お見送りと遊飛行
深い森の中、グレーの馬二頭が引く大きな荷馬車がゆっくりと山道を進んでいる。
「……ふぅ。やっと逃げ出せたな」
鳶色の髪をもった長身の青年――ロムスは御者台で独り言のように呟いた。
訓練時の事故から一週間が経った。
ロムスは今朝屋敷を出発し、今は王都に向かって森の中を移動している。荷台からはいつも通りカチャ……カチャと割れ物の音が微かに聞こえていた。
今回は思いがけず滞在が伸びてしまった。その遅れを取り戻す為、いつもの二割増しで荷物を積み込んである。
黒妖精からは全治一ヶ月と言われていたのに、ものの一週間で回復してしまった。これはひとえにサンディが奏でる笛と精霊たちのおかげだ。だが『それにしても回復が早すぎる』と言って、屋敷の皆は過保護なまでに心配している。
「……本当にもう大丈夫なんだね?」
「ああ、この通り完全復活だぜ!」
大きくバンザイをしたあと、力こぶを作って見せた。更にはひらりと大げさに御者台に飛び乗ってみせたりして、なるべく皆の心配を和らげようと努力はした。
それでも皆ががしつこく心配し続けるので『またすぐ戻ってくるぜ!』と言い切り、ロムスは半ば逃げるように出発してきたのだ。
屋敷を出てそろそろ一時間程経つ。間もなく魔女の結界を抜け、そこから更に三十分程進めばようやく森を抜けて街道に出られる。
いつもより積荷がやや多めの上、今は中身が入っているからと慎重に馬を歩ませていると……。
(ロムスー!)(ピーーイッ)
(……?)
今嬢ちゃんの声が聴こえたような気がしたが……そんなわけないな。俺も魔女の屋敷に長居しすぎてヤキが回ったのか……。
「ロムスー!」
「ピーーイッ!」
いや、幻聴じゃない! ハッと振り返って幌の後ろを覗き込むと、馬車を進めてきた林道の奥からサンディ……と小さな猛禽が猛スピードで飛行しつつ追って来ているではないか。
あの小さな猛禽はレオンだろう。二人は速度を落とさぬまま木々の間を自在にすり抜ける。それはまるで悪戯好きな風精霊たちが遊んでいるかのようだ。その上サンディは満面の笑みだ。
(まったく……どんだけ楽しいんだよ)
ロムスは思わず笑ってしまった。それでも久しぶりに見た屈託のない笑顔が嬉しくて……ちょっとだけ鼻の奥が熱くなる。
「やっほーう!」
「ピィーッ」
「お前ら、こんな所まで来て! 婆さんに叱られるぞ!」
言葉とは裏腹に笑いながらそう言うと、サンディはケラケラと笑いながらふわりとロムスの隣に座った。逆側の端には猛禽がバサリと羽音を立てて止まる。
このまま馬車を進ませていると、間もなく結界を出てしまう。ロムスは馬の歩みを一旦留めた。
「二人共どうしたんだ? もうすぐ結界を出ちまうぞ、危ないじゃないか」
「うん、結界を出る前にどうしても追いつきたくて急いで飛んできたの!」
ロムスは左手で手綱を持ったまま、右手で猛禽の頭をカキカキしてやる。
「ピィ……」
レオンはこのカキカキが大好きらしい。そのまま手を止めずにサンディに尋ねる。
「そうか、で……何かあったのか?」
もしかしたらこの少女は、まだあの事故の件で何か心に留めている事があるのかも知れない。もしそうなら今のうちに全部吐き出させて……。
「あのね、ロムスにお願いがあるの!」
「お願い? なんか欲しい物でもあるのか?」
「うん! あのね、マリン用にもっと強い鞭があったらいいなって思って……」
「ピィ」
ああ、たぶんこれはレオンが願っているんだろう。しかしグレンダからも既に同じ依頼をされているのだが……。
「――ああわかった。とびきり強いやつを探してきてやるよ!」
「わあ、ありがとう!」
「ピィッ!!」
「よし二人共、もう帰りな。婆さんが心配するぞ」
「うん!」
「ここはもう結界スレスレだ……ほら、あの先に二本向かい合って並ぶ大樹があるだろう。結界はあそこで終わる。帰るときもあの先には行かないように気をつけるんだぜ」
「ピ……」
