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29 犯人を捜しと、アリバイの無い私

「カトレア・アウンタール嬢が、階段から転落した」


「その時に足を痛めたらしい」


「グラジオラス・プグナール様の叙任式が間近に迫っているこの時期に」


そんな噂が学園中を駆け巡ります。人が集まるところには、噂というものは生まれます。しかし、「怪我」をしたということであるなら、噂になどなりません。なぜなら、貴族の殿方たちの科目には、剣術などがございますし、怪我は特段珍しいことではありません。勇敢な殿方たちは、厳しい訓練をし、その傷を誇る風潮すらあります。

木刀とはいえ、打ち付けられたら痣ができてしまうものなのです。殿下も時折、包帯を腕に巻いていることがあります。殿下は、剣技祭で2位となるほどの腕前であるにも関わらず、鍛錬によって出来た痣をお隠しになっています。私はそんな殿下の御姿に、奥ゆかしさ、上に立つ者としての矜持を感じてしまいます。とてもご立派な方で、それが私にはとても愛おしく……いえ、殿下のことは良いのです。


カトレア嬢が階段から転落したという噂が広まる。それは、怪我をしたからとか、そんなことではありません。


「カトレア嬢は、 誰かに突き落とされた」という噂があるからです。目撃者がいるのです。誰かがカトレアを突き落とすところを見た、という目撃者がいるのです。それも多数。


 しかし、その姿をはっきりと見た者はいない。


 突き落としたのが殿方であるのか、令嬢であるのか、それすらも分からない。目撃証言は多い。しかし、犯人の外見すらまったく分からない。


 人々の好奇心を煽るのには十分です。


 そして、カトレアによる証言も、噂に拍車をかけました。


「その方が仮面を付けているのが見えただけです」


 カトレアのこの証言だけで、まず、カトレア自身が、何者かに突き落とされた、ということが分かります。


 そして、問題は、仮面を付けていたということ。仮面を付けるのは、演劇を観賞するときだけです。この世界では、演劇が大好きなディオニュソスが、身分を隠して演劇鑑賞が出来るようにと、人々は演劇を観る場合に仮面を付けます。

 それ以外の時に仮面を付けることなどありえません。劇場以外で仮面を付けるということは、この世界の主神たるディオニュソスを侮辱する行為です。顔を隠したい暗殺者でも、仮面を付けるということは絶対にしないと言われているほどです。

 

「ピアニー様、カトレア嬢のこと、お聞きになりましたか? 本当に許せませんわ」とネモフィラが先ほどから怒りを顕にしています。


「人を階段から落とす。しかも、仮面を付けての蛮行。こんなことがあってよいはずがありませんわ」と、普段おとなしいカリン伯爵令嬢も語気が粗くなっています。


 ネモフィラが怒っているのは、グラジオラス・プグナール様の叙任式の間近で、喜ばしきことに水を差されたのだと思っているのでしょう。グラジオラス・プグナール家は、伯爵家ですが、騎士に叙任されるということであれば、グラジオラス様の格は一気にあがります。そして、ネモフィラはずっと、グラジオラス様に熱を上げていました。スタリール侯爵家ともなれば、婚約者選びはとても慎重になります。また、家の格式、釣り合いを考えれば、選択肢というのは非常に少ないのです。

 ウィリアム王子は、スタリール家と肩を並べる二大侯爵家のシュピルアール家、つまり、私と婚約をしてしまったので、ネモフィラの婚約者は未定のままでございました。

 

 それが、グラジオラス・プグナール様が騎士となられるということであれば、スタリール家の令嬢を娶ったとしても、それは格でいえば同等でございます。そして、これは内緒でございますが、実は、内々に、グラジオラス・プグナール様が騎士として叙任された後、ネモフィラ・スタリール嬢との婚約が発表される予定です。


「この王国で、長らく空位(・・・・・)であった騎士(ナイト)が誕生するというのに、どうしてそのような荒々しいことが。本当に許せない!」とネモフィラはずっと怒ってばかりです。長年積もらせた恋の成就だけに、その怒りも大きいのでしょう。


 時々、愚痴を言うことが目的であるかのようなお茶会がありますが、今日のお茶会は、カトレアを階段から突き落とした犯人を罵るためのお茶会と言って良いでしょう。ただ、犯人が誰だか不明な状況であるため、収まりが悪いお茶会となっております。


 私も、心の底から、カトレアが治療を受けている医務室に駆けつけたいのですが、やじ馬が医務室に殺到したため、学園から禁止措置が出てしまいました。誰とも分からぬ輩に、突然階段から突き落とされたカトレア。もしかしたら、怪我も痛いでしょうが、心も痛いかも知れません。恐怖に心が支配されているかもしれません。不安に駆られているかも知れません。それならば、私は万難を排してでも、カトレアの傍にいたいです。


 私は、この場で、紅茶を飲んでいることしかできない。いえ、でも、それはとても意味があることなのです。


 すでに、カトレアを突き落した犯人捜しが始まっています。容疑者は、この王立学園の全ての子息子女、それに教員です。外部からの侵入はまず考えられません。

 そして、このお茶会のテーブルの真ん中には、名簿がずらりと並べられています。


 そして、カトレアが階段から突き落とされた時間、アリバイがある者たちの名前の上に、斜線が引かれて行きます。

 消去法による犯人捜しです。気の遠くなる作業かと思いきや、情報はどんどん集まって行きます。なぜなら、貴族の子息子女は、一人でいるということが極端に少ないからです。群れることを是とするのです。


