森から海へ
ここは北の魔女の屋敷。精霊師であるエドアルドは、数多くある客間の一つを充てがわれていた。質素ではあるが清潔で手入れも行き届いており、居心地の良い部屋だ。
窓を開け外気を入れると、さすが精霊の森と呼ばれるだけあって、心地よい濃厚な森林の香りが鼻をくすぐる。魔樹の騒ぎがあったとはいえ、そこらの森とはやはり空気感が違う。
夜空を見上げれば、クリスタルの細石を盛大に零したかのような星空が広がっている。
(――おや?)
外から、澄んだ笛の音色が聞こえてくる。サンディは今晩は早めに休むようにと皆からしきりに言われていたはずだが、もしかしたら寝付けないのかもしれない。
サンディに治癒をかけた時、あまりに手応えが無い事に驚いた。と同時に、どれだけ力を注いでも見た目の変化が全く起きない事に焦り、自分の力がそのまま全て呑まれてしまうのではないかという恐怖すら感じた。
グレンダの特製ドリンクのおかげで何とかやり切ったが、自分一人だったら治療しきれなかったかもしれない。
寝付けないという事は、それだけ体調が良くなっているのだろう。ただ今は無理にでも横になっていて欲しいのだが。
そう思いながら大きめに息を吐いて机に腰掛けると、魔道ランプを手元に置いて弱く点灯する。
自身の水晶玉を台座にのせて窓際に置き、手持ちのシンプルな鞄からノートと筆記具を取り出して机に並べた。
そして頬杖を付き、玉の中に映り込む星々を眺めながら、今日一日の記憶を辿っていく。
まずは、天界王の勅命を果たした事に対する僅かな安堵と、その最悪な結果について。
大山猫族の母子を再会させ、王の言う通り『アレクサンドラ王女を救ってくれた事への恩に報いる』事はできた──が、その代償はあまりに大きかった。
サンディは重傷を負い、今も完調ではない。森も白、黒妖精のおかげでかなり力を取り戻したとはいえ、この森の豊かな精霊力は相当削られてしまったはずだ。
魔樹の種、あれは只の偶然か? それとも王の勅命を知った上でテレシアに仕掛けられた罠だったのか? 今の自分には正確な情報が足りなすぎて判断ができない。
そして今回初めて拝謁が叶った天界の王女、アレクサンドラ殿下。母マリエレッティ妃殿下によく似た、大変に可愛らしい少女であった。
そのサンディ様についても、いくつか気になる事がある。
まず驚いたのは、不調を訴えるロムスに対し『風邪を引いたのか』と尋ねた事だ。
妖精が地上人の病に罹らない事は、天界人であれば一般常識の範疇である。王女は天界での記憶を失っていると聞いてはいたが、いざそれを目の当たりにすると彼女をこの危険な地上に置いたままで良いのか? と疑問を感じてしまう。
次にロムスが無の力で身体を貫かれた事がある、と言う事実。
やむを得ぬ事故の結果というのは理解したが、そもそもサンディが黒、そして白妖精の加護を受けている事に心底驚愕した。白と黒の妖精。彼らは精霊王の側近中の側近だ。むしろ滅多に姿を現さぬ精霊王より、恐れられているかも知れない。
自分が地上の旅を始める前、首席で卒業した天界の高等学院では相当の研究を成していた。
書籍についても残存している記録は在るだけ全て何度も読み漁ったのだが、その全ての記録の中で『誰かが白黒妖精の加護を受けた』という記録は一切なかった。
それは天界王族であっても例外ではない。そのため自分は『白黒妖精は加護を与える事ができない』と、今まで思い込んでいたほどだ。
古の記録によれば、白黒の力は地上を満たしている四大精霊の力と全く異なる性質のものである。地上にただ在るだけで生物の意思や命には直接介入しない四大精霊の力と違い、白黒の力は生き物の生命力や意思、そして精神の根幹にまで介入するとても恐ろしい力だという。
(我が王がこの事を知らぬ訳がない。となると白黒の力を王女殿下に与えた上で、当分この地上に留めておく事は既定路線という事だろうか……)
しばし考え込んでいると、星屑を映していた水晶玉が中からふわりと光った。ハッとして見るとそこには燃えるような赤い髪を持ち、濃い琥珀色の瞳をした男が映る。
エドアルドは椅子から降りて跪ずいた。
「エドアルドよ、報告をせよ」
昨日の勅命に対する要求だという事はすぐに理解はしたが。
「本日無事に、大山猫族の母子を再会させるに至りました」
「そうか、ではアレク……いやサンディもさぞ満足したであろう」
我が王は大変に満足そうな笑顔だ。だがしかし、今からその喜びを片っ端からへし折らねばならぬ。
エドアルドは深く呼吸をした後、意を決して本日の顛末を報告した。
「なぜだ……」
「……」
しばらく黙った王はその後、クリスタルの画像から姿を消す。
――陛下、おやめくださいませ!
