母という存在
エドアルドはサンディを浴場の入り口まで運ぶと、マリンと付き添いを交代した。
マリンはサンディと大して変わらぬほど小柄だが、あのウィップの使い方を見る限り、腕力は申し分ない。いや、なんなら自分など遥かに上回っているだろう。
マリンに支えられながら浴場に入っていくサンディを、エドアルドは安心して見送った。
黒妖精と白妖精は去り、その他の面々は皆でリビングへ集まっていた。そこにサンディの付き添いを終えたエドアルドが戻ると、突然テレシアが床に這って頭を下げた。
「この度、皆様にご迷惑をおかけした事、本当に申し訳ございません。私だけでなく、レオンに対しても多大な御恩のある皆様に、酷い仇でお返しした事になり、本当に心苦しく思っております。皆様の望む通りの罰を私がお受けいたします。どうか、どうか何なりとお申し付け下さいませ!」
「母さん、悪いのは僕も同じだ! みんな、本当に今回の事は申し訳ありませんでした! 僕がもっとしっかりしてれば、サンディもあんなに傷つくことは無かったんだ。母さんは何も知らなかったんです。罰は僕も受けます! どうか何なりと……」
レオンもテレシアと並んで床に這い、頭を下げる。
「何なりとかい。重い言葉を、簡単に言ってくれるねえ」
グレンダの抑揚の無い言葉が、場の空気を凍らせた。
「まず、屋敷の守り神、精霊の大樹は枯れ果てた。そして森林自体はなんとか維持できたものの、全体の精霊力は格段に落ちてしまっている。ここからまた以前のように戻すのは、正直至難の技だよ」
「婆さん……」
ロムスの呼びかけを無視し、グレンダは続ける。
「エドアルド殿。今回の件は、どうしたら防げたと思うね?」
グレンダの抑揚のない声で突然振られ、エドアルドは緊張した面持ちで答える。
「予防という意味であれば、今回は全面的に私の手落ちです」
テレシアとレオンは、えっ? という顔でエドアルドを見た。
「そもそも、テレシア殿が魔樹の種を植え付けられたのは神殿での事でしょう。それはおそらく、私達がこの屋敷に向けて出発した前日……新月の晩の事だと思われます。いくら私が精霊士として信頼されていても、女性の寝室に詰める事はできません。それを狙い、おそらく高位の咎人……知性と理性、そしてそれなりの能力を持った者が侵入し、種を植え付けたと推測します。そして、そうであればテレシア殿には防衛する手段はありませんし、レオン君はその場にすらいないのですから罰など論外です。唯一それを察知し防げる可能性があるとしたら……この私しかおりません」
エドアルドは拳を握りしめ、口惜しげに言った。
「此度の件で魔女殿からの罰を受けるのは、無能な精霊士、私、エドアルドが最適でしょう」
「おいおいちょっと待てよ。それなら俺だって結界通過で感じた違和感を無視してた、っていう罪があるぜ」
ロムスも参戦し『俺が俺が』となりつつある中、グレンダが軽く手を挙げると皆黙った。
「――私も結局、森の魔女という立場でありながら、決定打を打てなかった。本来であれば、魔樹に誰が入っていようが、即座に息の根を止める事が出来なければダメなのさ。でも私には、どうしてもそれが出来なかった」
テーブルに肘を付き、軽く握った右手に額を当てて、グレンダは俯いたまま続ける。
「皆の力に頼って甘えて、結局一番やらかしたのは私だよ。だから……だから皆、そんなに謝らないでくれないか」
──コンコン
沈黙で満たされた重い空気の中、ノックが響いた。
「マリン、戻りました~」
「お入り。早かったね。サンディは大丈夫なのかい?」
グレンダはさっと顔を上げて尋ねると、マリンはコクリと頷いた。
「少しまだ足元がふらついていますけど、殆ど自分で出来ていますね~。今は部屋で休ませています~」
