第百十四話 昔を思い返す
「ここがカッレラ領ですか……」
私とミリヤムは、現在カッレラ領にいました。
「…………」
ミリヤムは不安そうな顔です。
というのも、私たちがこの領地に来る前に、オラース王子の忠節の騎士であるヴァルターさんから情報をいただきました。
それは、この領地を治めるニルス・カッレラが『救国の手』に与している可能性が非常に高く、限りなく黒に近いということでした。
オラース王子は、本当にレイ王と違って優しい方です。物足りません。
この情報をいただいて、私はこれ以上ないくらいウキウキワクワクしていたのですが、やはりミリヤムは違ったようです。
女性が神隠しにあうような領地で、その領主がテロ組織に関与している可能性が非常に高いとなると、不安になるのも当然ですよね。
私はその不安が大好きですが。
さて、こういう時はどうすればいいのでしょうか?
女性経験が豊富なわけではないので、不安がる女性にどう接すればいいのかわからないのですが……。
「ミリヤム、少し歩いてみませんか?」
私はそんな提案をしてみるのでした。
ミリヤムは目を丸くして私を見上げます。
「……え、どうして? 調査をしないと……」
「少しくらいのんびりしても大丈夫でしょう。レイ王からせっつかれているわけでもありませんし」
急いで調査をしろと命令されていたのであれば、何かしら不穏な動きを察知していると考えられるのですが、そういうこともなかったということは、今すぐにニルスが行動するというわけではないのでしょう。
ミリヤムが不安で緊張しているのに、調査を強行すれば失敗をしてしまうかもしれません。
テロ組織に与しているような者の下で失敗をしてしまえば、それは致命的なものになりかねません。
であるならば、多少時間をかけてもミリヤムがいつも通りに戻るまで調査をする必要はないでしょう。
「……そうだね。あんな奴の命令にちゃんと従おうとする方がおかしいよね」
ミリヤムはどこか気の抜けたような、薄い笑みを見せてくれました。
レイ王をあんな奴と言うのは、彼の目の前でお願いします。
もちろん、私が庇いますから。
「では、行きましょうか」
「……うん」
私とミリヤムは、調査ではなく観光をするためにカッレラ領の街に入っていくのでした。
◆
カッレラ領の街は、やはり王都と比べると規模も活気も劣っていました。
それも当然のことですが、どこか陰鬱とした空気が流れているような気もしました。
王都でもそんな悪い空気を持つ人々はいるのですが、ここでは街全体がそのような空気を纏っていると感じました。
おそらく、女性たちが神隠しにあっていることが原因でしょう。
たしかに、人が忽然と姿を消すような事件が頻発していれば、嫌な空気も流れますね。
「こんなこと、今までなかったのになぁ。ニルス様が領主になられてからだ」
私とミリヤムが寄った店の店主は、そう言っていました。
少し前までは、こういうこともなかった……ということは、やはりニルスが関係しているのでしょう。
それが、『救国の手』の目的のための行動なのか、あるいはニルス自身の欲望で動いているのか……はたまた、彼はまったく関係ないのか。
それは、後々の調査で分かってくることでしょう。
……そこでしくじって彼にばれ、捕まって拷問とか……夢がありますねぇ……。
まあ、ミリヤムを巻き込むことはできませんが。
「……これ、美味しい」
今、私とミリヤムは椅子に座って出店で買った食べ物を頬張っていました。
どうやら彼女好みの味付けだったようで、緩んだ顔を見せています。
可愛いですね。普段からこのような表情でしたら、もっと男性が寄ってきそうなものですが……。
街を歩いてたまに店を冷かして……という感じだったのですが、ミリヤムの強張っていた雰囲気はだいぶマシになったと思います。
「……おや?」
ふとミリヤムを見ると、彼女は食べるのを止めてぼーっと前方を見ていました。
何かあるのかとそちらに視線をやると、子供たちが集まって遊んでいました。
元気で楽しそうですねぇ……。
……ああいう純粋な子供たちか侮蔑の視線と罵倒を浴びせられると、どのような快楽になるのでしょうか。
一度、是非経験してみたいものです。
「……昔」
ミリヤムがポツポツと話しはじめます。
「……ああいう光景を目にしていると、昔のことを思い出しちゃう」
「昔というと……私たちの村にいたときのことですか?」
私が聞けば、コクリと頷きます。
そうですか……。私も目を向けていると、確かに思い出されてきます。
と言っても、あそこで遊んでいるように、子供たち皆が仲良しで和気藹々としたようなものではありませんが。
ああ、目を閉じると、鮮明に思い出されます。
村の子供たちに石を投げつけられる私。
大人たちもいるのですが、誰も止めようとせずニヤニヤとした笑みを浮かべています。
まあ、私も負けじと石をぶつけられながらニコニコとしていたのですが。
そんな子供たちのグループから遠く離れた場所で、小さなミリヤムが子供たちと大人……そして、私に向けて愚かなものを見るような見下した目を向けていました。
「……ふぅ」
危ない危ない。あやうく天に昇ってしまうような快感を得るところでした。
