5 墓標を打ち立てる-2
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<不毛の谷>は一望すると寒々しい山岳風景であり、谷中を登り進んでいくと、ほどなくして切り立った崖があちらこちらに顔を出す。朧月夜とシャマスが詰めていたのは入口の裾野付近にあたり、魔獣と接触する可能性が低い言わば無風地帯であった。
二人が驚いたのは、最も危険な地と伝わる極北のこの区域において、真っ当な営みを続けている人里が存在するという現実に対してであった。二人はラグリマの指示でメネという寒村を訪ねており、そこには谷を監視する目的で世界各国から遣わされた官吏や闘士が相当数駐在していた。
「ほえー。メネの名前だけは知っていましたが、それにしてもこんなに人が多いだなんて。村人よりも、余程スレイヤーの方が数がいるんじゃないですかね?」
村にただ一つの中央通りを歩きながら、朧月夜はきょろきょろと露天商の売り物を冷やかしていた。食料や防寒具、さらには武器までも販売されていて、朧月夜が近寄る度に店主と思しき村人たちから胡散臭そうな目つきで睨まれた。滞在は既に十日を超えていたのだが、ウルランド発の闘士という触れ込みの二人は、決して金払いが良いわけではなかったので、商売人たるメネの村人たちから歓迎されることはなかった。
「・・・・・・出張所ではあるが、神殿のネットワークも生きていた。魔獣の本拠地とほど近いこの地にも、<光神>の威光は届いているのだな」
邪険にされてもめげずに物資を物色する朧月夜へと、シャマスが抑揚のない声で応じた。そんな二人の前に、入村時に応対へと出てきた中年の闘士が顔を出した。スレイヤーズギルドのメネ支部長を名乗る男で、似合わぬ口髭と顎髭は手入れの無精によってぼさぼさになっていた。
「買い物は順調かね?頼まれていた監視の件だが、新しい情報が入ったよ。この村の取り決めによって、諸国の駐在員にも同じ連絡を入れざるを得ないのだが」
「結構ですよー。それで、また谷へ進入する者がありましたか?」
朧月夜がラグリマから託されていた偵察目標は二つであった。神獣<雷伯>の帰還と、白面をはじめとしたレーゲンドルフ勢の行軍。後者は幾度となく確認されており、それを知った諸国の駐在員はそれぞれ本国へとレーゲンドルフの暴挙を通信していた。
「あった。堂々と星術方陣が展開されたものだから、難なくキャッチできた。幻獣に跨がって、例の白面が戻って来たそうだぞ」
「成る程。来ましたかー。・・・・・・なら、うちのリーダーを待って乗り込みます」
「ちょっと待った!谷に足を踏み入れるのだけは勘弁してくれ。これ以上神獣を刺激したら、どんな災厄に見舞われるやら・・・・・・。早々に国際問題になるぞ」
メネ支部長は青ざめた顔で、身振りも大仰に訴えた。朧月夜はそう言われることが分かっていたので、敢えて「大丈夫ですよ」とだけ答えて後は笑顔と黙りを貫いた。<不毛の谷>を監視・監督しているメネの主要産業は、神獣の動向を注視する各国からの援助がそれに相当するため、どこか一国が単独で谷へとちょっかいを出すことは協定で明瞭に禁じられていた。スレイヤーズギルドもそこに一枚噛んでおり、ただでさえレーゲンドルフという背徳の勢力が既にやらかしているというのに、ウルランドにまで暴走されるというのは慮外な話であった。
朧月夜は<不毛の谷>入りに必要な物資を一通り買い揃え、シャマスを運び役として旅亭に持ち込んでいた。はじめに五騎の騎士を伴ったシスティナが合流し、小さな旅亭は名実ともにウルランド一行の貸し切りとなった。ウルランドより共に旅してきた騎士たちを部屋で休ませ、システィナは極限に迫る疲労を我慢して食堂へと顔を出した。屯していたシャマスが温かい酒杯を差し出してシスティナを迎え入れ、寒そうに毛布を肩掛けした朧月夜も笑顔でそれに倣った。
「システィナ様はどこまでラグに付き合うんですかー?ウルランドは、当面は魔獣の危機から遠ざかったように思えます。ここから先は命懸けですから、相応の理由がないとやってられないものかと」
「そうですね。オボロはどうして?」
「私は断然、ラグのことを気に入ったからです。だって、彼はあの英雄軍団の一員だったんですよ?世界各地から集められた、最強のスレイヤーの一人。凄すぎますー。ねえ、シャマスさん?」
朧月夜から水を向けられたシャマスは、麦酒のグラスを傾けながら頷いて見せた。ドワーフ族は強者を無条件に崇める習性を持つと聞いており、システィナはむべなるかなと納得した。朧月夜は自身の長い黒髪を指でいじりながら、ごにょごにょと先を続けた。
「あと、男性として魅力的でもありますし。ああいう陰のある色男に私、弱いんですよねー。それでいて腕も立つんですから、反則です」
「そうでしたか。私の拘りは・・・・・・何でしょうね。彼が止めるのも聞かず、息巻いて私は失敗しました。それで迎えたピンチを幾度となく挽回してくれたのが彼でした。きっと、私などでは彼の力となるに値しない。それは分かっているのです。ですが、例え盾になるのでも良い。ウルランドが彼から受けた恩をこの体で返さねばという使命感、といったあたりが一番答えに近いのかも知れません」
