黒根古島奇譚:DAY1
沖縄南西諸島の孤島・黒根古島。ちっぽけな島で起こる行方不明事件が思わぬ展開へ。世界中の地磁気異常は何を暗示しているのか?
ウルグアイ元大統領 故ホセ・ムヒカ氏の言葉
・「文明の危機」の根本は、自然の問題ではなく 人間の生き方や価値観 にある。
・科学や技術は進歩しても、 人間の心や価値観 が変わらなければ問題は解決できない。
・貧しいのは、持っていない人ではなく、いくら持っても満足しない人だ。
DAY1
日本国・都内某所・地磁気等異常緊急対策室
「課長、どうもあれと総合的に勘案して符号するのがおおかたこれのようです。大体、これであらかたはあっていると思うのですが。」とファイルを課長に手渡す。
「お前さんのレポートはシャビーだと言われて困っているぞ。この間も総合的に見るとこれだと思いますと言って、私も大丈夫かなと君を信用して上の会議に持っていったら、会議にでてくるA国のCIAさんから、あんたらのレポートはぜんぜんインテリジェンスがないでござんす、おたくは電磁波と地磁気異常の区別もつかないですか?だってさ。
どうも最近になってA国以外の国でも同時期に異常な地磁気が観測されるようになってきたとさ。我が国領内のことだけではなさそうなと思われるな。」と言いながら課長は、係長の持ってきたファイルを開いた。
「おや、なんと、特定できたのか?」この課長は、ペンを使わず気になったところのファイルの端に折り目をつけるのが癖のようで盛んに折っている。
「はい、完全ではないですが、南西諸島、特に石垣島近海の白根古島、黒根古島、海根古島あたりで顕著な地磁気異常が起きているようで、原因として考えられるのが、海溝付近のマントル上昇、未発見の鉱床とか超大型の金属物体、つまり潜水艦などかと思われます。
おおよその信号自体があまりに不定期で、位置も移動しているようです。しかし、鋭意努力した結果、なかなか激しく変調しているにも関わらず、だいたいなんとかお尻を掴んだみたいです。」
大きめのスーツを着込んだ係長成りたての部下が直立不動のまま答える。
「お尻じゃなくて、尻尾だろ。しっぽいは成功の元って言うだろう。ウハハハ。おや、哨戒機だけじゃなく潜水艦まで使ったのか。自衛隊がよく言うことを聞いてくれたな。で、日本領内のほとんどの磁気異常は例の外国の結果と一致したのか。」
感心したように課長が言うと、部下の係長は
「はい、ほぼほぼですが総合的に勘案いたしましたところ、だいたいおおむね一致していると、おおかたの専門家もおおよそ意見は同じようであります。どうも、人工的ではないかと。」と胸を張った。
「ま、人工的とは洒落にならないな。怪しいぞ。ただ、少しは進捗したようだな。毎週の会議に、なんか持っていかないとこの臨時部署も閉鎖になるからな。君も折角係長まで成れたんだし、異動は嫌だろう。この内容なら今日はなんとか存続となるじゃろ。
君、その怪しい島の情報の島民や島の状況データを取っておくように。そして監視を強化して、場所の特定を急げ。世界各地で地磁気異常となると地球全体のマントル活動の活発化ということが問題となるからな。その結果が大規模な地震か大噴火か怪しい潜水艦か。いずれにせよ、危険が危ない状況になってきたようだから。危険が危ないって。ウハハハ。」
と眼鏡を額に乗せて、頭の薄くなった課長は自分だけが分かるギャグで笑いながら会議に出かけていった。
「は、おおむね監視体制は完璧に近いものではないかと大局的かつ俯瞰的に、さらに横断的に可及的速やかに全力で監視に取り組んで参りますので、ご安心ください。いってらっしゃいませ。」係長は上目遣いで舌を出しながら、上司を見送った。
果ての島・黒根古島行き定期船
