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二十七話.名づけ(兄から弟へ)

二話連続投稿。

宜しくお願い致します。


 村から家への帰り道。田んぼのあぜ道の上。

 銀とその弟は、互いに手を繋いで道を歩く。お互い無言だ。


 静かな風の音。川のせせらぎ。蛙の鳴き声。

 穏やかな時間の流れの中で、土を踏む互いの足音がいつもより大きく聞こえる。


 心休まる静かな時間を、穏和な大人びた表情で悠然と楽しむ弟。

 その少し後ろで、兄の銀は手を引かれながら難しい顔。うつむいて、なにかを考え込んでいるようだ。時折、あー…やら、うー…やらの小さな呻き声が耳に届く。弟はそんな兄を少し気にしながら、手を引いて、のんびりと歩を進める。


 さらさらと吹く風が気持ちいい。


 不意に手が後ろに引っ張られて、背中から倒れそうになる。


「うわっとっ?」


 踏ん張って耐える。振り返って兄の方を見た。なにかを決めた金色の瞳がはっきりと覚醒して、弟の紫の瞳を真っ直ぐ射抜いていた。

 弟は急に止まった兄を不思議に思って、首をかしげる。


「どうしたの? 兄さん」


 銀がビシッと指をさす。


「ラク!」


 驚いてきょとんと見返す。

 銀はにやりと意地悪く微笑んだ。


「自分のもの、名前着ける。田吾作の嫁言った。だからおまえ、ラク! おれに楽させろっ」


 ―――これは命令? 命令、だよね? 命令だよなぁ。命令だと? 誰が? 誰に?銀が? 僕に? この僕様に命令………? 命令した。


 ―――楽・さ・せ・ろ・だァ……? ガキが。何様のつもり……? だからラク? ふざけんなっ!! 僕様はテメェの召使いじゃねえっ!! 弟だぞ!?


 ちょっとカチンときた。思わず手が出て頭を小突く。

 銀は短い悲鳴を上げて地面を舐めた。つか、軽くぶっ飛んでこける。

 僕は無表情で彼の胸ぐらを掴み、躰を持ち上げた。


「おいおい銀兄貴よォ……? 一丁前に僕様に命令か? 名前は有り難く貰うがテメェもしっかり働きやがれ。ウチに誰かを遊ばせとく余裕があると思うなよ? 貧乏には変わりないんだから」


 御話(脅し)しながら冷静に思考する。

 彼の躰はかなり軽い。

 田吾作さん家に随分食べさせてもらったようで、年相応に肉がついてきているが、鍛え始めている僕と違って、とっても軽い。僕よりも軽い。

 忍びは自分の体重くらい、小指一本で支えられなければならない。

 今の僕では小指で自分の体を支えるのは無理だ。

 ただし、片手で四半時(30分)支えることなら出来る。僕より軽い銀を持ち上げることなど、半刻(一時間)以内なら造作もない。


 銀は怒りを覚えて弟に頭突きを喰らわそうと頭を上げた。

 だけど、弟の表情を確認してしまった途端、本能的な恐怖に動きが止まる。喉からしゅっというか細い音が漏れた。まるで蛇に睨まれた蛙だ。いつもは優しい弟が恐ろしくて仕方がない。

 俺と同じように、白く透き通った肌に子供らしい丸みを帯びた顔立ち。同じ背丈。少し俺より細い体格の弟。俺は着物の首元を掴まれて上から見下ろしている。 本当に怖くて仕方がない。こんな弟、みたことがない。

いつもは優しそうな穏やかな目が、目のハイライトが、消えていた。

 表情は道端のゴミを見るみたいに蔑んでいる。何もその眼に映していない。

 ただ、とても怒っている。こわい、こわい、こわい、こわい、こわいっ。とってもこわい。

 いつもは怒るといっても、しかたないなぁ…とか言って笑いながら許してくれるのに、頭をこつんと叩かれて、それで終わりなのに……こわい。今、とってもこわい。別人みたいで俺はこの弟が今、とってもこわい。

 なあ、なんで怒ってるんだよ? なんでなにも映してないんだよ? おれをみろ。おれをみろよ。おれをみろ!! 

 こわい、こわい、こわい、こわい、こわい、こわい。絞められた首が苦しい。


「は、離せ……」


 ラクと名を貰った子供は、自分の血縁上の兄という子供を、冷ややかに激情の炎を燃やしながら、どこか醒めた思考で、冷静に観察していた。


 怯えて涙目だ。

 足がぷるぷる震えて、今にも漏らしそうだな。

 可哀想なくらい怖がっている。

 ちっと苛めすぎたか? だけど、ムカつくンだよ。云い方が。

 これまでは言葉が拙くて、まだ可愛らしかったから不本意でもそれで良かった。

 だけど、この云い方は明らかに僕様に対する命令だよな?