フラッシュバックでこれだけの快楽なのですから、当時の私はよく頭がおかしくならずに耐えきることができたものです。
「……あの時の私は、エリクを助けるどころか軽蔑していた。顔をはたいてやりたい……」
「何を言いますか。あの時は、今ほど私たちは通じ合っていませんでした。それなのに、助けるなんて無茶な話ですよ」
私とミリヤムも、最初から仲良しというわけではありませんからね。
それなのに、村全体から嫌われていた私を助けようとすれば、彼女にも被害が及んでしまいます。
「……エリクは今も赤の他人を、自分を省みずに助けているのに?」
「私はそれが幸せですから」
主に、助ける過程で肩代わりして受ける苦痛が。
「それに、あの時のミリヤムは、そんな余裕がなかったでしょう。お母様もいらっしゃいましたし」
「……お母さんを助けてくれたのも、エリクだったよね」
それも、助ける過程で苦痛を味わうことができました。ありがとうございました。
しかし、ミリヤムはまだあんな昔のことを気にしているのですね。
優しいことはいいことだと思いますが、当の本人である私が嫌な過去とはまったく思っていないので、その優しさは必要ありません。
「あの時、ミリヤムが他の子たちに同調して私を攻撃しなかったこと……それだけで十分です」
嘘です。本当は同調してもらって石を投げつけてほしかったです。
「……本当に、エリクは優しいよね」
ミリヤムは嬉しそうに頬を緩ませながら、ポツリと呟きました。
この優しさに甘えて図々しくなっていただけると嬉しいです。私の重荷が増えますからね。
「ねえ、エリク」
「はい?」
声をかけられて彼女の顔を見ますと、頬がうっすらと赤く染まっているような気がしました。
ミリヤムはじっと私の目を正面から見つめてきます。
彼女の容姿は整っていますし、内面も非常に好感が持てることは長い付き合いで知っていますので、少し照れますねぇ……。
「あ、あのね、私……」
そんなことを考えていると、ミリヤムが少しもじもじとしながら言葉を発していきます。
目が潤んでプルプルの唇が小さくパクパクと開閉します。
何か言いたくて言えないような、もどかしさを感じます。
ここで急かすようなことはしません。ミリヤムは私に何か伝えたいこと、話したいことがあるのでしょう。
でしたら、私はいつまでも彼女のことを待ちますとも。
「わ、私は……え、エリクのこと……」
「おいこらぁっ! テメエ、さっさと退かねえかぁっ!!」
ミリヤムが何かを伝えてくれようとしていたのに、野太い怒声がかき消してしまいました。
何事かと二人してそちらを見ますと、おそらく声を出したであろう屈強そうな男のグループが立っており、その反対側には先ほどまで遊んでいた子供の一人が倒れていました。
子供は泣きそうになっています。
「おいおいおい! この人を誰だと思っている!? この領地の領主様であらせられるニルス・カッレラ様だぞ!? 道を開けねえか!!」
荒々しい男は、そう言ってグループの真ん中にいる爽やかな少年を示します。
私よりも年下であろうその少年――――ニルスは、ふっと自慢げに髪をかきあげていました。
「権威をひけらかすのも……気持ちいい!」
……馬鹿なのでしょうか?
そんなことを口にしたら、領民の支持がなくなってしまうように思えるのですが……。
「……父の権威をそのまま引き継いだ馬鹿坊ちゃま……本当、気持ち悪い……」
ミリヤムはボソリと毒を吐きます。
オラース王子に教えてもらった通りの人なのかもしれませんね。
「ニルス様! こいつ、どうしますか?」
「うーん……そうだなぁ。わざと道を塞いだわけじゃないんだろうけど……」
荒々しい男――――おそらく護衛ですかね――――に聞かれて考える仕草を見せるニルス。
いえ、悩む必要はないと思うのですが。
「ご、ごめんなさい!」
子供も謝っています。本来であれば、すぐに許してあげるのが大人……というか常識のある人の対応だと思うのですが……。
「でも、何の罰も与えないと、僕が舐められるかもしれないな。それは、絶対に避けないといけないよね」
ブツブツと独り言をつぶやいていたニルスは、顔を上げて子供を見下ろしました。
「それに、こうして領民を虐げることができるのも、貴族様の特権だからね!」
「きゃぁぁぁぁぁぁっ!!」
ニルスは大きく笑いながら脚を振り上げました。
蹴りつけるのか、踏みつけるのか?
どちらにしても、大の大人に小さな子供がそんなことをされれば、非常に大きな怪我をしてしまうでしょう。
軽く痛みを与えてしつけるというようなそぶりは微塵もありません。
ニルスの言葉、そして振り下ろそうとしている力の入り具合からも、全力で子供を攻撃しようとしています。
子供と見ていた領民たちの悲鳴が上がります。
「あ……!」
見かねたミリヤムが走り出そうとしますが、おそらく身体能力が高くない彼女では間に合わせることはできないでしょう。
彼女以外子供を助けてニルスに目をつけられたくないため助けようとする人はいません。
「お任せください」
間に合わせるだけの身体能力と、目をつけられてもうれしいMの心を持つ私がいなければ、危なかったかもしれませんね。
私は良い笑顔をしながら駆け出し、子供を抱きかかえてニルスに背を向けるのでした。