沖縄の石垣島から南西に約三十キロの海に浮かぶ黒根古島に向かう海は凪いでいてちょっと二日酔い気味の俺には少し優しい。
船が向かっている黒根古島は俺の島だ。俺は上地鉄平。島の個人所有者であり、島で宿泊観光業を経営している株式会社黒猫共和国の社長・代表取締役でもある。黒根古島は俺の五代前が住み着くまでは、地図にも載っていない島だったそうだ。俺の先祖がいまでも島の名産品となっている夜光貝漁をするために住み着いたというのがこのちっぽけな島。以来代々住んでいたのは、俺の一族だけだという。つまり、上地一族の個人所有の島なのだ。
しかし、所詮は石垣島から週に二便の定期航路しかない孤島に近い離島で、価格にしたって二束三文の島で威張れるほどのこともない。観光客の行く人気離島航路は、もっと足の速い客船で毎日運行なのに。
この足の遅い小さな貨客船では島までは二時間もかかる。船は黒根古島に寄ったあと、十キロ離れた白根古島とさらに二十キロ離れた海根古島と回る根古島諸島航路をたどり、最終寄港地である西表島に行く。諸島と言っても、三つ並べると三十キロの長さなので諸島と呼ぶのはおかしいという意見もあるが、みんな根古がつくのでそういうことだそうだ。
島がようやく見えてきた。島の直径は一キロの丸い形で、一番高い標高でたったの十五メートル。船から見ると、マックの一番安いハンバーガーような形の薄っぺらな平らな島である。
今日の乗客は定員の半分にも満たない七名の客だけ。ブランドのロゴがデカくプリントされたおそろいのTシャツを着た典型的なインバウンドの親子連れらしき女性三人。乗った途端に船首にでてタイタニックの映画のポーズをスマホで撮り合っては、喋り続けている。どこからこんなパワーが出てくるのか、本当に感心するが、わが島にとっては大事なお客になるはずだ。
あとはこの船に不似合いな白のトレンチコートに大きめのサングラスをかけイスラム風にスカーフで顔を覆っている訳アリ風の女が一人。その女とは反対側の席にこれまた観光とは思えない黒のサングラスに黒のスーツ姿にアタッシュケースの男が一人乗っている。
残りは俺と連れの二人。
「島主、昨日のキャバクラ、つまんなかったですね?拙者は年取ったのか、女の子の話しについていけなかったっすよ。もうキャバクラ卒業!なんちゃって、そんなわけ無いですけどね。」
と昨日もらったキャバクラ嬢の名刺を海に投げ込みながら、ケツが俺に話しかけてきた。俺のことを島主という。
ケツとは二年前に那覇のスナックで知り合った。元は那覇の一流ホテルの優秀な営業マンだったが、お得意先の奥さんとの浮気がバレてホテル業界にいられなくなったところを俺が声をかけ、島に来ることになった。あだ名はホテル業界の一番けつ=インケツだからケツとなったらしい。会社では、グランピングのテントが三つにコンクリ二階建ての宿泊飲食グッズ担当事業部長を任せている。結構、料理が得意なので食堂は好評だ。
「今日の泊まり客は何人だっけ。」と俺。
「今日は・・・一名だけ。島主、待ってください。名前は、平良リブだって、ハーフっぽい名前ですな。あのイスラム・オネーチャンかな?」と宿泊用のノートを見ながら言う。「男は泊まらないのか。でも、一人でもありがたい。コロナも去ってと思ったけど、回復しねぇな。これじゃ、黒猫共和国株式会社社長もクビだぜ。」と俺。
黒根古島は俺の故郷
俺はこの島で産まれたのだが、母親は俺を産んですぐに亡くなったため、一人っ子として育ったが頭がわるいのか、子どものころの記憶がほとんどない。
俺が産まれた頃、親父は隣島で牧場の経験のある金城さんと子牛生産を始めて、漁業よりこちらが儲かると本腰を入れたらしい。学校のない島だから普通は石垣に行くのだが、育牛で金に余裕があったのか、俺は親父の知り合いという人の家で下宿しながら、小学生から東京で生活。
