14 アンシュ
第1部「マントラ・ウォーズ ~超常のレジスタンス~ 能力覚醒編」
第2部「マントラ・ウォーズ 伝説の剣を手に入れろ編」
も是非お読みください。
ガザンとアンシュの2人は夜のとばりが降りたアデリーの街はずれの民家にいた。
アンシュはその家の主人の医者に傷の手当てを施されていた。
「ガザンさんの知り合いの医者ですか?」
包帯を巻かれた身体を気にしながら、アンシュが言った。
「そうだ。人里離れているから、目立たなくて邪魔が入りにくい。
先生も心得ていて、口が堅いしな。
何よりも医者としての腕がいい。」
「願ったり叶ったりですね。」
「何が叶ったんですか?」
アンシュの傷の手当てをした医者が奥から手を拭きながら出てきた。
「いえ、こちらのことです。
先生、本当にありがとうございました。助かりました。」
ガザンは丁寧に頭を下げた。
「あ、ありがとうございました。」
アンシュも慌てて立ち上がって、頭を下げた。
「少し安静にされて、体力を回復させたらどうですか?」
いくら近衛兵の方でも、それだけの傷を受けていては、無理出来ません。」
「先生のお言葉、とてもうれしいのですが、そのお気持ちだけで十分です。
私たちは、故有って長居は出来ません。先生に迷惑がかかります。」
そう言うと、ガザンは帰り支度を始めた。
アンシュもガザンにならって、支度を始めた。
2人は医者に丁重に挨拶をすると、馬に二人乗りして慌ただしく辞去した。
「こんなに急がないとならないんですか?」
アンシュは、前に乗っているガザンに不満ぽく言った。
「ああ。夜になって辺りは暗いから、可能性は低いが、アグリムの千里眼に引っかからないとも限らないからな。
距離的にもこれだけ街はずれだから、その能力は届かないとは思うが。」
「レジスタンスに居場所がバレると?」
「副官が殺られたんだ。血眼になって君を探し出そうとするはずだ。
念には念を入れないとな。
あの腕のいい先生に危害が及んだらことだ。」
「分かりました。
私も丁寧に治療してもらって感謝しています。」
「大丈夫だとは思うが、ここから基地までの移動中が最も危険だ。
早く基地内に入って、バシット卿の陰に隠れよう。
君には体力を回復する時間が必要だろう。」
ガザンは馬の速度を上げた。
馬の背で揺られている道中、ガザンとアンシュは二言三言会話したが、ガザンには感情の起伏が全くなかった。
感情を押し殺しているかのように、淡々と事務的に会話していた。
アンシュにとっては、ガザンと馬に乗っている時間がとてつもなく長く感じられた。
アンシュがギリギリとして馬に乗っていると、ようやく月明かりに照らされたラムダン城の西塔が見えてきた。
2人を乗せた馬は、跳ね橋を通って城の正門を抜けると、南側にある近衛兵団の中央基地に向かった。
アンシュが初めに乗っていた馬も後を追いかけるように続いた。
「無事に着いたな。」
中央基地の馬の繋ぎ場に着くと、ガザンは先に馬から飛び降りて、アンシュが降りる手助けをした。
「すいません。」
アンシュは傷をかばいながら降りた。
ガザンが馬を繋ぐと、2人はバシット卿の部屋に急いだ。
無意識のうちに早足になっていた2人が基地の最奥にあるバシット卿の部屋にたどり着くと、ガザンはその荘厳な扉をゆっくりとノックした。
「誰だ?」
部屋の中からくぐもったしわ枯れ声が響いた。
「ガザンです。こんな時間に申し訳ございません。」
「ガザンか?入ってよいぞ。」
「失礼します。アンシュも一緒に来ています。」
ガザンが中に入ると、アンシュも続いて中に入った。
「結果の報告だな?」
「はい。まず、アンシュが戦った相手ですが……」
