3 魔王と矮小なる種族たち-3
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「変ですねえ。タンデライオンのクローディア嬢、行方が頑として知れません。今回は<鳥>もお手上げのようです」
シンギュラーの軍師を務めるフーリエが不思議がってそうこぼすと、デゼラーの星術研究所で儀式星術の最終確認に当たっているギャンビットは適当に相槌を打った。
「それは変ですな!これまでも、軍師殿の間者は有用な情報を続けて寄越してきたものを。実に摩訶不思議なこと」
「そうなんです。・・・・・・ギャンビットさん。星術、投入時期を早めることはできませんか?」
フーリエが童顔に悪意の見られない爽やかな笑みを浮かべ、ギャンビットへと質した。質問者がシンギュラー軍で最上位にあることを示す徽章を胸に飾っていることから、世界でも星術博士の第一人者と見なされているギャンビットとはいえ、軽々しく答えるわけにはいかなかった。
二人がいるのは、星術研究所の広大な庭に仮組が成された実験ドームの中で、お椀を逆さにした外形の内部はがらんどうであった。ただし、何も物体の無い空間には星力が満たされていて、地面は星術方陣で埋め尽くされていた。ギャンビットは星術を駆使して方陣を書き足す作業の手を取め、背後に立つフーリエにそろりと顔を向けた。
「完成へと向けて、今も巻きで作業をしていますよ!納期を縮めるのであれば、精度か持続時間の何れかを減じる他にありませんな。・・・・・・タンデライオンの動向が気になるので?」
「ええ。急がないと、こちらの仕掛けに対抗策など編み出されては困りますから」
フーリエは堂々と懸念を述べた。今回の策を練ったはフーリエとギャンビットであり、既に多大な時間と労力を費やしていることから失敗など許されなかった。整髪剤で撫でつけられたダークブラウンの髪が一房だけ額に落ち、ギャンビットは女官たちから濃いと噂される目鼻を不快気に歪めた。
ギャンビットは中央域の名士で、フーリエの度重なる勧誘に絆されてシンギュラーへと移籍していた。確かな研究環境の提供とふんだんな研究費の支給は、三十になったばかりの星術博士にとり魅力的で、ギャンビットはシンギュラーでの己が待遇を破格であると見ていた。
それでも彼は実力者であるが故に、意識の根底ではシンギュラーの他者をどこかしら見下していた。此度の大掛かりな実験ではギャンビットが主任を務めていることから、例え軍師であっても余計な口出しをされることに内心の苛立ちは抑えきれなかった。
(この若僧、どこまで慎重なのだ?世紀の星術が発動すれば、たちどころにシンギュラーの勝利で決着しように。逆に、ここで焦って座標や耐久性能の入力を誤れば、発動したが最後、決行者の命にも関わろう。堅実で先読みに優れる才幹は良いが、目先の勝敗に拘って儀式星術の根幹を疎かにされては困る!)
