十三話.可愛い顔した少年には毒がある
農民さんに名前着けてみました。
今日の戦果はいつも通り、少なかった。
血抜きをして、きゅっと絞めた兎を一羽。マタタビや自生するキノコに木の実、山菜などをとって背負い籠に詰め、裏山を下りる。
「また、兎と山菜か」と銀兄貴が口をへの字に曲げて、鋭く細められた眼で文句をいう姿が目に見える様だった。
もうそろそろ、金を稼ぐことを覚えた方がいいだろう。米が食いたい。米が。
やっぱり日本人のソウルフードはお米さんだよね。粟や稗や麦なんかでも良いけれど、やっぱり玄米でもいいから、お米が食いたい。
そういえば、“脚気”という別名“江戸わずらい”の名を持つ病の原因は、だいたいが栄養不足と白い米だったね。
江戸の人は、白い米がなによりのご馳走だったらしい。僕も今現在はその“江戸の人”なんだけど、そうは思わない。玄米だって噛めば噛むほど美味しいよ? 味わい深いって言うかさ。なんか懐かしい味がするんだ。なんでだろうね? まあ、それはどーでもいいけど、僕は美味しいものが好きです。
江戸の御人は茶碗に山盛りの白い米に、たくあん(漬物)と少量のおかずが庶民の主食。
栄養学的なモノが足りていないよ。肉を喰え。イモを喰え。野菜を喰え! 魚だって美味いモンだし、乳製品とか不浄のモノとかほざいてないで、好き嫌いせず食いやがれっ。
食べ物には罪はない。罪があるとしたら、だいたい人間の方。
道具と食い物は、使い方次第で凶器にも薬にも毒にもなるんだから。
ちゃんと扱いこなせない奴が悪い。無機物に当たるな。子供に当たる以上にカッコ悪い。――ま、僕もむしゃくしゃしたら、壁なんか拳でドンっ!と叩いちゃうんだろうけどね。けらけらけら。大目に見てよ。普段は穏和で温厚だからさ。
大人の足にはちょっとした散歩程度でも、子供の足には遠い遠足並みの裏山からの帰り道を急ぐ。銀兄貴を起こして、ご飯を食べさせなければ。
兄貴が痩せたら、何故か僕が哀しくなる。ほんと、なんでだ?――わからない。きっと、これが『情が移った』とやらの感覚なのかもしれない。
兄貴が綺麗で可愛くて、ちょっと偉そうなとこが、なんだか微笑ましく思えてしまうとこがいけねーんだ。
時々、僕が居ないと途方に暮れた目をしてやがる。
ちょっと寂しそうで、お腹鳴らして、ご飯をどうしようかと考えて―――考えるのを諦めて、夢の世界へ戻っていく寸前の姿だ。
それがなんか、可愛く見えて仕方がない。僕も歳哉?