「内容は説明せんでよい。ここから見ておった。」
バシット卿はガザンを遮った。
「……千里眼ですか?」
「ああ。興味があってな。あの戦い、最後まで捕捉することが出来た。おかげで少々疲れてしまったがな。」
バシット卿は思い出すように言った。
「そうだったんですか……」
「しかし、副官は副官でもシーラの方だったとはな。」
「本来ならば、ニキルが来るはずだったんですが、今日に限って……」
「どんな時でも不測の事態は起こり得る。その時にいかに対処するかだ。」
バシット卿はアンシュを見た。
アンシュはバシット卿の方に一歩進み出た。
「僕は対処しました。女性の副官を倒しました。」
「そうじゃな。結果として、対処はしたな。
ただ、アンシュよ、お前は負けておった。
本来ならば、倒されていたのは、シーラではなく、お前だ。
ガザンが現れたことで運命の歯車が狂っただけだ。
お前の実力ではない。
そのことはお前自身が誰よりも分かっておるのではないか?」
「……はい。」
「お前には素質がある。それは間違いない。わしが請け負う。『羅刹黒鯨』もお前を受け入れておる。
それでも、今のお前はまだまだ未熟じゃ。
これからは、もっと戦闘力を高めるのじゃ。そうすれば、師団長になることも夢ではない。
そこのガザンの下で修練しろ。よいな?」
「まだ、師団長にはなれないのですか?」
「わしはそう言ったつもりだ。
ガザンの下で小隊長として修練を積め。
お前はすでにラーマの麒麟にとって最優先の標的となっている状況だ。
少しは自分の身を案じるのだな。」
「お言葉ですが、標的となっているとすれば、それはバシット卿の命に従ったからです。」
「わしのせいだとでも言いたいのか?」
「いえ、そういう訳では……」
「話は以上だ。」
何か言いたげなアンシュを制して、ガザンが口を開いた。
「口の利き方が分かっていないようで……以後、気を付けます。
では、これで失礼します。」
ガザンはアンシュの腕を引いて、バシット卿の部屋から出た。
話声がバシット卿の部屋に聞こえない所まで離れると、ガザンが口を開いた。
「組織の中で生きていこうと思うなら、もう少し賢く振る舞うことだ。」
「賢く?」
「師団長になりたいんだろう?」
「それは……はい。」
「ならば、バシット卿の言うことは絶対だ。反抗的な素振りを見せるな。」
「分かりました。
それで、これからどうすればいいですか?」
「……俺は君に何かを教えようとは思っていない。
好きにしていいぞ。俺に迷惑がかからなければな。」
「そう言われると、何も出来ませんよ。」
「取りあえず、休養して傷を治せ。アンシュ小隊長っ!」
ガザンはガザンなりにおどけて見せた。
「……そうします。」
アンシュには通じなかった。
◇
3日後
ラーマの麒麟本部の一室
アグリム大師の部屋の向かいにある小部屋に、ニキル、インジゴ、マナサ、そしてアシュウィンが再び集まっていた。
「もう3日になるな。」
ニキルがつぶやいた。
「大師、大丈夫でしょうか?
この3日間、一度も部屋から出て来ませんよ。」
インジゴが心配そうにニキルを見た。
「爺さん、まさか死んでんじゃないだろうな?」
アシュウィンは、ずけずけと言った。
「縁起でもないこと言わないでよっ!」
マナサは隣に座っているアシュウィンの太ももを軽く叩いた。
「じゃあ、一体、中で何してんだ?」
アシュウィンはマナサに訊いた。
「おそらく、千里眼でガザンたちを捕捉しようとしているんだと思う。」
「それにしても、時間が掛かり過ぎじゃないか?」
「そうかも知れないけど、千里眼を使えない私たちがとやかく言う話じゃないでしょ?」
「そうだけどさ……途中経過くらい教えてくれてもいいじゃないか?
