アプデの内容が変わって、村が守られて、ハッピーになるとするじゃん。
みんなこれからも幸せに暮らしていけるとするじゃん」
「ああ」
「けどさ、そこにシーラちゃんとオーレンくんがいなかったら、サイモンはどうするの?」
「どういう事だ?」
「言った通りだよ。今夜は、きっと『ドラゴン』は現れないと思うよ。
シーラちゃんは思い込んだら一直線な性格だから、それは本当にそうだと思う。
けど、それはたぶん、みんなにとって、幸せな結末じゃないんだ。
だって、シーラちゃんは……」
そこまで言って、アサシンは息をひそめた。
彼女は走っている間、ずっと疑問に思っていた。
本当のことをサイモンに言って、一体どうなるというのだろう。
もしもサイモンが村に引き返して、オーレンの家まで飛んで行ったとして。
シーラを説得して、オーレンに薬(味の素)を与えるのをやめさせたとして。
このストーリーは、そこから先に進むのだろうか?
やがて出現する『ドラゴン』に村ごと消滅させられて、再びリスポーンするだけではないのか。
本当の脅威であるレイドボスの『鳥』には、1ダメージも入れられないままだ。
それでは完全に振り出しに戻ってしまう。
レイド戦は、何度も何度も敗北しながら、ダメージをレイドボスに少しずつ蓄積させて、最終的に倒すものだ。
もしも、『トキの薬草』が『未実装』だったとしたら。
今後のアップデートではじめてこの世界に出現するものだとしたら。
サイモンたちは、この世界にありもしない薬草を探していることになる。
まったく前進しないまま、無為に時間を過ごすことになる。
オーレンが『ドラゴン』になることは、シナリオ上で確定しているのだ。
『トキの薬草』を手に入れるのを失敗した時点で、このストーリーは、もはや、どうにもならないどん詰まりに来ている。
けれど、今の状態はちがう、間違いなくストーリーは前進している。
この後、サイモンが『鳥』の突進を受け止め、シーラも後からレイド戦に参加して、攻撃を重ねていける。
次にサイモンがリスポーンしたら、また冒険者ギルドに行こうとするシーラを村に引き留めて、オーレンに薬(味の素)を与えさせる。
延々とそれを繰り返していけば、いずれ『鳥』を倒すことができるかもしれない。
今のところ、それしか方法はない。
サイモンは、何も知らないまま、こうして門の前に立っているのが最善なのだ。
サイモンは鈍感だから、誰かが真相を伝えなければ良い。
いまはアサシンさえ、黙っていれば。
「シーラちゃんはさぁ……ちょっとドジなんだよね」
何も知らないまま、サイモンとシーラの2人は別れてくれる。
これは、アサシンがサイモンを独占できる、またとないチャンスだった。
秋アプデのメンテナンスが明けて、ログインしたとき、サイモンはヒロイン不在になる。
結婚も可能かもしれない。
「あの子、『薬』と【味の素】を間違えて持ってきちゃったの。オーレンに【味の素】を飲ませようとしてる。袋一杯よ。死んじゃうかもしれない」
アサシンは、弱い自分を心のなかで呪った。
他人を蹴落としてまで這い上がってみせる気概など、自分のような陰キャが持ち合わせているわけがなかったのだ。
サイモンは、大きく目を見張った。
「それはいかん」
理由は良くわからないが、アサシンの目から、ぼろぼろと涙がこぼれてきた。
もう終わってしまった。決定的なイベントを逃してしまった瞬間に似ている。
前を向いていられなくなって、サイモンの見下ろしていた谷の方を向いた。
「『鳥』なんて、ほっといていいから……だから、サイモン、急いでよ……」
「ああ……本当にそそっかしいな」
サイモンは、踵をかえして、村へと戻っていった。
アサシンは、サイモンの背中に向かって声をかけた。
「サイモン……『今日』が終わって、サイモンが目覚めたら、私はもういないからね」
ひとりで『鳥』と対峙することになったアサシンは、高みに向かうと、崖下を見下ろした。
そのとき、変な声をあげた。
「……あ」
***
サイモンは、走る途中で振り返った。
アサシンの声が聞こえた気がするのだ。
さきほど崖の上にいたアサシンの姿が見えなくなっていた。
「おい、アサシン……どうした?」
思わず立ち止まったサイモン。
不安が脳裏をよぎった。
まさか、崖からすべり落ちてしまったというのだろうか。
すぐにシーラを止めないと大変だが、アサシンも放っておくことができない。
いそいで崖まで引き返し、遥か高みから眼下を見下ろした。
サイモンが次に村に来る登山者を確認していた場所だ。
山の中腹で、国王軍がキャンプをしている灯りが見え、麓では港町が光を灯している。
それ以外、森はしんとした静寂に包まれていた。
その直後、彼にチャットが届いた。
どうやら、アサシンからだった。
本文はない。
急いでなにかのアイテムを送付してきたらしい。
内容を見て、サイモンも変な声をあげた。
「……あ」
『トキの薬草』×1
レイド戦の開始5分前。
サイモンは、いきなりピンク色の薬草を手に入れていたのだ。




