1話
「がんばりな」
暖かいはげましも、場合によってトゲとして刺さりこむ。この時のオレがいい例だ。悪意も他意はない。本気でいってると百も承知。なのにイラっときた。しょーもないと知りながら、感情のままいい返してしまったのだ。
「るぜぇ、ババァ!」
「親に向かって、るぜぇ、とはなにごと?」
丈夫なアルミ合金素材でリフォームされた玄関の上がり框に座ったオレは、渡されたサンドイッチ弁当を乱暴にナップサックに突っ込んで紐を絞った。ババァとなじった母親を死角アウトして。
「言葉は正しく使いなさいと、いつもいってるでしょ。その場の造語が面接でも通用するなんて甘く思わないで」
追撃を緩める気がない母親。
「ルセェなの、ウゼェなの。どっちなの」
「そっちかい!」
高等な口ワザ。思わずツッこまされた。
悪態を冷静なダメ出しでいなしてくる母親ってどうよ。息子のやされ気概を見事にくじいてきやがった。悪口の甲斐なし。反抗満足度80%カットだ。
「のれんに筆書き、床にクギか」
「のれんに腕押し、糠にクギよ。あんたにとって千載一遇のチャンスなんだから。しっかりモノにしなさい」
「冷静に訂正するなっ!」
「今の韻は。ま、わるくないと言っておくわね」
靴棚の、2足のスポーツシューズをくらべる。あまり傷んでないほうを選んだ。足を納めてつま先をトントンして履く。
自分でいうのもあれだが、普段はもっと良い子で通してる。親の言い草がいちいちカンに触ってくるのは、息子であるオレの気分が最悪というせいもある。というか100%それだ。
3年のハイスクールは、留年一回という最小ループで卒業できたが、売り手市場の就職戦線もダブりには冷たかった。思うような就活ができず、正社員どころかバイトさえ面接前の履歴書送付段階で振り落とされる日々が続く。世間はそろそろ新年度。温暖化で早まった桜も散ってしまった。
学力・家計的な理由から進学はできない。就職浪人という言葉があるが、大学受検に失敗した正統派浪人ならば向けられる目は優しい。バカして落第した人間の評価は厳しく、落ち武者ぶりはより無残だ。このままいけば、性格は歪み腐り、壁ドンで食事と小遣いを親にせびるという、ダメ人間メゾッドをゲットするだろう。そんな自信だけはたっぷりとある。
どこでもいいから職を得たい。心からそう願った。
バイト情報、就職情報に片っ端から申し込んで、最後の最後に面接チャンスを手に入れた。これが、ニート突入を回避できるラストチャンスだ。
昨夜、興奮と緊張とが無限に繰り返した。眠れなかったほどナーバスになったのは、仕方ないこと。ニート予算を推進したどっかの大臣なら、両肩を叩いて同情してくれるはずだ。ネットテレビで顔を知ってるだけだが。
玄関をでながら、重いドアを肘で力まかせに押した。八つ当たりだ。鋼鉄がぶつかり合う不愉快な音を鳴らして閉じる……はずだったが、音がしない。母親が受け止めたのか。ナップサックを左手に持ちながら右側をふり返ると、視界には、鉄拳が飛び込んできた。左腕を反射的に振り回して、遠心力でナップサックを手繰り寄せ、顔面の前にガシッと構え持つ。衝撃に備ええること5秒。鉄拳がこない。
恐る恐ると、ナップサックをずらした。遮蔽物の裏にあったのは、土ぼこりを上げ、大股のデンプシーロールをストップさせている母親という構図だった。
目が合ったとたん時間が動きだす。軌道を変えた鉄拳は、顔ではなく、オレのボディに刺さりこんだ。
「う……ぐ……ッ」
ダメージが内蔵に届き、身体がくの字に折れる。痛いどころではない。
だが倒れたら負けだ。うめき声を出しても負けになる。
どうにかガマンし平静をとり繕う。
「ふ。サンドイッチを盾にするとは、知恵がついたものね」
「いてぇじゃないか!」
「はーい負け1ね。今月の小遣い減給」
「しまった、つい」
誰だよ。負けたら小遣いを減らすって決めたヤツ。
「ドアを思いっきり閉めた仕返しよ。上がり框修繕したばかりなのに、壊れたらどうするの。ニート以上フリーター未満をもっと自覚なさい、支払い能力ゼロの息子よ」
「物事ってのはぜんぶ、ゼロから始まるもんなんだよ!」
エプロンのホコリをポンポンはらって、ぷんぷん怒る母親は心優しい女性である。息子の心境や悪態より、ドア破損やサンドイッチが潰れる方に心を傷め揺らすほどに。上がり框やドアを壊し、より丈夫な設備に変える必要に迫られたのは、オレや父親を相手にしたじゃれ合いのせいだ。恐れず正しくいうのなら、壊したのは母親本人である。
「面接もうんざりだ。今度こそ決めてくるよ」
「その言や良しっ。人さらいに気をつけていってらっしゃい」
心臓がズキン。だが軽口で返す。
「誰がさらわれるかっ」
威勢良くナップサックを背負い直し、今度こそ家から歩み出た。
母親が手をふってる気配を背中に感じた。
閑静といっていい住宅地。小型自動車1台ぶんの小道に踏み出ると、元気のよい女性の、行ってきますの声が静けさを消し飛ばした。お隣の高級住宅に住む、2つ上の幼馴染みだ。飛び級で有名大学を卒業したというから、就職先も引く手あまただったことだろう。エリートというやつだな。
西暦2517年。カレンダーは、中世SFの物語において【未来】と信仰された時間に到達していた。光速船団が宇宙を席巻しまくる現代。銀河を股に駆けた星間企業や、発見された星系探索に憧れて少年時代を過ごす。99パーセント以上の青少年は挫折するが、コンマ一桁の、本当のエリートたちだけが見知らぬ宇宙を手中にできる。宇宙時代時代、彼女にとってこの星は狭すぎよう。