「精度か持続時間!実行を前倒しにするというのであれば、そこで手を抜くよりありません。星力の供給量を増やせるというのであれば、また条件は異なりましょうが。とはいえ、ジェネシス陛下にこれ以上の負担を掛けるなど、軍師殿も良しとは致しますまい?」
「いえ。ジェネシス様の星力交換効率を今少し上げていただくよう、僕からお願いしてみます。それでも足りないようでしたら、プリフィクスさんに出馬を願うとしましょう。ギャンビットさんは星術の精度をいじらず、持続時間の短縮はなるべく少な目に抑えて、出来るだけ早いタイミングでの発動をお願いします。スケジュールの変更については、僕から関係者へ根回ししますので」
「・・・・・・そこまでの覚悟がおありでしたか!ですが、宜しいので?陛下が消費されている生命力は、人間や魔族に置き換えれば間違いなく致死のレベル。いかに古竜の分体とは言え、急激な消耗は生命維持に関わるのではないかと」
フーリエはここではじめて瞳より真剣な光を発して、迷えるギャンビットの目と心を射た。
「良いのです。ジェネシス様の志を達するに、タンデライオンは最初で最後の壁と言えますから。最前線領邦の要であるあそこが落ちれば、新帝国に継戦能力は残りません。剣学院で戦力分析を行っていた僕だからこそ分かるのです。この一勝負には、ジェネシス様にも全霊を懸けていただきます」
「ふむ!では、ここから全開で仕掛けて、対魔獣の専守防衛・縮小均衡の政治的潮流を作り上げる。そういうことになりますか?」
「はい。新帝国を抑え込めば西域は攻略したも同然です。そのままラグリマ・ラウラの一味を掃討すべく動き、北西域・北域にも僕たちの思想を流し込んでいきます」
「なるほど!仰られる道筋に懸念があるとすれば、対魔獣でそのように消極的な戦略が世界各地の政体に受け入れられるか。それと、信仰対象であった神が敵対すると知って、それに対して無策であることを攻められやしないか。そういった点になりますかな?」
ギャンビットは片眉を立て、試すような口調でフーリエに問いをぶつけた。彼は思想や信条を行動原理に必要としない人間で、星術研究が捗るかという点と単純に金銭目当てでシンギュラーに肩入れしていた。その為、意地悪と分かっていながら、中立的な見地による意見をこうしてシンギュラー幹部へと度々突きつけていた。
フーリエは良く指摘してくれたと言わんばかりの大仰な頷きでもってギャンビットに応えた。軍師としての彼はギャンビットの知性や客観性を大事にしており、自分の考えを整理して言語化するのに彼をよく頼っていた。
「そうなんです。一つ目の問題点は心理面が大を占めると思われます。世界の敵と教えられてきた魔獣に屈する。そう意識すれば反発せざるを得ないのが民草の常。ましてや北域で元英雄が騎士団領なる砂上の楼閣を構えてしまったものだから、余計にややこしい。そこで、僕たちは敢えてラグリマ・ラウラを打倒して、世界が抱く希望と自信を一時的に後退させねばなりません。魔獣と戦って良いことは何もない。魔獣と戦えるだけの戦力は現行世界に存在しない。そう思わせることが肝要で、ジェネシス様と僕の見解は一致を見ています」
「ラグリマ・ラウラを倒す!それが世界に住まうあらゆる者たちの意識を神獣礼賛主義へと変革させる近道だと?」
「はい。もう一つの問題点である神々への対策ですが、実は私に腹案がありまして。そして、これこそがラグリマ・ラウラの目的と部分的に重複すると踏んでいます。南域こと南大陸や東域に出来て、ここ西域や北域に出来ないこと。それは、高度な技能を修めたまとまった数の星術士が、最先端の星力操縦技術を行使すること。調べた限りでは、南大陸には歴代の星術知識の結集と探究を目的として設立された、<百術継承機関>という由緒正しい組織が存続していたのだとか。東域においては、条件を満たした二大国が鎬を削っていた折り、上位神獣から技術が提供されたという調査結果も得られました。それらの前例に倣って僕も一つ、新規のプロジェクトを立ち上げてみようかと」
事が星術に関係していると分かるや、聞いているギャンビットの顔が一気に真剣味を帯び始めた。