 どんどん、名簿の名前に斜線が引かれて行きます。カトレアが突き落とされたのは、食事の時間だったので、食事を誰と誰が一緒に食べていた、という証言が得られれば、容疑者から外れて行きます。

 貴族が、食事の時間に、一人で食事をする、などということは考えられません。殿下にはアリバイがあります。ネモフィラにもアリバイがあります。カリンにもアリバイがあります。グラジオラス様にもアリバイはあります。


 多くの方の名前に斜線が引かれて行く中、いっこうに名前が引かれることのない名前があります。


 それは、『ピアニー・シュピルアール』です。私は、食事時、殿下にお会いするのに躊躇いがあり、人けのないガボゼで、一人で食事をしておりました。私のアリバイを証明する人は誰もいません。


 そして、私には何故だか、確信があります。私以外の者たちには、きっとアリバイがあるであろうということです。

 消去法によって、最後に名前が残るのは、私の名前でしょう。


 私には確信があります。カトレアを階段から突き落としたのは、人ではありません。あの、悪神がやったに違いありません。

 多くの目撃者が、殿方か令嬢かの区別さえできないなんてことはありえません。ドレスを着ているか、着ていないかなど、遠くからでも分かります。

 これは、あの悪神、ディオニュソスの所業です。そうとしか考えられません。


 ディオニュソスは、この世界を自分の劇場であると言っていました。この世界の全てはディオニュソスを楽しませるための役者。


 きっと、黒部春子、ピアニー・シュピルアールが、立ち往生して、前にも後ろにも進めないことに痺れを切らしたのでしょう。物語を推し進めに来たのでしょう。私が悪役令嬢になるか、妹が死ぬか、その分水嶺に私を無理やり立たせたいのでしょう。


「私は、考え事をしたくて、無憂宮(サンスーシ)のガボゼで食事を一人でしていました。他に、それを証言してくださる方はおりません」

 

 私の確信は事実となりました。


 私以外にアリバイの無い人はおりませんでした。つまり、残った容疑者は私であるということです。そして、それは、私がカトレアを突き落した犯人であるということです。


「ピアニー様がそんなことをされるはずがありません。誰かが、嘘の証言をしたということですわ」


「これはきっと、ピアニー様を貶めるための陰謀です」


 貴族の二人以上が同じ証言をしている場合、それが事実であるとして扱われます。その証言が嘘であると反証されない限り、それは厳然たる事実です。

 

 つまり、私以外に、カトレアを突き落とすことができた人物はいない、ということは既に事実なのです。

 そして、私の証言は私一人の証言しかない以上、それは事実ではないのです。


「この犯行は複数の犯人がいるに違いない。口裏を合わせている。もう一度調べ直しだ。今度は、証言をする際に、ディオニュソス様に誓ってもらうこととしよう」と殿下が言われます。ディオニュソス様に誓って、というのは、とても重い証言です。


 通常の貴族の慣例を無視して、殿下は再調査を命じました。通常であれば、私が犯人です。王立学園の規則に基づき、私は学園追放でしょう。

 そして、貴族の法に基づき、私は貴族の身分を失います。貴族が貴族を害したのです。貴族が平民を切り捨てた場合とは異なります。この国の二大侯爵家の令嬢が、くしゃみをすれば吹き飛ぶような辺境の弱小貴族の令嬢を害したとしても、それは貴族同士のこと。貴族の法から逃れることはできません。もちろん、殿下との婚約もご破算となるでしょう。


 殿下も、ネモフィラも、ポーリアも、カリンも、王立学園の子息子女は、私が犯人であるはずがないと言います。

 通常であれば、淡々と、処罰の手続きが進んで行くはずです。


私がカトレアを突き落としたと言っても、誰も信じてはくれません。これはきっと、ディオニュソスの「世界から私が愛される」という呪いなのでしょう。


そしてこれは、ディオニュソスが私に言っているのでしょう。


このまま、受け身の形で、流されるままに、断罪されるのをディオニュソスは許さない。妹を助けたければ、能動的に、自らの意思で、両手を悪事に染めろ、と。


そして、貴族の令嬢が階段から突き落とされた、という噂は、学園を飛び越え、王都の中に広がっていきます。


 案の定、「ディオニュソス様に誓って」という文言を追加した、二度目の聞き取り調査でも、最後に残った容疑者は私でございました。

 ですが、みんな、私が犯人であることを善しとしません。


 三度目の調査が行われました。そして、真犯人が現れました。シュピルアール家の寄子、子爵家の三男の方が犯人として自供したとのことです。

 茶番です。私以外の容疑者が現れないので、身代わりが立ったということでしょう。子爵、しかも三男。切りやすい尻尾です。三男であれば、その子爵家としても、痛くはないのでしょう。むしろ、寄親であるシュピルアール家に恩を売れるメリットの方が大きい。


「良かったですね、ピアニー様」と、皆が口々に私の無実を祝福します。ですがそれは、本当に良いことなのでしょうか。きっと、このまま流れに身を任せていれば、そのまま私は殿下と結ばれるのでしょう。私の未来は明るいのです。純白のウエディングドレスと、女王の冠が私を待っています。


 ですが、それは本当に良いことなのでしょうか。

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