最終日-end
「どういたしまして」
そんな風に簡単そうに言ってしまえる王子は皐月にとって本当の王子のようだった。
「ちょっと待っててね」
「わかった」
王子がポケットからナイフを取り出すのを見てぎょっとするが、王子はそんな皐月をよそに皐月を縛っている縄を丁寧に切っていった。
長時間縛られていただろうこともあって、皐月には縄で縛られたあとがくっきりと残っていた。特に、足首のほうは青あざができるほどである。
きっと皐月がひょんなことから逃げ出してしまう恐れのために、足は手よりも頑丈にしていたのだろう。
皐月は両手をぐっぱーと開いて閉じる。
麻痺している感覚があるが、問題はなさそうだ。
「一応、明日にでも病院にみてもらったほうがいいと思うんだ」
「けどっ! それこそ、王子のほうが――」
十と殴り合いをした王子のほうが怪我がひどいはずだ。
最終的には王子が十を降した結果に終わることになるが、それまでの途中は散々たるやられようだったはずだ。
王子は皐月なのかもしれないが、皐月は王子が心配なのだ。
そう告げようとしたとき、王子の後方である人物が立ち上がっていたのが皐月の視界に入った。
にぃ……とこの世のものでないような、怪物であるかのような邪悪な笑みを浮かべてこちらに走ってきている。
そして、その手には大きめのナイフが握られていた。王子が手にしている軽い工作用とは比べ物にならないような、法律でぎりぎり引っかからない程度の刃渡りを持った大きなナイフ。
王子は後ろの十には気がついていないようだった。
だったら、やるべきことは、
「危ない!」
身を挺して王子を守ること。
横に突き飛ばされた王子は何が起こっているのか分かっていない様子だったが、皐月の目線を追って驚きの表情へと変化する。
そして、王子は皐月に手を伸ばすが、皐月はその手を振りほどいた。
「……ごめんね」
せっかく助けてもらったのに、こんなことになってしまって。
あれほどのナイフで貫かれてしまうと、刺されたところが悪ければ致命傷になりえるだろう。
皐月はぎゅっと目をつぶった。
一回は王子に助けてもらったんだ。
もう、悔いはない。
さあ、来るがいい――。
「………………?」
しかし、いつにたっても、抉られるような痛みは襲ってこなかった。
それどころか何の衝撃もなかった。
皐月がゆっくりと目を開けると、そこには。
「鬼さん!?」
ぐったりとして気を失っている十を片手で抱え込んでいる鬼さんの姿だった。
確かに、王子が鬼さんがいることを示唆していたが、一体何処に潜んでいたのだろうか。
「いえ、さきほどまで倉庫の外にいたのですが、貴方様の『危ない』という声に危険を感じまして……咄嗟に」
「あいかわらず、すごいですね」
もはや軽く人体を凌駕しているのではなかろうか。
この人に関しては理解することは出来ないっぽい。
「傷があるようですね」
そういって、鬼さんは王子を気遣う。
ぼろぼろになりながらも、その身を遣い続けた王子をねぎらうように鬼さんは王子に肩を貸す。
鬼さんに手伝ってもらいながら王子は立たせてもらうが、やはり体は悲鳴を上げているようで王子はふらりと体を揺らした。
「いけませんわー」
「へ?」
わざとらしい鬼さんの棒声に皐月は疑問を上げようとしたが、それはさえぎられることとなる。
王子が皐月に抱きついてきたことによって。
「………………」
「………………」
皐月も王子も顔が真っ赤だった。
鬼さんを横目で見るとふふふと上品に笑っていた。というか、この人はここでも仮面をつけているのか。不思議な人だ。
ともかく、鬼さんの計略の下で、王子は皐月のほうへと投げ出されてしまい、とっさに体勢を直そうとして手を伸ばして掴んだのが皐月の肩だった。
そのまま運動法則にしたがって皐月にもたれかかるようにして――言い換えると、抱きつくような格好になってしまったのである。
「ご、ごめん!」
慌てて王子が皐月から離れようとするが、そんな王子を皐月はぎゅっと引き寄せるようにして抱きしめた。
皐月の温もりが王子へゆっくりと伝わっていく。
王子の体は緊張で石のように固まってしまっていた。今の状況を予想だにしていなかったのだろう。
皐月はふふっと笑いを堪えきれずに口に出す。
「本当に、ありがとう」
「………………」
その言葉に王子はなにも返さなかった。
しかし、言葉にしなくても皐月にはわかっていた。
しばらくして、皐月は王子から離れる。
今度は抱きしめる代わりに手を繋いでいた。
遠くからファンファンとサイレンの音が聞こえてくる。王子が言っていた警察のパトカーに違いない。
