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30 さよなら殿下

 グラジオラス様の叙任式の日。その日が、カトレアを階段から突き落とした者の断罪の日となりました。

叙任式は王立学園にて行われます。グラジオラス様がまだ、学生の身分であることを考慮して、その叙任式の会場が王立学園となったのです。

 もっとも、グラジオラス様が学園を卒業してから騎士の叙任を行えばよいとも思うのですが、叙任が早まったのは、スタリール家の意向もあるからでしょう。

 ネモフィラにはまだ婚約者がいない。そういった貴族の体面を気にして、叙任が早まるようにスタリール家も動いたのでしょう。

 もっとも、あまり前例を崩すことを良しとしないスタリール家が、このようなことをするのは、ネモフィラの強い意向があるのでしょう。ネモフィラの堅い恋心にスタリール家当主が根負けしたということなのでしょう。


 きっと、ネモフィラは口にこそ出しませんが、グラジオラス様以外とは婚約する気はない、とすべての婚約者候補を突っぱねたのでしょう。ネモフィラは胆力がある令嬢であると言って良いでしょう。スタリール家としては、早く婚約者を決めたい。しかし、当の本人がグラジオラス様以外との婚約には、首を縦に振らない。

 スタリール家当主としても、ネモフィラの意思を尊重したかったのでしょう。グラジオラス様も、ネモフィラを好いていることは明白でございました。ただ、身分の差をわきまえて、感情を奥底にしまっていただけなのでしょう。


 グラジオラス様も、ネモフィラのことを好いていたということは分かっておりました。

 それを私が気付いたのが、殿下が鍛錬中に、グラジオラス様から一本を取った時でございます。それは、ネモフィラと私が鍛錬場の横を通り過ぎていた時です。鍛錬しているグラジオラス様を見つけたネモフィラは、グラジオラス様に声援を送ったのです。


 グラジオラス様からしたら、鍛錬で集中している時。それも、相手はこの学園で二番目の使い手である殿下と相対している時です。突然のネモフィラの声。戦いの中、その集中が乱れるほどの相手、ということです。相対する相手から気を反らしてしまうほどの存在。


 おそらく、グラジオラス様も、ネモフィラの声援の声だとわかり、一瞬の動揺があったのでしょう。そして、その隙を殿下は見逃さなかった。


 殿下も、あの時グラジオラスの殺気が揺らいだとおっしゃっていました。もちろん、一本取れたということは、日々の殿下の鍛錬の賜物であることには間違いないのですが、殿下は謙遜な方です。


 話を戻すと、つまり、グラジオラス様も、ネモフィラのことを慕っていたということなのです。それも、とても自然なことです。ネモフィラは、この王国の中で美しいと称えられる令嬢です。社交界のなかでは、「天上の双姫」と称えられています。美しい黄金色の長い髪。大きなブルーサファイアのような瞳。同じ女である私から見ても、ネモフィラのしなやかな肢体は、男性の視線を吸引するに十分な魅力を備えていると、一目見ただけでも分かります。

 

 そんなネモフィラとグラジオラス様との恋。その成就が為される叙任式が、断罪の日となる。しかも、完全な冤罪です。子爵の三男という切りやすい存在を使った茶番劇。それも、彼は、私のために立てられた人身御供です。私のアリバイがない、その不都合な真実を覆い隠すための犠牲の子羊。


 何が違うというのでしょう。私が、断罪され、貴族から墜ち、殿下との幸せな未来を失う。


 私の未来のために、貴族の位を失う三男。貴族の三男で、トカゲの尻尾きりに使われるくらいの方なので、そもそも栄達は望むべくも、そしてその資質もなかったのでしょう。


 いえ……そんな問題ではありません。私が幸福を失いたくないという理由で、彼から貴族の爵位を奪うのです。令嬢に狼藉を行ったという汚名を一生背負っていくことに、彼はなるのです。


 たぶん私は、ここで彼が断罪されるのを見逃せば、きっと、カトレア、黒部秋子のことも見捨ててしまうでしょう。ここで彼が冤罪により断罪されるのを見逃せば、きっと、私は……。


 叙任式の場に、国王様が現れました。国王様以外の全員が跪きます。殿下とて例外ではありません。


 そして、いよいよ、断罪と、そしてグラジオラス様の叙任式が始まります。


「喜ばしき騎士(ナイト)の叙任の前に、ひとつ済まさねばならぬことがあるそうだな」と国王様はもっとも高い場所にある席に座り、そしてコツンと黄金の剣の鞘で床を叩きます。


「王国の未来を築く人材を育成する学園での、あってはならない事件。朕が耳にしていることを話す。異議があるものは立ち上がり、その言を述べよ」と国王様は言葉を続けられます。


