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魔獣と滅びゆく世界の戦記  作者: 椋鳥
本章第三部 迷い咲く徒花と虚ろなる器の協奏曲
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4 凶状持ちのパレード-3

***



 その海岸洞窟は、海食崖の岩壁がさらに波によって浸食されて出来た自然窟であった。崖下に位置するが故に人目に付き辛く、その上数十人規模が生活するに余りある広さの空洞を持っていた。


 生活に必要な最低限度の物資が運び込まれている他に、星術アーティファクトによって岩壁に加工が施され、内部は波や湿気から頑丈に守られていた。洞窟の入り口付近にも星術アーティファクトで目眩ましが処置されていて、情報なしに外部から侵入することは容易でなかった。


 少なくとも、この日まではそうであると思われていた。


 プリ・レグニア海域一帯を指して呼ばれる中央域セントラルエリアには非常に多くの島が点在していた。シルフィール守護王国が君臨する主たる大陸を大小無数の諸島が囲っている形で、海岸洞窟がある島もその一つに数えられた。


 島は無人ではなく、三つの小規模集落が漁業で生計を立てていた。海岸洞窟の住人たちは、半数近くがそういった集落に身を寄せて日々を暮らしていた。もう半数は工作の為に出払っており、洞窟に常駐している者はほんの僅かでしかなかった。


 夜になると、高潮によって海岸洞窟の入り口は完全に水没して隠され、人の出入りは出来なくなっていた。そうであるからして、内部に住まう者たちも夜間はまるきり緊張せずにくつろいでいた。


 警報は突然鳴り響いた。念の為にと傭兵マーセナリー崩れが設置しておいた単純なトラップで、侵入者が入り口付近のとある人工階段を踏むと鈴が鳴るという仕掛けであった。洞窟を利用する者たちには階段に触れぬよう命令が行き届いていたので、外部の侵入者があったことを如実に示していた。


「・・・・・・この時間帯、通常手段での出入りは不可能な筈だな?」


 海岸洞窟の最奥に居を構えた老齢の男性がくぐもった声で言った。


「はい。星術アーティファクトで呼吸に作為をされた者が海に飛び込まない限りは、入って来ることも出ることも出来ません」


 老人と向き合う壮年の男性が淀みない口調で答えた。二人に共通しているのは服装で、無関係な他人が見たならば、どこぞの神殿に勤める神官パルチザンであると誤解しそうな白い外衣を纏っていた。


 二人が慌てるでもなく会話している間に、他の常駐者たちは事態の収拾を目的とし、洞窟の入り口を目指して駆け出していた。洞窟内部には星術アーティファクトの常夜灯が連なっており、一本道の構造ということもあって死角はなかった。


 奥の間にいた二人と同様に白の外衣を喜た五人は、それぞれが武器を手にして瞳より剣呑な光を発していた。だがそれは、直ぐに萎縮させられることとなる。


 洞窟の入り口からゆっくりと歩みを進めてくる人物がおり、五人はその者の姿形をよく見知っていた。というより、その者のことを常に警戒していたので、面構えを目にした瞬間全身に震えが走った。


「ザ・シーカー・・・・・・」


 白の外衣を着た中年女性が発したその呼び名に、ザ・シーカーと呼ばれた生命力溢れる風貌をした女性が、鋭い眼光とドスの利いた台詞でもって返した。


「あんたら、全員死刑」


 白衣の五人が剣なり手斧なりを構えて「うおお!」だの「やってやる!」だのと大声を発すると、大柄で張りのある女体を軽衣のみで覆ったザ・シーカーは、美しい顔に凄惨な笑みを形作った。そうして、手にした銀の剣を下段に置いて駆け出した。


「おぐあッ!?」


 一人目の犠牲者は、走り寄って来たザ・シーカーの下段斬りで両足首を断たれ、倒れ掛けたところの鳩尾を拳で打ち抜かれた。二人目はザ・シーカーに零距離まで詰められ、己が獲物の間合いを失い、剛力で首を捩じ切られた。三人目は高速の剣で両腕を斬り飛ばされて、無防備となった股間を思い切り蹴り上げられて悶絶した。戦意を失った四人目が踵を返した瞬間、ザ・シーカーは猛然と飛び掛かって横一閃、背後から首を刎ねた。