「こやつのことは私に任せてください。お二人は今日はもう帰路についたほうがよろしいですわ」
「でも……」
「気にしなくても大丈夫ですよ」
「じゃあ、すみません。お願いします」
この場は鬼さんにまかせることにして、離れることにした皐月と王子。
なんとなく後ろ髪惹かれる思い出はあったが、有無も言わさないような鬼さんの態度に仕方なく移動する。
倉庫の外に出ると、サイレンの音も大きくなっていた。
すぐそこまでパトカーがきているのだろう。
と、そこで皐月は気づいた。
「救急車は呼んだの?」
「まあ、一応ね。皐月が怪我してるかもしれないから呼んでおいたよ」
「実際は王子のほうが怪我ひどくなっちゃったね……」
「これは好きでやったことだから」
まあ、鬼さんをけしかけたら何も苦労することはなかったのだろう。
一瞬で制圧完了である。
しかし、王子がその手段を取らなかったのは、ただ『自分の力で』皐月を助けたかったからにほかならない。
その際に負った怪我など、むしろ勲章だ。
「そういえば、皐月って呼んでるね。私の本名だよ。どこで聞いたの?」
「皐月の親友からだよ」
「あー」
葵だ。
まあ、こんな状況なのだったのだ。
警察に連絡するにしても、通報した側が本名を知っていないことには始まらない。
そういう理由もあって王子に教えたのだろう。
それに、その制約もすでにないはずだった。
皐月は無言のまま空を仰ぐ。
満天の星空に片手を伸ばした。星を掴もうとするが、案の上、空を切るだけである。
「仮面舞踏会もおわっちゃったね」
日が沈んでいるのだ。
正確な時刻は皐月には分からなかったが、終わっていることには間違いないだろう。
王子も感慨深げに皐月に、
「そうだね」
と告げる。
そこで、皐月は何かに気づいたかのように声を上げる。
それは重要なことだった。
なにしろ、皐月は仮面舞踏会に参加しながら、
「私、結局、一回も踊らなかった……」
「マジか」
「あーあ、もったいないなー」
皐月は落胆して肩を落とす。
これには王子も唖然としていた。
これは食べ物屋に行って、何も食べていかないことと同じだ。
「じゃあさ」
とぼとぼと歩いている皐月に対して、王子はある提案をする。
「ここで踊ろうよ」
「え?」
名前も知らないような場所。
しかも、該当なども少なく、二人を照らしているのは月明かりだけだった。
床ではなく砂利の地面。
しかも、二人ともそろって傷ついて疲れ果てているのだ。
「せっかくだから踊ろうよ」
「…………でも、音楽もないし」
「それは、まあ、パトカーの音が、代わり? みたいな」
「なにそれ」
皐月は思わず吹き出してしまう。
王子は恥ずかしそうに頬をかいていた。
自分の提案がどれほどおかしなものかわかっているのだろう。
でも、それは皐月を気遣ってのこと。
そんな王子の気持ちが、皐月には嬉しく思えた。
「そうね。このまま帰っちゃっても今日に嫌な記憶しかないし、王子と踊って楽しかったといえる一日に上書きしようかな」
そういって皐月は王子に向かって手を伸ばす。
「エスコートはよろしくね。私の王子様?」
そんな笑みを浮かべている皐月に王子は一瞬だけとまどいで体を固まらせた後、その手をとった。
すると、皐月は王子が握ったその手を引き寄せて、自らの体に寄せる。
空いている反対の手を王子の顔に優しく添えて、そのまま動かさないようにぎっちりと固定する。
驚いて目を見開いている王子を逃がさないようにして、顔を近づけた。
数秒後。
「え? えっ……えっ?」
「あはは」
オウムのように同じ言葉を繰り返す王子がおかしくって。
真っ赤な茹蛸のように紅に染まっている王子が愛おしくって。
皐月は満面の笑みになる。
「さあ、踊りましょう?」
この時を永遠に感じていたい。
けれど、それは非現実的な願いだから、せめて――精一杯楽しんでいたい。
パトカーのサイレンをバックミュージックに愉快なダンスを踊りましょう。
何もないところで躓いている王子を支えながら皐月はステップを踏む。
未だに王子の目はぐるぐると廻っていて、現実に意識が戻っていないようだった。
そんな王子に、皐月は簡潔に言葉を伝える。
「私、辻村皐月は、あなたのことが好きです」
王子の顔を見ると、返事はおおむね想像することができた。
皐月は王子にぎゅっと抱きつく。
王子があたふたと暴れるので皐月は王子を解放するが、その手は握られたままだ。
そうして、月明かりの下、二人はぐるぐると踊りを続けていくのだった。
こんな小説ですが、お読みいただきありがとうございました




