1 空色の髪の闘士-4
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ウルランドより南西に徒歩で二日、馬で半日のところにヴィシスの村はあった。農耕と牧畜、少しの鉱石採掘を主要な産業とする中規模の村であったが、景観はものの見事に一変していた。
木材や藁でできていた家屋は多数が破壊され、バラバラに散った素材が随所に積み上げられていた。人間や家畜は死体が晒されたままで、壊された用水路からは泥水が止めどなく溢れ続けた。日々の営みがないことに加え、雨も降らないので辺りは埃っぽく、動くものは微風に舞う雑草や被害を免れた果樹の枝葉だけであった。
もう一つ、盛大に動くものがあった。
形容のし難い霊獣が一匹、かつては村の大通りであった地点を忙しなく闊歩していた。シルエットは象と似通っており、体表はどす黒く、全体的にぬめりを帯びていた。太い足が六本に、尻尾は先端が刃状に研ぎ澄まされていて武器と成り得た。頭部だけは類似する生物がなく、縦に長細い楕円形の盾というのが近似であって、表面は滑らかで鏡のように光を反射する金属質を想起させた。鼻のような長い突起の他に目と口らしい位置に裂け目があるのだが、どちらも内部に色や肉が窺えず、どういった器官か判断の付かぬ闇だけが不気味に覗いていた。
盾象と規定された霊獣であり、弱点である頭部に星術が通り辛いことから、星術士泣かせの種であるとされていた。
(気配が読まれている?こっちの正確な位置はわからないみたいだけれど、距離や方角が掴まれてる・・・・・・!)
エルフの娘は、半壊した家屋の陰に隠れて盾象の動きを観察していた。この敵が出現してから半日近く逃走劇を演じており、その間少しも体を休められていなかった。最低限度の手荷物と武器以外は投棄していて、フード付きの外套も失われていたため、艶やかで美しい金髪は白昼に下に晒されていた。白磁のように真っ白な肌、長く尖った特徴的な耳、彫刻された古代の女神像のように整った目鼻立ち、宝玉と見紛う碧眼。娘の容姿を表せば、詩人でなくとも美辞麗句が並ぶであろう、間違いようのない美女であった。
娘は草色の短衣の上に藤製の胸当てと申し訳程度のショルダーガードを装着したのみで、戦地において軽装を極めていた。細い腰元の鞘には大振りの剣が収まっていて、それ以外に小さな革袋が二つ、ベルトからぶら下がっていた。
盾象は地響きを立てて駆け、捕捉まではしてはいないようだが、エルフの娘が潜む地点めがけて着実に前進していた。ウルランドの騎士団が敗退してからこちら、手持ちの樹霊剣の力で霊獣を二匹葬っており、娘の余力は尽きかけていた。幾ら長命なエルフ族であっても樹霊剣を使用する代償は大きく、ただでは済まない領域まで生命力を毀損していた。
(これ以上の使用は命に関わる・・・・・・。でも、ウルランドまで逃げたらこいつを連れ込んでしまう可能性がある。やるしかないわね)
エルフの娘が直接対決を選んだその時、彼女と盾象の中間に突如として一騎が乱入してきた。乱入者は尻を叩いて馬を先に逃がすと、自身は外套すら脱がずに、大荷物だけを地面に下ろした。エルフの娘の遠視によると、空色の髪をした乱入者はどうやら大量の剣を持参してきたのだと知れた。
盾象は新手の登場を認め、反射的に六本の足を止めた。大量の砂埃が舞い上がり、辺りは一瞬だけ黄土色に染まった。
『・・・・・・アタラシイニンゲン。ニンゲン。ニンゲンハ、コロス。エルフモ、コロス』
「少しは頭が回るようだな。おれはお前らと戦いたくない。お前らの上位者に伝えてくれないか?この地を諦めて、出て行くように」
盾象は黙したが、それは少しの間だけで勢いよく乱入者へと躍り掛かった。
(駄目!)
