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年度末挨拶

 目覚ましの音で目が覚めた。急な連絡が入っていないことを確認して、着替えて外に出た。十九時が来ようとしている。

「おはよ」

「お疲れ。悪い、また出かけるんで、夜遅くにガタガタ音をさせるかも知れない。折角お前が来ているときに、ついていない」

「きっと、大変な時だからだと思うよ。俺は自分のペースで生活させて貰うから大丈夫。これから食事作るけど、平日だからあり合わせだよ」

「構わない。助かる」

「ソルトのご飯と水よろしくね」

 キャットタワーの上で毛繕いしていたソルトだが、カイが冷蔵庫を開ける音に、急いで飛び降りた。春久が給水器の水を替え、餌皿にかりかりを、おやつ皿にカイから貰った鶏肉を入れれば、あっという間に戻ってきた。背中を撫でればがっついて食べるようなことはない。そうか、餌よりもコミュニケーションの方が良いのか。きっとそれは飢えることを考えなくて良いからなんだろう、安心して暮らしているのだろう。なによりだ。

 

 冷蔵庫に入れてくれていた煮物とコロッケ、唐揚げを温め、卵焼きは作りたて。ご飯も新しく炊いてくれて、いつもの南蛮漬けもタッパーに入ったものが出てきた。豪華な食事だ。春久ならどれか一つか二つしか準備しない。カイが冷蔵庫に詰めてくれているし、すぐまた作ってくれるのは判っているのだが、勿体ないと思ってしまうのだ。

「ハルさん、目の下にクマ飼っているよ。ちゃんと寝てね」

「今の事件が解決したら、一日休み取って寝るよ」

「判った。今日はいつ出かけるの?」

「何も無ければ二十一時だな」

「じゃあ、先にお風呂に入って。ソルトは後で洗うから」

「判った。頼む」

 食事が終わってすぐに風呂。少し、ホッとする。ソルトがガリガリ脱衣所のドアを掻いたが、それは「後でカイに入れて貰ってくれ」と、抱き上げてリビングに連れて戻った。

「にゃあにゃあ」と、風呂に入れてくれなかったことに対する抗議も、カイが「後で一緒に入ろうね」と優しく言うからすぐに収まった。ただ単に煮干しという賄賂に、風呂のことは忘れただけかもしれない。

「何を作っているんだ?」

 キッチンから出てこないカイの手元を、リビング側から覗き込んだ。

「ロールキャベツ、コンソメ味とトマトケチャップ味。白菜の葉先の浅漬け」

 包丁が動くのを見ていたが、食材に添えられている左手に、やはり指輪が欲しい。

「手伝えることは?」

「ジャガイモの皮むきぐらい? ポテトサラダ、多めに作っておくよ。後はコロッケも。それなら冷めても大丈夫だからね。ハンバーグとかの肉系は冷めると脂が固まって美味しくないから。カボチャの天ぷらやかき揚げも作るよ」

「楽しみだ」

「ハルさんが出かけるまでに出来たものは持っていく? 夜食欲しいよね? 職場のレンジにスチーム機能有る? 肉まんなら食べるよね」

「だから。お前気を遣いすぎ。助かるんだけど、無理はしないでくれ。職場への差し入れなんて、殆どの連中が買った物だ。手作りなんて大変だろう?」

「俺は好きでやっているからね。食べてくれる人が居るのなら、作りたい」

「判った。それじゃあお前の無理しない範囲で頼む」

「オッケー」

 

 

 春久の不規則な生活に、カイは合わせてくれる。同じ時間に寝起きの意味ではなく、自分の時間帯で生活しつつ、料理をして、時間が合えば一緒の食事。顔を合わせて食べられる食事はありがたいし、何より、ソルトのことを心配しなくて済むのが良い。

 ソルトはハーネスやリードを付けることも嫌がらない。ベランダに出ることも慣れてきた。真冬なので、外と言ってもカイの腕に抱かれてで、吹きさらしの寒さに、腕の中から出ないけれど。