「そうかい、良かった。もし食欲があるようなら一緒に準備してやっておくれ」
「はい、勿論です~。あのぉ……」
「どうしたんだい?」
マリンはちょっと下を向き、モジモジしている。
「あの、今のお話、その、聞こえちゃってまして~。ごめんなさい……」
「マリン、謝る事なんて何もないんだよ。この屋敷の事で、お前に隠す事なんて何一つ無いんだからね。さあ、お掛けなさい」
グレンダは自分の隣をポンポンと叩いて、マリンを座らせた。
「それで、大体話は聞いたのかい?」
グレンダの問いに、マリンは黙って頷く。
「じゃあ話は早いね。それでは次代の魔女として、マリンの意見を聞かせてくれないか」
マリンはハッと顔をあげてグレンダを見た。その後すぐ困ったように下唇を噛み、目線が泳ぐ。
「マリン、ちょっといいか?」
マリンが顔を上げると、ロムスと目が合った。
「マリンは今回の魔樹退治において、最大の功労者と言っても過言じゃねえ。それに森の未来を背負ってるのは正真正銘、マリン、お前だ。今回の俺たちの不始末、どうけじめを付けたら良いか、遠慮なく言ってくれ」
エドアルドは小さく頷き、レオンとテレシアは、床に座ったままじっとマリンを見つめている。
うーん、と小さく声を出した後、マリンは皆を見て話しだした。
「では、皆さんにお聞きしたいのですけど~、この中の誰かが夕食のスープのお鍋をうっかり落として全部ダメにしてしまったら、どうなさいますか~?」
マリンの問いに対し、グレンダはさっと目を伏せて口元を手で隠した。ロムスは目を瞑って腕を組み、上を向く。
他の皆はマリンの意外な質問に対して、少し驚いた表情をしている。
「えっと、まず協力して片付けるよ。もしその人が火傷なんてしてたら、急いで手当もしなきゃ」
レオンが第一声を放った。
「あと、すぐに代わりのスープを作らないといけませんわね」
テレシアが続く。
「多少遅れるかも知れませんが、皆で手分けして協力すれば十分夕食には間に合うんじゃ……」
エドアルドはそこまで言って、クスリと笑んだ。見ればグレンダもロムスも、口角が上がっているのを隠しきれないでいる。
「いやー、実にマリンらしい例えだな」
クククと笑いながらロムスが言うと、グレンダは心底愛おしそうにマリンの肩を抱いた。
しかしレオンとテレシアだけは、まだ少し不安そうな顔をしてマリンを見ている。
「レオン~、そしてテレシアさん。ここには『スープをこぼした人』を責める人なんて居ないんですよ~。勿論、二度とこぼさないように反省したり、対策したりするのは大切です~。でもこぼれちゃったスープはもうもとに戻りませんし、誰かのせいにしても新しいスープは出てこないので~。だから私は、落とした人を責める暇があるなら、その分皆で協力して前よりもっと美味しいスープを作り直したいです~!」
マリンはニッコリと笑んで言い切ると、テレシアは涙ぐみながら頭を下げた。
「マリンさん、本当に有難うございます」
「さあ、レオンもテレシアさんも、椅子の方に座っておくれ。終わった事より、これからの事を話し合おうじゃないか」
グレンダが声をかけて二人がソファーに戻ると、そこからは今後の事へと話題は移っていった。
***
最初、テレシアは王都に行って一人で生活をしたいと申し出た。目も見えるようになったことだし、今まで以上に裁縫もできる。レオンは自分の事など心配せず、屋敷で修行に励んで皆さんの御恩に報いなさいと言う。
テレシアが気を使って言っているのは、皆すぐにわかった。しかしレオンは今回のこともあってか、自分が力不足だったとわかっているからこそ、母を強く引き止める事が出来ず複雑な顔をしている。
「あの~テレシアさん? お裁縫が得意って言ってましたけど、どんな事ができますか~?」