地域の住宅はどれも似通った佇まいをしてる。オレと彼女の家とでは、土地の広さと使用建材とセキュリティの格差がバカでかい。今ならわかる。そうした家を建てて住むのにはそれだけの能力や努力が遺憾なく発揮されての結晶なのだと。そこで育つ子供は教育水準からして違い、そそり立った山はとてつもなく高い。
子供のころ。じゃれるように遊んでもらっていて、たがいの家を行ったりきたりする仲だった。最近は、顔を合わせることがあっても言葉は交わさなくなった。誰もが自由だと法律は語る。仕事も恋愛も自由であると。天は人の上に人を作らなかったが、人間社会は人の下に人を作り出したようだ。法は、底辺人間の山登りを規制しない。山を登る装備を整えることができないだけだ。いつからかオレは、山を見上げることを止めていた。あんな事件がなかったとしても、結果は変わらなかったろう。
イカツイ甲冑騎士が護ってそうな西洋風の黒い鉄門が自動でスライドすると、生涯賃金をつぎ込んでも買えそうも無い黒塗りの反分子式自動車がボンネッドを顕してきた。
「んじゃ行くか。オレにはオレの未来がある」
痛む腹をさすりながら大きく息を吸う。自分に気付かれないようにそっと息を吐き出す。声の主の視界にはいらないよう背中を向け、自分の町を後にした。
乗った都市間高速バスは、運よく座席が空いていた。揺られること30分。高速道路の左右に高い森林が流れていく。ちょうど木の上から飛び出すロケットが見えた。電磁パルス式の発射台から打ち上がったロケットは、低い雲に孔をあけて消えていった。千歳港の感動が湧き上がる光景だ。ロケットは大気圏を突き抜け、地上から、100キロメートルほど昇ったあたりで、空宙から伸びてきた電磁パルスにキャッチされる。到達するのは静止軌道にある浮駅だ。
降下は逆の要領で執り行われる。浮駅から電磁パルスで吊り下げられたロケットは、バンジージャンプのごとく落下していく。電磁パルスは、限界近く伸びたところで切り離れされ、そこから地上までは羽根を広げての推進。プロペラホバリングして着陸する。
ソーラー蓄電のわずかなエネルギーで完結し、煙など出さない。20世紀の電子レンジ並みの消費電力で、最大20名の乗客を打ち出す究極エコな乗り物だ。乗客の感想では「上昇はゴム鉄砲のようだ」というが、よくわからん。
都心に近い空港の場合は、周辺への電子的影響も考慮し高性能ホバーロケットで急速上昇する。ぼわっと飛び立ったあと、足りない推進力を得るため、地表から24キロメートルほどに浮くドーナツ型の反重力エンジンのステーションで再加速、ほとんど空気がないため摩擦抵抗少なく、浮駅の電磁パルスまで上がるという。
千歳港があるのはだだっ広い北の大地。余った土地に建造されたことで、格安かつ打ち上げスペースの必要な電磁パルス&小型ホバリング方式を採用できたという。千歳港の打ち上げのほうが派手で、オレは好きだ。
男子なら、誰もが一度は憧れる宇宙への乗り物。オレも例外じゃない。アレに乗って星から飛び出し、投降画像でしか知らない他星系へいってみたいと夢みたものだ。宇宙遊泳には自信があった。ネトゲの中ではな。だが現実は甘くない。遊泳どころか搭乗でさえ実現不可能だろう。一人分の乗車賃で、家族三人が一年暮らせるのだ。アレで旅行ができるのは金持ちに限られ、地球外を職場にできるのは、さらに一握りとなる。
ここの宇宙港からは1日に2回打ちあがり計40人が宇宙の駅へ足を踏み入れる。この島国には7つの港があるから、全部の港が満席で打ち上げれば280人になる計算だ。宇宙旅行創世記には月に四人しか上がれなかったから、日に280人は多い人数と思える。だけどそれは錯覚だ。22億の人口比をパーセンテージに置き換えれば小数点の下にゼロが4つほど並ぶ。ロケットに搭乗できる人数は一握りどころか一粒ですらないのだ。
「ゼロから始まる……か。ははは。でもオレはツイテル。バイトにありつけるだけマシだからな」
難易度が高めのハイスクールは、入学はできても3年の学業を待たずに脱落するやつがいる。そいつらは頭がよくてもロクな仕事につけない。ほどほど難易度のハイスクールに入学して無難な大学に進学するヤツが多い、というかほとんどだが、やはりロクな職につけない人間のほうが多い。職につけない奴らバイトで食いつなぐか親にすがりつくしかできない。そうしたいわゆるニート問題は、オレたちどころか親世代から始まっている。拡大する少子高齢化と相まってこの星の根幹を揺るがす大問題と、ローカルネットニュースが告げる。
星間貿易は莫大な利益を産みだすが、競争に敗れた星の冨を無残に吸い上げもする。オレの生まれたこの惑星は恩恵に預かれてない部類に属していた。ギリギリ頑張ってはいる。企業は安価な労働力を求めて他の星系に移転し、そうした傾向は今後も増えるだろう。銀河レベルでは売り手市場かもしれないが、ここでは無関係だったりする。
仕事場が減ってるんだからバイトでもなんでも可能性があるだけマシだ。
何百回になるか知れない言葉を飲み込み、上がっていくロケットを見送った。
久しぶりの投降作品です。できましたら前作ともどもよろしくお願いします。