エルフの娘は目を見開き、樹霊剣を鞘から抜いた。大型の両刃の剣身が淡い翠色の輝きを発した。しかし、輝きはすぐさま収縮し、それと同時にエルフの娘ががくっと崩れて地に膝を付いた。生命力の限界であった。
一方の乱入者ことラグは、手にした一本の剣を、目にも止まらぬ速度で左下段から右上段へと斬り上げた。斜めに走る斬線は、意識が朦朧としていたエルフの瞳に目映い青の軌跡として映り込んだ。鋭い炸裂音と共に、盾象の巨躯が斜めに両断された。堅牢で知られる頭部ごと胴体の奥まで一気に断ち斬られた形で、ラグの剣による一閃が途轍もない威力であると知れた。
青光が焼き付いた銀の剣は、やがて刃が黒焦げになってぼろぼろと崩れ落ち、ラグは手にしたそれを道端へ放り捨てた。そして、落下して体液を吐き出し続ける霊獣の肉片が完全に動きを止めたことを確認すると、後ろを振り返ってエルフの娘を手招きした。
エルフの娘が覚束ない足取りでたどり着くと、ラグは断りもなしに彼女の手から樹霊剣をむしり取った。
「あっ!こら・・・・・・」
「間違いない。<燎原姫>の樹霊剣だ。この剣身には見覚えがある」
「は?えっ?え・・・・・・」
ラグの口から出た固有名詞に困惑したエルフの娘は、目を白黒させて奪われた秘剣とラグとを見比べた。ラグは一頻り眺めた後、樹霊剣を娘の腰の鞘へと収めてやった。
「次が来る。村の入り口付近に望楼があったろう?おれが乗って来た馬には、あそこに留まるよう星術を掛けてある。早く行って、馬でウルランドに帰れ」
「・・・・・・あなたは?」
「ラグ・・・・・・と名乗っている。ウルランドのスレイヤーズギルドでは会っていたな?」
「違う。名前じゃなくて。次の霊獣が来て、その次もまた霊獣が来る。きりがないわ」
「そうはならないかも知れない。心許ないが、一応布石も打った。あと九匹は続けて相手をしてやれることだし、それで改善の余地がないならとっとと撤退するさ」
「なら、私も・・・・・・」
「星力の流れを見ればわかる。あんたの身体はもう限界だ。樹霊剣を手にした経緯も聞きたいし、こんなところで無駄に命を賭ける必要はない。さあ、帰れ」
ラグの言葉には拒絶を許さぬ強い力が宿っており、何よりエルフの娘は自身の消耗を痛いほどに承知していたので、ここは大人しく従うことにした。
「私はリージンフロイツ。親しくなった人は、リズって呼んでくれたわ」
「わかった。行け」
言って、ラグはリージンフロイツの背をそっと押して撤退を促した。そこでふと思い付いて、ラグは自分が身につけていた使い古しの外套をリージンフロイツに被せてやった。何れ日が落ちれば空気は冷え、馬足での道中は軽装の身に堪えるであろうという配慮からであった。
「え?あ、ありがとう・・・・・・」
「ぼろだが、我慢してくれ。これで由緒正しい英雄の着古しなんだ。縁起は善し悪しだがな」
リージンフロイツは芥子色の袖無し外套をしっかり羽織ると、ラグに指定された地点を目指して歩き出した。ラグは既に次の標的をキャッチしており、落ち着いた様子でその場に留まり続けた。
ややして、先程とは打って変わって、大型の狼といった風体の上品そうな霊獣がのそりのそりと歩み寄って来た。頭部を覆う銀の直毛は歩くに合わせてふわりと揺れ、対照的に胴体や足から生えた土色の剛毛は微動だにしなかった。狼面で一際目立つ大きな深緑の瞳は知性の光をふんだんに湛えていた。
「銀冠狼。お前は話を聞く気があるか?それとも、盾象の後を追うか?」
『人間ト馴レ合ウツモリハ無イ』
それだけ言うと、銀冠狼はラグに向けて体当たりを敢行した。全ての魔獣の内でも敏捷性に定評がある銀冠狼の突進は迫力満点であったが、ラグの即応性はそれをも数段上回っていた。