些細な情報でも、あとは俺たちで何とかできるのに……」
「とにかく、今は大師にお任せするしかないわね。」
「マナサの言う通りだ。
ただ、このままでは、母の葬儀もすることが出来ない。」
インジゴが困惑の表情を浮かべた。
「よし。俺が爺さんの様子を見てくる。」
アシュウィンは立ち上がろうとした。
「待て、アシュウィン。私が状況を聞いてくる。」
ニキルはアシュウィンを制して立ち上がった。
「3人はここで待っていてくれ。」
ニキルは、向いにあるアグリムの部屋の前に立つと、扉に耳を近づけて中の様子をうかがおうとした。
その時、ニキルが来たことを察したかのように、扉がゆっくりと開いた。
ニキルは慌てて後ろに下がった。
「大師……」
「おお、ニキルか。
すまんな。思いのほか時間が掛かってしまって。」
「あれから3日も経っているので、さすがに心配になりました。」
「3日も経っているのか?どうりで疲れているはずじゃ……」
「大丈夫ですか?」
「わしの心配は無用。
それよりもインジゴたちをここへ呼んでくれ。」
「分かりました。」
ニキルが小部屋に戻ろうとして後ろを振り返ると、インジゴたちはすでに来ていた。
部屋に入ったニキルたちは、アグリムの発する言葉を、固唾を飲んで待っていた。
「みんな、すまんな。3日も待たせてしまって。」
「我々は大丈夫です。」
ニキルが答えた。
「爺さん、何か分かったのか?」
アシュウィンが待ちきれないように言った。
「ああ。中央基地に入る寸前、ガザンとホクロの新兵をギリギリで捕捉することが出来た。」
「でかした、爺さんっ!」
アシュウィンは思わず叫んだ。
「アシュウィンッ!口の利き方。」
マナサはアシュウィンの耳をつねった。
「痛ててててっ!」
アシュウィンはアグリムに頭を下げた。
「よいよい。
それよりも、ホクロの新兵は、マナサが言ったとおり、アンシュという男で間違いないようじゃ。」
「そうですか……
2人は今、中央基地にいるのですか?」
ニキルがアグリム大師に訊いた。
「恐らくな。
基地内はバシット卿のマントラの能力が邪魔をして、ガザンやアンシュという男を捕捉することが出来ない。」
「中にいることが分かれば、あとは見張りを立てて行動を監視しましょう。」
インジゴが言った。
「でも、いつ出てくるのか分からないわ。
向こうもこちらがアンシュを狙っていることを十分承知しているでしょうから。
もっと効率的に対処できないものかしら?」
マナサが冷静に言った。
「マナサの言うとおりだな。どうすべきか……」
ニキルも思案した。
「それを掴むために3日もかかったのじゃ。」
アグリムが4人を見回しながら言った。
「さすがに爺さんだっ!
で、何を掴んだんだ?」
アシュウィンがアグリムににじり寄った。
「まあ、そう急かすな。」
アグリムはアシュウィンの肩に手を置いた。
「ガザンやアンシュを捕捉した後、わしは予知夢を見ることが出来た。」
「そうなんですかっ!」
今度はインジゴが気色ばんだ。
「ああ。2か月後の新月の夜8時ころ、アンシュは部下らしき近衛兵5人とともに中央基地から外に出る。
その光景を予知夢で見た。」
「新月の夜に動き出す?どこかの魚かよ?」
アシュウィンの口は止まらない。
「新月の夜か……暗くて好都合だ。その時がチャンスだな。」
ニキルの言葉にアシュウィンとインジゴは大きくうなずいた。
「当面の見通しが付いた。
それでは、皆、シーラの葬儀の準備方、よろしく頼む。」
アグリムは皆に命じた。
◇
その後、シーラの葬儀は本部施設内の講堂で質素ながら厳かに執り行われた。
ラーマの麒麟の隊員たちは、シーラへの哀悼の意を表し、臣民に対する決意を新たにした。
葬儀が無事に終了した後、バシット卿の部屋にニキル、インジゴ、マナサ、そしてアシュウィンが集まっていた。
「ニキル、折り入って相談があると言っておったが、何かな?」
アグリムがニキルに話を振った。
「2か月後の新月の作戦行動についてですが、実行者は私とインジゴの2人で行わせていただきたい。」
「ニキル、分かっているとは思うが、感情的な仇討となれば、成功する作戦も失敗する恐れがある。今回に限って、それは許されない。」
「私もインジゴも十二分に承知しております。
アンシュという男と一般兵が5人。客観的に考えても、可能な戦いです。
私情を挟んでいないかと問われると、いないと言えば嘘になります。
頭では分かっていても、実際に目の当たりにすると復讐の鬼になるかも知れません。
それでも、私たち親子の心情をお察しください。」
ニキルの表情には悲壮な覚悟が感じられた。
「冷静な君たち親子のことだ。大丈夫だとは思うが、マナサとアシュウィンに異論はあるかな?