「そうですね、私は刺繍が得意です。織り機があれば織物も作ります。以前、家族の服はすべて私が作っていました」
「テレシアさん、すごいじゃないですか~!」
マリンが目を輝かせた。
「あの~、私、お裁縫は苦手なんですよ~。刺繍なんて夢のまた夢ですし、必要に迫られて繕いをしていると、いつのまにか自分のスカートも一緒に縫ってたりしまして~……」
「──ぷっ」
絵面を想像したのか、レオンが噴き出した。
「こら、レオン! 失礼ですよ!!」
「いってぇぇぇ!」
レオンはテレシアのゲンコツを食らって、頭を抱えこむ。
「繕い物でしたら得意ですわ。何しろ我が家のやんちゃ坊主が、毎日のように服に穴を開けて帰ってきてましたからねえ」
レオンが頭を上げると、その場の全員がなんとも言えない複雑な笑顔で自分を見ている。
「テレシアさ~ん、レオンの子供の頃の話、もっと聞きたいです~」
「レオンの事だ、さぞやんちゃだったんでしょうなぁククク……」
「ええ、そりゃあもう。昔、狩りに出た夫の後を勝手に追って行って迷子になりましてね。村の皆さんが総出で探して下さったんです。でも結局、見つかったのは村を出てすぐの場所にある、堆肥を作る穴の中でしたわ。下半身が埋まって動けなくなったらしく、泣き疲れて寝てしまっていて。顔はぐしゃぐしゃだわ匂いは酷いわ、もう大変で――」
「――わああああああ! 母さんやめろっ!!」
自分の子供の頃の失敗を、母親から友達に暴露されるという猛烈な恥ずかしさ。レオンはこれを、生まれて初めて知ったのだった。
***
結局テレシアは皆に請われ、屋敷で一緒に生活する事になった。縫い物の腕前を買われたのもあるが、レオンの暴露話を期待する面々の後押しが、妙に強かった。
レオンは複雑な心境ではあったが、母と一緒に暮らせるというのは純粋に嬉しかったし何より安心だ。王都に母が一人でいたら、また何があるかわからない。レオンの知る限り、魔女の屋敷はそういう意味でも一番安全だ。
その晩の夕食の準備は、休んでいるサンディの代わりにテレシアが入って腕をふるった。
変化としてはサラダに使う野菜の飾り切りが一層華やかになり、肉料理の火加減がより絶妙になった。
マリンも料理は平均以上に上手なのだが、テレシアの肉料理は元々肉食である大山猫族だからこそのものだろう。
そんなテレシアも、サンディの考案した『ますたあど』を大絶賛した。山盛りの焼き野菜と鹿肉のローストに添えると、大量に作った料理はあっという間に皆の胃袋に消えていく。
ちなみに、サンディも皆と一緒に夕食を摂ることが出来た。まだ少々目眩が残っていたが食欲はあったし、それなりの量を食べることもできた。特に、テレシアの肉料理は本当に美味しい。それをサンディが本人に伝えると。
「褒めて下さってありがとうございます。でもサンディさんの場合は、きっと身体が欲しているんですよ。貧血気味なんですから、お肉はしっかり食べたほうがいいですわ。ただし、ゆっくりよく噛んでくださいね」
そう言ってにっこり微笑むテレシアさんは、まるでお姉さんのようだ。
ここはお母さんらしい、というべきなのかもしれないけど、サンディは母という存在をよく覚えていない。
前世の母の顔はもう忘れてしまった。でも病弱な自分のために一生懸命尽くしてくれた、という記憶はある。
そして、今世の母は全く覚えていない。でも、ブレスレットに込められた過保護なまでの愛は知っている。
目の前で動き微笑む母という存在を思い出せないが故に、テレシアさんを『お母さんみたい』と感じられない。それに気づいたサンディは、母の前で屈託なく笑うレオンを見て、ちょっとだけ羨ましく感じるのだった。
> 堆肥を作る穴
……要するに『肥溜め』です。