小中高大学直結の私立を選んだが、もともと自由気ままで束縛されるの嫌な性分だったのが加速し、高校生くらいから規則破りなどで停学処分を受けたりで推薦を受けられず進学できず。
しかし、親は放任主義でそれなりの金を送ってくれていたから、二浪後の二十歳で東京の二流私立にようやく入学。
仕送りだけでは遊びに金が足りないからバイト漬け。ゼミも授業も適当にやってなんとか大学は卒業できた。
卒業したは良いが、就職氷河期に加えて、ろくな成績でもない俺には一流の就職先なんて縁があるわけが無い。
知り合いの紹介で二流広告代理店紹介され、コネのお陰かラッキーにも正社員で入社できたが、二流の広告代理店なんて、クライアントはもちろんのこと媒体社にも頭があがらず、頭を下げることが仕事の毎日。
それでも景気が良かったから、接待に精出してりゃそれなりに仕事はもらえた。しばらくして会社の女と結婚もしたが、浮気がばれて泥沼離婚。その後、女との出会いはあったが離婚裁判に懲りたこともあり、二度と結婚することはなかった。
二流代理店で世間様に自慢できる仕事とは言えないが、それなりにやりがいがあったのは中堅酒造会社の営業を担当したこと。クライアントの売上も右肩上がりで、気がついたら四十も半ばの中堅社員として数人の部下を持つようになっていた。
でも、良いことは続かないもので、社長が頭下げて請け負ってきた大手広告代理店の下請けの大きなイベント仕事の担当にさせられた。これは実は政治家がらみの事業費の中抜きピンハネのためのイベント。実施の費用は受注額の十分の一。最初のうちは自分を騙してこなしていたが、ニセの報告書だの請求書だの偽造作業と下請けイジメもしなきゃならん。あまりの酷さに社長にやめようと直言した。
しかし、社長からは業績のためだから耐えてくれと泣きながら「お前たちを食わせるためにはやむを得ない。正義感では飯は食えん時代」と言う。会社のこの数年の下降傾向の業績を考えると仕方ないと割り切ろうとするが、いくらチャランポランな俺でもストレスが溜まる、呑みに行っては愚痴をこぼす日々が続く。
そのうちにその政治家が汚職疑惑を噂され、政治家自身は捕まらなかったが元請けの大手代理店が摘発されると、ウチの会社にも調査が入り、社長が談合で逮捕された。俺も担当として連日検察通いをさせられたが、俺自身はなんとか略式起訴で済まされることなった。しかし、社長は裁判で有罪判決を受け、赤字の会社は倒産。当然、俺も退職。
失業保険でしばらくはゴールデン街に入り浸っていたある日に、実家のある黒根古島の親父と牧場をやっていた金城さんから連絡があった。
親父が突然亡くなったという。ヘリで石垣の医者を呼んで診てもらったところ心臓麻痺だとのこと。
金城さんがちょうど石垣に用事で行った間に倒れたらしく、見つかるまでに時間が経っていたので、金城さんが土葬で先祖代々の墓に埋葬してくれたという(沖縄の孤島では火葬場がないため土葬しかできない)。
俺も急いで石垣島まで来たが、定期船のない島なので、船をチャーターするしかないが、この時は時化がひどく船が出せない。黒根古島で夜光貝漁をしている照屋さん(照じー)無理を言って、漁船で迎えに来てもらい戻れたのは埋葬が終わった三日後だった。島で形だけの葬儀をして一旦東京に戻り、再就職のあてもないことだし東京生活を精算して四十何年ぶりに島に住むことにしたのがもう五年前になる。
ありがたいことに親父は結構な遺産を遺してくれていたので、相続税はがっぽり取られたが、働かなくても当面食いそびれる心配は無かった。また、牧場は金城さんがやりたいというので続けてもらうことにした。
猫の黒田くん