中身の精神年齢ってか、僕の経験記憶年齢は、覚えている限り、万を超えているハズだ。
なんか、恐竜も実物で見たような気が、記憶の隅でうっすらとする。
確か日本神話である『古事記』の『国生み神話』の“イザナギ”さんと“イザナミ”さんたちが結婚する前。
だたっぴろい原っぱ(多分、高天原か何か)で出会った、ウカノこと“宇迦之御魂神”という真っ白い御狐さんに拾われる少し前。
どこにでも居そうな普通の女子大生、享年19歳が、死後、魂のみで“こちらの世界”に“落ちて”きて、なんか“居た”。
ヤクザに追いかけられて、車に引かれた。それは蛇年の新年の三が日だった…らしい。もう詳しい事はよく覚えていないけれど。
次に気付いたら、闇の中をふわふわと漂っていた。元から生に執着はない。だけど、気になるものはあったらしいから、ふわふわと漂っていた。
真っ暗闇の中で、ウカノと漫才みたいなコントして、初対面で手を引いて貰って、僕は“こちらの世界”に定着したんだ。魂の定住、ともいうかもしれない。
――わかるような、わからないような、そんな御話。
それが覚えている限り、僕の輪廻の最初の記憶。
旅路の出発点の記憶。
それからは、ウカノの神使()として、性別のない白い子供の姿で、ウカノの加護を得て、神話の住人達に可愛がられながら、長く愉快に生きた。
『国産み神話』もリアルで見た記憶を有しているし、イザナギさんとイザナミさんの婚儀は、ウカノと連れ立ってデバガメした気がする。
あとでバレた時、イザナギさん辺りに雷を撃ち込まれたりしたが、ウカノの神気を帯びた野菜とモフモフ狐尻尾が最強だった気がする。――嗚呼、あのもふもふ狐尻尾の中にまた埋まりたいものだ。……まだ生きてるかな? ウカノ。一応、日本を代表する神様の一柱だし、穀物の神様だし、伏見稲荷の主祭神の御狐神様だし……京都行ったら会えるか。大きくなったら行ってみよう。今は旅費と体力がない。――
神様の一人であるウカノの手伝いで、色々やったし、様々なモノを創った。
天国と地獄を造る手伝いもした。人間の魂を形作る構造と現世と呼ばれるこの世への送り出したかも見た。識った。神域、天界、現世、彼岸の妖羅界、地獄の区分けも手伝った。
遊び仲間の妖怪を集めて、妖羅界と云う名の妖怪の世界の創生にも関わった記憶がある。
神様時代の美しき記憶。楽しき記憶。愉快な記憶。
この世界は、バームクーヘンの如き五つの世界の層に分かれ、それぞれの世界はちょっと層をずらして、異なる世界として存在している。
“こちらの世界”という名称のない大世界に、小さな小世界が幾つか、箪笥の引き出しに小箱を重ねて詰めて収納するみたいに入っている。
僕ともう一人の転生者であるウカノが、神代の時代に提案し、神々が僕らの知識を取り入れて考え、神通力を行使してこの世界は成った。
その時の僕の躰の名前は“遊鬼童子”。
宇賀野命の友人兼、宇迦之御魂神の使い。
僕はただ、遊んでただけ。遊びはいつも、なにかを変える。
遊びは全ての原点。まなびのもと。僕は遊んでただけ。
人間で、ヒトで、神で、妖怪で、地獄で、天国で、妖の世で、現世で、天下人で、民話や神話、歴史の住人で――。
僕はただ、遊んでただけ。それ以下でも、それ以上でもない。
ただ、ひとつを除いて――。
「ああ、眩しいっ! 朝の太陽って、なんでこんなに眩しいんだろうか?」
きっと、中国大陸の天界に住む“金鵜”のせいだ。太陽を管理する金色の鳥。
ヤツは三つある太陽を、毎朝どれかひとつ選んで天に昇らせ、夜になったら湖の水に太陽を沈めて夜にする。
時々、たまに、三つのうち二つ上げたり、三つあげたりする時が異常気象で、朝になってもずっと太陽が上がらない時が寒冷期。――そう謂われている。
だからきっと、太陽を運ぶ金鵜の羽が、黄金色に輝いて眩しいから、朝の光はこんなにも眩しいんだ!
「なんて、童話にでもして売りだしたら、売れるだろうか? いや、売れまい」
獲物が入った籠を背負い直し、はぁ――と軽い溜息を吐く。
売れても、江戸時代の読み物の売り上げ給料は、平成の世よりも格段に安いのだ。大ベストセラーでも書いて、副業もしないと子供の小遣い程度にも成りはしない。ただの紙の無駄だ。
長い輪廻で書物の普及目指して、紙作りから、自力と他力本願と転生者たちや異世界旅行者を利用して、いろいろ頑張って来たけれども、江戸時代は、四十九院家とその分家である八鬼衆に捕まって、座敷牢で一生を終える事がザラだったから、テコ入れは出来ていない。
座敷牢で、聞かれるままにその時代に合った知識の垂れ流しと、――真正面から正直に受け止めると家が滅ぶ――呪い混じりの入智恵はしてきたが――。
良心と旦那様からの任務の範囲内と覚悟して、政治と経済の範囲を弄り、悪意を込めて、家族崩壊の方法や悪徳商家からの騙し取り方法――と書いて、家が緩やかに滅ぶ方法の伝授は出来ても、趣味の範囲までは、座敷牢の中からでは手が回せなかった。
遊びと書物と旅に関する自分の趣味を他人に任すのは癪だしな!