――きゃー!
水晶玉の向こう側で、明らかに騒ぎが起きている。ガラスの割れる音や、ばたばたと走り回る足音も聞こえていた。
エドアルドは俯いたまま考えた。
(このまま、水晶玉に布団を被せて寝てしまいたい……)
床を見つめながら精神的に逃避していると、再び名を呼ばれた。
「エドアルド!」
「はっ!」
赤髪の男が戻ってくると、その顔は既に何かを決断した顔だった。
「今宵、サンディをアヤナの元へ連れてゆく」
「今からでございますか!? しかしサン……いやアレクサンドラ殿下はまだお身体の具合が――」
「──エドアルドよ。今、サンディと言いかけたか?」
濃い琥珀色の瞳が、ギラリと光った気がする。
「こ、こちらの世界では皆平等なのでそう呼ぶように、と殿下御本人から仰せつかっております故、申し訳ございません」
別に悪いことはしていないはずなのだが、なぜか謝ってしまう。
「ふむ、まあ良い。今宵の挨拶の際、サンディは連れてゆく。お主は大山猫の少年を連れて、明日にでも一旦こちらに戻るといい」
「えっ? レオンも連れてゆくのですか?」
「先程の報告を聞く限り、少年はもっと強くなる必要がありそうだからな。では後で」
こちらの返事を聞かぬうちに赤髪の男は消え、水晶玉の中に再び星空が映り込む。
そこでエドアルドはやっと気がついた。サンディの笛の音が聴こえなくなっている事に。
***
夕食後、サンディは皆の勧めで早めに部屋に戻った。少しでも休もうと思いベッドに入ったものの、目が冴えてしまってどうも寝付けない。
(こういう時は、無理に寝ようとするより気分転換よね)
前世で入院生活を送っている時も、こういう夜は何度もあった。そんな夜はお手洗いに行くフリをして少し散歩したり、外の見える休憩エリアに行って過ごしたものだ。
ベッドから起き上がり、枕の下から黒妖精のサコッシュを取り出して肩から下げた。そのままベランダに出れば、空には満天の星空が広がっている。
うーん……
気持ちよく伸びると一瞬くらりとして、慌ててテーブルに手を付いた。
(まだ本調子には遠いかな……)
またここで皆に心配をかけるわけにはいかない。そう思いながら慎重に椅子に腰をかけ、笛を取り出した。がその時、今晩はまだブレスレットの石に挨拶をしていない事を思い出した。
(あっ! もしかしたら……ルーティンが終わっていないから眠れなかったのかも知れない)
サンディはサコッシュからブレスレットを取り出してテーブルに置いた。五年前に黒妖精を通じて請われて以来、ブレスレットに対して就寝前の挨拶を忘れた事は無いが、流石に今晩は疲れていたのかもしれない。
サンディは挨拶を忘れていたお詫びも兼ねて、今晩は笛の音を聞いてもらおうと思った。
いつも通り、笛に息を吹き込めば高く澄んだ音色が森に響いていく。
今日は、精霊達にとっても災難な一日だったに違いない。この笛の音で、精霊達が少しでも安らいでくれるといいんだけど。そう願いながら、続けて二曲奏でた。
笛を下ろして一息つくと、ブレスレットに付いている青紫の石がふんわりと光ったような気がした。
(もしかしてお母さん、聞いてくれてるのかしら?)
ブレスレットを手に取り、青紫の石をよく見た。しかしまったく変わりはない。光ったように見えたのはやはり気のせいか。そう思ってテーブルにまた置こうとしたその時、今度は琥珀色の石が突如閃光を放った。
──!?
目に刺さる光に思わず目をつむる。そして、恐る恐る薄目を開くと。
──ザザーン
(……は??)
サンディの目の前には突如、白い砂浜と広大な海が広がっていた。





