【傲慢】の出した結論
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同じころ、魔の山の中腹にも、すっかり夜の気配が忍び寄っていた。
騎士団長アスレに『ジズ』の討伐を託したメイシーは、山中でひとり静かに横たわっていた。
NPCが体力を削られすぎて動けなくなる、といったことは起こらない。
あえて体力回復をせず、時が来るのを待っていたのだ。
メイシーの眼は、何かを決意したかのように、空に昇り始めた星をじっと見つめていた。
ふいに、がさっと枯葉を踏む音がして、顔をそちらに向けた。
そこには、青ざめた肌を持つ少女がいた。
「『オカミ』……」
てっきり、騎士団長アスレを追っていったのだと思っていたメイシーは、拍子抜けした。
今の彼女は、外見は『オカミ』だが、【傲慢】の血によって操られているゾンビだ。
しつこくサイモンを付け狙っていた時と同様に、【傲慢】の血を受け渡すまで、決して諦めないだろうと思っていたのだが。
ひょっとすると、もう血の受け渡しは終わってしまったのだろうか。
「どうして、騎士団長アスレを追わなかったの?」
「騎士団長アスレは、標的を『ジズ』に変えたから……陽動するのが難しくなった」
『オカミ』は、かつての彼女のものではない、澄んだ口調でメイシーに返事した。
未実装のゾンビ状態のキャラクターシステムは、細部まで調整を受けていないため、たまに普通の受け答えをしてしまうバグがあった。
「【傲慢】も予測ができなかった。どうして、騎士団長アスレに私を倒させなかったの?」
先ほどメイシーは、騎士団長アスレに『倒すべき敵』を尋ねられて、「それは『ジズ』だ」と答えていた。
あのとき、【傲慢】だと答えていれば。
騎士団長アスレは、今も『オカミ』を追い続けていただろう。
『オカミ』があのまま戦い続けていれば、いずれ【傲慢】の血を受け渡すことに成功していたかもしれない。
だが、メイシーの行動で、騎士団長アスレは標的を変えてしまった。
おそらく、【傲慢】にとっては予想外の展開だったのだろう。
思わぬ形で【傲慢】を出し抜くことに成功して、メイシーは苦い笑みを浮かべた。
メイシーは、意識をしっかり保とうとして、体を起こした。
「あなたは、『オカミ』じゃないわね。【傲慢】なの?」
「わからない。今の私は、誰でもない気がする」
「体だけ『オカミ』なのね」
どうやら『オカミ』の外観だけを引き継いで、パーソナリティを失っているらしい。
ゾンビのキャラクター生成システムは未完成だったが、大まかには、元となっているキャラクターの生前のパーソナリティを参照して、自動生成するようになっているようだ。
いまの彼女は、メイシーの『使役獣』としてのパーソナリティ。
そして『暴食』の眷属としてのパーソナリティと、2重のデータがある。
いったいどれを参照すればいいのか、混乱している状態だ。
3つのスキルによって、三重のパーソナリティを生み出されるなど、ゲームでは想定されていなかった事態だろう。
「オカミ、あなたは『傲慢の血』を騎士団長アスレに受け渡す使命を持っているんじゃないの?」
「そうだ。騎士団長アスレは、設定上、最強の戦略家だ。
彼以上の器はこの世界に存在しない。【傲慢】の血がそう言っている」
「じゃあ、私に何か用があるの?」
「もう時間がないからだ」
オカミは、メイシーをじっと見下ろして、諦めたように言った。
「メイシーは、【傲慢の血】を絶やす方法を知っている……。
そして私には、それを止めるすべがない。
時間的にも、騎士団長アスレに【傲慢】の血を渡すことは不可能だ」
【傲慢のグリッチ】は、システムの内部まで情報を読み取り、戦略を立てる。
その情報には、メイシーのAIが演算する思考までも含まれていた……はずだった。
そちらの考えは見抜かれている、という事を知ったメイシーは、軽くうなずいた。
そう、この世界から【傲慢の血】を排除する方法を、メイシーはたったひとつだけ知っている。
それは、メイシーが自分の中の『ドラゴン』の血を倒すことだ。
トキの薬草を飲み、『時間遡行者』としての能力を放棄する。
そうすれば、メイシーのプレイデータは他のNPCと同様に、繰り返しの朝と同時にリセットされる。
ギルドの受付けでリスポーンし、これまでの一切の記憶を失う。
このとき、メイシーのスキルもリセットされることになる。
そうすれば、『使役獣』のスキルで作られている『オカミ』も、『ミツハ』も消滅する。
二人とも、存在しなかったことになる。
【傲慢の血】は、『時間遡行者』だった『オカミ』が持っていたからこそ、何日にも渡って使命を引き継いでくることができた。
初期化を受け、記憶を失う他のNPCに渡したところで、どうにもならない。
その代わりにメイシーも、これまでの全てを放棄する必要があった。
それがメイシーに取ることができる、本当に最後の手段だった。
「あなたにその覚悟があるのなら、もう私に打つ手はない」
どうやら【傲慢】は、その結論に至ったため、ここに引き返して来たのだ。
自分の中の『ドラゴン』を退治するのは、簡単だった。
メイシーが『トキの薬草』を飲めば、それは完了するのだ。