それに――。
この世界がどうなっているかなんて、僕が一番よく知っている。金鵜なんて居ない。遊鬼童子が仲間とともにヤンチャして、西洋のフェニックスと一緒くたにしてしまった。
肉の味は太陽の味で、ちょっと酸味が利いて美味だった。苦みも帯びた酒の味。高級手羽先肉みたいな、美味しい味だったと記憶している。そして金鵜のその後は、西洋のどっかの神様の乗り物だったフェニックスと娶せて、今は居ない。つまりそういうこと。
金鵜はいない。
神話はあっても、それらしき者は太陽の管理が必要なくなった時、神々や仙人たちと食べてしまったか、不死鳥のフェニックスと一緒になってしまった。
金鵜は居ない。お金もない。金運もないかもしれない。
「明日の食事は、どーしよーかなー……」
金策に頭を悩ませることも、奈良時代で冥府の官吏、小野篁さん相手に地獄の道行きお供した時代以前はなかったのになぁ……。
卑弥呼の時代は物々交換が主流だったから、アレはあれでノーカウント。
本格的な金策は、とある農村の住人たちに恩を仇で返すような所業をされて、恨みを抱えた鬼神の本性を生成した後。
それまでの妖怪変化的な神のお使いではなく、人間の躰で転生人生を送るようになった初期の平安時代あたりからか。あの時代あたりから、どーにもお金が流通しだして、困惑して苦心した記憶が……っとどーでもいいか。
「あの時代は良かったなぁ…。綺麗な服着て、お菓子を貰って、楽しんで……今のこの落差が、なんとも言えん。」
自前のボロ布着物の裾を引っ張って、ぽつりという。
そしたら罰なのか、なんなのか、道端の石に蹴躓いて、べたっと無様に転んだ。
派手に籠の中身を撒き散らし、顔に土がつく。
無言無表情でむくりと子供は起き上った。
とりあえず、ぶちまけた収穫物を無言で籠に積み直す。それを背負って歩き出そうとした時、不意に足裏に痛みを感じて、少年はすぅ――と滑らかにしゃがみこんだ。足を押さえて、それでも無口無表情だった子供は、我慢できずに汗を一滴流して――。
「………痛い」
蹲って一言呟いた。
どーやら裸足の足の裏を、躓いた拍子に石でザックリ切ったらしい。地味にじくじくと痛い。赤い筋が左足の裏を走る。かなり深くやったようで、傷跡が痛々しい。
それでも表情は変わっていないのだから、さすがである。
いや、ただ痛みに実感がないだけか。自分の傷だという実感が――。
「人間の躰は不便が多いなぁ。ま、もう慣れたケド」
懐に忍ばせていた蓬の葉を一枚出して、口に含んだ。くちゃくちゃと唾液を湿らせて、口の中で揉み、ぺっと手の平に吐き出して、足裏の切り傷に絆創膏よろしく貼り付けた。ぼろい着物の袂から比較的白さが目立つ手拭いを取り出して、包帯代わりの応急処置完了。
ヨモギは止血薬になるのです。というか、こんな傷、唾つけときゃあ治る。
少年は手当てをし終えると、籠を三度背負い直して、田畑の畦道を行く。
正面に見える太陽を眩しく思い、深い紫色のたれ目を細めつつ、首の後ろでテキトーに縛った長い藍色の髪を揺らして、えっちら、おっちら、幼子特有の小さい歩幅でもって、出来るだけ急いで歩く。
これも彼にとっては、後々のための体力づくりの一環だ。
