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20 世界から愛される神の加護

 冬薔薇が切り落としていきます。白い蕾が地面に落ち、雪が積もっているかのようです。二つの花壇の蕾を切り落として、三つ目の花壇の薔薇をと思っていたところに、お母様が駆けつけてきました。


 ドラセナは私が止めないことを悟り、お母様を呼んできたのです。


「ピアニー。あなたって娘は!」


 お母様も急ぎ走ってきたのでしょう。そして、地面に出来た白い絨毯を見て驚いていることでしょう。いえ、悲しまれているかもしれません。

 お母様が自ら毎日水をあげていた花壇です。太陽が昇前に使用人たちが汲んできた水を、お母様は水差しで優しく薔薇の根元に一本一本、丁寧に水をあげていました。吐くと息が白くなる寒い朝にも、お母様は黒兎のコートを羽織って水をあげていました。

 お母様が一番愛情を注いで育ててくださったのは、私、ピアニー・シュピルアールでしょう。ですが、その次があるとしたら、この薔薇達であることは間違いないでしょう。


無残に、地面に落ちて土に汚れたこの薔薇の蕾は、お母様の手間暇と惜しみない愛情により、大きな蕾となっていたのです。


 私は、振り向くのが怖いです。お母様がどんな顔をしているのか。私は後ろから聞こえた母の声に振り向くことをせず、また蕾を切り落とします。鋏を使う際に右手に棘が手に刺さり、痛いです。


「なんて優しい娘なの」


 お母様が私を後ろから抱きしめました。


「お、お母様?」


 私は何を言われたのか分からず、思わず鋏を落としてしまいました。お母様の足に落ちなくて良かったです。


「分かっていたの。そうなの。本当は私がしなければならなかったのよね。気を使わせてごめんなさい。そうよね、やっぱり燃やさなければならないのよね」


 冬薔薇は、何処からか飛んできた虫により、病気となっていたそうです。そして、このまま放置しておけば、屋敷中の花園に、スターリングシルバーの園も、アゼリアの生垣も、メランポジウムの丘も、すべて病気に感染してしまう。一旦、屋敷中にこの病気が広がってしまえば、屋敷中の土を入れ替える必要が出てくるのだそうです。黒部春子としての尺度で測るなら、東京ドーム三つ分ほどの敷地の土の入れ替えが必要ということです。


 お母様は、病気が蔓延する前に冬薔薇を燃やさなければならないと、庭師から説明を受けていたそうです。


 でも、お母様は、燃やす決心をすることができなかった。あと一週間もすれば、薔薇の花は咲く。それを観賞してから、と、手遅れになることが分かりながらも、どうしても冬薔薇を燃やすという決断ができなかった。

 屋敷中の植物が枯れてしまったら、シュピルアール家でお茶会を開催することも難しくなります。それでは社交上の問題が出て来てしまいます。土を入れ替えるといことになれば当然費用がかかり、お母様は宝石やドレスをお買いになるのを一ヶ月は控えなければならないというような事態になっていた可能性もあります。


ですが、お母様は愛情を注いだ花を燃やすことはどうしてもできなかった。薔薇をどうするか、心を痛めていらしたお母様。


 そんなお母様の心の痛みを察し、冬薔薇の蕾を母親に代わり切り落としたピアニー・シュピルアール。


 母親を想っての行動。


「ピアニー様、このドラセナをお許しください。そんな深いお考えがあったとはつゆ知らず……。なんてお優しいのでしょう。そんなお優しいピアニー様にお仕えできて、ドラセナは幸せでございます」


 ドラセナは事の顛末を聞いて、感動してハンカチを濡らしています。お母様も、私の行動に背中を押され、薔薇を燃やす決断ができたそうです。

そして、胸のつかえが取れたらしく、来年は今年の分までと意気込んでいました。


私は今、自分の部屋の窓辺から、冬薔薇が燃やされていくのを見つめています。燃やす熱により、病原菌を全て死滅させるのです。冬薔薇が燃えています。



私は、良いことをしたのでしょうか?


いえ、そんなはずはありません。そもそも、冬薔薇が病気であったことなど私は知りませんでした。

動機も違います。私は、お母様を悲しませようと、悪いことをしようとして薔薇を切ったのです。


カトレアに対しての時もそうでした。今回の薔薇の件でもそうです。


 やはり、思った通りです。この世界は何か変です。私の悪とされる行為が、何故か善の行動となってしまいます。そして、こんなことをするのは、いえ、きっと出来るのは、あの悪神でしょう。


 ・


「久しぶり、と言って良いのかしら? 黒部春子さん、改め、ピアニー・シュピルアール」


 私は夢の中です。ですが、この場所に見覚えがあります。法定のような場所。そして私は証言台に立っています。忘れるはずがありません。そして、裁判官の座る場所に座っているのが、ディオニュソスです。


「恐いわ。どうしてずっと睨み付けているの?」とディオニュソスは言います。同じ仮面を付けています。


「あなたが一番、その理由をご存じのはずです」


「あら? 私の贈り物が気に入らなかったの? 半年間、黒部春子としての記憶を忘れて、とっても楽しかったでしょう? 婚約者のウィリアム王子の愛に包まれる生活はどうだった?」


「殿下に愛想を尽かされて婚約破棄されることを考えると、胸が張り裂けてしまいそうです……とでも言えば満足ですか?」


「えぇ、満足だけど?」


 本当に嫌な神様です。


「それ以外に、私に呪いをかけましたね?」


「呪い? なんのことかしら?」とディオニュソスは言いますが、明らかに何かを知っているような口調です。わざと知らない振りをしているということが相手に分かるような言い方です。怒りが込み上げてきます。


「……」


 私は黙ってディオニュソスを睨み付けます。


「あぁ、恐い恐い。でも……もしかして……あなたの言っている呪いって、もしかして私の加護のことかしら?」


「加護?」


「憶えていないの? せっかくの加護を忘れるなんて、なんて罰当たりな人。あなたには、世界に愛される加護を与えたじゃない。海も山も空も、花も木も小鳥も、獣も人も、全てが貴方を愛するという加護よ。あなたが、悪いことをしても、世界はあなたの行為を肯定するわ。具体的にいえば、母親が大切に育てた薔薇の花を切っても、それは美談になるわ。そして、どんなに悪役令嬢を演じても、それは好意的に解釈されて、素晴らしい貴族令嬢の中の貴族令嬢として、賞賛されるのではないかしら?」


「そ、そんなの話が違います! だって、私はカトレアを虐め、殿下から婚約破棄をされるのが目標なのですよね? そ、そんなことをされたら……」


「ハードルがとっても高くなるわね。そして、ごめんなさい。一度与えた加護は、私でも取り消せないの。ごめんなさいね。良かれと思ってあなたに加護を与えたのに」


「故意ですよね……。やっぱりあなたは悪魔です!」


「酷いわ。私は、この世界の主神。どんな人の上にも太陽を廻らせる神様。黒部春子、もう目覚めの時間よ。あなたにも新しい朝が来るわ。どんなことがあっても、必ず暗い夜は終わり、太陽が輝く朝が来るのよ。もう目覚めの時間よ、ピアニー・シュピルアール」


「ま、まだ、話は終わっていません!」


「でも、朝は来るのよ。もうあなたは目覚めるわ。あっ、でも、あなたの妹であるカトレア・アウンタールの死ぬ日が一日近づいたということでもあるわね。泣いても笑っても〜〜〜朝陽は昇る〜〜〜」


「ふ、巫山戯ないでください!」


「応援しているわ! 世界に愛されたピアニー・シュピルアール」


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