(・・・・・・もしや、星力そのものを擬人化する、あの禁術を指しているのではあるまいな?南でも東でも、アレがとんでもない騒乱を招いたと知っていて、この若僧は手を出すつもりか?そうであるなら、是非とも一枚噛んでみたいものだ)
ギャンビットに善悪や道徳の観念は通用せず、純粋な星術への興味から、彼はフーリエが用意したテーブルに付くことを決めていた。そういったバランス感覚の欠如は本来周囲から疎んじられる類のものであり、中央域においては度々悶着を起こす原因となっていた。
窓や裏口などないドームの内部空間に、ギャンビットの虚を衝いて侵入した者があった。ギャンビットは視界に突如現れた黒いドレス姿の女エルフを見て閃き、愉悦を表すかのように活き活きとした発声で語った。
「軍師殿のプロジェクトとやらは、貴女が主導しているというわけですね!ナル・プリフィクス星術士長。私の想像が正しければ、軍師殿の計画には人柱となる女星術士も必要になるでしょうから。貴女がいれば、全ての条件を高い水準でクリア出来る」
ナル・プリフィクスは、職位の上で部下に当たる星術博士の言葉に応えることはしなかった。そして、転移の星術の余力で中空にふらふらと漂ったまま、フーリエにちらりと目線を送った。
フーリエは我が意を得たりといったしたり顔をして、この場に集いし双星の星術士に向けて告げた。
「まずは、奇襲の計画を一秒でも早める。それから、<始祖擬体>の精製プロジェクトを極秘裏に始動させます。中核メンバーは勿論、ナルさんとギャンビットさんの御二方です。私は環境整備に尽力させていただきますので、不足する物資や人材がありましたら遠慮なく陳情ください。・・・・・・それと。これが世界の命運を決するなどといった気負いは不要です。僕はただ、ジェネシス様の慈悲に報いたいだけ。己が持つ力を存分に活かせる環境を与えられたのだから、やれるだけのことをやる。シンプルですが、それだけなんです」
表情が無いナルとは対照的に、嬉嬉として頷きながらフーリエの話を聞くギャンビットであったが、同時に心中では、シンギュラーの勢いについて次なような客観的評価を下していた。
(神獣礼賛主義者のカリスマであるジェネシス陛下に、非凡なる戦略家フーリエ。この二人が指揮棒を振って操るは、全軍総帥クアール・クレイドル。騎士隊長ブラギ・ドゥ。傭兵隊長シシリー・アルマグロ。星術士長ナル・プリフィクス。・・・・・・至って隙がない。対するタンデライオンが、もはや可哀想に思えてくる程の領域だ。この戦列は昔を思い出す。賢王陛下がいて。バニシングの馬鹿がいて、横暴なザ・シーカーがいて。高慢ちきな女神官がいて、そしてラグの小僧とアリスの嬢ちゃんがいて。・・・・・・そんな無敵のシルフィールだったが。蜜月は長くは続かないのだから、何とも不憫であることよ)
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グリンウェルは夜分遅くに寝床を訪ねられたものだから、はてどこぞの娼婦が金の無心にでも来たものかと、そっと官舎の扉を開けた。やって来たのは意外な人物の組み合わせで、グリンウェルはたいして広くも無い居間に二人を招いた。
寝室へ続く扉を慌てて閉めると、グリンウェルは「茶をたの・・・・・・」と、誰に向けてか言い掛けて一時固まり、寝間着のままで自ら来客をもてなした。とはいえ、ゆっくり喉を潤すといった状況でないことは訪問客の素性を知った瞬間に分かっていた。グリンウェルはテーブルに茶を差し出すなり本題を切り出した。
「こんな夜分に、領主補佐と騎士隊長から家庭訪問を受ける羽目になるとはな。眠りを妨げられた身の上であることだし、用件だけ手短に頼む」
正装をしたテオドール・ワランティとエマーリエは、怖い顔をしてグリンウェルをじっと見つめ、重々しく澱んだ息を吐いてから領主解任に関する提案を披露した。テオドールが語ったのは、無断で半月もの間<ティエンルン>を留守にし、その上どこで何をしていたものか明かそうともしないクローディアの姿勢は中央に申し開きが出来ない職務怠慢であって、新帝国の臣として捨て置けないという真っ当な意見であった。サーフ伯爵にも同意を迫ったところ、甥であるランスロットがクローディアに荷担していた事実が後ろめたい為か、煮え切らない返事しか得られなかったということであった。