今回の作戦については、ここにいる全員の同意が必要じゃ。」
「実の子供のように接してくれた副官ですから、私も参加したいことはやまやまですが、私の気持ちに比べたら、お二人の気持ちは推して知るべしです。
それに、隊を率いて行動すると近衛兵団に気付かれる可能性もあります。最少人数で行動するべきです。
同意します。」
マナサは同意した。
「アシュウィンはどうじゃな?」
バシット卿がアシュウィンに促した。
「俺は……いつでも闘う気はあるし、シーラさんの仇を取りたい気持ちは変わらない。
……でも、2人の思いは理解できるよ。俺も母親を殺されていたら、この手で必ず仇を討っていたと思う。他の誰にも邪魔させない。
……俺も同意する。」
「アシュウィン、すまないな。」
インジゴが珍しくアシュウィンに礼を言った。
「2か月後の新月の夜、必ず倒せよ。」
アシュウィンとインジゴは力強く握手した。
◇
アンシュとシーラの死闘から2か月後
アンシュは近衛兵団中央基地の第3師団師団長室に師団長のガザンといた。
「すっかり完治したようだな。」
椅子に腰かけているガザンはアンシュの姿を見上げて言った。
「はい。みんなと修練も積んでいるので、体力も回復しています。
……回復しているっていうか、それ以上に体力もついて、戦闘力もかなり上がっていると思います。」
「みんなって、小隊の連中か?」
「はい。部下とは思っていなくて……仲間と思って接していますから。」
「部下との接し方は君の自由だ。うまく機能していればそれでいい。」
「はい。入団して、こんなに親しい仲間が出来るとは思いませんでした。
絆がないと、戦場では戦えないですもんね。ガザン師団長のお陰です。」
「俺は何もしていない。」
「そう言うと思っていました。」
「そうか。」
「はい。では、戻ります。」
「修練を怠るなよ。」
ガザンはアンシュの背中に声をかけた。
「はい。戦闘力を付けます。」
アンシュは、師団長室を辞去すると、部下の待つ部屋に戻った。
「あ、小隊長、早かったですね。」
部下の中でも長身の1人が部屋に戻ってきたアンシュに訊いた。
「うん。師団長はこの小隊のことを僕に任せているからね。」
「信頼が厚いんですね。」
「信頼が厚いのか、突き放されているのか、よく分からないけど……」
「でも、我々が所属している第3師団は他に小隊が無いんですよね?」
別のがっしりした体格の部下が訊いた。
「そう。第3師団は特殊な師団だから。
諜報活動がその使命。秘密裏に行動することが多い。
全容を把握しているのは、バシット卿と師団長のみらしい。」
「そんな中で我々は異質なんでしょうかね?」
小柄な部下が誰に言うともなく言った。
「異質?異質といえば異質かもね。小隊全員の武器が鉾だし。
諜報活動に鉾は不向きだ。」
アンシュは立て掛けてある『羅刹黒鯨』に目をやった。
「それじゃあ、我々は第3師団の中の武闘派ですねっ!」
お調子者の部下が満を持して叫んだ。
「そこまで実力が備わっている?
武闘派なんて、自分から言うものじゃないよ。」
アンシュがお調子者の部下をたしなめた。
「誰も言ってくれないもので……」
お調子者の部下は頭を掻いた。
「みんな僕たちのことを落ちこぼれの寄せ集め小隊みたいな目で見ているけど、戦闘力をうんと上げて、見返してやろうじゃないか?」
アンシュは5人全員に言い放った。
「みんなから俺たちのことを武闘派だと自然に言ってもらえるように頑張ろうぜっ!」
眼つきの鋭い部下が興奮気味に叫んだ。
「よっしゃー!」
アンシュの部下たちは夜になって変なテンションになっていた。
「……と言うことで、これから街に繰り出しませんか?
