番外編 魔女と鷹の子供たちの出会い
商人の国──ミモスナージャ
世界各国の商人たちが、所狭しと並べる露店の大通りと違う。洋服やアクセサリーが並んだ、やや怪しげな路地とも違う。
それは蛇の這う道、ネズミの通る穴のように狭く、薄暗い。知る人しか知らぬ、入り組んだ路地の向こうに、それはあった。
いくつもの檻が並び、檻の上に腰掛けてタバコを吸う商人。売っているのは動物だろうか? いや、人間だ。
小さな子供から、年老いた者まで幅広く、その価値も、銅貨三枚から金貨千枚と、バラつきがある。
その檻のひとつに、彼らはいた。
姉メイヴィスと弟モーリス。
鷹の獣人のクウォーターであり、半獣人族には珍しい姉弟だ。
黒と銀、髪の色は全く違うが同じ褐色の肌に、よく似た顔立ち。遠くまで見渡す赤い双眸は、『千里眼』と言っても過言ではない。
だがモーリスは、右目が潰れていた。
商人の暇潰しで目を潰されたのだ。
人買いは、知る人しか知らない商売。まして金で人を買えるなんて、貴族や富豪の娯楽に過ぎない。
彼らは暇を持て余していた。
モーリスの右目は腐り、悪臭を放ち、ウジが湧き始めている。
メイヴィスは半泣きで、モーリスの顔を這うウジを払い、ぐったりとするモーリスを抱きしめた。熱を帯び、汗ばんだモーリスは、浅く息をしていた。もう痛がることも、メイヴィスの名前を呼ぶことも出来なくなっている。もう息をする体力もないだろうに、モーリスは生きようと必死に息をして、心臓を動かしていた。
メイヴィスは、自分たちに付けられた値札を見た。
自分に付けられた値札は三千金貨。対するモーリスは元はメイヴィスと同じ金額だったのに、今は二十金貨だ。
生き長らえないと知ったその時、商人が書き換えたのだ。
半獣人族の身体は貴重だ。死んでも高い金を払うだけの価値がある。まだ五歳になったばかりのメイヴィスですら、その事実を知っていた。
「しっかりしな。モーリス」
商人に聞かれないように、メイヴィスはモーリスの背中をさすり、励ました。けれど、モーリスから返事は来ない。メイヴィスはモーリスの背中をさすり続ける。
ふと檻の中に人影が入り込む。体をすっぽりと隠していて、男か女かも分からない。商人とは、小声で話をしている。だが、商人に対して不遜な態度を取っているのだけは分かった。
メイヴィスは、モーリスに声をかけ続ける。
「あたしが必ず、治してみせるよ。モーリス、だから死なないで。ここから出られるのなら」
商人が乱暴に檻を叩く。
音に肩を震わせて、メイヴィスはモーリスを更に抱きしめた。モーリスはもう力の入らない腕を、メイヴィスの背中に回す。
「······メイヴィス、僕············怖いよ」
モーリスの最後の言葉。モーリスは目を閉じようとしていた。
メイヴィスは「しっかりして」と、モーリスの背中を叩く。
「ここから出られるのなら、あたし。──魔女に魂を売ってもいい」
「──それは本当か?」
メイヴィスが驚いて檻の外を見る。
そこには、しゃがんで頬杖をつき、つまらなさそうにこちら見つめる男がいた。黒い髪に赤いメッシュ。濃紺の目は、真っ直ぐにメイヴィスたちを見つめている。藤色のローブの隙間から、黒いワンピースのような服が見えた。
メイヴィスは男の持つオーラに体が震えた。
「──『魔女』?」
「ああそうだ。ひと目で見抜いたのはお前が初めてだ」
もしも、この男について行けば、取り返しのつかないことになる、と直感していた。
けれど、モーリスの命と自分の今後を天秤にかけた時、どちらが重いかなんてメイヴィスには分かりきっている。
「······あたしとモーリスを買って。ここから出してちょうだい」
「ほほう、この俺様に指図をするのか。小便臭い餓鬼風情が」
「モーリスを助けてくれたら、あたし何でもするわ」
「は、お前に何の価値が」
男はそこまで言いかけると、メイヴィスの継ぎ接ぎの服を掴み、思い切り引き寄せる。そしてメイヴィスの顔をガシッと掴み、赤い目をじっと見つめた。
「──お前、鷹の獣人か」