ラグは足下の剣を一本拾うと、鞘走りから振り抜くまで電光もかくやという早技を披露し、銀冠狼を斬殺して見せた。盾象と同様に一刀で両断された霊獣の断面は、ほんの一時だけ青白い燐光を帯び、そこに星力の痕跡を覗かせた。ラグは呼吸を整えると、またも焼け焦げた剣を投げ捨て次の霊獣を待った。
(比較的知能が高いと言われている銀冠狼でこれだ。布石もなにも、接触自体が無意味に終わるかも知れない。・・・・・・あと八回か)
ラグは転がしている八本の剣に視線を落とした。今ここでラグを客観的に監視できる者がいたとしたら、彼の全身から夥しい量の星力が漏れ出ている様子を指摘できたに違いなかった。星力は生命力と引き替えに得られる奇跡の力であり、脆く儚い人間や亜人が、魔獣や闇の眷属といった生来頑健なる種と互するに必要不可欠な力であった。だが、ラグが現在発散している星力は尋常でなく、それが故に力を込めた剣はただの一振りで軒並み廃棄物と化していた。
その後も霊獣の襲撃は相次いだ。ラグは辛抱強く呼びかけを続けたが霊獣は無視の姿勢を貫き、攻撃の手が緩められることはなかった。
盾象から数えて六匹目を、これもまた一撃の下に打倒したところで、ラグは撤収の経路を脳裏に描き始めた。馬はリージンフロイツに貸し与えてしまったため、徒歩で霊獣を撒かねばならなかった。
(星力を脚力強化に回して。また銀冠狼の奴が出て来ない限りは、どうにか逃げきれるだろう)
そうこうしている内に現れた七匹目は、村の外周部に佇んだまま接近してくる兆しを見せなかった。星術の遠視強化によって対象をつぶさに観察したラグは、相手が稀な幻獣種であると知って自ら赴いた。
鬣を風になびかせた白き獅子。背には蝙蝠の翼を生やし、意思を持って動く白蛇が尻尾として同居している。そこだけが彩色豊かな黄金の瞳を持ち、視線は歩み寄るラグへと油断なく向けられていた。白獅子と呼ばれる幻獣であった。
人間や亜人に対して中立的な立場をとることが多いとされる幻獣の登場は、ラグとしても願ったりであった。しかし、幻獣の単純な戦闘力は霊獣を超越しているため、警戒の度合いは俄然高まった。
「霊獣を叩いていたら、まさかの幻獣様のご登場か。少しは話を聞く気になったか?」
『我等ハ困惑シテイル。汝ヲ特定危険敵性体ト認メルニ時間ガカカッタ。ソノ髪色ハ、ラグリマ・ラウラノモノト一致シナイ』
「染めたんだ。お前ら魔獣への怨みを忘れないようにな。<黄昏宮>は壮健か?」
『カノ者ハ我等ノネットワークニ介在シナイ。居所ハ分カラヌ』
「まあいい。この地からさっさと手を引け」
『ラグリマ・ラウラ。汝ハ理解シテイル筈ダ。我等ハブレインネットワークデ情報ヲ共有シテイル。シカシ、汝ガ特定危険敵性体ダカラトイッテ、抗戦ヲ避ケル者バカリデハナイ。占拠ト進出ノ判断ハ、指揮官タル者ガ下ス。ソレダケダ』
白獅子はそこで言葉を切り、ラグことラグリマの目をじっと見つめた。ラグリマが口を挟まないでいると、そのまま沈黙が辺りを支配した。
(なるほど。逃げる時間は与えてくれると言うわけか)
残る剣が四本しかないこともあり、ラグリマは白獅子による無言の撤退勧奨を受け入れることにした。ヴィシスには魔獣が留まることとなろうが、居座りこそすれ近寄らなければ更なる害もないと予想できたので、ひとまずの落としどころではあった。
リージンフロイツがこの地に残っていたなら、白獅子が口にしたラグリマ・ラウラという名に心当たりを認めたに違いなかった。七年前、<燎原姫>と称されしエルフ族の姫と共に<不毛の谷>へ侵攻した勇者たちがいた。その中に<千刃>という見たままを異名とされた闘士がおり、その者は戦地に十振り以上の剣を持ち込む奇行で知られていた。
一振りで一匹の魔獣を殺す男。
ラグリマ・ラウラは七年前に<不毛の谷>でやり残した仕事を抱え、今もって現世を彷徨っていた。