「また来てくれないか? その、平日に」

 出張の名目で、とまでは言えないけれど。

「たまにこうやって居てくれれば、ソルトも喜んでいるし」

 ヘタレだと、自分でも思う。ソルトではなく春久の方が喜ぶのだが。

「毎月は無理だけど、仕事が詰まっていない時なら。呼び出される心配が少ないからね」

 ああ、在宅でも繁忙期ならいきなり出勤しなくてはならない可能性もあったのか。なので、一週間居てくれたことが奇跡のようなものなのかも知れない。

「一週間は無理かもしれないけど、飛び石連休の中日とか、平日でもソルトに会えるようなら来るからね。ね、ソルト」

 ソルトはカイに撫でられて、目を細めて喜ぶ。最近、のどを鳴らすことも覚えたようだ。

 

「それとは別に、大学が無い時はまた土日に来るよ。ね、ソルト」

 言いながらカイが、春久が抱き上げているソルトにクッキーを見せた。猫型だから、ソルト用の煮干しの粉が入っているものだ。素早い動きで、ソルトがそれをはたき落とした。えっと、二人が見ている前で、体をくねらせ春久の腕から抜け出すと、落ちて割れたクッキーに飛んでいき、その場でボリボリ食べ始めた。顔を見合わせ、それから二人して噴き出す。

「お前、そこじゃダメだ。床が汚れる」

「ソルト。おやつはここで食べて」

 カイが欠片になったものを拾って、おやつ皿に入れた。ソルトは取られたと思ったのか、急いで走った。だから春久は納戸からハンディの箒とちりとりで粉を掃除し、カイはウエットティッシュで拭いてくれた。

「うちの娘は……。お前の料理を好きすぎだろう」

「ハルさんは?」

 そう聞かれればすぐに「俺も同じだな」と、答える。躊躇したら二度と作ってくれないかも知れない。

「俺は料理を作らせて貰ってありがたいんだよ。ストレス解消になるから、仕事を頑張れる」

「お互い様だな。それから、指輪のことも考えておいてくれ。諦めてないからな」

 途端にカイは唇を引き結んだ。それでも、アピールをしないわけにはいかない。いつか揃いの指輪を付けたいのは、春久の願望なのだから。結婚して、一年で破局。それでもここまで執着しなかった。相手の浮気が原因だったのもあるかもしれないが、カイは全く違う。

 

 土日は言わずもがなだが、三月の水曜の夜、仕事が終わった後に車を飛ばしてきて日曜の夜まで居てくれたりも。春久も帰ってくるのは遅かったので、むしろ戻ったときにカイが居て驚いた。

 頭にキスをしようとして逃げられたのは、翌日リベンジした。

「四月に入ったら、しばらく平日は無理だよ。あ、GWは中日も休みにするつもり。急な仕事が入らなければ、だけど。ソルトに会いたいものね」

 そこは春久に会いたいと言ってくれればのぼせ上がるのだが。

 四月に入って動けなくなるのは春久も同じだ。職員の異動は言わずもがな、新しい課長や係長が来る。

「しばらくは土日も家でゆっくりできない。連勤だ。もちろん毎日帰ってくるから水や餌はきちんとするが、ソルトと遊んでやってくれ。連休を楽しみにしておく」

「判った」

 これでソルトの事は一安心だ。独り身ならしなくて良い心配だが、それはソルトやカイと暮らしているという幸福の裏返しでもある。手放す気などない。今ではこの生活のために頑張れるのだから。

 

 新年度まで後二週間、異動の内示が出た。

「野沢さん戻ってくるって?」

「早いなぁ。まあ、これで丹波さんも安心して副課長に専念できるだろう」

「これで野沢さんにまで抜かれるとなぁ。年齢的にはともかく、なおも後から係長になった人に先に課長とか、考えたくもない」

 係長達は、いかに早く出世するかを話している。それはそれで目標ができる。

「元気しているか?」

 前課長から電話が入った。

「今のところは。これから元気が無くなりそうです」

「ははは。そうだなぁ。そっちは今回、半数近くが入れ替わるからなぁ。俺のせいじゃないぞ」

「は…はは……」

 前課長の采配かと、ほんの少しばかり思っていた事は口を噤む。

「新しい上司はベテラン中のベテランだ。現場主義で通してきて自分の足で走り回っている。そっちは全員ノンキャリだから、ヘタなキャリアを送ると揉めそうだってことは(こっちで)話をした」