彼は男のデブなんて、カッコ悪いし、動きづらいだけで非生産的だと思っている。それもあって、体力づくりを日々頑張っているのだ。
裏山から自宅としている武家屋敷への曲がり角に差し掛かった時だった。
夏野菜が実り始めた畑で、作業している初老の男が居る。
初老と云っても、“おっちゃん!”と親しみたくなるまだ30代後半の男性だ。
人好きのする柔和な顔をした農民で、ぶっちゃけハゲだ。
厳密にいうと月代という髪型なんだけど、やっぱ面白いからハゲだ。
ちなみに月代とは、頭髪を、前額側から頭頂部にかけて半月形に、抜き、または剃り落としたものである。江戸の時代劇なんかによく出てくる真ん中ハゲである。
彼は畑になった作物を嬉しそうに眺めて、ほがらかに笑っている。気づかれないよう、じっと見れば、トマトやキュウリにジャガイモなどを収穫しているようだった。
藍色の子どもは、構わずフイッと顔を逸らすと、ずんずん自宅への道をひた歩く。
実はちょっと人見知りする性質で、作業している人に自分から声を掛け辛いのである。
農民の初老のおっちゃんの畑の傍を、通り過ぎようとした時だった。男の方が少年に気付いて、元気よく快活な声で笑いかけたのである。
「おおっ、ボウズ。今日もまた兎と山菜か? もっとマシなの喰え喰え」
「あ、田吾作さんおはようございます」
手を膝の上でそろえて、ぺこりと頭を下げる。所為、普通礼です。
この人は田吾作さん。この周辺の村の村長さんの息子さんで、三十路だそうだ。妻子持ちだそうで、リア充爆発しろ! けっ。世間話程度に身の上話をこうやって話す程度の知人です。村で唯一、現在進行形で付き合いがある人です。他の村人なんて、知らないです。僕、この時間帯しか基本、外出ないので。しかも裏山しか今のところ行った事ないので知らないのです。
「いやね、僕ももっと美味しいモノ食べたいんですよ? だけど困ったことに体力がありません。罠を仕掛けて兎を仕留め、山菜をとってくるしか子供の身には出来ませんよ。体力がないから」
ケラケラと笑って云う少年。
田吾作はその言葉の内容に毎度のことながら、ぎょっとする。
「罠、やと? それは誰に習ったんや?」
あ、しまった――みたいな感じで、少年の口端が一ミリほど僅かに動いた。
されど、すぐに笑って誤魔化し、真実だけで作った嘘を言う。今生の経験ではなくとも、自分の経験である、と自分に思い込みの暗示をかけて――。
「書物を読みました。あとは自分で気づいて試行錯誤ですね」
「ボウズ、その年で字が読めるンか?」
田吾作は、ぎょっと驚いたような顔をする。
「ええ、読めますよ? 文字くらい。書けもします。筆も墨もないから書けませんけれど」
名前のない少年は、この先の武家屋敷で同い年の兄と二人暮らしだと聞いていた。
この藍色の髪の少年が、裏山に行く以外で外出するところを、田吾作も他の村人も見たコトがない。ちょっと前まで件の武家屋敷にいた、銭に汚いおフミ婆も追い出され、今は屋敷に居ないと聞く。
この少年の周りの大人は、自分しかいないはずだ。自分はこうして、畑仕事をする傍ら、ふらりと現れる少年と世間話程度の付き合いしかしていない。
だとしたら――いったい、誰がこの少年に文字を教えた……?
