サンデイモーニング
土曜日の昼過ぎ、究道さんとのドラムンベース特訓を終えて、フラフラになって家に帰ってきた僕であった。
金曜の夜にシズ子の家に行ってから、夜明けを迎え、そして昼まで。大音量のベースを体に感じながら、様々な曲を様々に繋ぎつづけ——倒れる寸前まで疲れ果ててから、やっとそれを終えることができたのだった。
それは厳しくも楽しい、とても勉強になった訓練であった。
究道さんは、最高の先生であった。究道さんは、言葉は少なかったが、音で僕を適切に導いてくれるのであった。
僕のまだまだ雑だったり、逆に弱気で手堅過ぎたりする曲の繋ぎに、究道さんは、リアルタイムで音響を操作して、僕が作り出すべきだった音の理想形に変形させる。手本を見せるのだった。
そして、じゃあ、僕が、その手本に自分のミックスを近づけようとすると、今度は音響を逆に揺らして、それに対応できなかった、僕は動揺して、次の曲への繋ぎが手堅く——つまらないミックスになってしまうと、
「現場では、理想的な音響がいつまでも続くとは限らない。いつPAの調子が悪くなるか分からない。それに、場の雰囲気——観客の感情なんかだってころころと変わってしまう、求められる音はころころと変ってしまう。君は、それに瞬時に対応するだけではいけない、それを越えて、むしろ好機としてプレイを変えていかなければならない。君はハプニングも含めた、状況と対話をしながら物語を作っていかなければならない」
究道さんは音を止め、厳しい、しかし心底僕のことを考えて言ってくれていりことが分かる真摯な表情で僕に言うのだった。
僕は、そんな究道さんの「かわいがり」に必死でついて行った。一晩中、ミックスを続けた。
それは、楽しくも、疲れる一夜であった。
それは自分の実力に落胆したり、ひどく神経を使ったりの精神的なものから、ずっと立ちっぱなしで、リズムをとるために体をずっと動かし続けたとかの体力的なものもあるが、そもそも、特訓をした場所——ラボは、ものすごい音量、いや、音圧であった。
それが、僕にはかなり堪えていたのだった。体が震えるどころでは無い、押しつぶされてしまうのではないかと思うほどの強烈な音だった。そんな中にずっといると、僕はだんだんと体が痺れて来るように思えたのだった。体の中がうねるベースによりかき回されくらくらとした。乗り物酔いの時みたいな感覚が現れてきた。
僕は、ベースに押しつぶされ、それに耐え続けるうちに、倒れてしまいそうなくらいに疲労してしまってきていたのだった。
だが、これでないとだめなのだと究道さんは言っていた。ベースを歌わせるためには、ドラムンベースのフローを体得するためには、この音圧に包まれなければならないのだと、さらに音量を上げながら究道さんはインカム経由で僕に伝えて来るのだった。
そして、僕はその言われるままに従い、ベースを歌わせる、そんなミックスを目指して夜明けまでプレイを続け……
「うん、なんぼが形になってきだな。もう少しだべ」
渾身の出来のミックスがをしたと思ったものが、ニコニコとした究道さんにやんわりとまだダメ出しをされて……
なんとか合格点をもらった時には、もう昼も過ぎ、帰りのリムジンに乗った時にはもう半ば意識も失いかけていて……
*
「カケル、いい加減目をさましなさいよ」
「はい?」
薄っすらと目を開けてみると、僕の目の前にはコン子の顔。
「まったく、結局あのままずっと寝てしまってたのね。制服も着たままじゃない。寝苦しくないのそんな格好で……」
「うん?」
僕は次第にはっきりと見え始めた周りの様子に、今自分はリビング横の和室の畳の上に直接寝転がっていることに気づくのだった。
「それに畳に直接寝てたら体痛いでしょ」
「あれ……?」
なんで僕はこんなところに?
「昨日、舞ちゃんと私で二階に引っ張っていこうとしたけど、カケルは玄関に突っ伏したままテコでも動かないから、ここまでひきづってくるのがやっとの事だったのよね……」
えっ? 昨日?
「まさかそのままここで一晩寝てるとは思わなかったわ」
「一晩?」
僕は、窓の外がすっかりと明るくなっているのに気づいた。帰って来たのは昼過ぎ、午後二時は回っていなかったと思うから、それから寝てしまっていたとしたら僕は何時間寝てしまっていたんだろう。
「もう朝の9時よ。20時間くらい寝てたんじゃないカケル」
「えっ、もう日曜?」
「そうよ。あたりまえじゃない。昼に寝てまた明るくなっているのだから次の日よね。——月曜になってて週末潰したこと悔やまないだけ良いじゃない?」
「うん……そうだけど……」
なんだか、ひどく疲れ果て、眠りが深過ぎて、一瞬前のことにしか思えなかったのに、もうそんなに時間が経ってしまっていたのだった。まるでタイムスリップか何かのようだった。僕は、いつのまにか時間が経ってしまっていたことに、なんだかまだピンとこなくてキョトンとした気持ちであったのだが、
「ともかく、起きれるんならもう起きたら、朝食も作ってあげるから。あと汗臭いからシャワーも浴びて来て」
言われて僕は自分がずいぶんと空腹なのに気づくと、腹がグーっとなった。
「——やっぱり食事先の方が良い?」
「いや……」
それも言われてみれば、制服のワイシャツの首回りとか、特訓の間にかいた冷や汗のせいでベトベトで気持ち悪い。確かに、腹も減っているが、それよりも体をさっぱりさせたい気持ちが強い。
だから、
「シャワー浴びて来るよ……」
と僕は言うと、
「じゃあその間食事作っておくから。あと……」
「……あと? なんと言うか……」
「……何?」
「それは……あれ……それは……」
なんだか神妙な顔をしながら、言葉が進まないコン子。
「…………?」
なので、こいつは何を言い辛そうにしてるのだと、僕が不審な表情を浮かべると、
「もうスマホ見たりしないから、ごめんね。へんな心配しなくて良いからね」
「…………うん?」
と木曜の夜に僕が風呂に入っている間に、スマホを覗き見したことを謝まって、今日はそんなことはしないと言うのだった。
…………なんだ?
僕はコン子の言葉に、なんだか不自然なものを感じた。
確かに、金曜日にスマホを盗み見されたことを随分文句言ったし、やっぱり親しき中にもそれは一線超えた行為だと思うので、僕はそんなことをそのままされている気はない(もう指紋認証に設定変更したし)。
でも、こいつは、そんなことで諦める奴ではないのだ。
僕は、自分が庇護する対象だと思ってるので、無理やり脅しても、泣き落としをしてでも、僕の行動を管理したいと思うはずなのだった。
なんだか、今、あえてそんなことを言って来たコン子は、いつものハイテンションさに少し翳りがあった。彼女にしては珍しい、微妙に憂いを浮かべたようなその表情に、僕は少しひっかかるものを感じたのだった。
それは——きっとあれだ。僕は思い至る。コン子はなにか思うところがあって、僕にそれを言い出そうと思っているが、迷っているのでは? 長年の付き合いから、僕はそんな予想をするのだった。
それは、喧嘩したあとに仲直りの言葉を言い出せなくて困ってる時とかに見せるような、そんな時のこいつの表情を思い出させたのだった。
すると、
「あのね。今日一緒に行きたいところがあるの」
一緒に食べ始めた日曜朝の食事の途中、まさしく、それは適中する。その行きたいところが、言い出せずにモジモジしていた場所であるようだった。
だが、それは、
「カケルのお母さんの墓参りに今日出かけたいと思うのだけど」
僕の予想を完全に超えた、随分と唐突なものなのであった。