 あっという間に四人が殺され、槍を構えた中年女性だけが残された。ザ・シーカーは濡れ髪を手でかき上げると、妖艶な目で白衣の女性に迫った。


「で?幹部はいるの?」


「・・・・・・奥に・・・・・・」


「そうかい。さよなら!」


 ザ・シーカーの目にも止まらぬ袈裟斬りを浴びた中年女性は地に沈み、五人もの戦闘要員が、誰一人として撃ち合うことすら出来ずに全滅した。ザ・シーカーは剣に付着した血と油を倒した相手の衣で拭き取ると、焦りや興奮とは無縁の不遜な顔付きで洞窟の奥へと歩を進めた。


 洞窟内部に仕切りなどなかったので、ザ・シーカーが少し歩いただけで最奥の間に控える二人の男が視界へと収まった。ザ・シーカーの脳内に記憶された手配書から、二人が<アニムスの旅団>を名乗るいかがわしい団体の準幹部であると確認された。


「・・・・・・こうして実際にお目に掛かると二十歳そこそこの娘としか見えぬな、ザ・シーカー殿。私とさして代わらぬ年齢であろうに」


 老齢の男性が機先を制して語り掛けた。男性の額には多くの皺が刻まれ、頭髪は後退して側頭部に僅かな白髪が残るのみであった。白い外衣の上からも出っ張った腹部が窺い知れ、典型的な老化現象のただ中にあると見られた。


「それが遺言ということでいいのかい?テロリストの最期にしちゃあ、気が利かない台詞回しだけれど。命乞いするなら今だよ?」


 言って、ザ・シーカーは老人と壮年男性の双方が特に動きを見せぬ点を警戒しつつも、生命力アニマを燃やすこともなく自然体を保った。指摘されたように、ザ・シーカーの実年齢は七十にならんとしていたが、外見だけは瑞々しい若者のそれを維持していた。


「我々のことは調べ上げているのだろう?ならば分かる筈だ。まず、私に美学はない。あるのは神に対する信心だけで、そのようなこと、死に際に訴えるまでもない。そしてこの者は生命力アニマを極限まで捧げた鬼騎士オーガナイトだ。恐怖という心を持たぬ」


 老人に紹介された白衣姿の壮年が無表情で頷き、腰に差してあった大剣を抜いた。


「死ぬと分かっていて、微塵も動揺が無いってのが気にいらないね。で、ここの幹部はあれかい?いかがわしい教えの普及で飛び回っている最中かしら?」


「本当にいかがわしいのならこれほど人材に恵まれてはおらんよ、ザ・シーカー。貴様も知っての通り、英雄軍に名を連ねたような有名人ですら我らに賛同の意思を表しておるのだ。純粋・良質な<生命力アニマ>が選別され、神が与え給いし<箱船アーク>で新世界へと導かれる。それが真理。魔獣ベスティアにも、劣悪なる<生命力アニマ>にも邪魔などさせん」


 ザ・シーカーは最後まで聞かずに剣を振るった。星剣閃クロスファイアが老人を薙ぎ倒すかと思われたが、鬼騎士オーガナイトと紹介された壮年の男が進路に割り込み、見事に衝撃波を剣で受け切った。


「よくやった、オグルヴィ!」


 老人が壮年の男の名を呼ばい賞賛したが、ザ・シーカーは地面を滑るようにして突進し、オグルヴィの左脇の下に剣を差し入れるや斬り上げた。早技であった。


 オグルヴィは体勢を右に傾けることで斬り飛ばされるのを左腕一本に止め、負傷を無視して右手に持った剣で反撃に出た。ザ・シーカーは反時計回りに動いて敵の剣から逃れると、オグルヴィの背に強烈な肘打ちを叩き込んだ。さらに連撃として、下段の斬撃でオグルヴィの両足首をも容赦なく砕いた。


 倒れ込んだオグルヴィは痛みを気にする風でもなく上半身を起こすと、ザ・シーカーへと敵意の眼差しを向けた。しかし、大量の出血と肘打ちによる肺の損傷から、程なくして息の根は止まった。


「・・・・・・鬼を憑依させた肉体ですら、こうも簡単に破壊するというのか。これが、ザ・シーカーの邪剣か・・・・・・」


 老人は鬼騎士オーガナイトの呆気ない幕切れに嘆息し、自身も星術アーティファクトの使い手ではあったが、無駄な抵抗を諦めた。ザ・シーカーも相手が余計なことを喋らないと分かっていたので、一撃で心臓を突いて老人の命を奪った。


