第百十二話 神隠し
「そうか。また父上は勇者殿を使ったか……」
報告を聞いて、オラースは頭を抱えてため息を吐いた。
「彼は快く引き受けたようですが……」
「勇者殿は優しすぎる。テロ組織に関与しているかという調査など、普通忠義に篤い騎士でもなければ受けたがらないだろう」
自身の忠節の騎士であるヴァルターの言葉に返答する。
彼もまた、自身の命令ならばどんな無茶でもやり遂げてくれるだろう。
だが、勇者は……エリクは違う。厳密には、騎士ではないのだ。
「あまり勇者殿を使いすぎるのも問題だ。色々な意味でな」
父であるレイ王は、エリクを非常に困難な任務にあたらせているが……それらを尽く処理して民を助けているため、彼の人気が上がりすぎてしまうという問題がある。
あまりレイ王に対して良い感情を抱いている民が少ないこの国で人気が出過ぎてしまえば、それこそ反王勢力として担ぎ上げられてしまうかもしれない。
オラースを担ごうとする動きだって、水面下ではあるのだ。
もちろん、彼はそんな動きに便乗しようとは微塵も思わないが、エリクもまた思わなくても無理やり神輿にされることだってあり得るのだ。
「……王子は優しいですね」
「何がだ」
だが、本当は民であるエリクを危険な任務に就かせることが心苦しい、という思いが一番強かった。
エリクは優しい男だ。その優しさに甘えていれば、いずれ彼が潰れてしまうかもしれない。
それは、避けなければならない。
「それに、今は妹の……デボラの騎士だ。父上が勝手に使うのは、よろしくないだろう」
それは、傍から見てもというのもあるが、わがままな癇癪姫が快く思うはずもなかった。
どうにも、妹はエリクに執着しているようだ。
そんな彼を勝手に危険な任務に放り出したと知れば、また癇癪を起こしてしまうかもしれない。
「癇癪の規模が、あいつの場合は大きすぎるんだよなぁ……」
オラースの呟きに、ヴァルターは苦笑いしかできない。
確かに、癇癪を起こして泣かれるだけならまだしも、人を吹き飛ばすのに十分な威力を内包した爆発を繰り返すのは非常に危険だ。
「しかし、勇者殿ほど動かしやすい戦力もありませんから……」
「確かにそうだが……」
エリクの力はそれほど高いわけではないはずなのだが、彼は確実に命令を遂行する。
しかも、どこの勢力にも属していないため配慮する必要などもなく、だからこそレイ王も頻繁に彼を使うのだろう。
……たまに、デボラをとられる腹いせに苛烈な命令を下しているようだが。
「カッレラ領か。最近、領主が代替わりした……」
「はっ。まず間違いなく、『救国の手』の手がかかっている場所です」
オラースは独自の情報網で、あの領地が限りなく黒に近いことを知っていた。
後で、エリクにもこの情報を伝えるつもりである。
「以前の領主は有能で忠義に篤かったが……その息子がなぁ……」
オラースは落胆したようにため息を吐く。
現在の領主であるニルス・カッレラは最近領主の地位に就いた、まだ年若い貴族である。
彼の父である先代カッレラ領の領主は、能力も高く民のことを思いやる良い貴族だった。
しかし、どうにも親としての教育方法はぬるかったようで、息子のニルスは……。
「性格の悪い凡人、ですな」
「おい。あまり貴族の悪口を言うなよ」
そうは言いつつも、オラースもヴァルターの言葉を否定することはしなかった。
そう、はっきり言えば無能だ。しかも、どうにも欲望が強いらしく、犯罪や民を虐げるようなこともしている……はずだ。
「はぁ……本当に、おかしなものだ。これだけ怪しさが満点なのに、何故証拠だけ出てこないのか……」
オラースたちがニルスを調査して投獄できない理由が、それだった。
物的証拠が、一つも見つからないのだ。
状況証拠などがあっても、これだけで貴族をどうにかできるわけではない。
無理やりしてしまえば、中央の権利濫用だとして一斉に反旗を翻される可能性だってある。
「奴は無能なはずだ。それなのに、何故証拠だけを確実に潰すことができる……?」
そういった能力は持っている? いや、そんな特定的な能力は持っていないはずだ。
何かある。何かがニルスに力を貸しているに違いない。
「それが、『救国の手』なのか、はたまた……」
それとは別の大きな力を持つ何者なのか。
カッレラ領で頻発している、容姿が優れた女性たちが唐突に姿を消すという不可解な現象。
そんな女性たちの中には、家族が目を離さないで見守っていた者もいたのだが、例外なく神隠しにあっている。
「だが、神隠しなどありえん。必ずタネがあるはずだ」
しかし、それを自身で調査することはできない。
その口惜しさに、強く歯をかみしめる。
「勇者殿にこちらが持つ情報を教えてきてくれ。それと、もし何かあったら必ず力になるということも」
「はっ」
ヴァルターが頭を下げて部屋から出ていく。
それを見送り、オラースは息を吐くのであった。
『どうして僕に黙ってエリクを使うんだよぉっ!! パパの馬鹿ぁぁぁぁっ!!』
『ちょ、ちょっと待ってデボラ。ワシはああぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁっ!?』
『陛下ぁぁぁぁっ!?』
デボラの怒りの絶叫とレイ王の悲鳴、そして響き渡る爆発音に、オラースの頭はさらに痛くなったのであった。
◆
「くっ……くくくくくっ」
オラースのいる王城から離れた、カッレラ領の邸宅。
そこに、領主であるニルスはいた。
彼は高級な椅子に深く腰掛け、部屋の中を見回す。
そこには、様々な美しい女たちがいた。
壁際にしずしずと立っている女たちは、メイド服を着させている。
地面に力なく倒れ伏す女たちは、衣服を身に纏っていない。
両隣りにはやはり女を侍らせており、まだ成人したてのニルスは満足そうに笑っていた。
「いい! これは素晴らしい光景だ! 貴族たる僕にふさわしい!!」
大きく両腕を広げるニルス。
その際、女たちの顔面に強く手が当たるが、彼はまったく気にしない。
そして、鼻から血を流す彼女たちもまた、怒りを露わにするどころか悲鳴さえ上げなかった。
それは、彼女たちだけでなく、控えている女性たちも地面に倒れ伏す女たちも、まるで感情を持たない人形のように無表情であった。
「若いのに、まったく悪い趣味を持つようになってしまったのぉ……」
「うん?」
ニルスが声の在り処を見ると、誰もいなかったはずのベッドに一人の女がいつの間にか座っていた。
彼女はそんなことを言っていたが、声の調子はとても平坦で、顔も女たちに負けないくらい無表情であった。
何もしゃべらない彼女たちに比べて、女は確かに感情を持っているのだろう。
だというのに、彼女は女たちを見ても何の感慨も抱いていなかった。
それは、女の頭部に耳が、臀部に尻尾が生えていることが原因であった。
「何を言う! これこそ、男の……貴族の本懐じゃないか! 良い女を大量に侍らせて好きに扱う……最高だ!」
「ふぅむ……ま、確かにそういう男もいるが、それが本懐かと問われれば違うと思うが……」
楽しそうに笑うニルスと、まったくの無表情の女。
彼女はいつもこんな調子なので、彼は今更気になることはなかった。
「それに、これをしてくれたのはお前じゃないか! アンへリタ!」
「これ。人聞きの悪いことを言うでないわ」
キラキラとした目を向けてくるニルスに、無感情の目を返す女――――アンへリタ・ルシアはため息を吐くのであった。