今日は小隊長の誕生日ですよね?
誕生日が過ぎる前に乾杯しようとみんなで考えていたんです。
どうですか?」
長身の部下が言った。
部下たちはアンシュがシーラを倒したことを知らなかった。
アンシュもあの闘いのことを部下に話したことがない。
もう少し、ほとぼりが冷めて、部下全員の戦闘力が上がってから説明しようと考えていた。
「そうだね……今夜はちょうど新月で普段よりも暗いし、この時間なら出ても大丈夫か……」
アンシュは独り言のように言った。
「新月が関係あるんですか?」
長身の部下が怪訝そうに訊いた。
「うん?いやいや、こっちの話。気にしないでよ。
じゃあ、夜の街に繰り出そうか?」
アンシュは吹っ切れたように言った。
「よーしっ!今日は久しぶりに飲むぞーっ!」
がっしりした体格の部下が腕を回しながら言った。
「何だか怖いな……」
アンシュは眉間にしわを寄せた。
「大丈夫です。あいつに深酒はさせませんから。
酔っぱらうと、水を飲ませても気づかないようなやつです。」
お調子者の部下が言った。
「聞こえてるぞ。」
がっしりした体格の部下がお調子者の部下に言った。
「聞こえるように言ったんだよ」
お調子者の部下が言い返した。
「小隊長の誕生日の祝杯だということを忘れるなよ。」
長身の部下が釘を刺した。
「忘れないけど、こんな日はついつい酒が進んじまうもんだよな。」
眼つきの鋭い部下が嬉しそうに言った。
「そうそう。ヤバいねぇ。」
小柄な部下がうなずいた。
アンシュは部下たちの様子を楽しそうに眺めていた。
「小隊長、では行きますか?」
長身の部下が訊いてきた。
「うん。おいしい酒を飲もう。」
アンシュは『羅刹黒鯨』を手にした。
「あっ、鉾を携行しますか?」
長身の部下が訊いた。
「いや、みんなは持たなくていい。
僕の鉾はマントラの武器だから手放せないんだ。」
アンシュは、そう言うと、『羅刹黒鯨』を手にして部屋から出た。
待ちかねた部下たちもドカドカと部屋から飛び出した。
アンシュの小隊は、月あかりのない星空の下、夜の繁華街に繰り出して行った。
◇
アンシュの小隊が繁華街に向かう2時間前。
ニキルとインジゴは、陽が沈みだして薄暮になっていく街道をそれぞれ馬にまたがり、無言のまま、ラムダン城に向かっていた。
ニキルは腰に差している『招杜羅青龍』の柄を無意識のうちに握りしめた。
シーラ……
ニキルの心の中はシーラとの思い出で溢れそうになっていた。
これから始まるであろう戦闘に集中しようとしても、シーラの笑顔がニキルを和ませてしまう。
こんなんじゃ、副官失格だな。
「父さん、大丈夫ですか?」
インジゴがニキルの心情をおもんばかって訊いてきた。
「うん?