島を離れてから数十年、ずっと東京人として生きてきたつもりだったが、島で暮らし始めてみると不思議に恋しくもないことに気がついた。なにせ、島には俺の他には牧場の金城さんと東京から連れてきた黒猫の“黒田くん”しかいないからやることなくて、すぐに島を出ると思っていたのだ。
でも、人がいない、人に煩わされないということが、こんなにも気持ちを楽にしてくれるとは思ってもみなかった。
誰にも邪魔されない安心感。そして猫がいることで寂しさもない。朝のルーティンは”黒田くん”に起こされることから始まる。こいつといると一日が短い。”黒田くん”と遊んで、酒飲んで、釣りをして、”黒田くん”と散歩して、酒飲んでという生活。それが楽しくて、楽しくて仕方がなかった。
”黒田くん”の写真はいつの間にか、千枚を超すくらいに。こんなに俺は猫好きだったのかと思ったものだ。
しかし、たまには都会のネオンが見たくなる。月に一度は那覇まで遠征するようになった。那覇のスナックで猫の”黒田くん”と黒根古島での写真をたまたまそばに居た旅行会社の女社長に見せたところ、可愛い猫ちゃんがいる孤島ということで、彼女が自社のホームページやインスタで紹介してくれた。
それがバズった。彼女からどうせ暇なら島で観光業をやったらどうかという提案があった。無人島とは言えないけど携帯も通じない孤島。島猫と遊ぶ“のんびりリゾート”ってコンセプトで。宿泊施設は今流行りのグランピングで良いからと。俺も猫と遊ぶだけの生活に少しだけ飽きてきたこともあり、彼女の提案を受けることとした。
しかし、唯一の島の住人である牧場の金城さんは観光客を入れることにえらく反対。牛が落ち着かなくなるとか、色々難癖をつけてきたが、ある日どうしたわけか、死んだ親父が夢に出てきて息子に任せろと言ったとかで許してくれることになった。
さて、いざ準備をはじめると猫が目玉。“黒田くん”一匹というわけにもいかないから、大事に飼いますという約束をして本島の知り合いなどから黒猫を五匹ほど譲り受けきた。あとは、グランピング用の基礎で芝生広場作りとトイレやシャワーの増設をして体裁を整える。やってみるとそれなりにリゾートっぽくなるものである。
問題は定期船もない島ゆえ、船の手配が一番の問題となった。しかし、旅行業者が船会社に交渉してくれてチャーター船運行で開始したら最初の一ヶ月に十組も来た。旅行会社はこれからもっと増えるという。そうなると人手が足りない。親父の遺産はまだ余裕があったから島興しの観光会社である「黒猫共和国株式会社」を作り、人も雇うことにした。
A国エリア51
「オーケー、偵察準備は、完了です、ニャ。いつ、でも、OKニャ。」A国軍の制服を着ている兵士が砂漠の滑走路横のトラックから上空を見ている。
「テストニャ〜、レッツラゴーニャ。」という連絡が入った瞬間、音もなく砂漠の向こうから金色の光がエリア五十一の上空を横切った。
しばらく待って、滑走路の向かいにある格納庫などが並んだ施設になんの動きもなく、警戒警報も鳴らない。
「こちらエリア五十一、基地内反応なしニャ。以上。」
「こちら転移装置担当、テスト成功、転送数五十体無事も確認、報告終わりニャ。」連絡を聞いた兵士はトラックのエンジンをかけ、施設とは反対方向に走り出した。
イタリア・サルディニア自治州・スパルジ島
「マンマ・ミーニャ。この地中海マグロの赤身は絶品でろっしニャ。マンマ・ミーニャ。ところでボスからの指令の状況は、どうなっとーれニャ?」と何もない岩だらけの島の猫の額のような白砂のビーチで、カリアリという地元サッカーチームのユニフォームを着た腹の出た中年男が、ビーチパラソルの下でマグロのカルパッチョを頬張っている。
横には、ビーチに不似合いな帽子と五十年代のスーツを着た一見マフィア風の男が、ビーチベッドで葉巻をふかしている。「指令通り準備は完了したニャーモ。EUのすべてに転移装置完了だぞーんニャ。」