(強者ほどこやつらの思想にかぶれるというのだから始末が悪い。鬼族が手を貸していることだけが隆盛の理由ではあるまい。何か、もっと根本的な原因があると思うのだがね・・・・・・)


 ザ・シーカーは立ち止まって、何かヒントが残されていないものかと周囲を見回した。その時、海岸洞窟は急な振動に見舞われ、天井の一部が崩れて岩石が落下してきた。


 ザ・シーカーは急いで洞窟の入り口へと引き返したが、そこには信じられない光景が広がっていた。星術アーティファクトで構築されていた防水障壁が破裂しかかっており、出来た隙間から勢いよく海水が雪崩れ込んでいた。このまま障壁が破られれば、洞窟が一瞬にして水没することは目に見えていた。


「直ぐに窒息死することはないだろう?ここまで入って来られたのだから」


 あり得ないことに背後、つまりは先ほどまで自分がいた洞窟の奥から声が掛かったので、ザ・シーカーは振り返ってその主を確かめた。そこにはスーツ姿で紳士を装った中年男性がおり、丁寧に整えられた髭面に自信を湛えてザ・シーカーの苛烈な視線を受け止めた。


「手配書で良く見る顔だね。この基地の幹部と見たよ?部下が殺られてからのこのこと顔を出したってわけかい?」


「殉死者が出たのは忍びないが、もっと大事なことがある」


「・・・・・・大事なことだって?」


 ザ・シーカーが訝ると、男は全身から鬼気を発してダークブラウンの瞳をぎらつかせた。男から発せられたプレッシャーは、ザ・シーカーがかつて感じたことがない程に鋭利で冷たかった。


「我々の悲願を阻もうとするハンターたち。その筆頭たる貴殿をここで葬ることだよ。ここらで後顧の憂いを断っておこうと思ってね。貴殿やラグリマ・ラウラのような旧い英雄は、今の世では邪魔なのだ」


 男は素手に革靴という戦闘形態とはかけ離れた格好であったが、熟練のザ・シーカーは相手の力量を侮りがたしと読んでいた。


(こいつは間違いなく、<アニムスの旅団>幹部の一員だね。ここで会ったが百年目、中央域セントラルエリアに混沌を呼び込んだ元凶の尻尾を、ようやく掴んだものだよ)



***



 官舎ではなく<ティエンルン>の領主執務室で床についていたクローディアは、環境の変化で中々寝付けず、無駄に寝返りを打ちながら考え事に没頭していた。タンデライオンは今や一千にも上る兵員を抱え、クローディアがその気になれば西域ウエストエリア平定にも乗り出せる位の威勢を誇っていた。それなのに、クローディアには自分が何事かを成し遂げた実感は何もなかった。


(サーフを取り戻したところだけは、確かに私の手柄なのかもしれない。でも、ウルランド軍はラウラ団長が自発的に送ってくれたものだし、ヨルムンの協力を取り付けたのはグリンウェル卿の交渉術に因る。ハイライン卿らの援軍だって、テオが要請してはじめて実現した。そう、私の実力なんてたかが知れている。・・・・・・それなのに、私ごときが音頭をとってシンギュラーとの全面対決に踏み切っても良いのかしら?それともテオが言う通り、じっくり足場を固めて、シンギュラーとも話し合いの場を持つべきなのかしら。・・・・・・ラウラ団長はどうやって、魔獣ベスティア殲滅という修羅の道を行くお覚悟を決められたというの・・・・・・)


 常時であれば、リヒトに心の平安を求めるクローディアであったが、内通者騒ぎが始まってからこの方、彼との接触を極力減らしていた。その為か彼に対する依存心がいくらか薄まっていた。その間、専らグリンウェルを頼って精神の安定を図っていたものだが、彼が事あるごとに自分を信用し過ぎるなと釘を刺してくるので、クローディアからすれば気分が良くないことこの上なかった。


 クローディアの負けん気は生来のものとは言い難かった。生家はレキエルでも名門に数えられた一門だが、神獣との戦役で本流の男系が途絶え、今ではクローディアを除いては傍流ばかりとなっていた。星術学院で序列二位にまで上り詰めた才媛エメラルド・フォルティシモに期待する声も多かったが、彼女とて一族の直径であるクローディアを基準に見れば遠く、やはり主流にあらずと見なされた。