「判りました。係長達と共有しておきます」

 

「書類をどっさり送っておいた。お前の災害時特別班の仕事関連もだ。来年度もお前の訓練は続くからな」

「え……」

「災害時特別班関連の中心にお前が入る。お前の班が一番熱心で活動報告もしっかりしていた」

「ちょ!」

「大塚が取りまとめてくれているお陰だからな」

「それは判ってます! けれど!」

 これ以上責任を盛り上げてくれるなと思う。思うけれど期待されているのも判っている。

「仕事はどんどん割り振れ。そのうちお前でなくてはならないものが出てくる」

「は」

「それから、警部、さっさとなれよ」

「そんな無茶を」

「ノンキャリで昇進()がれる人材なんだ。管区から目を掛けられているんだぞ。もう忘れたのか? 居残り組の意味を」

「忘れてはいません」

 最初の管区の警部補研修。その時に当時の教官達に気に入られた所為で居残り組と呼ばれ、一年ちょっとの間に数回管区への手伝いに駆り出されていた。それも今年の一月で最後になったが。

 

「どのみち居残り組は数年で管区の手伝いは卒業だ。手伝いは課長研修も兼ねる。お前がそのレールに乗っていただけだ」

 なんと、春久の管区への出張にそんな意味があったとは。

 警部になるにはいくつかの条件がある。勉強が必要な部分はやっていくし、研修も受ける。ただ、警部になるためには今まで以上に身辺調査が入る。生家だけでなく友人関係も。表向きはそんな風習、既に無い。けれど……。そんな中、春久に対しては、未婚であることにどうしても目がいく。身元のしっかりしている相手と見合いでもして結婚、今まで以上に言われることになるだろう。けれど、今のところカイ以外を近づける気はない。

 

 異動するメンバーは引き継ぎ書を作り、残るメンバーは新体制のための打ち合わせが続く。

 係長は二人出て行き、三人やってくる。そうすると係長クラスが六人になるのだが、春久が係長の役割から外れることにより係長五人体制に戻る。通常、係長の異動は一度に一人ぐらいで、本来なら残った係長たち四人が相互にフォローしたり必要に応じて挨拶回りに付き添うのだが、今年は三人着任する。中央エリアの班長経験者だった野沢は、春久の後釜で中央エリアを割り振られることに。野沢は古巣だから自由に動いてもらうとしても、残り二人。対して残留する係長も二人では、少なくとも夏ぐらいまでは一人が二エリアの面倒を見なければならないことになる。いくらベテランとはいえ、彼らの負担が大きくなりすぎる。必然的に新しい係長の指導は春久の役割となり、その上で全体の取りまとめと新課長のサポートという新しい役目も負う。

「中央と全体サポートと遊撃と副課長だったのが、新年度からは中央から手が離れるってことでしょう?」

 字面を見ればそうなるのだけれど、いや、責任の重さが全然違う。今までは課長が何かと気遣ってくれた。これからは課長がやってきてくれたことを春久がやることになる。新課長の顔繋ぎだって春久の役割なのだから。

 

「あまり丹波さんをからかうなよ。今まで二ヶ月、頑張ってくれたんだ。後三ヶ月は踏ん張って貰わないと、残るそっちにしわ寄せが行くぞ」

「そうだった」

「班長も半分居なくなるだろう。慣れた奴に新しいところのサポートをして貰うってことで、大半はエリア替えで。野沢さんところはそのままで良いな」

「後を任せようと思っていた班長まで異動だからなぁ。班長どころか係長まで飛び越えての連絡増えますよ。気ぜわしい奴。手順踏んだ方が結局は早いって事、判っていない奴ら」

「副課長補佐か代理を任命した方が早いか?」

「副課長には娘と通い妻に補佐してもらおう。こっちも手が回らない」

 

 そんな会議の合間に、ペットカメラをチェック。ソルトはノンビリ眠っているかと思えば、最近はキャットタワーの二段目に上がれるようになったので、そこから外を見ていたりもする。ベランダの手すりに飛んできた鳩やスズメを見ても気にもしていないようで、狩猟本能は忘れてしまったようだ。ああ、癒やされる。