 お願い、ではなく、命令、だよな―――?

 旦那様でも宇賀野さまでも主君でもねえ4歳児のガキが、僕様に命令なんてしてんじゃねえ。


「ただでさえ睡眠時間が長いんだ。言葉を喋れるようになったんだから、そんな生意気な口をきけるようになったんだから、もう手加減はいらねェよな……?」


 短い悲鳴が上がって、下からアンモニア臭が鼻につく。

 銀が漏らしたようだ。このぐらいで震え上がって漏らすなど、軟弱なやつめ。

 だからてめぇは僕様のなかで、命令権のない子供であり、庇護対象なんだ。


「金も稼げない、甲斐性もない、自分の身の回りの世話すら満足に出来ない、ほっといたら餓死寸前で死にかける、生活能力ゼロのお子様が、えらそうに威張って僕様に命令すんな。まだてめぇにその権限はない。僕が今聞くのは“お願い”だけだ。云い方が悪いんだよ。楽させろってなんだ? 具体的にはどうしろって? ああ゛?」


 銀の金色の眼から、じわりと涙が浮かんできて、彼は泣きじゃくる。

 僕は彼の胸ぐらから手を離す。どさりと彼は自身が作った水たまりの中に落ちた。

 大声で年相応の子供らしい様子で、銀は泣き喚く。


 嫌われたかもしれない。それでもいい。

こいつが威張りくさった阿呆になるくらいなら、僕は途中でこいつを切り捨てる。


 元、忍者の価値観で言っているんじゃない。

 田吾作さんが言っていた。うちは武家だ。まだ武家だ。

 ならば、こいつもある程度、武器を握って、甲冑を纏い、自分の護身くらいは出来るように鍛えねばなるまい。

 今がアヘン戦争が終わった頃ならば、僕たちが生きているうちに幕末が来る。

 戦が来るのだ。人が大勢死ぬ戦が。そしてウチは武家。

 三男である僕はまだ良い。スペアにもならないから。商人街道を突き進むと決めた。

 ただし、銀は次男だ。長兄は病弱らしい。戦場での出番は確実だ。

 遊楽は旦那様と約束した。“子を護れ”と命令を受けた。

 彼女から記憶を引き継いだ僕は、これを遂行しなければならない。

 されば、僕の目が届かなくなっても、この兄が生き残れるよう、涙を飲んで僕が知る限りの最大限の教育を施すよりなかろう。


 忍者ではなく、侍風の教育を。


 忍者教育は、マジでシャレにならないからね。眠たがりの銀兄貴には向かないよ。

 拷問、毒殺、暗殺、折檻、色での情報収集の仕方、世界の裏側なんて、この兄は知らなくていい。そういう後ろ暗いものは、僕が請け負おう。


 楽させてほしいんだろ? ああ、させてやるさ。てめぇが曲がらなかったらな。


 この兄が十を超えてもまだ、本家に行かず、僕と一緒に居たら、刀での居合切りを仕込もう。昔、少し見たことのある“柳生新陰流”の柳生(やぎゅう)(せき)(しゅう)(さい)直伝の(盗んだ)技とかな。

 神速の太刀で近づけさせなければ、ある程度は生き残れるはずだ。

 居合なら、直前まで寝ていても、銃弾以外で後れをとることはあるまい。

 銃弾を防ぐのは、防御に特化した隠叉(おに)と契約してもらえれば、なんとなるからな。

 

 兄貴は表の道を堂々と歩けばいい。だから曲がるな。驕るな。思い上がるな。

 決して傲慢で、人から嫌われる人間にはなってくれるな。

 嫌われるのは、僕だけで良い。兄貴は人から好かれる人間になってくれ。

 現在のこの幼い銀に願うのは、酷というモノだとは分かっているけれど。

 我、(こいねが)う。


 僕は腰に手を当てて、出来るだけ優しい表情で同い年の兄貴を見下ろす。

 兄貴は泣き止んで、もじもじと居心地悪く、少し恥ずかしそうだ。

 地面に沁み込んだアンモニア臭のする土の上に座り込み、怯えと期待の入り混じった目で僕をおそるおそる、じっと見上げてくる。


「悪いことしたら“ごめんなさい”だ。いいことして貰ったら“ありがとう”。僕、まだ、飴玉買ってきたお礼も、ご飯作ったお礼も、服を買ってきたことへのお礼も聞いてないよ?」


