1 ラビリンス
魔獣と滅びゆく世界の戦記
本章第三部「迷い咲く徒花と虚ろなる器の協奏曲」
1 ラビリンス
亜獣と騎士が各所で鎬を削り、戦闘の喧噪は盛り上がるばかりであった。牙や爪と剣とが十重二十重にぶつかり、弾雨となりし星力は方々で爆発を誘った。血潮をたぎらせた闘士が筋骨隆々の獣種を断ち斬り、他方では精霊種が騎士の首を派手に壊死させた。
サーフ伯爵領の攻防戦は激化の一途を辿っていた。魔獣に占拠されて新しい領内では、未だに逃げ遅れた民が息を潜めて生計を立てており、解放軍宜しく現れた北西域の軍勢に向けられた期待は小さくなかった。
地上を燦々と照らす太陽の下、戦況は一進一退の様相を呈していた。血煙の流れが変わったのは、颯爽と現れた新たな一隊が、さも亜獣の群を援護するかのように動いたことに因った。
主戦場である牧草地帯の丘陵は起伏に富んでおり、その一隊は巧みに死角を縫って移動することで奇襲を成立させた。亜獣の排除に掛かり切りであった北西域の軍勢は、仕掛けられた電撃戦にひとたまりもなかった。
「システィナ様!新手に横っ面から崩されちまって、これ以上は支え切れませんぜ!全軍が崩壊しちまう前に、早いとこ手を打ちませんと!」
老境に差し掛かったとも見える容姿の傭兵が、必死の形相で主へと進言した。その男は傭兵らしく、周囲の味方と統一感がない使い古しの鎧を着込んでおり、ぎょろぎょろとした大きな目で遠方まで見回していた。そうしている間も、援軍の登場に気勢を上げたかと思しき一部の亜獣が突入してきて、大勝首を狙わんと大暴れを演じていた。
都合二面からのプレッシャーに晒され、システィナ率いるウルランド軍は俄に敗北の兆しを覗かせた。自らも雄々しく槍を携えるシスティナであったが、自軍を取り巻く不利な状況を認め、即座に継戦を断念した。
「・・・・・・ここで全滅しては、何の為にウルランドから西域まで出張ってきたか分かりません。全軍をクーヴェルティアまで引かせます。デラ・テーラ!殿を頼みましたよ」
「へえ・・・・・・。相変わらず、人使いが御荒いこって。ラウラ団長の前だと、気持ちが悪いくらいしおらしいってのに・・・・・・」
「何か文句がありますか?デラ・テーラ」
緋色の甲冑を纏ったシスティナが紅玉の瞳で睨みつけるので、老傭兵デラ・テーラは、巨大な枯れ木と見紛う亜獣・樹魔が視界に入るなり、一太刀で斬り伏せて熱意をアピールした。そうしておいて、指揮者としては傭兵部隊と闘士部隊とを乱さず集合させ、システィナや騎士団の撤退を支援すべく堅固な方陣を敷いた。
「あの亜獣・・・・・・」
システィナが視線を向けた先で、象ほどもある巨躯の獣種が、闘士を虫でも払うかの如く蹴散らしていた。システィナと同様にその敵を視認したデラ・テーラは、余計な輩が舞い込んできたものだと舌打ちし、自ら排除に赴いたものか思案した。
「仕方ねえな・・・・・・。おい、そこのお前!俺があのデカブツを仕留めてくるまで、ここの指揮を頼むわ」
「お待ち下さい、デラ・テーラ様!小官では、防衛ラインを維持できるか自信が・・・・・・」
「いいからやれ!直ぐに戻る」
「いいえ。あれの始末は私が付けます。そのまま撤退しますから、貴方は予定通りに殿軍の役目を果たして下さい。いいですね、デラ・テーラ?」
部下たちの話に割り込むなり、システィナが馬を駆って巨体の獣種へと突撃した。デラ・テーラは主の無鉄砲さに頭を抱えたが、止められなかった以上致し方ないとして、己が職分に専念した。
システィナ率いるウルランド軍を苦心させた魔獣ならぬ新手の軍隊については、先頭に立つ女闘士が突出した戦闘力を見せつけ、大いに勇名を馳せた。その者は出で立ちからして奇抜で、戦闘衣がやたら軽装な上、手足にぐるぐると包帯を巻き付けていた。スラリとした細身で上背に恵まれ、艶やかな氷青の髪が腰下まで無造作に垂らされていた。切れ長の目に点された暴力の光がまた特徴的であり、あらゆる相対する者の戦意を底冷えにさせた。
「・・・・・・ウルランドの女領主様、逃げる。・・・・・・無様。・・・・・・グラジオラス騎士団領の<遊騎士>なんて、ただのお飾り」
女闘士ことシシリー・アルマグロは小声でそう評し、一斉に後退してゆくウルランド軍を静かに嘲笑した。シシリーの剣によって倒れたウルランド兵は二十を下らず、それでいて彼女はかすり傷の一つも負っていなかった。
シシリーの幕下で比較上位にある中年の闘士が、恐る恐るといった体で上役に指示を仰いだ。