グリンウェルは、タンデライオンの序列二位と三位から真面目にまくし立てられている内に、どうしてそのような大事を自分のところに持ち込んで来たのだろうかと本気で訝った。
(顧問だなどと言っても、俺に実権の一つもあるわけじゃない。なら、新帝国の後ろ盾にグラジオラス騎士団領がいるからか?・・・・・・いや、そもそもグラジオラスの加勢にのめり込んでいたのはクローディア一人で、この二人は良くて中立、ともすれば悪印象さえ抱いている節があった。ならば、俺を訪ねてきた真意は・・・・・・)
「エマーリエ卿とも話し合ったのだが。ここで我等が声を上げても、御屋形様が権力を盾に首を横に振ればそれで終わり。ならばいっそのこと、重臣一同が<ティエンルン>を離れ、中央に直接訴え出れば良い。グリンウェル卿もタンデライオンの立派な幹部。ここは私やエマーリエ卿と動きを共にしてはいただけまいか?」
「待て待て。事を性急に運んでも良いことはないと思うぞ。このご時世で幹部が下手にケツを捲れば、それこそシンギュラーに侵攻の隙を与えかねん。いま一度クローディアと話し合いの機会をもったらどうだ?」
グリンウェルは寝室の扉を横目に、取り逢えずテオドールを宥めに掛かるが、正直なところタンデライオンの幹部にそれほど期待を寄せていなかったので、強固に説得するつもりなどなかった。ただし、もし分裂するにしても武力衝突などは国力の低下に即直結するため、魔王廟の適正管理の側面からそういった荒事の回避を優先させたかった。
エマーリエは眼鏡のレンズ奥から静かに睨みを利かせ、貧相な胸の前で勇ましく腕組みをした態勢でグリンウェルを糾弾した。
「・・・・・・そもそも私は、グリンウェル卿の関与を疑っていました。いいえ、今もその疑念は晴れておりません。御屋形様は、グラジオラス騎士団領の指図でもって隠密に作戦遂行に当たっていたのではないかと・・・・・・」
「隠密作戦?俺や騎士団領が、ほぼ単身のクローディアに託せる作戦とは一体何だ?」
「それは分かりかねます。ですが、続く作戦の失敗から、御屋形様とグリンウェ卿はタンデライオンの旧臣を省かれようとなさっているのではないかと・・・・・・」
「エマさん。流石にそれじゃただの難癖だ。第一失敗というなら、俺にも魔王廟の一件でケチが付いてる。シシリー・アルマグロとナル・プリフィクスに追い返された顚末は報告した筈だ。・・・・・・まあ、アレがクローディアの心中に何かしらの変化をもたらした可能性は低くないのだろうが」
グリンウェルの物言いに、今度はテオドールが白い顔に些かの熱を帯びさせて噛みついた。
「それは聞き捨てならんな。御屋形様の心境に、いったい何の変化があったと?」
「言ってなかったか?情報漏洩があったと、ナル・プリフィクスが断言したのさ。奴等には俺たちの魔王廟を訪れるタイミングがばっちり分かっていた。クローディアが真っ先に対抗策を打つとしたら、これについてだろうとは思っていた。・・・・・・何をどうするか、具体まではわからなかったがね。相談もなかったことだし」
テオドールは小さく唸り、エマーリエも眉根を寄せて押し黙った。続く敗勢の原因が情報戦にあるという思いはタンデライオンの幹部にも共通しており、ここまで有効な対処が出来てこなかった点は、グリンウェルに指摘されるまでもなく誰にとっても歯痒いものと思われた。
グリンウェルは二者が相似の反応を示したことから、ここが正念場かと踏んで一つ餌を撒いてみることにした。
「実は俺なりに、対シンギュラーの一手を打ってみた。ここに助っ人を寄越すよう、ラグリマ・ラウラ団長宛に連絡員を向かわせた」
エマーリエとテオドールの目に純粋な驚きの色が浮かんだ。それが安堵の材料となっているものか、グリンウェルはそっと観察を続けた。
「騎士団領の<遊騎士>が増派されるのですか?」