お前だから言うが、この状況で平静を保つのは、なかなか難しいものだな。」
「そうですね。僕も気持ちが高ぶっています。
アンシュという兵士、武器は『羅刹黒鯨』なんでしょうか?」
「恐らく、そう考えて間違いないだろうな。
母さんが倒されたんだからな。」
ニキルはシーラの無残な姿が脳裏に焼き付いて離れなかった。
「斬撃波……ですか。」
「そうだな。」
「マントラの能力は何を使えるのでしょうか?」
「マントラの能力か……分からないな。予測つかん……
インジゴ、先ずは私がアンシュと剣を交える。
お前には他の5名の相手を頼む。」
「分かりました。すぐ片付けて、加勢します。」
「まだ見ぬ相手。海の物とも山の物とも分からん。油断は禁物だ。」
「はい。」
それから、ニキルとインジゴの父子が暫く馬を走らせていると、前方の夕暮れ空に象のように巨大なラムダン城の漆黒のシルエットが浮かんでいるのが視界に入ってきた。
「インジゴ、止まれ。
大師の予知夢に出てきた場所は、通りのこの辺りのはずだ。」
ニキルは通りの周りを見回した。
「あの路地がいい。」
ニキルはアゴで指し示した。
「知っていなければ、見落としそうな路地だ。」
「確かに。そこで待機しますか?」
「ああ、そうしよう。
勘づかれないように、馬は先の方に繋いでおこう。」
「分かりました。」
2人が馬を留めると、日はとっぷりと暮れて、闇夜に星が瞬いていた。
「よし、あの民家の物陰に隠れて待機しよう。」
ニキルは腰の『招杜羅青龍』の柄を握りしめた。
それを見ていたインジゴもまた、腰に差している愛剣の『波夷羅黄龍』の龍頭を模した柄を握った。
ニキルとインジゴは、息を殺すようにして、対象が現れるのを待った。
何時でも、すぐに剣を抜いて攻撃できる態勢を崩さなかった。
闇夜の中、ただ、ひたすら待っていた。
待っている間、インジゴには1分が1時間くらいに感じられた。
まだか……もうとっくに、8時を過ぎているんじゃないか?
インジゴは苛立ち始めた。
ふと、アグリムの予知夢が外れたんじゃないかとの疑念が頭をよぎった。
疑心暗鬼になりかけていた。
横にいたニキルがそれに気づいて、インジゴの肩に優しく手を置いた。
「インジゴ、落ち着くんだ。深呼吸をして、自分を見失うな。」
「すいません。気がせいてしまって……」
「いつも以上に冷静になることを意識しよう。」
「はい。そうですね。」
2人が気持ちを新たにしていると、遠くの方から男たちの話声が聞こえてきた。
……来たか。
ニキルは目でインジゴに合図した。
インジゴは、ゆっくりとうなずいて、気づかれないように声が聞こえて来る方向を目視した。
すると、通りの両脇に並んでいる建物から漏れる薄明かりに照らされて、5、6人の男たちが談笑しながらこちらに向かって歩いて来ていることが判った。
「恐らくアンシュたちだと思います。」
インジゴは小声で報告した。
「ここを通り過ぎるまで、このまま待機だ。」
「はい。」
男たちの雑談する声が徐々に鮮明になってきて、手が届くところまで近づいて来ていることが分かった。
シーラの仇がすぐそこにいる……
ニキルは、『招杜羅青龍』を抜くと、いつでも飛び出せるように態勢を低くした。
インジゴも態勢を低くして、『波夷羅黄龍』を構えた。
間もなく、男たちはニキルとインジゴの目の前を談笑しながら通り過ぎて行った。
最後に通り過ぎた細身の男は、似つかわしくない大型の鉾を手にしていた。
あれがアンシュか……
手にしているのは『羅刹黒鯨』。間違いなさそうだ。
「行くぞっ!」
ニキルは小声で鋭く叫ぶと路地から勢いよく飛び出した。
インジコも続いて飛び出すと、男たちの行く手を阻むように立ちはだかって、『波夷羅黄龍』を下段に構えた。
『波夷羅黄龍』の刀身は、闇の中に黄色く光を放って、インジゴの足元を照らしていた。
一方のニキルは、最後尾を歩いていた男に声をかけた。
「驚かせてしまったようだが、君の名前はアンシュで間違いないか?」
「……ええ。アンシュは僕ですが、あなたはどなたですか?」
アンシュは動じることなく応じた。
「……私はニキル。
そして、向こうにいるのはインジゴだ。」
その言葉を聞いた瞬間、アンシュは血の気が引いてその場に倒れそうになったが、必死に平静を装った。
アンシュの部下たちは、ニキルが正体を明かした途端、動揺してざわついた。
「ど、どうして、ラーマの麒麟の副官と隊長がここに……」
アンシュのお調子者の部下が震える声で言った。
「君たちは近衛兵に間違いないな?」
インジゴは、下段の構えのまま、微動だにせずに訊いた。
「ご覧のとおり、今の僕の小隊は、僕以外丸腰なんです。
飲みに行く途中だったので……」
アンシュが部下に代わって答えた。
「一つお願いがあるのですが、部下たちは解放してくれませんか?