「いた、痛い」
「いや、半獣人族······もっと薄い。四分の一か。ちょっと足が早いくらいのお前たちに何が出来る」
メイヴィスは苛立ち、男のローブを掴み、檻に引き寄せた。
「あたしはね、あんたが思うよりも強いよ。目だって、ここから大通りの向こう側まで見えるんだ」
今のメイヴィスはこのまま、男の喉を噛みちぎる勢いだった。男は目を見開き、面白そうにメイヴィスを見つめる。
男の手を掴むメイヴィスの手を、商人が鞭で叩いた。メイヴィスがで引っ込めると、男は小声で言う。
「おい。弟を助けるなら、お前は魂を差し出せるのか?」
メイヴィスの腫れた手を、男が強く掴んでいる。
メイヴィスの腕の中で、ついにモーリスが力尽きた。辛うじて息はあるが、それもそろそろ止まるだろう。
メイヴィスは焦りと不安と、恐怖の中で男に言った。
「──何だってあげる」
男はそれを聞くと、「良いだろう」と笑った。
「ならお前は、俺様の『弟』になれ。他人の手助けなんざ、大金を積まれてもお断りだが、『弟』なら話は別だからな」
男は右手の親指にアメジストの指輪、中指にガーネットの指輪とアクアマリンの指輪をはめると、ガラスの棒を出す。それを、商人に向けて縦に振ると、商人は鶏に変わった。男は鶏の尻を蹴り飛ばすと、指輪を外して翡翠のバングルとトパーズのブレスレットにつけかける。
ガラスの棒で右の角を二回、左の角を五回叩くと、檻は砂金に変わって崩れ落ちた。
男が杖を、頭上で一回くるんと回すと、砂金が風に舞い、周りの檻に付着し、同じ砂金に変えていく。
男はメイヴィスの手を取り、立ち上がらせる。メイヴィスから引き離したモーリスを、片手に抱えた。
「お前の名前は? 『鷹の子供』」
「──メイヴィス。弟は、モーリス」
「そうか、メイヴィスと言うのか」
メイヴィスは男を見上げる。
男はガラスの棒の先を、モーリスの額に押し当てる。モーリスの目に湧いていたウジは消え、代わりに清潔なガーゼが被さった。
次に、男はモーリスの喉と、腹にガラスの棒を当てる。血色の悪かったモーリスの顔に赤みが戻り、さっきよりも楽そうな呼吸音が聞こえてきた。
「ここは少々場所が悪い。俺様の森に行くぞ」
男はそう言って、メイヴィスの手を握る。
手を引かれ、隠れるように路地を走ると、その先には四十歳くらいの男がいた。
「ああ、兄さん。早くしてくれ。さっき駐留の騎士に話しかけられたんだ」
「悪いことをしているんじゃないんだ。堂々としていろ。オルテッド、帰るぞ」
「はいはい。本当に人遣いの荒い······」
オルテッドと呼ばれた男は、靴のつま先で地面を三回叩く。
男と共に骨組みのままの露店へと進むと、目の前はごちゃごちゃとした店先とは違い、広々とした野原が広がっていた。
遅れてオルテッドがやって来て、男はオルテッドにモーリスを預ける。
「洗え。こいつ汚い」
「兄さんの口の悪さよりはマシだ」
オルテッドは呆れながらも、モーリスを家へと連れていく。
メイヴィスは男を見上げた。
「あの人、オルテッドさんも、あんたの弟?」
「ああそうだ。弟の中では最年長だぞ。俺様同様、敬意を払え。お前もオルテッドの家に行くぞ。臭いからな」
「······あんたの名前は? 『兄さん』」
メイヴィスは尋ねた。
男は、悪役っぽい笑みを浮かべた。
「俺様は、ナディアキスタ・ロジャー。ようこそ、魔女の森へ」
ナディアキスタはメイヴィスを連れてオルテッドの家へと歩く。
途中、メイヴィスの値札に気づいたナディアキスタが、トルマリンの腕輪をつけて、値札に触る。値札は小さな花びらになって散っていく。
「······命に値段を付けるのは馬鹿げている。そうは思わないか?」
ナディアキスタの問いかけに、メイヴィスはようやく声を上げて泣いた。
ナディアキスタはメイヴィスを抱き抱えて森を歩く。しゃくりをあげるメイヴィスの背中を優しく擦りながら、「よく我慢したな」と声をかけた。
メイヴィスはしばらくナディアキスタから離れなかった。
オルテッドにはしばらく悪口を疑われた。