「それは分からないな、エマさん。俺は助っ人をくれと言っただけで、実際に判断するのはラウラ団長だから。だがな、シンギュラー軍に<大災>まで参加した以上、騎士団領だって放置はしておけんさ。それなりの対応があると思っていい」
グリンウェルの言葉に一定の理解を示したのか、エマーリエはほうと一つ息を吐いた。テオドールはまだ納得がいかないようで、グリンウェルへと論戦をふっかけた。
「グリンウェル卿よ。我等タンデライオンが対抗手段をとれば、敵もいっそう軍備を強化するのではなかろうか?今ですら英雄軍の再来とも喩えられつつある陣容がこれ以上厚くなれば、西域においてシンギュラーを掣肘する手立てが失われてしまおうぞ」
「もう失われている。東域のとある幻獣が言っていた。クアール・クレイドルと剣でタメを張るのは、ラグリマ・ラウラかザ・シーカー。それか暗殺剣を極めたシシリー・アルマグロしかいないとね。今挙げた四者の内、二者がシンギュラーに加担しているわけだ。それに獣将だのエルフの剣匠だの、果ては中央域出身の星術博士まで取り込んでいるのだから、一国家の戦力としてこれほど豪勢な布陣は世界のどこにも見当たらないさ」
「・・・・・・」
「おまけに、先日のアナウンスにはキレート公国とアーガマイト市民国の参戦も付加されていただろう?どちらも騎士団を持っているなら、相応の騎士がいておかしくはない。つまり我々は、幾人もの英雄級の闘士を相手にしなければならないということ。これでこちらが手をこまねいていては、好き勝手蹂躙されるだけだ。違うかい?」
「・・・・・・僭主め!何という・・・・・・大それた所業をしでかしてくれた。西域の復興がようやく軌道に乗り始めたというに!このようなところで無駄に生命力を散らして、それが何になると言うのだ」
「まあ、気を落とすことばかりでもないさ。そろそろ来るんだろう?あんたが要請した、中央からの増援が」
グリンウェルが問い掛けると、テオドールは速やかに肯定の意を返した。帝都から出た援軍と援助物資の到着はもうじきのことであり、使いのやりとりではタンデライオンが望んでいた以上の規模であるという。
「なら、到着したら早速防衛協議だな。クローディアを弾劾するにしても、シンギュラーにきつい灸を据えてからでいい。まずは迫る脅威の排除に取り掛かる。それでどうだ、御二人さん?」
テオドールは、渋々といった体でグリンウェルの言に従う素振りを見せた。エマーリエは一人きりで強硬路線を貫く気など毛頭ないようで、「承知しました」とあっさり折れた。グリンウェルはその様子をしかと確認し、今後の方針を己が胸中で定めた。
グリンウェルが場を御開きにしようと席を立つと、テオドールが失念していたとばかりに問いを発した。
「・・・・・・最後に一つ。オウミが見当たらないのだが、卿は居所を知らぬか?あれにも今後の相談を持ち掛けようと思ったのだが、<ティエンルン>にも官舎にも姿がなくてな」
「・・・・・・そうか。クローディアの遣いにでも出されているんじゃないか?」
テオドールは「そんなものか」と呟きその場を退出したが、エマーリエはグリンウェルの目が一瞬泳いだことに勘付いた。だが、彼女はその場では何も口に出さなかった。
テオドールが玄関から先に出て、いざエマーリエの番になったその時。見送りに来ていたグリンウェルは、彼女の目線が少しだけ中の覗いた下足棚に寄せられたことではっとさせられた。退出の際、エマーリエはグリンウェルの胸倉を掴んで強引に引き寄せると、息がかかる近距離にて小声で警告した。
「幸い、テオドール殿は気付かれなかったようですが。彼女の靴くらいもう少し上手く隠してから、来客を招き入れるべきではありませんか?」
「・・・・・・以後、気をつける」
「そうしてください。私は彼女と違って、脇が甘い殿方の誘いには応じない所存ですので。では、失礼します」
扉が重々しく閉じられると、グリンウェルはどっと押し寄せた疲れに、思わずその場でへたり込みそうになった。寝室の扉が開かれた気配がしたので、グリンウェルは隠した甲斐もなかった女物の靴を出し、いそいそと室内に戻って行った。