 銀が顔を少し下向ける。


「毎日起こすのも君が僕の兄だから。飯を作ってあげるのも君が僕の兄だから。一緒に居てあげるのも君が僕の兄だから。………君が僕に命令する権限なんて、まだ、ない。お願いを叶えてあげたお礼の言葉もない。なのに偉そうに『楽させろ』なんて抽象的な命令されたら………いくら温厚な僕でも、少し、キレる」


 下から見上げる紫の瞳の色は優しく暖かい。

 抜身の刃のように切れ味の鋭い声の響き。

 銀は本気で弟が少し、怒っていることを肌で感じ取る。


「ご、ごめんなさい……!!」


 通り抜け様に白銀の柔らかそうな彼の頭をぽんぽんと二度、軽く撫でた。


「うん。帰るよ。その服、洗濯しなきゃ。着替えあげるから部屋帰ったら着替えな? 自分で出来るか?」


 ふるふると兄貴は首を横に振る。


「で、出来ない……」


 ふわりと微笑む。


「ん。わかった。戻ったら教える。だから着替えくらい、早く覚えて? いつまでも僕が一緒に居られるとは、限らないから」


 差し出した手を銀は掴んで立ち上がる。


「それ、どういう……意味?」

「兄貴は次男だから、スペアってこと。僕たちの大兄上、長男様は病弱らしいよ?」

「病弱……? 体、弱い……って、こと?」

「そう。病気ばっかりしてて弱いと書いて病弱。死にやすいってことだね」

「なんか、かわいそう……」

「銀兄貴、本人の前で可哀想とか言っちゃいけないよ?」

「なんで……?」

「病弱でもなんでも、本人はちゃんと今、生きている。一生懸命、今を生きているんだ。可哀想なんかじゃない。精一杯、今を頑張って生きているんだよ。第一、『可哀想』なんて言葉、自分がそうじゃなくて、恵まれているから出てくる言葉なんだよ? 見方を変えたらヒドイ言葉だよね。僕は『可哀想』って言葉が嫌い。だから、代わりに『頑張って』とか出会えたことに『ありがとう』って、励ましの言葉や感謝の言葉を贈るんだ。―――……だって、その方が素敵じゃない?」


 にまりと綺麗な笑顔を作って、心からの言葉を云う。

 銀兄貴はなにかまた考え込み、握った手を顎に添えて少しの間黙りこくる。

 

「………わかった」


 しばらく待ってたら、その一言だけ帰って来た。

 兄貴の表情や金色瞳に理解の色が広がっているのが嬉しい。

 よし、明日は豪勢に赤飯を炊いて、川から魚を捕って来て塩焼きにして、味噌汁を作ろう。材料は姫路で仕入れて来た。

 千夏姐さんと[薬師堂]に話を通して、商売の拠点と販路も確保した。

 カラス丸を通じて人化できる天狗の伝手も手に入れた。

 当分、行商に行かなくても大丈夫だ。屋敷に引きこもっててもなんとかなる!

 野菜は田吾作さんや村の人達が分けてくれるそうだし、種も貰ったから、自家菜園に挑戦してもいいね♪ 銀に手伝わして、生き物を育てる大切さや苦労を教えるのも楽しいだろうし、なにより食卓に優しく、美味しいですから。


 長兄が病弱でも、今日、明日死ぬ身ってわけじゃないでしょ? もしそうでも、江戸にあるはずの四十九院家本家から、この村まで来る行程には、最低でも一か月はかかるって、屋敷の蔵の地図と書物たちに書かれていた。だから大丈夫。まだ、時間はある。


 焦らず効率的に生きましょ~う♪


「だから、もしかしたら、銀兄貴は江戸に行くかもしれない。僕はいけないだろうけれど」

「なんで……? ラクも一緒、行けばいい」


 向かい合い、きゅっと両手が握られる。おでこをこつんとつけてきた。

 やばっ。スキンシップ激しっ。このまま大人になったらどうしましょう? ま、どうもしないからいっか。銀兄貴、綺麗で可愛いし。………腐らず育て。


「無理だよ。僕は嫌われ者だから。それに僕は江戸が嫌い。徳川が大嫌い。死ぬほど大嫌い。仕事や旅行で行くのはいいけれど、住みたくはない。町の名前が“徳川”の“江戸”である限り、僕が好んで江戸に住むことはないよ。恨みが深すぎる」


