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      ◆◇◆◇◆◇◆◇



真っ暗な闇にただ浮かんでいるだけだった。

もう、痛みも恐怖も感じない。

実体すら持たない、僕は曖昧な存在になってしまった。不安も感じない。

僕はただ、暗闇に浮かんでいるだけだった。



      ◆◇◆◇◆◇◆◇



夜行列車に乗り込んだ初音は、流れる景色をぼぉっと見ていた。

先程から月が列車に付いて来ている。

月明かりは山の稜線を黒く浮き上がらせ、家々の屋根の瓦をキラキラと波の様に光らせていた。

深い水の底のような風景だ。

タマキの夜の絵に似ていると思った。

タマキに、電話で連絡すると、うんわかった、駅で待ってると言った。

朝4時半に着くから、来なくていいと言ったけど、それでも迎えに行くと言ってきかなかった。

初音も、会いたいと思っていたので内心は嬉しかった。

話したい事が山ほどあった。

夜の列車はガタンゴトンと車輪を軋ませながら月夜の田園や、鳥の眠る山々、時に長く、時に短いトンネルを走ってゆく。

人々は深い眠りに落ち夢を見ている時間帯だ。

 列車は静に支配された美しい世界を流れ星のように滑っていった。

 4時半はまだ夜明け前だった。

外は暗かった。

タマキは改札の向こうで両手をジーンズに入れて待っていた。

初音の姿を見つけると、右手を上にかざした。

「お帰り。」

「ただいま。」

初音の鞄を持って、タマキは家に帰ろうとした。

初音はその鞄を受け取り、これから行きたい所があるからと、ロッカーに入れた。

家に帰ってからでは遅いかもしれない。

「付いて来てくれますか?お願いですっ」

初音はちょっといたずらっぽく笑った。

「いいですよ。お付き合い致しましょう。」

タマキも笑顔で返す。

入学前の下見の時に見つけたあの場所へ。


一軒家が立ち並ぶ閑静な住宅街を二人が歩いてゆく。

なだらかな坂になっていてそんなに早くは歩けないけど、ちょうどいい時間帯に着くはず。

歩いている間に、夜はまた一皮、また一皮と薄い皮を剥いていくように、少しずつ色を無くしてゆく。

タマキは空を見上げながら無言で歩いている。

何かを考えている顔だ。

足だけは動かしているけど、ぼぅとしている。

星々が空の色に負けて見えづらくなってきた。

「タマキさん、あの公園ですよ。」

その声にふと我に返り、初音が指差した方を見ると丘にそって建った住宅街の一番上に小さな公園があった。

着くと、街が一望できた。

ネオンが少ないのは夜明け前だからだろうか。

高速道路のオレンジ色の明かりが規則正しく並んで点いている。

街の向こうには海が広がっている。

そこから日が昇る。

空はやや青紫がかっていた。

朝早い列車が、街を流れていくのが見える。

街はまだ夢の中で、世界が止まってしまったようだ。

だけど新しい一日は静かに始まっていて、東の空は赤紫とピンクとが混ざったような色へ変化していた。月はもう傾いていて、もうすぐ沈む。

夜の主役は舞台を降りた。

オレンジ色の太陽が光を放ち世界を包んでいく。

眩しい、だけどその光は力強く美しい。

光を受け、街はキラキラと輝きだした。

まるで、息吹を吹き返したように、ゆっくりと世界を動かし始める。

日の出を見ていたタマキに初音はゆっくり語りかける。

「世界は、必ず朝を迎えます。あなたも、私も。時に容赦なく、時に待ち焦がれて。」

タマキははっとした。

「人の存在は、不確かかもしれません。でも、ちゃんといます。人の心には、大事な人は曖昧になんて残らない。そんな人ほど鮮烈に、いつまでもいるんです。だから、タマキさんも、ほら、ちゃんとここにいますよ。」

初音は、自分の胸を指してにこっと笑った。

手が伸びてきたのがわかった。

タマキは、初音を抱き寄せた。

初音はびくっとしたが、動かずに抱かれていた。

タマキの肩は、かすかに震えている。

彼は、心に何を抱えているのだろう?

少しでも、取り除いて楽にしてあげたい。

でも、今はそれ以上何も言えなかった。

「ありがとう。」

タマキの小さな声が聴こえた。



よく行くコンビにで、ご飯を調達していたらガラス越しにヒビキの姿が見えた。

どこかへ出かけるらしい。

手には教本を持っている。

どこへ行くのだろう?

今日はタマキとモデルの約束の無い日だ。

ヒビキは日々の行動がよく分らない。

何をしているのか気になったので、ちょっと探偵ごっこをしてみようかなという気分になった。

もしかしたら路上ライブでもするつもりかも知れない。

手に教本を持っているなら演奏をすることが考えられる。

ぶっちゃけ、ヒビキの音楽は聴きたいけど、会話がね、というところだ。

 ヒビキは駅前の商店街を抜け、山手の方面へ向った。

高架線をくぐり、街路樹が並ぶ道を歩いていく。

初音にとってはまだ来たことのない所だったので、少し不安になった。

遅れないようについていかないと、迷子になったら大変だ。

 小さな公園を曲がると幼稚園が見えた。

そこの門を開けると、ヒビキは勝手知ったる様子で中にスタスタ入っていった。

まだ若いのに、子持ちだったの?!