「アルマグロ様。追撃は如何致しますか?」
「・・・・・・面倒。・・・・・・捨て置く。・・・・・・魔獣に、同士討ちを避けるような理性を期待するとか、無理」
「仰せのままに。では、こちらも撤退の準備をさせます」
シシリーは言葉を介さず、頷きでもって返事をした。そして、事後処理など興味がないとばかりに瞳から剣呑な光を消し去り、堂々と欠伸をかみ殺した。
サーフ伯爵領における敗北は、システィナからすれば物理的にも心理的にも最悪を極める結果と言えた。ラグリマ・ラウラと交代する形で西域入りを果たしたシスティナであり、赴任早々、霊獣の一匹も撃破することなく逃げ帰るというというのは、正しく想定外の事態であった。そしてそれは、北西域でレーゲンドルフと覇を競う彼女の戦歴にも傷を付けたに等しかった。
(魔獣だけでなく、もうシンギュラー軍とかち合ってしまった。こうまで迅速に動かれると、サーフ伯爵領を奪回するどころか、クーヴェルティアの防衛すら危うくなるというもの。早急に態勢を整えないと・・・・・・)
撤退の道すがら、システィナは何度も歯噛みした。ラグリマ・ラウラの期待に添えないことが何にもまして屈辱で、<遊騎士>の同志である朧月夜やリージンフロイツが方々で活躍していることと己が失態とを比べ、失意の底に落ち込んでいた。
やがてデラ・テーラが殿部隊と共に合流し、ウルランド軍はどうにか戦域を離れた。デラ・テーラは海賊上がりに相応しくない慧眼で、敵の総評をシスティナへと語って聞かせた。システィナはデラ・テーラの言に素直に従い、各所へと救援の要請を発信した。というのも、デラ・テーラが「奇襲を仕掛けてきたシンギュラーの軍中に、桁外れの戦士がいたんです。アレはきっと・・・・・・戦場に舞い降りる死神の類ですぜ。少なくとも、俺が十人いても、まるで勝てる気がしねえ・・・・・・」という観察の結果を述べており、システィナは見た目と口が悪いこの腹心の傭兵をよく信頼していたのである。
(破竹の如きシンギュラーの勢いには謎が多い。どこぞの地域の大国から支援を受けているとか、新帝国が採る対魔獣政策に悉く反抗するとか。・・・・・・だがこうして、戦力に油断のならないものがあることだけは分かった。次からは、こうはいかない)
***
西域の小国・シンギュラー。彼の国の<巨神>神殿では、巨大な石碑に記される形で、創世の物語が伝えられていた。
世界は、自らをただ一つの機構へと貶める決断を下した。
世界は、肉体を伴い具現化した。
正しき力は、新たな供給が途絶えた。
正しき力は、絶対量がただ循環するのみとなった。
世界は、殺戮者と神々の眷属の争いを調停せんとした。
世界は、限りある正しき力から守護者を作り出した。
殺戮者は、正しき力が供給されないことに震撼した。
殺戮者は、限りある正しき力を独占せんがため謀を用いた。
神々の眷属は、謀られた挙げ句世界を弑逆した。
殺戮者は、失墜した世界を極北の地へと封じた。
殺戮者は、独占した正しき力を駆使し自身の複製・分化を繰り返した。
守護者は、世界を失ったことで迷走した。
殺戮者は、神々の眷属を狩り続けた。
神々の眷属は、死に際に異質なる力を大地へと還し続けた。
異邦の神々は、静かに復活の機会を待ち続けていた。
「これが、史実の後半部分に当たるというのですね?」
ふんだんにフリルの付いた少女趣味が全開の黒いドレスを着込んだ女エルフが、神殿奥に安置されている石碑を指さし、隣の人物に向けて質問した。女エルフは終始物腰がやわらかで、共に歩く相手にきちんと配慮ができる真っ当な人格を有していた。
二人が足を踏み入れている聖堂は自然光が入らぬ作りとなっていて仄暗く、天地創造の画が描かれた低い天井付近に、星術で灯された人工の光が漂っていた。西域にあっても比較的高所に建立された神殿のため空気は冷たく、さして厚着でもない二人は時折、肌が剥き出しになっている二の腕を自らさすっていた。
「左様。実は、妾が継ぎ足したものじゃ。フフ。たかだか数十年のことではあるが、これほどのどんでん返しもあるまい?」
そう女エルフに答えたのは、支配層が好んで着用しそうな華美な赤マントを背に垂らし、銀の額冠を輝かせた知性的な風貌の成人女性であった。くすんだ萌黄色の髪をポニーテールに結い、彼女もまた瞳を爛々と輝かせて石碑に視線を送っていた。女の挙動から窺える気品と言葉の端々に覗く自信は何れも上々で、女エルフはこれまでの観察により、相手を希有な為政者であると認めていた。