 そんな立場にあった為、クローディアは何かと祭り上げられる機会が多かった。実力不足を嘆く暇があれば、それを埋めるための努力に励んでいたし、陰口を叩かれればそれを発奮材料として自らの研鑽に生かしてきた。それもこれも、一族の期待を背負わされたことによる重圧からの行いであって、クローディアが本心から求めた進路など生涯のどこにもなかった。負けたままで済まされない環境こそが今のクローディアのアイデンティティを形成していて、彼女が唯一羽目を外すことが出来たのがリヒトと過ごす僅かな時間であった。


 不幸にも、クローディアには剣術や星術アーティファクトの才覚が不足していた。幼い頃よりどちらも優秀な師が付けられたが、平均以上の伸びしろがないと判断され、以降は学問の習得により多くの時間が割かれた。政治や経済の分野においては専門機関で比較的良好な成績を修めることが叶い、クローディアはどうにか家門の面子を守ることが出来た。


 クローディアのタンデライオンへの赴任が決まった当初、領主という地位への大抜擢に社交界は沸いたものだが、彼女は内心でそれをひたすら疎んでいた。最前線領邦フロントラインの経営が喧伝されている実績ほどに上手く行っていない実態はあちらこちらから聞こえてきたし、魔獣ベスティアの脅威だけでなく、シンギュラーの王権がクーデターによって転覆したといった暗い話題がついて回った。


 クローディアがタンデライオンに着任して早々、隣り合わせるサーフ伯爵領が魔獣ベスティアに奪われ、最前線領邦フロントラインの防備はあっさり破られた。その動揺は凄まじく、残されたタンデライオンやクーヴェルティア要塞の士気は程無くしてガタガタになった。日々火消しに忙殺されたクローディアが発狂せずに済んだのは、ひとえにラグリマ・ラウラの御陰であった。


(あのタイミングでラグリマ・ラウラ団長が来られなかったら、きっと私は何事も為すことなく中央シュバリエに逃げ帰っていたに違いない。それが例え彼の野心の発露だとして、私にとっては代え難い希望だった)


 ラグリマは連れてきた傭兵隊をクーヴェルティアに駐屯させるや、少数精鋭を率いて直ちに、タンデライオン西方に陣取っていた魔獣ベスティアの掃討を始めた。魔王廟周辺とそれに至る道程を徹底的に洗って、ラグリマは見事に全ての魔獣ベスティアを打ち払った。クローディアはその途中からグラジオラス騎士団領の志に転び、テオドール・ワランティやエマーリエの制止も聞かずラグリマの陣へと飛び込んだ。そして、我先にと率先して軍務に携わった。


 そういったあれこれが思い返され、クローディアは未だ自分が、ラグリマが打ち立てた功績の一厘にも満たぬ成果しか挙げられていないことに、ひどく恥じ入った。そして、だからこそまだ逃げるわけにはいかないと静かに闘志を燃やした。


 明け方まで目が冴えていたため、クローディアは無理矢理眠ることを諦め、早々に身支度をして<ティエンルン>の見回りでもしようかと思い至った。朝の静謐な空気は嫌いではなく、今度リヒトを伴い城館内を散歩してみるのも良いかもしれないと、クローディアはやけにクリアな頭で計画を練った。


 執務室を出て一番近い貴賓室を通り掛かると、部屋の扉を守るような格好でランスロットが座り込んだまま寝入っていた。


(たぶん、あれでもう少し近付いたら勘付いて起きるのよね。確か昨晩はシスティナ様を守護するよう言い渡してあったから、律儀に詰めていたんだわ)


 昨日の訓練において、ランスロットはハイラインから手合わせを要請され、普段の無愛想はどこへやらそれを快諾していた。クローディアやグリンウェルも見守る中で立ち会った二人は、甲乙付け難い剣の応酬を繰り広げた。新帝国の首席騎士であるハイラインは、旧レキエルでもブラギ・ドゥの指揮下にあった気骨ある男で、ランスロットは彼と互角の剣技を披露して皆を驚かせた。