「ああ、レオンには結界は関係ないか。いや、でもちゃんとサンディを守って屋敷まで行くんだぞ。頼んだぜ」
「ピィッ!」
任せろと言わんばかりに鋭く一鳴きすると、小さな猛禽は羽を広げた。
バサリと風を打って勢いよく飛び立つと、あっという間に木々の間を抜ける。枝葉の間から、遥か上空を旋回している様子が見えていた。
「さあ、サンディもそろそろ帰りな」
「うん……あの……」
「なんだ、まだ何かあるのか?」
極力優しく尋ねた。
「これ、持って行って」
サンディのポケットから出てきた小瓶には、屋敷で散々ハマった『ますたあど』がみっちり詰まっている。
「おお! こりゃありがてえ!」
思わず本音が溢れた。
「これは保存が効くから途中で悪くなる心配もないわ。お肉に付けても美味しいから使ってね。……あと、これも」
渡された紙を見ると『ますたあど』と『甘いミルクソース』のレシピだった。
「ロムスなら、これを使ってお金儲けが出来るんでしょ? 『まよソース』みたいに。だからこれも使って、今度はマリンの武器代の足しにして欲しいの」
心遣いは勿論、その機転と発想に驚いた。
以前から薄々感じてはいたが、サンディはとても普通の子供とは思えなかった。言葉遣いは大人びているし、その他の立ち回りも含めて良くも悪くも幼稚さが無いのだ。これは天界人の特性か、或いは王族の教育故かと思っていたが……もしかしたらそういうレベルの話では無いのかも知れない。
「……ああ、こいつは確かに預かった。ガッツリ儲けていい武器探してくるぜ!」
「ありがとう、ロムス」
ここでやっとサンディは年相応の可愛らしい笑顔をみせた。
「サンディ、ちなみに前回預かった『まよソース』のレシピだがな。根回しは済ませておいたからその結果はこれから王都に行けばわかる。もし大儲けが成功してたら何か欲しい物は無いのか? 可愛い服とか、美味いもんとか……」
そう聞かれ、サンディは少し考える風に小首を傾げる。
「……ううん、私は何も要らないわ。だって屋敷にいれば足りないものは何もないもの。……ああそうだ、グレンダのお酒をちょっと良いものにしてあげられたら喜んでくれるかな。あとレオンは弓以外も覚えたいって言ってたから、ロムスが何か選んであげてくれたら嬉しいな」
――屈託のない笑みでそう言われると、ロムスはそれを了承するしかなかった。
「ピーーイッ!」
上空で猛禽の鋭い鳴き声が響いた。
「あっ、レオンが待ちくたびれてるみたい。じゃあそろそろ行くね!」
「ああ、気をつけて帰れよ。結界の外に出るんじゃないぞ!」
「うん! ロムスも気をつけてね。絶対無理しちゃだめだよ?」
「ああ、本当にもう大丈夫だ。……またすぐ戻るから、元気にして待ってろよ」
サンディはトンと御者台を蹴ると、ふわりと宙に浮く。
「ロムス、またね!」
天使は自分に手を振りながら空に戻って行った。
「……さて、と」
御者台にしっかりと座り直し、手綱を軽く振る
「はっ!」
荷馬車は再び小さくカチャカチャと音を立てながらゆっくりと進み始める。結界を抜けるのが遅れること約十分くらいか。……このくらいなら婆さんも、そんなに心配せずに済むだろう。
今回は受注が山盛りだ。王都での買い物では少々骨が折れそうだ。そう思いながらもロムスはそれが楽しみで仕方なかった。
***
サンディと猛禽は結界の縁に近い、一番背の高い木の天辺にいた。ゆっくりと森を出ていく荷馬車が見えると、安心したように顔を見合わせる。
「じゃあそろそろ帰ろうっか」
「ピィ!」
二人は森の上空を遊ぶように飛び回りながら、屋敷に向かって帰っていく。そんな二人の周囲には無数の精霊達が渦巻いているのだが、本人たちにはそれが視えていない。
只々自由な風を感じながら、精霊達との遊飛行を楽しむ二人だった。
こちらで第一章の完結となります。
次章は少し時間が進んだ先のお話となります。
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