女エルフことナル・プリフィクスは、自分がシンギュラーを訪れた目的は半ば果たされたものと解していた。<巨神>神殿を護るシンギュラー王こそ、暗闇に包まれた世界に希望の光を灯す智者なり。ナルにそう吹き込んだ旅人は、つい先日、魔獣討伐に参加して呆気なくも命を落としていた。
(彼は別に友人であったわけではないけれど。どこに真実が落ちているとも限らないから、調べてみただけの価値はあった)
「プリフィクスよ。妾の品定めは済んだか?お主等エルフ族は、とうに世界の行く末に関心などないものと思っておったが。こうして出てきたからには、妾の大望に手を貸して貰えると期待して良いのじゃな?」
「魔獣の所業は世界の意志であるというテーゼ。そして、それを世界が悔いているというアンチ・テーゼ。そのアンサンブルがもたらすジン・テーゼを、シンギュラー王たる貴女の口からお伺いしたい。ワタクシは、魔獣を狩ることにあまり意味を見い出せず、結果的に古い友人を失いました。遅きに失したかとは承知しておりますが、今更腰を上げるからには、自分を納得させられるそれなりの理由が欲しいのです」
シンギュラー王たる女の瞳から発せられる挑発的な光を、ナルの透き通った碧眼が平常運転で見返した。ナルの発言を受け、シンギュラー王は年齢不詳の美貌に翳りある笑みを浮かべた。そうして豊かな胸を張り、よく通る声でナルの問いに答えた。
「妾がシンギュラーを統べて、まだ五年と経ってはおらぬ。だが、この五年で世相はひとしきり把握したつもりぞ?世界を惑わす者は二つ。七十七の神獣と、時代遅れの英雄ラグリマ・ラウラ。その両者を制御し、世界の安寧を維持する資格を持つ者は、このジェネシスをおいて他にない」
「神獣を滅ぼすと言うのですか?英雄軍ですら成し得なかった偉業を、貴女はどのようにして達成すると?」
「神獣と戦うことなど無用。案じなくとも、彼奴らにこれ以上勢力を拡大する余裕などないのじゃ。それに、石碑にもあったであろう?神獣との争いでこれ以上血を流せば、不可避の破滅が訪れる。だから、ラグリマ・ラウラのやろうとしていることを止めねばならん。彼奴が決戦に踏み切れば、徒に世界の命数を使い果たす」
「・・・・・・貴女が目指すところはどこなのです?神獣礼讃主義を普及させ、世界に息づくあらゆる種族に融和を強いることですか?それとも、神獣の行いを世界の意志と解釈して黙認なさるおつもりで?それらは何れも、緩やかな自殺とも受け取れますが」
「詩的な表現は好まぬよ。星力と生命力が均衡を見た世界。それが妾の導き出した解じゃ。それにおいて、例えば種族間の対立がどうなるかは知らぬ。幻獣なり霊獣なり、ましてや亜人が全滅しようと、一切興味はない。そう、一番大切なのは、生命力を持つ者たちの生死を適正範囲においてコントロールすること。それと、<始祖>へは誰にも干渉させないこと。四度世界に意志を曲げられては、安定したこの現し世が一息に滅しかねん。その点からも、ラグリマ・ラウラの早期排除は命題となるのじゃ」
シンギュラー王ジェネシスは堂々たる口振りで表明した。魔獣を一概に敵視しないジェネシスの思想はナルの本心と近いところにあった。しかし、ナルは己が人生を非生産的に歩んできたものと悔いていたし、亡くした友の弔い合戦に望みたいという野蛮な感情も少なからず芽生えていた。
揺れ動くナルの心情に対し、ジェネシスはそれ以上突っ込んで説伏しようとはしなかった。無理矢理麾下に収めた者など大した力を発揮しようもないと達観していたためで、加えて現在のシンギュラーには強力な二柱の戦士が在籍していたものだから、ジェネシスに焦りはなかった。
正面から敵対した新帝国や、のらりくらりと態度を明らかにしていないヨルムン連帯と、そう遠くない未来、生死を懸けた決戦に及ぶであろうことは目に見えていた。だからこそ、ジェネシスはそれに向けた布石を少しずつ打ってきた。例えば二柱がそうであるし、彼女の頭脳にあたる軍師も登用を済ませていたので、後は破滅を免れる計算を間違わないことだけが肝要であった。
ジェネシスは思い悩むナルの細身を入念に眺め、さて彼女が幕下に収まってくれたならどう活躍してもらおうかと皮算用を始めた。
(世界最高の剣匠は、世界最高峰の星術士でもある。<燎原姫>が種族の護持を託したと噂されるプリフィクス。新生シンギュラーの門出を飾るに、これほど相応しい箔もそうはあるまいな)