「それでこそ、ボーノ!わが兄弟でらっしニャ。マンマ・ミーニャ。」とまたマグロに食らいついている。
黒根古島到着・事件の始まり
船が島に着いた。小さな桟橋に錆びた金属フレームにちょっとかすれた文字で”ようこそ黒猫共和国へ”というアーチ看板がかかる。そこへ今では十数匹となった黒猫ファミリーがお出迎えに来るのが当社のお約束だが今日は黒猫がいない。
肝心の黒猫ファミリーのドンである”黒田くん”も来ていないではないか。
ここの猫は、地域猫ではなく、ちゃんとした飼い猫である。だから、テレビで見た瀬戸内のどっかの島のようにいつも港に猫がごろごろしているわけではない。週に二便だけだし、船の到着時間は暑いので基本的は俺の家に猫ファミリーはいるのだ。ファミリーを散歩代わりに誘導して、港周りに配置しておくのがツンパの役割なのに。
ツンパは、俺より五歳下の男で島では黒猫の世話係兼総務経理担当兼ラム酒製造担当。親が自衛官だったこともあり防衛大卒業して、一時自衛艦に乗っていたが退官した。その後、IT系の会社に勤めたりしていたが、俺が辞めた広告会社の社長の縁故で会社のIT化という仕事で入社してきた。
しかし、実際にはIT化するほどの仕事がなく、俺の部下となった。が、会社が倒産したため、プータローをしているのを聞いて俺が東京から呼んだ。宴会などでパンツを頭に逆さまに被り”オタ芸”することからこのあだ名となっている。
港ではさっそく、インバウンドさんたち船から降りて、「マオ、マオ、キャット?猫?ネコ?」と騒ぎ出している。黒根古島だから黒猫の島ってのが、売り物なのに黒猫係のツンパはなにをしているのか。呼びかけるが、黒猫グッズを売るお土産屋にもいない。
ケツにペンション兼土産物兼食堂でインバウンドさんとイスラム衣装の宿泊客の相手をさせる。黒のスーツの男は船を降りて港周りや建物の写真を撮りながらこの島唯一のアトラクションである島内一周のゴーカートの看板を見ている。
俺はというとまずは猫を連れてこないと仕方がないから、猫の家である俺の家から猫ファミリーを乳母車に入れてケツに渡す。ケツが猫たちを取り出すとインバウンド客が”キャー、クゥァ アイ”という声を上げて、カメラを持って土産屋から出てきて猫に群がった。
俺が店で立っていると黒スーツ男が近寄ってきて、この島は、沖縄振興特別処置法で国や県の施策の恩恵を受けられる「指定離島」になっていないのはなぜ?水はどうしている?とかを聞いてきた。俺は個人所有の島。趣味で事業をやっているようなものだからと言って、お茶を濁した。しかし、この男、よく見るとサングラスもスーツも借りもののようで、一サイズ大きめで似合ってない。それに新品のカメラをクビから下げているからまるで一昔前のお上りさんだ。島の歴史をひとしきり話しをすると男はゴーカートに乗りたいという。領収書を出すと男はアタッシュケースに領収書を大事に入れて島内一周十分の旅にでていった。
三人のインバウンド客は猫の写真を撮ったら、黒の男のあとを追うようにゴーカート乗車。三人はさらにありがたいことに食堂で夜光貝カレー、お土産屋では一番高価なTシャツと新商品である琉球ガラス入り”黒猫ニャン玉袋”を買ってくれた。
黒いスーツ男は、一周して戻ってきたら、気分が良くなったのか今度はお土産を丁寧に一品ずつ買ってくれた。もちろん領収書をくれという。今は船に乗って、デッキからまだ島の様子を撮っている。なにをしに来たのか。本当に変わった奴だ。しかし、おかげ様で今日の売上は久しぶりに四桁を大幅に越えた。
船が出港の汽笛を鳴らした。土産物屋でくつろいでいたインバウンド客を急いで船に誘導する。黒スーツはどこだと探すと、すでに船に乗っていてまた、島の写真を撮っている。