「娘、動き有りました?」

 春久が休憩時間にスマホを見て癒やしを得ている事は、係長達にはバレバレで。一応班長以下が居る席では言われないが、係長だけの時は、時々そうやってチェックが入る。

「今は寝てますね」

「まさか丹波さんがそこまでメロメロになるなんて、思ってもいませんでしたよ」

「俺は、あり得ると思ったね。子どもには優しいからな。犯罪者でも女、には強く出られないのが玉に瑕だけどな」

 春久のストーカー被害のことを指摘された。多分、いつまでも言われる。

 

 引き継ぎのために、三月中、新しく来るメンバーが顔を出した。彼らの官舎や借り上げアパートについての手配は庶務がやってくれる。なのでまずは課長を連れて署長や他部署の課長達に挨拶。新年度からよろしくお願いしますと、断りを入れる。

 新係長たちについては、異動する係長の後釜だからエリアは決定している。その資料を渡して相互引き継ぎをしてもらう。班長達についても、既にエリアは決めておいた。さすがに異動する人員が多すぎて、希望を聞いている余裕は無い。ひとまず半年、決めたエリアで頑張ってもらう。

「丹波副課長、プレゼントです」

「は?」

「これからも色々踏ん張って貰わないとですので、相談して写真立てです。金を払ったのは、前課長ですけどね」

「はぁ?」

 尚更頭の中が疑問符だらけだ。

「娘と妻の写真入れられますよ。机に立てていれば気分が変わるでしょうし」

 ニヤニヤされた。ソルトの写真を入れておけと? 猫の写真を見ながらデレていては、威厳がなくなる。それなりに虚栄を張る必要も有る役職なのだ。

「いただいて……いきます」

 自分の部屋になら飾っておける。自分の部屋になら……カイがソルトと一緒に寝ている秘蔵写真でも、だ。

「目尻が下がっていますよ」

 急いで咳払い。

「ま、入れる写真に心当たりがあるのなら良いことです」

 

「最後の巡回行ってきます」

 そう言いつついつもより多くのメンバーが外に出て行く。異動する係長や班長達も、この地域を回るのもこれが最後なのかと感慨を深めてパトカーの乗員になった。

 その分残留組に書類が溜まるのだが、彼らも笑って見送った。

 そんな騒ぎの中、執務室に顔を出した大塚が、春久を呼ぶ。春久も係長達に断って廊下に出た。

「異動の挨拶に来ていたのを掴まえたんですが、丹波さんにもお伝えしておいた方が良いかと」

 大塚の後ろに居る人物。春久は目を丸くする。

「え、交通機動隊の?」

 十二月まで春久の白バイ訓練を行ってくれていた白バイの班長。一月、二月、さすがに課長も居ない状態では席を空けることなどできるはずもなく、断りを入れた。それ以降、会うこともないと思っていたのだが。

「お久しぶりです」

「四月から所轄(うち)の白バイの隊長です」

「よろしくお願いします」

 握手を交わす。生活安全課と交通課、これからも縁が続くための挨拶だと思った。けれど相手は

「こちらに在席させていただくのは二年間だけですが、新年度から災害時特別班員としては丹波さんの下に付くことに。それから、丹波さんの手が空くときはバイクの練習もさせておけ、と、うちの……交通機動隊の隊長から言われましたので」

 マヂかぁ。でも二年?

「お忙しいことは伺っておりますので、こちらから出向かせていただくことに。ちょうど自分も異動打診されていましたので」

「所轄の白バイ隊長は、交通機動隊副隊長レベルです」

 大塚が付け足した。階級は同じ警部補でも、役職では春久より上だ。それを特別班の班員? いや、まさか。

「これからよろしくお願いします。二年の間に親交を深めておいて、戻った後も連携が取れるようにしておけと言われております」

 つまり二年と言わずこれからずっと、一蓮托生。春久は人の命運を握れるほど人間は出来ていないのに。ますます周りが騒がしくなりそうだ。ちなみに、後ほど大塚がこっそり教えてくれたが、彼は二年後に交通機動隊に戻ったときには副隊長だそうだ。つまりエリート中のエリートだった。その前に外に出さないわけにもいかず、白羽の矢が立ったのが、特別班の春久が居るこの所轄だったようだ。

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