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4.夏風邪の侯爵令嬢

 頭がぼぉっとする。体が熱っぽい。それに、私は悪い夢を見ていた。不思議な夢だった。

 夢の中で私は黒い髪だった。見たことも無いような建物。馬がいない馬車が走っていた。私はそこの世界にずっと住んでいて、市場のようなところで働いていた。不思議な夢だった。

 それに……夢の中で私には妹がいた。可愛い妹だった。夢の中の私と同じような、黒髪の人。

 私にいるはずのない妹がいた。不思議な夢。いえ……これはもしかしたらディオニュソス様の夢のお告げかも知れない。お父様とお母様にお話ししたら喜ぶかしら。跡継ぎにもなかなか恵まれないと御二人ともお悩みであるようだし……。


「ピアニー様? ピアニー様? お目覚めになりましたか?」


 私を呼ぶ声が聞こえる。この声は、私の侍女、ドラセラの声だ。


「ドラセラ?」


「ピアニー様! お具合はどうですか? 突然、庭園で薔薇のお手入れの最中に倒れられたのですよ。医師の診察では、夏風邪であろうと」


 そうだ、私はお母さんと薔薇の枝を切っていて……。突然頭が真っ白になって……。


「心配をかけてしまったわね。もう大丈夫よ。でも……水を貰えるかしら。休まずにダンスを踊った時のように喉が渇いてしまっているの」


「ご用意しおります。汗をおかきになって何よりでございます」

 

 ドラセラの注いでくれた水はとても美味しかった。体に染み通るよう。


「美味しいわ。ありがとう」


「礼には及びません。ただ……」


「ただ?」


「ピアニー様とダンスを踊った殿方の方はきっと、いまのピアニー様よりもきっと喉がカラカラだろうと想像したら可笑しくなっちゃって」


「まぁ。それはどういうこと? 私のステップが危うくて、お相手していただいている方々に要らぬ心配をお掛けしているのかしら?」


 私の心配そうな顔を見ると、ドラセラは『それはどうでしょう』とクスクスと笑っていた。


「まぁ。答えてくださらないの?」


「私が答えてもよろしいのですが、その役は先ほどから応接間で待っておられるウィリアム様にお譲りいたしますわ」


「まぁ! 殿下がいらしているの? お待たせしてしまっているのでしょう? でも、今日は特に約束をしていなかったわよね? そうよね、ドラセラ?」


「確かにお約束はありませんでした。ですが、殿下が城から飛んで来られた理由も、ついでに殿下から伺ってはいかがでしょう?」


「私の質問には何も答えてはくれないのね。今日のドラセラはなんだか意地悪ね」


「いえ、私がお答えするのは殿下に対して不敬罪に当たると考えておりますゆえ。さぁ、ピアニー様、お着替えください。そのような薄手のシルクでは、飢えた狼の前に仔羊を差し出すようなものですわ」


「まぁ、ドラセラ。まるで殿下が飢えた狼のような言い草ね。それこそ不敬罪ではなくって?」と私は着替えながらドラセラと談笑をする。


「さぁ、それはどうでしょうね」とドラセラはまたクスクスと笑っていた。




「失礼致します。殿下、お待たせいたしましたわ。でも、急に先ぶれも出さずにおいでになるとは、いかがなさったのですか?」


応接室に入ると、ソファーにウィリアム殿下が腰掛け、私の騎士(ナイト)であるロバートが扉の横に立っていた。


「いや……。先触れを出したのだが、早馬を使って急いできたら、どうやら先触れを追い越してしまったらしいんだ。突然屋敷に押しかけるような形になってすまない。庭園で倒れたと聞いて心配になって来てしまったんだ」

 ウィリアム王子の、さらさらの金髪の髪の間から見える青い瞳は私を真っ直ぐに見ていた。


「こちらこそ、殿下にご心配をお掛けして申し訳ありません。ですが、気分は大分良くなりました。随分と良く眠れたようです。殿下、紅茶がお冷めになっているようだったら、新しく替えを……」


「僕は君の顔を見ることができて安心した。今日はひとまず帰るよ。これ以上君に無理をさせると、君の騎士(ナイト)から恨みを買ってしまうからね」と、ウィリアム殿下は視線を私から外し、扉の横に立っているロバートに、意味ありげに目を向けました。


「ロバートが何か失礼を? それならば私が代わりに謝罪を……」


「いやいや。主人に対して彼は忠実であっただけだよ」


 主人に対して忠実? お二人とも少しピリピリしているような……。


「それは一体、どういうことでしょうか? やっぱり何か失礼を? ロバート、殿下に何か失礼を?」


「いいんだ、ピアニー」と殿下は少し苦いものを舐めたかのような顔をしていらっしゃる。


「私は、婚約者とはいえ未婚の女性の寝室に押し入った不埒者、という汚名から殿下を救っただけでございます」


「まぁ、殿下」と私はそれを聞いて驚きつつも、「それほど私を心配してくださり、光栄の極みですわ」と笑います。婚約者から心配をされて悪い気持ちになどなるはずもありません。


「まぁ、そういうことだったんだよ。だから僕はここで待たせてもらっていたんだ。出直すべきではあったのだけどね。それに、僕も安心して彼に任せられる。彼なら万が一、学園で君が何かの危険にさらされても、命に代えてでも君を守るだらうからね。もちろん、僕も自分の命に代えてでも君を守るけれどね」


 私と殿下は、9月から王立学園に入学することになっている。貴族の子弟の多くはそこに通い、修養するのだ。


「シュピリアール侯爵閣下より私は、何人(・・)からもピアニー様をお守りするようにと、厳命を受けていますので」


「僕等が正式に結婚するまでは、という条件付きでだろう?」


「左様でございます」とロバートは殿下の言葉を肯定しました。


「なんだか、お二人のお話を聞いていると、学園というものがまるで戦場のような、そんな危険な場所のように思えてしまいますわ」と私は冗談を言います。王都の中心部近くにある学園。不審な者が出入りする余地などはありません。


「どんな矢が飛んでこようが、僕が君を守ろう」と殿下が言い、ロバートが「私も、何人からもお守りします」と言いました。


「二人とも、頼もしいですわ」と、私も笑いました。


 もうすぐ暑い夏が過ぎ去り、9月が始まります。私と殿下は、王立学園の新入生となります。

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