ツンパ本格捜索開始
船が出ていった。ビーチの方を見ると、漁業部の連中が軽トラから降りて波止場に戻ってきた。夜光貝の加工場からの戻ったようだ。
漁業部は夜光貝漁がメイン。夜光貝は事業部長のケツのアイデアで冷凍加工やレトルトカレーを通販したら好評。忙しくなったので、俺が入り浸っていた新宿ゴールデン街のスナックの店員だったソンとキンの二人組に声をかけ、楽園勤務&安給料を条件に雇った。
照じーがみっちり夜光貝採りを指南してどうやら半人前にはなったようだ。しかし、夜のネオンは忘れがたくて、月に一度は定期船で二人して三日間の石垣キャバクラ詣は収まりそうもない。
「ツンパが港にいないがどこにいるんだ?」と俺。
「朝から見ないよー。昨日からも見ないよー。ワタシ、知らないよ。最近、酔ってばかり。あの人仕事しない、嫌いよー。バストちゃんは大好きですーが。」とキンが言うと、
「何を言うですか。ワタシがバストちゃん一番好きあるよ。ツンパさん、いないのか?ワタシっも知らないのです。そういや、石垣のキャバクラ行ったっか?サラちゃん元気だったか?」ソンが言う。
こいつらに聞くんじゃなかった。口を開けば女のことばかり。結局時間の無駄とはこのこと。
「照じーはどこだ?」
「しっ、しっしょうならまだ工場よ。」とキンが言うので照じーに連絡する。
携帯は使えない島というわけで、波止場の待合事務所から工場に島内連絡用の有線電話を使う。工場の照じーに聞いたが、彼も漁から朝戻ってあとは工場にいるので、見ていないという。
「船は全部あるから、船では出かけてないですよ。そういや、昨日夜にカブの音がしたけど、ツンパだったのですかな。オルガが、一週間前から宮古島に出稼ぎに来ている妹に会いに行っているから。オルガがいないとラム酒飲んでは酔って夜ふらついているからかね。いい年して、情けない。あれで元自衛隊ですかね。」と照じー。
オルガとは、ツンパが石垣のキャバクラで知り合った出稼ぎ女性。島唯一のスナックのママでもあるUK国人だ。実は東欧から、けっこう南の島に出稼ぎで来ているのだ。島に来た当初は、華奢で上品さもあるいい女だったが、今では東欧女性のアルアルで、倍とは言わないがすっかりふくよかになってしまっている。ツンパ夫婦は結婚はしているが、子どもはまだ。ツンパを除き残り全員が独身のため、ゆえにこの黒根古島には子どもは一人もいない。
照じーには、島の反対側を見てくると言って有線電話を切った。
次は牧場だ。牧場には、ゴドーとヤギがいた。二人は、那覇で”不条理”というゲイバーをやっていたが、不景気で店を閉め、ぶらぶらしているところを金城さんの紹介で島にやってきたのだ。
二人はゲイのカップル。仕事はそれなりにきついのに二人共、性に合っているのかなかよくやってくれている。あだ名は自分たちでサミュエル・ベケットの不条理劇からつけたそうだ。
ゴドーが電話で言うのには、
「昨日の昼に港でタバコ吸っているところを見たけど、そのあとは知らないわ。ヤギも知らないって。今から牛の餌やりだから手が空き次第見てくるわよ。」と言う。
牧場と隣接する俺の家を除き、人の住居は港周りしかないから、あとはケツに任せて俺は、そして一年がかりで整備した島内周遊道で島の反対側を趣味で買った自慢のハーレーで見てまわることにする。
島内周遊道を港から時計回りで回るとまずは緊急用のヘリポート。そこから牧場と断崖の間を行く。二本のヤシの木が見えてきたら、ヘアピンが連続する。島の道路はすべて私道なので、制限速度もないのだが、観光用にカーブを増やしたせいで、せっかくのハーレーは大きすぎてスピードが出せない。
男も中年すぎると持ってはいるが、使えないものばかり。宝の持ち腐れだらけになるもんだと笑ってしまう。
