3話
「イテテテ」
違和感は背中に当たる固い感触で意識を取り戻すと、十人ほどの人たちが、心配そうに囲んでオレを見下ろしていた。ここが千歳の宇宙港だということは覚えてる。誰かに助けおこされて、ソフトマット貼りの冷たい床から上半身を起こした。
大勢の旅行者たちがオレのことを気にしながら通り過ぎていく。何か事件でもあったのか…………って思い出した。闇市にノックダウンされたんだっけ。
「大丈夫かな君。救護員を呼ぼうか?」
「だいじょうぶっぽいです」
びしっとしたパイロット風な制服の小柄な男性――声からすると女性か――が心配そうに状態を尋ねてきた。どこにも痛みはなく笑顔をとりつくってあいまいに返す。首を左右に倒してストレッチ。大丈夫だろう。機嫌よくコキコキ鳴った。
首を振ったついでにフロアを見まわす。片眼鏡野郎の姿がない。強面の兄さんたちや警備員もいなくなってる。あいつらは野次馬に紛れてるかも知れないが、それはないと否定する。
夕一にとってオレへのネガキャンプライオリティーは、ランチ以上ディナー未満。こんな絶好チャンスを逃すことなく、まぶたを開ける間に皮肉の二つや三つはかまし終えてる。また警備員のほうは、目の前で倒された人間に気遣いをみせるくらいあってもいい。職務的になことを除いても面倒見はよさそうに思えた。どちらも居ないということは、本当にいないのだ。
「大衆の面前でノされ、やじ馬に心配されるって」
正気に返るとエラく気恥ずかしいが、客観的にはオイシイと思ってしまった。夕飯の時でも母親に話してやるか。ネタが効きすぎて作り話と疑うかもしれないな。家族の団らんを思い浮かべたことで、気分が落ち着いてきた。いつまでもこうして座ってるわけにもいかん。体温で温まった床にさよならして立ち上がると、パイロット風の女性が支えてくれる。
「ありがとうございます。大丈夫ですから」
大事なブツを取り出そうと、内ポケットを探った。
ち、チケットがない!
ウソだろ。
ジャンパーの内ポケットでなくてズボンのほうだっけ。
ズボンのポケットに手を突っ込む。無い。前も後ろもだ。
いや、ナップサックに移したかも。
ナップサックのジッパーを開ける。
やはり無い。
あ、ジャンバーに無かったのは気のせいかも。
それでも無い。
前のポケットだったよ、な?
あるはずがない。
血の気が引いていく。 困った。マズイ。
慌ててしゃがんで、ナップサックをひっくり返し、うっすら温かい床のうえに中身をぶちまけた。最初に出てきたのは弁当のサンドイッチと350ccのお茶マグ。続いて、ワタボコリとコンビニ袋。さらに、以前使って肥やしになってたアレコレが、仲良く登場する。ビニルテープ、軍手、21得ツール、刃渡り7センチの折りたたみナイフ、三メートルの極細樹脂ワイヤー、黒のUVグラス、PCメモリスティック二本……。
「潜入工作員かなにか、君は?」
「チケットが無いんです!」
どこにでもいるありふれた高卒男ですと、心の中では答えてた。会話が噛み合わないとか、野次馬さんたちがざわついてるとか、今はそれどころではない。
絶対にしまった覚えのないところまで何度も探したが、でてこない。「面接を止めて帰ろう」と思ったことはもはや遠い記憶。チケットをなくした焦りという負のマインドが、脳内思考でワッショイと担ぎ上げられ、マイナス思考という神輿が脳内2丁目から3丁目をぐるぐる回っていく。意味わからん。
宇宙港で荷物を確認する行為は、めずらしいものではない。オレの焦りは、だだっ広いフロアの景色のひとつに溶け込んでしまったのかもしれない。必死なのはオレ一人。少年の意識が無事に起動したということで気絶でぶっ倒れるより希少性は低くなった。心配してくれていた通行人、もとい、やじ馬の皆さんは自然解散していく。自分のゲートに急ぐ人、おみやげ屋に行く人などに紛れて消えていき、二人を残すだけとなった。
ナップサックを含めてあらゆるポケットを3回以上探しまくる。でも無いものはない。殴られた拍子にどこかへ飛ばしたのだろうな。前髪の夕一が、『嫌がらせの締めくくりとして持ち去った説』に一票を投じる。学会で発表できるほどに有力な材料が揃ってる。