 賢い貴族は沈黙をします。私はこのまま黙って床を見つめていれば、それだけで幸せな殿下との未来がまっているのです。


 沈黙こそ金。沈黙こそ……。いえ、このまま行ったら、私は妹までも殺してしまう。数年後、北方騎馬民族によってかも知れない。だけど、殺すのは私なのです。そして、救えるのも私だけなのです。そして、その方法は、私が断罪されるしかないのです。私が、汚名を着て、そして、幸福の地から去らねばならない。


「国王様。私が、カトレア・アウインタール令嬢を階段から突き落としたのです」と私は立ち上がり、口を開きました。


殿下も、カトレアも、この会場にいる皆が信じられないと大きく目を見開いています。お父様は私の言葉を理解し、真っ青になっています。隣にいるお母様は失神してしまいそうになっています。


ごめんなさい。お父様、お母様、殿下。そして、私を信じてくださっていたすべての方々。


そして


さよなら殿下。心の底から愛しておりました。


そして、カトレア。あなたは幸せに生きてください。


 最後にごめんなさい、カトレア。あなたを私は天秤にかけてしまった。揺れた私を許して。かけがえのないあなたであるはずなのに、私は殿下との未来を想い、あなたを悪神が微笑む天秤の上へと載せてしまった。


「そんなはずはない! 卿を庇っているだけだ」と殿下も立ち上がり叫ばれました。


「ウィリアムよ。わが息子よ。お主がやっていることは正しいことか? それは、朕に対する異議ではないぞ? 座れ!」


 『座れ』という言葉には、殿下の父親としての優しさはなく、威厳に満ちた国王の言葉です。


 殿下は、再び跪きます。跪く際、殿下は私を見ていました。殿下はとても悲しい瞳をされていました。


「ピアニー・シュピルアールよ。心して答えるのだぞ? カトレア・アウンタールを害したのはそなたなのか?」


「はい」


「そうか、残念だ」


 国王様の短い一言。国王様、申し訳ありません。早くウィリアムと結婚して、私の娘にもなってほしいものぞ、と仰ってくださっていた。王妃様も悲しい顔をされています。


「国王様に申し上げます。私を突き落としたのは、ピアニー様ではありません」


 後ろから声が聞こえました。間違えるはずもありません。カトレアの声です。爵位の順番で並びますので、子爵家のカトレアはもっとも後ろに並んでいるのです。


「カトレア・アウンタールよ。そなたはその犯人の姿を見ていないと伝え聞いているぞ? それが偽りであったと申すか?」と国王様はカトレアに対して問います。


「犯人の姿は見ていないということは事実で偽りありません。ですが、ピアニー様が犯人ではありません」


「うむ。犯人の姿は見ていないということと、ピアニー・シュピルアールが犯人でないということは矛盾する。信じるには足りない発言と看做す。これより先、そなたの発言を禁じる。座れ!」


 もうこの場は、国王による裁きの場。たとえ被害者がなんと言おうが、国王様の判断がすべての真実となる場なのです。

 

「一方でピアニー・シュピルアールよ。そなたの言は、カトレア・アウンタールが階段から突き落とされたとき、誰もそなたと一緒にいた者がいないという証拠書類と矛盾しない。そなたの言葉は信じるに足る。ピアニー・シュピルアールを今回の犯行を行ったものとする」


 そして、国王様は黄金の剣の鞘で再び床を叩きました。その音が会場に響き渡ります。もう、何人であろうとも、国王の決定を覆すことはできません。


 これで、私は貴族から墜ちる。殿下の婚約者という地位も失う。もうシュピルアール家にもいることはできません。

 すべてを失いました。


 でも、これで良かったのだと思います。すべてを失った。なんだか手に刺さったバラの棘が抜けたような清清しさです。もっと、早くこうしてしまえばよかったとさえ思います。

 心残りは、殿下とカトレアを恋仲にすることができなかったということでしょうか。でも、それは仕方がありません。


 でも、考えてみれば、私が黒部秋子にできることはもう何もなかったかも知れません。妹は大学を卒業し、就職をした。巣立ちした。これからの妹は自分の力だけで生きていく。私が支えられることなんてもうなかったのかも知れません。

 

 カトレア。あなたと殿下の間に、幸せな恋と、幸せな未来がありますように。


さよなら殿下。心の底から愛しておりました。


「では、ピアニー・シュピルアールに、貴族の法により裁きを与える」と国王様が言われます。


 貴族の法。私は身分剥奪です。カトレア嬢に蛮行を行った者。誰もが私を、悪役令嬢と罵るでしょう。でも、それで私は良かったのだと思います。そう思います、心の底から。

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