おまけ:露天風呂にて
後日譚のご要望があったため、おまけで1シーンだけお送りします。
「お前と一緒に、こんなところでこんな風に湯に浸かることになるとは思いもしなかった」
俺の温泉宿の自慢の露天風呂で、彼はしみじみとそう言った。
そりゃそうだろう。俺も思わなかった。
案内して、今日は貸し切りだから独り占めしてゆっくり入れと言ったら、一緒にどうだと誘われたので入った……という直接的な経緯は、宿の亭主としては常識違反だが、まぁ、旧知の仲の再会と考えれば、ある話ではある。
しかし、彼が今、ここにいること自体がおかしい。なぜなら、名高い英雄で、責任感の強い高潔な軍団長だった彼は、俺の裏切りのために軍を離れることになり、そのせいで、地位も名誉も市民権も一度は失ったのだ。
「俺は、この国にお前が帰ってくるときは、この国が滅ぶときだと思っていたよ」
原作では、記憶を失い、西海の果ての伝説の島で、真実の王の座についた英雄は、手に入れた圧倒的な力で世界を征服する。そしてその過程で、それがおのれの育った国だと知らぬまま、この国を滅ぼすのだ。
ある意味、自分を冷遇し、戦争の道具としてのみ利用した国への復讐とも言えたが、本人に恨む記憶すらないままというあたりが酷い話だと思った記憶がある。
俺の知る原作からはすっかり外れてしまったらしい男は「ひどい言われようだ」と言って顔をしかめた。
「お前は、いったい俺をどんな男だと思っていたんだ」
憤慨する元英雄殿は、相変わらず端正な顔立ちで、筋肉質な身体はバランスが取れていて引き締まっている。水も滴るいい男、と言うほど色男系ではないが、硬質な男臭さがある、どこから見てもいい男だ。
単騎で怪物をねじ伏せるほど武勇に優れ、軍を指揮させれば苦戦することはあれども常勝無敗。理性的で驚くほど頭が良い、神がかって超人的な完全無欠主人公。
それでいながら、家庭の愛情には恵まれず、己のよって立つ場所を見つけられないがゆえに、他者と一歩引いた関係性しか築けない孤高の英雄。
それがお前だと、かつて俺は思っていた。
だが、お前はそうじゃなかった。
「それについちゃ、謝っておかないといけないな」
あの頃の俺は、使命だ運命だと、己の勝手な妄想に浸って、目が曇っていた。自分本意な思い込みで、お前のためだと言って俺のエゴを押し付けてしまった。
俺は湯面から立ち上る湯気を見つめて、深く息を吐いた。
「俺はお前が見えていなかった。……裏切ってすまん」
ドプンと湯が揺れて、隣りにいる彼がこちらに向き直ったのがわかった。
「今なら、なぜかと聞いていいか?」
その声は深く穏やかだった。
原作で伝説の島の王となった彼は、あくまで冷淡で無慈悲な覇王だった。ただ己が溺愛するものだけを慈しむ苛烈な独裁者。
裏切り者はけして許さない、ましてやこうして、傍らで親身に話を聞いてくれるようなことはしないはずの尖ったキャラクター。
フィクションならクールで好きだったと、俺は苦笑した。
お前がそうじゃなくて良かった。
「俺はさ……お前が何も言わないで、ある日突然俺達の前からいなくなるのが怖かったんだよ。お前がなんの未練もなく、道端の石ころみたいに俺達をおいて、俺たちのことを全部なかったことにして先に進むんじゃないかと思ってしまった」
お前がどういう男か本当はすでに知っていたのに、ちゃんとお前自身を見ていなかった。
「予言に負けたくなかった。どうせお前がでていくなら、予言のためではなく、俺のせいで行ってもらいたかった。お前の英雄伝説に悪役でいいから名を連ねたかった」
バカだよなぁ。
俺は、湯を両手でひとすくいすくって、顔にかけた。
「お前よりも、俺が予言を信じてしまっていたんだ。最初からそれが必ず起こることで避けがたいと、信じて疑わなかった」
なのに「先に裏切ったのはお前だ!」だなんて言ってお前が悪いかのように罵ってしまった。
ポタポタ雫を垂らしながら「すまん」と頭を下げた俺に、彼は思いもかけぬ言葉を返した。
「それは……お前もまた予知の力があるものだからではないのか?」
「え?」
「お前の"勘"だよ。いつも外れたことがなかったろう」
「え、いや、それは……」
英雄、恐るべし!
何だこの察しの良さ?!湯の中なのに寒気がしたぞ!