あらゆる隙間を探しつくしてしまい、ついに手が停まった。何もないと結論がでたのだ。途方にくれて、ボカロ少女のすっと上にある天井をみつめる。むき出しパイプが天の川模様に組んである美しい立体デザインだ。東西南北には有名な星座。あのシルバーパイプ素材はアルミニウムかなぁ、それとも塗装した樹脂かなぁ。目から暖かい何かが流れてきたが、汗にきまってる。オレは泣かない男なのだ。はははは……。
「コイズバサガシテンノガ??」
二人のうち手を差し出してきた人が、何かを言った。言語すら不明だったが、その手にはなんと、探してたチケットがあった。
「それですっ」
ナップサックから両手を抜いて、挟み込むように捕まえた。
「イデナッ」
手は、噛み付く犬から逃げるように引っ込んだが、チケットはゲットできた。オレの将来。二度と離さないぞ。だいぶ長い時間にぎり持っていたらしく、もぎ取ったチケットは暖かかった。
手の持ち主を見上げた。ひきつりながら微笑むそのお方は、外国人らしき人。いや、見た目は日本人だが、こっちの耳に届く言葉がオレは理解できない。外国人で間違いないだろう。アジア系南方かユーラシア中央とかの。
自分で言うのもなんだが、見知らぬ大人には弱い子でいられる。「もっと早く出さんか」的な感情が無いことも無いが、感謝の気持ちのほうがいまは強い。くしゃくしゃな涙顔でお礼を言う。
「あ、あ、ありがとうございますっ」
受け取ったチケットを頭上に掲げ、何度もなんども丁寧に頭を下げる。外国人の人は「イソガネドオグレッド」と軽やかに手をふって人の波間に見えなくなった。助け起こしてくれた制服の人も「じゃ」といなくなった。
世の中には親切な人がいるものだ。落としたチケットを拾って、オレが意識を取り戻すのを助けてくれた。言葉が通じないとしても、せめて名前、できればメアドくらい聞いておくべきだった。着てる服が違う二人が、知り合いどうかわからない。時間が押し迫っていたようで急いで立ち去った。呼び止めないのが正解だったと思っておく。
吹き抜けの巨大フロアの時計は、とうに予定を回っていた。ナップサックを抱えて立ち上げると、チケットに目を落とし、プリントされた待ち合わせゲートナンバーを再々確認……。
「な? ゲートGATE21……だったったったっけ??? 12だとばっかり思ってた。1と2の順番を読み間違ってたって。バカなのオレ?」
すぐ側12番ゲートに列はない。入場チェックを済ませとっくに中にはいったらしい。硬質ガラスの二重扉も閉じられて、シャッターすら下りてしまってる。人を寄せ付けない不自然な厳重さだが、なんにしても、ゲート12の受付は終わってる。
21ゲートもこうであれば、オレのニート突入が今度こそ完全確定してしまう。拾ってもらったチケットの細い運の糸が今度こそぷっつり切れてしまう。見知らぬあの人たちに申し訳がたたない。
急いで立ち上がると、土産とスーツケースを引きずる人々の間を、前のめりになって、左側に連なって入り口を数字の大きな方へバタバタ走っていく。
通行人の動きがとろい。高校生とかオバばさんってのは、なんで横に広がって歩きたがるんだ。話しするなら隅のシートで、歩くなら一列縦隊だろうが。左通行か右手通行か、はっきりしろ。逆走やめろって! オレの将来がかかってるんだジャマするなっ。こいつ、睨んできやがった。ケツを月まで蹴飛ばしてやろか。中指を突き立てて怒りの抗議を。
「すいません! 急いでるんで、すいませんっ」
あたま下げんなよ、オレ。
中指がなぜか親指に。それでサムズアップって。
自分で言うのもあれだが、オレってヘタレなのかもしれない。
キッと眉間をしかめて、頭上のボカロキャラが繰り返す発着状況を見やる。キャラが案内するパネルの内容は搭乗手続き中、出発状況、迷子情報など。これが5秒ごと切り替わる。ゲート21の状態は”出発”でシャトルバス乗り込み準備中とのこと。オレが乗ることはないだろうが関わりある仕事が待つ。ロケット打ち上げを間近で見られるなら、バイトの価値が高まるってものだ。アドレナリンが分泌。どうしてもモノにしたいという気持ちが昂ぶってきた。