「体で返す・・・・・・何だか淫靡な響きですねえ」
「いえ、私の体はあちこちガタがきていますから。ラグ殿も食指が伸びないでしょうし、そういう意味はありませんよ?」
システィナは義手をさすり、口元を柔らかく綻ばせた。
「そんなこと、ラグは気にも留めないと思いますけどー。ねえ、シャマスさん?」
「男と女のことを聞かれても、ワシにはよく分からん」
むすっとしてひたすら酒を呷るシャマスの態度に、朧月夜とシスティナは顔を見合わせて吹き出した。シャマスは暖炉の火で温めていた薬缶を取り出すと、熱湯で紅茶をいれて朧月夜に手渡した。朧月夜は礼を言って受け取ると、熱そうに目を瞑ってそれを啜った。
「いい塩梅ですー。シャマスさんは家事が得意だから、すごく助かってます」
「・・・・・・洗濯くらいは自分でやった方がいい」
「あ、やっぱり嫌でした?ごめんなさいー」
「違う。年頃の娘なんだから、異性に衣類を触らせることを、恥じらうべきじゃないか?」
「下着の話、かな?」
シャマスは顔を背け、その話題への深入りを避けた。朧月夜が何もしないので、彼は仕方なしに部屋の掃除やら洗濯やらを買って出ていた。システィナは酒杯に少しだけ口をつけ、己が領地に隠れていた星術士と神官戦士の不思議なやり取りを眺めていた。
(ラグリマ・ラウラの登場によって、この二人やリズと面識を持つことが叶いました。アスタリス殿には大変申し訳ないことをしてしまいましたが、この出会いは私にとって、以後も有意義なものとなりましょう)
翌々日、ラグリマとリージンフロイツがメネ入りを果たし、久方ぶりに五人は顔を合わせた。システィナが連れてきた騎士団の騎士五人を交え、日の暮れた時分に旅亭の食堂で集会は設けられた。手始めに、ラグリマはレーゲンドルフの公都ルーラルーで遭遇した白面との会話の内容を共有した。白面曰く、<不毛の谷>に隠した神獣<雷伯>を通じて、不沈三獣たる<黄昏宮>の居場所を得ようとしている。そして、白面はレーゲンドルフと袂を分かつつもりであるということ。
「こちらの打つ手を議論する前に、話しておきたいことがある。<黄昏宮>についてだ」
ラグリマよりいざ不沈三獣についての話が持ち出されると、誰もが息を飲んだ。神獣は絶対の力を持ち、世界共通の敵である。その神獣の中で最高位にあるとされる三種の獣。遭遇すなわち死が待ち受けているとされ、ここに居合わせた面々はその姿形を目にしたことすらなかった。
「七年前。<不毛の谷>において、おれは不沈三獣と対する前に脱落した。だから決戦には加わっていない。結果は皆も知っての通りだ。おれは復讐を誓い、三年前にもう一度挑んだ」
システィナはそのような話があったものかと記憶を探った。その仕草に気付いてか、ラグリマが補足を加えた。
「公にはなっていない。東部で命知らずの有志を募った。それに、ここでもおれ以外の殆どのメンバーが死んだ」
「不沈三獣には、遭遇したの?」
リージンフロイツが恐る恐る訊ねた。ラグリマは首を縦に振り、経緯を簡潔に語り出した。
<不毛の谷>で有志連合が一匹の神獣を撃破すると、予告なしに<黄昏宮>が姿を現した。竜と見紛う鱗まみれの巨体に四枚の大きな翼。三叉の長く鋭い尾。四対八本の足には鋭利な爪が生え揃い、胴体の上に乗った頭部は異様なことに妖艶な美女のそれであった。豊かな栗色の髪の中、こめかみにあたる箇所から天へと向けて黒い角が隆起し、桜色をした唇からは犬歯のように尖った牙が剥き出しになっていた。
そしてあろうことか、<黄昏宮>の腹部にはラグリマのよく知る人物の姿が認められた。その者は<燎原姫>に違いなく、手足と下半身は神獣の体内に同化しているようで、顔と上半身だけが艶めかしく露出していた。<燎原姫>の瞳は灰色に濁って反応を示さず、見た目に意識があるか定かではなかった。
ラグリマはそのおぞましい光景を目にし、かつて妖精族の始祖女王が口にした構想を瞬時に思い起こした。<黄昏宮>に仲間を取り込ませ、攻撃を弱体化させる。そして内部からも星術でもって攻撃させることで、浮沈三獣の一角を除くという仰天の戦術であった。
まさか<燎原姫>がそのような策に志願したとも思えず、イレギュラーが発生して<黄昏宮>に取り込まれたのであろうと推測したが、ラグリマの思考は混乱を極めた。状態こそ不明ながらも、全滅したと確信していた仲間の姿がそこにあり、そしてそれは彼がとみに慕っていたエルフの姫であったのだ。
ラグリマの頭脳は、闘士としての冷静な部分で眼前の敵戦力を評価していた。既に一匹の神獣と交戦していたが、剣の所持本数は十分。金にあかして連れてきた一流の闘士たちは、依然十人以上が健在。加えて、<黄昏宮>から発せられる星力や威圧感は、ラグリマの知る神獣のそれを大幅に下回っていた。
七年前にどういう戦いが繰り広げられたものか分からなかったが、空色の髪の少女らが与えたダメージが未だ<黄昏宮>に残っているのではないかとラグリマは判断した。
ラグリマがすぐに動かないと見るや、<黄昏宮>は意外な行動に出た。腹部に取り込んでいた<燎原姫>に口を開かせたのである。<燎原姫>は虚ろな目でラグリマを見下ろし、彼の記憶に残る優しげな声音のままで語り出した。
そこで、かつて<不毛の谷>で行われた決戦の全貌が明らかとなった。