 銀は弟の得体のしれない迫力に面喰って押し黙る。

 楽はにっこりと可愛らしい笑顔で続けて云う。

「―――それに、僕は三男だから、よほどのことがない限り、Spare(スペア)という名の予備にはならないのさ。嬉しいことにね。クスクスクスッ。だから、僕は商人として生きるよ。こんなにいっぱい初商売で儲けられたことだしね♪」


 じゃらり、と麻の袋財布を茶目っ気たっぷりに見せる。

 銀は納得した顔。


「じゃあ、おれも、ずっとここに居られたら、ショウニン、いうの、なる」

「おおう……? 銀兄貴を客寄せに利用したら、老若男女問わず寄って来て儲かりそうやなぁ。にししっ。兄貴と商売か。それもいいねぇ。ま、出来たらだけど」

「ラク、そしたらおれ、ずっとおまえといっしょにいられるだろ?」

「なに? ブラコン? BrotherComplex(ブラザーコンプレックス)と書いて行き過ぎた兄弟愛ですか銀兄貴!? やだぁ、もう。デレちゃって。照れるじゃないのさ~」


 頬を蒸気させて、茶化しながら銀兄貴の背中をどやしつけると、意外に兄貴は真剣な顔。おれ、真面目にいってるんだけど。とその金色の目が言っている。

 茶化すのをやめて、ため息をつき、目をそらす。


「………好きにしたらいいさ。僕は来る者拒まず、去る者追わず。家族と身内には甘いからねぇ。」


 ぱあぁ……っと銀兄貴の顔が輝く。うおっ、眩しい……。汚れた僕には、純粋な子供の笑顔が眩しいです。あ~、あ~、ほんまに、嬉しそうな顔しちゃって。……………こんな僕のどこがいいんだか。


 僕は兄貴の手を引いて、歩き出す。


「さて、帰ろう。もう家が見えているのにいつまでもここで止まっているわけにはいかないよ」

「うん………!!」


 元気のいい返事をしたかと思ったら、銀が僕の手を引いて走り出す。


「どわぁっと!? 走るな、走るなっ。急に走り出すな。僕様、ぎゅっと胃が絞られて朝ごはんのきゅうりの糠漬けが飛び出しそうになったじゃんかっ」


 ぴたっ。銀が急停止。振り返らずにぽつりと言う。


「おれ、きゅうりの糠漬け、とか、漬物、嫌い……」

「え?」


 驚いて不意を突かれた。銀は僕の手を引いて、再び家へ走り出す。


「ちょっ、え? いたっ。いたたたたたたたっ。ちょっ、銀さん!? 速くね!? そんでもって痛いって。引きずってる引きずってる僕、引きずられてるぅ!?」


前のめりにつんのめってこけた僕は、銀に引きずられて三メートルほど進む。


「………ざまぁ」

「え? ちょっ、なんか意地悪いこといっt、いたたたたたたたっ、ちょっ、止まぐぼふぁっ」

「なにも、いって、ない……。つ、つかれ……た」 


幸い、家の前の石橋を渡る前に銀が息切れを起こして、止まってくれたから良かったが、走っていた勢いが良すぎて、僕はそのまま転がり、橋の欄干に頭をぶつけて気絶した。


「きゅ~………」

「ラク? ラクっ、ラクっ!!」


 銀の呼ぶ声が聞こえた気がしたが、付喪神たちが出現した気配を感じ取ったところで、残念ながら僕の意識は途絶えた。



ここまでお読みいただきありがとうございます。

やっと名前を使えるように。

ちなみにあらすじにある四十九院紫楽は元服後の名前。幼名はラク(楽)。


楽『猫にはね? たくさん名前があるんだ』

銀『バカか。あほか。名前なんてひとつでいい。めんどくせぇだろうが』

楽『なにをぅ…!? たくさん合った方が使い分け出来て便利でショっ? 商売人野良猫のノラ、傭兵藍猫、銀の弟、楽。女装したら(ゆかり)にして、成長したら紫楽でも名乗ろうかと……』

銀『ややこしい。おれは銀、この名前、ひとつでいい。おまえも楽、ひとつでいいだろ?』

楽『え、やだ。“男の子”満喫したいから、元服というものも経験してみたいんだもの。何事も楽しまなくっちゃ損損♪ にゃはははは♪』

銀『ダメだこいつ……。ぜんぜん聞く耳持ってねぇ。』

楽『忍者と猫にはたくさんの名前が必要だと思います。(キリっ)』

銀『あっそ。誰も聞いてねェし。もうおまえ、黙れ』

楽『…………。(ばっと口押さえ、口笛吹く)』

銀『…………もういい。おれがバカだった』


 さいですか。


ここまでお読みいただき、ありがとうございます。


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