 タンデライオン騎士隊長のエマーリエも息を飲んで二人の立ち会いを凝視していたので、クローディアはこの訓練が騎士ナイトたちにとって良い教訓となるに違いないと思った。興味本位でグリンウェルに「卿があの二人と剣を交えたらどうなる?」と尋ねたところ、返ってきた答えは「正面からやり合ったら、良くて引き分けといったところだ」という真面目なものであったので、クローディアは少しだけ面食らった。いつも飄々としているグリンウェルであったから、今少し自信を窺わせると思ったもので、そんな彼から殊勝な発言が飛び出すとどうにも居心地が悪かった。


「・・・・・・クローディアか。どうした?異常はないぞ」


「あ・・・・・・ランスロット。起こしたかしら?目が冴えて、散歩していたのよ」


 ランスロットは伸びをしてから立ち上がり、肩や腰を回して体調を整えに掛かった。クローディアは遠慮がちに歩み寄ると、澄んだ碧眼でランスロットに流し目をくれた。


「システィナ様とは剣学院の同期なんですって?まさかとは思うけれど、扉の中に忍び込んだりはしていないでしょうね」


「・・・・・・馬鹿め。俺はサーフの名を汚すような真似はせん」


「フフ。システィナ様はラウラ団長の秘蔵っ子なのだから。くれぐれも変な気を起こさないように」


「朝っぱらから何を色気付いている?さては、穀潰しの男でも呼び寄せたか?」


 売り言葉に買い言葉とばかりにランスロットはそう口にしたが、言ってから軽率であったと後悔した。リヒトの件はタンデライオンの上層部においても懸念事項とされており、常時であれば冗談で済まされないナーバスな空気を纏っていた。


 顔を曇らせたランスロットに対して、クローディアは苦笑を浮かべるに止めた。そのような穏便な態度で済ませられたことは、クローディア自身にとっても意外に思われた。


 ランスロットは謝罪の言葉を口にしようとしたのだが、その瞬間、圧倒的な怖気が全身を突き抜けた。体中の生命力アニマや血液が逆流したのではないかと疑うほどに息苦しさと吐き気を覚え、挙げ句は強い目眩にも襲われて座り込んだ。それから、唐突に壮大かつ邪悪な星力レリックが辺りに顕現する様を感じ取った。


 クローディアも声が出せず、しかしながら視界の景色が面妖な形へと歪んで行く様子を隅々まで直視せざるを得なかった。壁が不自然に歪み、朝日は見たこともない虹色へと変貌した。回廊も中庭も全てが配置と外観を変化させ、何もなかったところからいきなり柱が生え出す始末であった。クローディアの目には、<ティエンルン>が地獄かはたまた異界と繋がったかのように映った。


 二人が声を出せないでいたそこに、貴賓室の扉が開れて中からシスティナが飛び出してきた。システィナは槍こそ握っていたが、装いは薄い寝間着姿で、それを目撃したクローディアは思わず事態を忘れて赤面した。


「クローディア様!ご無事ですか?これは・・・・・・星術・・・・・・攻撃なの?」


「システィナ様、これは一体どういうことでしょう・・・・・・」


 クローディアが混乱するのも無理はなかった。観察できる範囲のあらゆる景観が歪な形へと変異し、貴賓室前の廊下もまた常識外れに広い空間を形成していた。天井や壁、床に使われている建築素材は一見そのままであるようで、しかし細部に目を凝らせば、部分的に知らぬ石や金属の細工が混じっていた。


 悪寒を残していたランスロットであったが、深呼吸をして平静を取り戻すと、星力レリックを積極的に展開して周囲の走査に当たった。


(・・・・・・<ティエンルン>の面影は残している。が、間取りや形状は確実に狂った。これは幻術の類か?それとも・・・・・・)


「成る程のう。そういう面子が揃っている・・・・・・。つまり、聞いていた配置とは違うというわけじゃな」


 突然の女の声と共に、広がった廊下の奥から三つの人影が近付いてきた。クローディアは初見であったが、相手の素性を薄々理解していた。正面に立つ煌びやかな装いの貴婦人はシンギュラーの王であり、その両脇には知った女たちが神妙な顔をして控えていた。シシリー・アルマグロとナル・プリフィクスであった。


 クローディアは敵が途轍もない技を駆使して突攻を仕掛けてきたのだと悟り、そしてシンギュラーの王がこぼした言葉からやはりグリンウェルの見立てが正しかったのだと唇を噛んだ。


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