キャラ後部のデジタル時計は、10時31分を刻む。走り出してから1分も経ってない。ホントか。時間がやけに長く感じる。
「見えたっ」
老舗クッキー「ホワイトな恋人」の看板の向かいに目的のゲート発見。列はないが、ちゃんと警備員がいて閉じられてない。入り口直前で急停止。握りしめ過ぎて汗すら染み込んだ模様のチケットを係りのオネーサンに差し出す。
チェックパネルかざしてくださいというので、触れさせる。けっこうです、セキュリティゲートを通ってください。すぐに案内がくだった。
もどかしい気持ちでGATE21に飛び込んだ。ブザーもピンポンも鳴らない。リュックの中身にも無反応。金属はひとつもないから当然だ。モノと身体が無難に通り抜けた。安心から床にナップサックを投げ出すと、ほぅ――――――と、情けなく座りこむ。
ゼイゼイしながら見回すが、”見回す”というほど広くはなくブランコひとつの児童公園ほど。窓すらない無機質な空間で、部屋というより待機所といった表現が似合うスペースだ。オレのほかは誰もいない。先の奥まったところにある引っ込みはエレベータか。
ゲートをくぐったのが初体験なオレは、これが標準的なゲートなのか、どれもここと一緒なのか判断がつかない。通れたということから締め時間には間にあったようだが、机や椅子のような面接にあるべき最低の設備もない。どうすればいいんだ困ってしまった。スーハーして息を整えてると冷たい感触が二の腕をつかんできた。
「あなたが最後です! 手続きはついてから。時間がない。とにかく急いで!」
切羽詰ったキツイ声の主に、腕をひっぱられて強引に立たされた。振り返って目に入ったのはタイトスカートの細い足。スリットが切れそうなくらい広げた足に目が吸い寄せられたのは、童貞の悲しい性だ。
女性の立ち方に注目する。腰に手をあてて仁王立ち姿だ。お美しいといって差し支えないお顔の眉毛は、オデコを三分割して縦断して釣りあげられる。私は怒ってるのよ。体の全てを使って怒りの炎を表現してる。怒りに触れてはならぬ。いらぬ質問の返答には鉄拳が答えとなるであろう。慎重に言葉を選ぶ必要がある。
「最後」ということは、ほかにも面接希望者がいたってことだ。どこにいる。首をまわして探したい衝動に駆られるが、今日は、朝から暴力沙汰に縁が深かったことを思い出した。この女性も危険なフラグを立てている。暢気な質問や不用意な行動は自分の首を絞めることになろう。
「め、面接の人で……」
手探りで、とりあえすありきたりの質問してみる。
その返答は行動で返ってきた。いきなりのテーブル返しか。
ついてきなさいとあごで合図すると、さっさと歩き出した。
「小走りでっ、急ぐっ」
「え? あ、あの……はい」
面接があるのかわからないが、この女性が担当者とみて間違いないだろう。
しかたない。ため息をつきながら後を追う。
「チケットは?」
女性は、1秒あたり4歩のハイスピード巡航歩速にはいると、振り返らないまま手を伸ばしてきた。しんどい。いっそ走ったほうがよくないか。
「あ、はい」
握りしめていたチケットを渡す。
さっと引き抜かれた。ひとさし指が擦れて切り傷ができた。
「痛つッ」
生体湿布を取り出すゆとりを与えてくれない。
血がにじんだ指をなめる。
担当女性は、受け取った右手のチケットと、左手のバインダーに挟みこんだ複数枚の紙型デバイスとを見比べはじめた。紙型デバイスの正式名は【ナノ有機ELデバイス02】だったか。コンマ02ミリまで薄くした紙状の電子メモの俗称でデジタル紙ともいう。一枚にA4サイズ1024枚分の情報を記録できる超薄型の記憶及び表示デバイスだ。紙のように一枚で使用することが多いが縦横に並べれば、最大12枚まで、全体で一枚のシートとして機能する。モニター代わりにもなる便利もあって広く使われてる。
歩きながらチェックする女性の姿は容姿端麗。
だが恐ろしくマイペースな人だった。