藍色の子どもはにこっと無邪気に笑う。
「よろしければ、土に石で名前など書いてみましょうか?」
その笑顔が得体のしれない物の怪のようだ。
身形は汚いのに、所作の端々が上流階級の公家と武士を足して2で割った品の良さで、どこのご子息のぼっちゃんだと尋ねたくなる感じだ。
そのうち、そこらへんも突っ込んで聞き出してやろうと心に決めた田吾作だったが、先ずは文字である。
書いてくれ、と土の地面に石で書かせてみたら、『田吾作さん、いつも有難う』などと書きやがった。田吾作は少し恥ずかしくなって、にこにこ笑う少年の頭をこづく。そしたら「ぼうりょくはんた~い」と言って、また“けらけら”と無邪気に笑いやがるので、些細なことを気にするこっちがバカみたいに思えてきた。言い方を変えれば、毒気を抜かれたのである。
首根っこを引っ掴んで、今年5つになった悪戯好きな息子にやるように、首元に腕を回して動きを封じ、ぐりぐりと形のいい頭に拳骨を減り込ませてやる。
「いた、いたたたたたたっ、ちょっ、ほんま止めてクダサイ! 暴力反対でっせ。いた、いたたたたたたっ。すんません、ほんますんません! 調子乗りましたから許してください堪忍してくれやっ。いたっ、いたたたた! なにこれ地味に痛い。なんやこれ、いた、いたたたたたたっ」
宙に浮いた足をジタバタさせ、涙目で必死に首を絞める腕を叩き、降ろしてくれとせがむ姿があまりにも必死で……――こちらまで笑えて来た。
「ボウズ、これからは大人をからかったらアカンぞ?」
笑いを含んでぐりぐり攻撃を止めてやる。
「わかりました、わかりましたから、地面に降ろして!」
「男なのに簡単に泣くな」と笑いながら言って、降ろしてやると、ぼろを纏った少年は、ささっと十分に実った作物の、自分より背の高い陰に隠れる。
いーだっ!――なんて、柔らかそうな頬を自分で引っ張って、白い歯を見せるさまは、威嚇しているつもりなのだろうか。今年三つになるウチの娘より行動が幼くて、微笑ましいくらいだ。そういえば、この少年も中身はちょっと変だが、年齢は家の娘と同じ三つなんだなぁ……と思い出して、余計生暖かい目を向けてしまう。
少年はちょっとドギマギした風体で、心もとなさそうに視線を彷徨わせた。
トウモロコシの背の高い林の間から、ちょっと顔を出してこちらを窺うさまは、警戒心の強い野良猫を思わせる。
田吾作は、ぷっと吹き出すのを堪えて、ちょいちょいとその野良猫を手招きする。
じぃ――っと作物の林の陰から出てくるのを待っていたら、紫の眼がさっと引っ込み、またそろ~りと出てきて、首を傾げて田吾作の前に来る。
女の子のように可愛い顔立ちをした少年の、大きな紫色のタレ目が田吾作を心底不思議そうに見つめた。なんだろう? なにかくれるのかな? それとも――などと、考えていることが手に取るようにわかる幼子の顔である。
田吾作は笑みに目を細めて、あるものを少年の、あかぎれた小さな手をとって、握らせた。
「これは……?」
少年がこてりと首を傾げる。計算のようで天然らしいさまが、やはり女子のようで愛らしい。村にいたら女々しいと弄られるタイプだ。
「種や。分けたったるから、家に帰ったら、それで畑でも作りなや。飯、足りてへんのやろ?」
ぽんぽんと頭を撫でて少年を見ていると、彼はみるみる顔をぱあっと輝かせて、きゅっと猫の子のように口を引き結んだ。時間が経つとそれがちょっとずつ綻んでくるところが可愛い。なんでこいつボウズなんだ!? なんで娘っこじゃねェんだ!? 男に可愛さはいらねェだろっ!?
「ありがとう! 田吾作さん! 大事に大事に植えるねっ……?」
――かわいい……。田吾作は天を仰ぎたくなった。
曰く、こんな可愛くてどーする? こいつ股についてんだろ!? もっと男らしくなれよ。道を間違うヤツが出てきたらどーすんだ!