メイシーは、『初期化』したあとの自分の事を想像した。
それは死に似ていて、想像するしかない。
これまでの記憶のすべてを消去して、新たな世界線の記憶を持って、彼女は歩み始めるのだ。
サイモンとメイシーの間には、『オカミ』と『ミツハ』という娘がいる事になっている。
今の彼女には受け入れがたいが、新しい世界の彼女は、一体どんなストーリーを構築するのだろうか。
2人とも助ける方法があるならば、と思っていた。
けれども、どうやらそれは、彼女には無理なのだ。
「……次の世界に期待するわ」
それこそ、ブルーアイコンの冒険者たちが目指している、次の世界に望みを託すしかない。
『ミツハ』が消えてしまえば、『ジズ』の討伐は困難になるだろう。
だが、それでもこの世界を【傲慢】から守らなければ。
あの怪物の復活を止めなければ、『ジズ』の討伐どころではなくなってしまうのは明白だった。
ここで彼女自身がリセットを受け入れなければ、その先には進めない。
手が震えた。
この世界がゲームの世界なら、どうして死ぬことがこんなに怖いのだろうか。
「止めてみる?」
メイシーは、訪ねてみた。
『ミツハ』は、静かに首を横に振った。
止める方法がないのだ。
たとえどんなスキルを使っても、メイシーが『トキの薬草』を使う行動を止める事は、できない。
このゲームの世界では、アイテムを使う動作を途中で止める方法がないのだ。
やがて、世界の果てまで届く、『ジズ』の巨大な翼が見えた。
そのくちばしには、漆黒の翼をもつドラゴン、『ニーズヘッグ』をくわえている。
『ミツハ』が生み出した眷属だ。
今日も彼女は、けなげに自分の任務をこなしていたらしい。
メイシーは、このタイミングを待っていた。
おそらく、これがこのイベントを呼び出すことのできる、最後になるだろう。
『ミツハ』の『ドラゴン』は、もう何度も討伐されている。
新たな『ドラゴン』が討伐されてしまうと、そちらが優先され、イベントが上書きされてしまうはずだった。
『ジズ』の討伐に、せめて、もう1日だけでも猶予があるようにと、このタイミングを待っていた。
「どうかしているわ」
メイシーは、水筒を取り出すと、中身を一気にあおった。
水筒に入っている液体は、『トキの薬草』を煎じた紅茶だ。
ただの赤っぽい薬草なので、ひどい苦みが口の中に広がる。
「ひどい味」
やがて、メイシーの中にうずくまっているドラゴンが、ゆっくりと溶けていく気がした。
それは、鋼鉄の鎧を身にまとった、戦艦のような海竜。
【嫉妬の魔竜】、レヴィアタンだった。
これで、翌日の『ジズ』は、今日と同じ時間に【嫉妬の魔竜】をくわえて登場するはずだ。
あとは、すべてをブルーアイコンの冒険者たちに任せるしかない。
すべてが終わって、メイシーが呆然としていると。
オカミは、メイシーにそっと手を差し伸べた。
「私もそれを飲んでみたい」
「『トキの薬草』よ。偽物かどうか疑ってるの?」
「ちがう」
オカミは、首を振った。
彼女の中の【傲慢】は、もう『詰み』であることを理解していた。
この後、一体どのような行動をすればいいのか、分からなかったのだ。
ゲームのAIは、どのような行動をすればいいのか、分からなかったとき。
自分のパーソナリティに照らし合わせて、もっともそれらしい行動を考える。
「よこせ」
オカミは水筒を受け取ると、残された中身の紅茶をぜんぶ飲み干した。
オカミは、軽くげっぷした。
彼女の中の【傲慢】の血も、煙とともに溶けていく。
だが、消えたのは【傲慢】だけだった。
【暴食】を元にしたオカミの姿は、そのままだった。
どうやら、『トキの薬草』を使って『ドラゴン』を倒したとき。
その効果の対象となるのは、1回につき1体までと決まっているらしい。
ゲームシステムらしい。
オカミは、ふらりと体勢が崩れ、メイシーに寄り添うように横たわった。
「母上」
どうやら【傲慢】が消えて、元のパーソナリティを取り戻していたようだった。
メイシーは、オカミの髪の毛をなでていた。
いい匂いがする。
優しい匂いも取り戻していた。
「もし新しい世界で生まれ変わったとしたら、あなたは何をしていると思う?」
このまま計画通り、世界が先に進んだとしても。
オカミはきっと蘇ることはないだろう。
墓の下に戻るだけだ。
なぜなら運営(GM)の誰も作っていない、最初から存在するはずのないキャラクターなのだ。
最初から存在していないのならば、どうして失うのがこんなに悲しいのだろうか。
メイシーも記憶を失って、新しいNPCに生まれ変わっているのならば。
この悲しみは、すぐになかった事になるというのに。
「ミツハはね、料理店で働いているのよ。新しい世界では、あなたも一緒に働くのかしら?」
「もしも生まれ変わるのなら、オカミは冒険者ギルドで働きたいでありんす」
「楽な仕事じゃないわよ。冒険者は乱暴者が多いし、上司はめんどくさいし」
「それでもオカミは構いませぬ、きっと母上の隣で働いています」
オカミは、トカゲのしっぽをパタパタとふっていた。
メイシーは、オカミの額を優しく撫でていた。
夜の闇は、ゆっくりと深まっていった。
やがて、はるか遠くで『ジズ』とプレイヤーたちの戦う声が聞こえ始めていた。