「お前はいつもそれが必ず起こることだと絶対的な自信を持って"勘だ"と言っていた。俺は、お前のそれは一種の託宣だと思っていたよ。お前は神殿の巫女よりも神々に愛された選ばれし者だと」
「はぁっ?!」
「だから、あの晩、予言の話を聞いたお前が青ざめたのを見て、俺はああこの予言は真実なのかと思ったんだ」
「なんで裏切り者だと予言された相手を信じるんだよ。おかしいだろう?!」
「お前が裏切るとは予言されていなかった」
一陣の風が立ち込めていた湯気を払い、俺は相手の目をまともに正面から見ることになった。
「お前が裏切るとは予言されていなかったんだよ」
なんて……なんて深くてきれいな青なんだろう。あの日も俺がよく見さえすれば、彼はこんな目をしていたんだろうか。こんなにも悲しくて優しい目を。
「すまん……本当にすまなかった。俺がバカだった。俺は……あんな方法でお前を傷つけなくても良かったんだ」
「傷つけてしまったのは、むしろ俺の方だろう」
彼の視線が俺の胸元に落ちる。
でかい胸筋の上に斜めに残る傷は、湯で火照っているせいで、派手に浮かび上がっている。
「これはこれでカッコいいからいい」
胸を張って言い切った俺のどこがおかしかったのか、彼は吹き出した。
「お前のそういうところが俺は好きだよ」
「よくわからん褒め方はするな。というか、それは遠回しに貶しているだろう」
おかしそうに「いやいや」などという彼の目は、本当に穏やかで楽しげに細められていて、ああ、この男もまた歳月で変わったんだなと思われた。
「よし!飲もう!!」
「上がるか」
「いや、ここで飲む」
「いいのか?」
「一度やってみたかったんだ。露天風呂で酒」
日本酒はないが、ワインでもありだろう。
実は勧めてみようかと思って、用意はしてある。
「外で湯に足をつけて岩に座って酒を飲むなんて、なかなかオツだろう」
「うーん。いいのか悪いのかよくわからんが、他では絶対に体験できん気はする」
お前に土産にもらった酒だから絶対にうまいぞ、とコルク栓を開けていると、「そういえば」と彼が懐かしそうに言った。
「昔、補給品で初めてそういう瓶詰めの酒が届いたとき、全員が開け方がわからずに困っていたところに、お前がやってきて開けてくれたんだよなぁ」
「そうだっけ?」
「ああ。"ここにオープナーがあるじゃないか"と言って、箱に入っていた謎の工具でしかなかったそれを器用に使って、今みたいにきれいに栓を開けてくれた」
あの時から、皆の間でのお前の評価が、勘だけで動く脳筋の野生児から、勘で道具も使える脳筋の野生児に格上げされたんだと、まったくありがたくない思い出話をされた。
「こんなもん形をみりゃ、使い方はすぐわかんだろ」
いや、前世知識かもしれんが。
そんな話は今しても仕方がないので、俺は澱のない澄んだ酒を色ガラスの酒坏に注いだ。
「また、お前と飲めて嬉しいよ」
「ああ」
次期皇帝の愛娘で女ながらに帝国南方全域を治める大領主というとんでもない女の婿として、帝国に帰還した英雄が手土産に持ってきてくれた酒は、とてつもなく美味くて、俺達はたちまち一瓶飲み干した。
そうなると酔っぱらいは止まらなくなるもので、あとは味より量だとばかりに、このくらいは大丈夫と言って、厨房から小樽を持ち込んだ俺は……気がついたら、部屋で素っ裸で寝ていた。
夜中に露天風呂から英雄殿に担がれて来たらしい。
宿の主人としてあるまじき失態に、嫁からこっぴどく叱られた。
余談だが、俺はものすごく酒癖が悪いらしい。
俺に記憶はないのだが、軍にいたころも、被害者がかなりでたらしく、ある程度以上は飲みすぎないよう全員が俺の酒量に目を光らせていてストップがかけられていた。もちろん俺と飲む機会が多かった英雄殿は当然俺の酒量をよく心得ていて、いつもほろ酔い加減のいいところで止めてくれていたものだ。それが今回この有様ということは、湯あたりでもしたのだろうか?
「風呂で酒は危険だから止めろ」
真顔でそう忠告してくれた彼が、俺との間にとる距離が、確実に一歩分広がっていたので、相当ヤバイらしい。
まったく、しまらねぇ話だなぁ。
しまらねぇ話だが、カッコイイ悲劇よりはこういうのの方が俺には似合っている気がするから、これでいい。
酔うとコイツはキス魔です。
……南無。
たくさんの感想ありがとうございました。
いいね、評価なども本当に嬉しいです。
こんなおまけ(男湯)で、お礼になるのかわかりませんが、よろしければ笑ってやってください。