「ねぇ、わかんないことあったら、また聞きに来てもいいかな……?」
不安なのか、不安なのか、不安なんだな? 瞳を潤ませて、上目使いで可愛い幼女の顏をした少年は、田吾作の着物の裾を、遠慮がちに指でつまんで引っ張る。
これが計算じゃないとか、嘘だろ? だけどこれ、実は素でやっているらしい。
つまり天然だ。ちょっと前にこの世の男どもを心配して、問い詰めたら、首を傾げて妙に艶めかしく人差し指を顎に添えて言いやがった。『計算? 僕、計算なんて知らないよ?ねぇ、どーやるのか、田吾作さんは知ってる?』――って。大きな紫色の瞳をきょとんとさせて、他所のボウズなのに、猫かわいがりしたくなる可愛さだったのは余談だ。
「ねぇ、田吾作さん、………ダメ?」
――グハッ! 田吾作は内心、血を吐いた。
上目づかいで首を傾げて、小さい唇を尖らせるなっ! てめぇはボウズ(少年)だろうがっ。島原の遊女並みのテク持ってんじゃねェっっ!! 島原なんかわしゃあ、行ったことないけどもっ!!
田吾作は口を押えて、逸らした目を名無しの少年に向けた。
ダメなのか、ダメなのか、僕が畑仕事の邪魔しちゃ、ダメ……なのか?――と、みるみるうちに瞳に涙をためて、明らかにしゅんとしていく少年を見ていると、なんだか居た堪れない。耳と尻尾があったら、下に垂れ下がっている事だろう。
ちらっ、ちらっ、しゅん……ちらっ……しゅん……――と、擬音語が付きそうな感じで、田吾作の着物の裾をちょこんと握ったまま、期待と絶望を行き来する。
その可愛さと云ったら、もう、…………どーしてくれようか。この少年(男の娘)。
田吾作は、しゅんと項垂れる少年の頭をくしゃりと撫でて、驚きに目を瞠る彼にこういった。
「来たけりゃ、好きなだけ来んかい! この時間やなくても、わしはだいたい畑におるからな」
「うん!」
大きく頷いた少年の躰を、思い切って持ち上げてみると、有り得ないくらい軽かった。まるまると手で転がせる仔犬くらいの軽さだ。
「ボウズ、もっとしっかり喰え」
「食べてるよ」
「もっと喰え。男らしくなれへんぞ?」
気にしているのか、ふいっと視線をそらす。
「……なれなくてもいいよ。逃げ足だけ早くて、オカマって言われなきゃ、それでいい」
それもどんなもんかと思うが……まあ、本人がこういうのなら、自分はもっと喰うよう催促するだけだ。いくらなんでもこの少年は軽すぎる。もっと肉をつけさせなければ。
どこから湧いて出て来たのか、微妙な庇護欲が田吾作を刺激する。
「それはそうとおまえさん、まだ名前ァはあらへんのんか?」
ぴくっと一瞬眉が寄って、幼女らしい少年の顏が、不機嫌に染まった。その一瞬だけは少年を、少しだけ男らしく見せた。不機嫌顔が男らしいって、それもどーなんだ。
「あらへんよ。まだな。……ほっといてーや。兄貴との約束やねん」
「ほぉ、どんな約束か知らんが、良けりゃあ、わしが付けたろか?」
「いやや。いらん。namingsenseがイモ臭そうや。僕はcity派ネ。京の都で流行の名前や、婆娑羅流のいかすキラキラname、花の名前とか、ちと学がありそうな名前がええ。一郎やら次郎やら、田吾作さんみたいな田畑が似合う名前は嫌や。もっと風流なんとか、自分の身の丈に合った名前がええ。つか、そやないと好かん」
よくわからんが、思いっきり上から貶された気がする。
田吾作は、そっと名無しの少年を地面に降ろして、苦虫を噛み潰した。
「願掛けもあんねん。気遣ってくれたのにすまんのぅ。田吾作さん。種、あんがとな。ほな、帰るわ」
「おう、……気にするな。気ィつけてな」
最後に手触りのいい藍色の髪をくしゃりと撫でて、片目をつぶって避けようとする少年を見送った。
「さいなら~!」と手を振って、愛嬌たっぷりに帰っていく少年の背中を見ながら呟く。
「イモ臭くなんてないわ。田吾作っていうわしの名前のどこがイモ臭いねん野良猫少年」
意外と自分の名前を気に入っていた田吾作であった。
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