あなた方にとって近衛兵は、すべからくレジスタンスの対象なんでしょうが、狙いは僕ですよね?
……そうかぁ。
……あなたが副官のニキル。
本来であれば、もっと早くお会いしていたはずでした。
初めまして、アンシュです。」
そう言うと、アンシュは『羅刹黒鯨』を構えた。
よりによって、こんな時に……
神様、誕生日なのに冗談がキツイよ。
新月だからって、何の関係も無かったな。
でも、この状況、第3師団の小隊長として、引くに引けないでしょ……
インジゴは、下段に構えている『波夷羅黄龍』の切っ先を右側に動かして、アンシュの部下たちが通りの端にはけるように促した。
アンシュの部下たちは、インジゴの動作に呼応するように、ニキルやインジゴから慌てて距離を取った。
部下がその場から離れたために、アンシュはニキルとインジゴに挟まれるように対峙した。
ニキルが『招杜羅青龍』を中段に構えると、その切っ先はほのかに青く輝き始めた。
インジゴは『波夷羅黄龍』を下段に構えたままだった。
「貴様が母の仇のアンシュか?その借りは今ここで返させてもらう。」
アンシュはニキルとインジゴを交互に見据えた。
この2人と同時に戦う時の対策は持ち合わせていないな……
さぁて、どうする?
圧倒的に不利だな……
仕掛けてくるのを待つか……
こちらから仕掛けるか……仕掛けるなら、どっちに仕掛ける?
でも、この2人に先手必勝は通用しないよね。
先ずは、通りで挟まれているこの状況を打開しないと……
ニキルとインジゴはじりじりとアンシュとの間合いを詰め始めた。
ニキルは、左手を上げてインジゴに合図をすると、『招杜羅青龍』を下段に構え直した。
この暗い中、その大型の『羅刹黒鯨』で下からの剣を防ぐことが出来るか?
インジゴも下段に構えた『波夷羅黄龍』を握り直した。
前後から間合いを詰められているアンシュは苦笑した。
行くも地獄、引くも地獄か……
……戦う前なのに、なんか、勝てる気がしない……
奇跡があるなら、この新月の夜に起きてくれっ!
今夜だけは、生き延びさせてくれ……
「インジゴッ!待機だっ!」
ニキルは、インジゴに向かって叫ぶと、アンシュに向かって踏み出そうとした。
と、その時。
ニキルの背後から野太くて低い声が響いてきた。
「お前ら、2対1は可哀そうだろう。」
地の底から鳴り響いているような声だった。
「何っ?」
その野獣の唸り声のような声にニキルは動きを止めて、その声の方に振り向いた。
すると、暗闇の中に星空を背にして、人とは思えない程の大男が立っていた。
「あれ、俺たちと同じ人間か?」
インジゴは、目を皿のように見開いて、思わず声を漏らした。
うん?
アンシュもその大男を見上げた。
確かに、同じ人間とは思えないな……一体何なんだ、この怪物?
まぁ、怪物だろうが、野獣だろうが、何でもいい。こちらに敵意が無いことは確かなようだ。
こいつがこの状況を引っ掻き回してくれれば御の字だ。
これって……まさか新月の奇跡かな?
アンシュにとっては、まさに暗闇の中に一筋の光明が差したような気がした。
その大男は、岩のようにがっしりとした身体の上に、えらの張った四角い顔が乗っていた。
そして、白髪交じりの長髪を後ろで束ねていた。
「誰だ?
すまんが、関係のない者は邪魔をしないでもらいたい。」
ニキルは冷静に言った。
「ラーマの麒麟だろ?関係なくはねぇ。」
大男がニキルを見下ろした。
「近衛兵かっ?」
後ろからインジゴが叫んだ。
「俺か?……俺はセスだ。」
「……何っ?セスって……まさか……あのセスかっ?生きていたのか?」
ニキルは耳を疑った。
その瞬間、巨大な金砕棒がニキルに向かって振り下ろされた。
最後までお読みいただき、ありがとうございました。
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