第9話:犬神の嗅覚
中野、堀越学園。防音設備が整った暗いIT部室の中で、6枚のワイドモニターから放たれる青白い光に照らされ、犬神しおりは背筋を真っ直ぐに伸ばして座っていた。ストレートの長い黒髪は床まで届かんばかりに垂れている。血色のない青白い顔に、一度も瞬きをすることのない濃灰色の瞳。
学園において、しおりは実在する幽霊だった。教師たちでさえ、彼女とすれ違う時は視線を落とす。犬神の血――敵の魂を切り裂く犬の霊を放つという古の呪い――にまつわる噂は、ここでは単なる都市伝説ではない。それは「警告」だった。
彼女の長く冷たい指先が、静音メカニカルキーボードの上で舞う。
「見つけた」
彼女は呟いた。その声は平坦で、感情が欠落しており、まるで彼女自身がコンピューター・ソフトウェアの一部であるかのようだった。
モニターには、「なろう」のサーバーから抽出された暗号化データが表示されている。しおりは、今月最もバイラルしたイヤミス(後味の悪いミステリー)の各章をアップロードしたIPアドレスの追跡に成功したのだ。しかし、彼女が見つけたのはデジタルデータだけではなかった。部屋の隅で、長い牙を持つ巨大な犬の頭部を模した黒い影が、インターネット信号を通じて標的の匂いを嗅ぎ取ったかのように、低く唸り声を上げた。
「ピンクの帽子。身長165。エド」しおりは静かに口にした。彼女は秋葉原でのタナカの精神崩壊を捉えたバイラル動画を見つめる。「荒削りな神経操作技術。ひどく原始的だが、下等な人間の精神を破壊するには効果的ね」
しおりはデスクの下から物理ファイルを取り出した。その中には、ミホやタナカを含む行方不明の犠牲者たちの写真がある。彼女は新宿、渋谷、そして高い塀に囲まれたある豪邸を結ぶ座標の点を繋ぎ合わせた。
「異世界作家がこの世界を汚す文学的ゴミであることは、事実」しおりは独り言を漏らし、その瞳には緑色のコードの列が反射していた。「けれど、エドとそのグループ……彼らは新しい飼い主を必要としている野良犬に過ぎない。あるいは、永遠に檻に入れる必要があるのかも」
突然、モニターの一枚が赤く染まった。セキュリティ警告だ。何者かが彼女の逆探知を試みている。しおりは動じない。ただ、少しだけ首を傾げた。
「そう。あなたにもハッカーの仲間がいるのね、エド?」しおりはルシアのプロファイルが表示された画面に触れる。「残念だけど、犬神の直感はどんなアルゴリズムよりも鋭いの」
しおりは立ち上がり、整った堀越の制服に身を包むと、デジタルフォレンジック機器の入った小さな鞄を手に取った。警察など必要ない。彼女にとって、この事件は退屈な学校生活に戻る前の、興味深い論理ゲームに過ぎないのだ。
「エド君」彼女はピンクの帽子を被ったエドの写真が映る画面に向かって囁いた。「見てみましょう。あなたが自分自身の死についての章を書くのか、それとも私の最初の『飼い犬』になるのかを」
その夜、しおりは堀越学園の正門から出て行った。彼女の後ろでは、巨大な黒犬の影が闇の中に続き、冷徹な調査官の行く手を阻む者がいれば、いつでも食らいつこうと構えていた。