ツンパが曲がり損なって崖から落ちたかと海を覗くが、ここの崖の高さは二メートルもないしサンゴ礁も浅い。ツンパもカブの姿もない。
牧場の子牛専用ビーチへの入口が見えた。ちょうど、バストがこの島独特の放牧方法である子牛の海水浴をさせていた。今日は少し涼しいのかタンクトップにホットパンツ姿で、ビキニではない。
しかし、これはこれで新鮮に見え、この俺にも眩しい。顔とスタイルが不釣り合いだが、そのギャップがセクシーだ。キンやソンが夢中になるわけがわかる。バストは、顔は和風なのにスタイル抜群で仇名の通り豊かな胸をしている二十八歳、北海道産まれの道産子だ。道東の牧場経営者の長男と結婚していたが、夫からDVを受けるようになり離婚。一人旅でこの島にたまたま来て、牧場を見てそのまま押しかけ就職を申し出てきたので、経験をかって採用した。
「バスト〜、ツンパを見なかったかぁ?」
「え、なんですか、島主?バイクの音でよく聞こえない。」エンジンを止めて、ビーチに近づく。
「ツンパ見なかった?港にもいないんだ。キンとソンは朝から見てないと言ってるし」
「あの二人、取り締まってくださいよ。さっきもここに来て、用もないのに話しかけてきて、油売っていましたよ。ツンパさんはワタシも朝から見ていませんよ。居ないんですか?」
「客が来てるのに猫もほったらかしでどこへ行ったのか。展望台回ってみてくる。」とバストに手を振りハーレーのスターターをひねった。
こんな狭い島で、ツンパはどこにいるんだ。展望台まで来たが、姿はない。すると、島の反対側から役立たずのキン・ソンコンビが軽トラでやってきた。
「島主さん、あちーのたこつこ穴の横にカブあるよー。ツンパさん、たこつこ落ちたよ。たいへん、たいへんよう。」ソンが叫ぶ。
俺は、たこって聞いた瞬間にスロットル全開で、飛び出した。生きていろ、ツンパ。二分もかからず蛸壺穴に着く。ハーレーから飛び降り崖からそのまま蛸壺に飛び込んだ。壺穴の深さは三米で、飛び込めばなんとか底まで行けるはず。しかし、底まで着いたがいない。
この穴は蛸壺の名の通り、何処とも通じてないはず。ここにいなければどこにいるんだ。まさか、サンゴ礁の方に流れていったのか?キン・ソンコンビに船をだしてサンゴ礁を探すように命じた。
俺は焦った。なんとか蛸壺から道に顔を出すと、ツンパの乗っていたカブがたしかに横倒しで縁になんと引掛かっている。ここからどこへ行ったのか。カブが引掛かって違和感る低い崖を見ると、道路の下、牧場の方へガマ(沖縄の石灰岩地形特有の洞窟)のような穴がポッカリと口を開けている。今まで、何度もここに来ているが、このガマには気づかなかった。「ツンパぁ」と叫ぶが返事はない。人一人が通れる入口に顔を突っ込もうとしたとき、道路からヤギの声が聞こえた。
「いました〜。ツンパさん。牧場の井戸のところに倒れたましたよ。
ゴドーさんが井戸の辺り見に行ったら、ツンパさんがひっくり返っていたそうです。今、ゴドーさんが人工呼吸して、息を吹き返しましたよ。」とヤギが自転車にまたがりながら叫んでいる。
俺はよっしゃと蛸壺から道に上がってハーレーで牧場へ向かう。到着まで時間はたったの二分。ちっちえ島だ。井戸の横に軽トラックの荷台に横たわるツンパと、首から聴診器を下げているゴドーがいた。
「生きてるのか?」
「もちの論よ。看護師ゴドーちゃんが診てるんだもの。もう大丈夫よん。」とオカマ言葉で報告してきた。
ゴドーは那覇のオカマバー時代に惚れた医者に気に入られようと看護師免許をとっていたのだ。診療所のないこの島では、助かる存在だ。ツンパはまだ、意識は朦朧としているようだが、呼吸も心拍数も戻っているようだ。とりあえず、ツンパの家で安静にさせようと移動した。
DAY2に続く