これにはビックリ。

中から子供がわらわら出てきた。

どの子がそうなんだろう。

一人とは限らないけど。

「せんせぇ、今日はなに弾くの?」

せ、先生?どうやら、子持ち疑惑は早とちりのようだ。

本日は、ヒビキ先生の音楽教室らしい。

先生、今日はあれやってと、アニメや戦隊物の歌を迫られている。

その度に、そんなのはやらないとか、その歌は知らないとか真面目に返している。

 それなら、今日はピアノは弾かないと、園児の一人がダダをこねた。

クールな顔がタジタジだ。

しょうがないなぁ、と弾きだしたのは「アンパンマン」だった。

途端、園児達は元気になった。

見るとヒビキも一緒になって歌っている。

暫く子供達とのやり取りをみて笑ってたら、ヒビキはこちらに気付いてしまった。

笑い声が大きったかな。

バツが悪そうな顔をして、溜息をひとつついて、初音に手招きをした。

「いつから、そこにいた?」

駅前のコンビニから付けてたことを話すと、

「はぁ、かっこ悪いとこ、見られたな。」

それから、また、大きく息を吐くと。

「黙ってつけて来た罰だ。あんたも手伝えよ。」

「えぇっ!!」

初音は急遽、ヒビキ先生の音楽教室の助手をすることとなってしまった。

 一緒になって、手を叩いたり、歌ったり。

子供の顔はどれも無邪気で楽しそうだ。

こっちもつられて、はしゃいでしまう。

ヒビキは、笑いながら初音に手を差し出した。

「一緒に弾こう。」

ピアノは一台。

ヒビキは椅子の後に深く腰掛けると、自分の前を指差した。

椅子に二人掛け?

しかも前後で、私が前!?

そこに座って弾けというのですか?

は、は、恥ずかしすぎる!!

 ためらっていると、ヒビキは可笑しそうに言った。

「子供達の目の前だぞ。悪さなんかしねぇよ。さ、早く。」

渋々、座った。

後ろのヒビキを意識してしまう。

背後からヒビキに抱かれているような感覚。

顔が真っ赤になるのが分かった。

だが、ヒビキには違和感ないようだ。

「先生、これからお姉ちゃんと練習するの?」

成る程、この位置でいつも子供を教えているんですか。

大胆な先生だわ。

「連弾と言えば・・・」

「ハンガリー舞曲」

速攻で答えたのに呆れられた。

「猫踏んじゃった、だろ?」

そうだった。ここは幼稚園でした。

「じゃ、あんた、主音ね。俺は鍵盤の上と下を使って伴奏するから。」

園児にも、ちゃんと歌えよ、と言っている。

なんだかんだ言いながら、いつもより楽しそうに弾いている。

初音は、ヒビキの呼吸や、腕や、時々触れる肩なんかが気になって、胸がドキドキしっぱなしだ。

この鼓動が聞こえてやしないだろうか?

きゅんとなったり、モジモジしたり、とても演奏どころではなかった。


 最後の園児が帰っていくのを、ヒビキと初音は手を振りながら見守った。

もう、音楽教室も終了だ。

「ヒビキさん、聞いていただきたい曲があるのですがよろしいですか?」

「いいぜ。部屋の鍵を返す時間まで、しばらくあるし。」

初音は、ピアノの前に座ると語るように弾きだした。

愛の夢、第3章。

リストが好きだと言ったのを、覚えていてくれたのか。

ヒビキは、音の語りに耳を預けている。

甘く、溶けるような、激しいような、囁くようなそんな語りだ。

「いいね。告白されているみたいだ。」

言われて、ドキリとし演奏を止めてしまった。

顔が真っ赤になっているのが分る。

「…。」

言葉に詰まった。

これがタマキなら、まぁた、そんな事言ってって言えるのに。

「違ったの?残念。」

ヒビキは、初音を見つめている。

その瞳に吸い寄せられるようだ。

夕方の教室は、先ほどのちびっ子達の甲高い声が無くなった分、しんとして、掛け時計の針の音と自分の心臓の音だけが聞こえる。

「…おお愛する者よ、愛することのできる限り愛せ。

愛せ、愛することの許される限り愛せ。

その時はやって来る、必ずやって来る。

お前が墓の傍に佇み、悲しみに暮れる。

その時は、必ずやって来るのだから。

…そんな風に弾いてくれたんじゃないの?」

愛の夢は、詩人の詩に曲をつけたものだ。

その詩をいうなんて、ヒビキは意地悪だ。

「ごめん、冗談だよ。」

気まずい雰囲気を流すかのようにヒビキは言った。

だけど、どうしてだろう。

この切ないドキドキが止まらない。


部屋に帰っても、胸の高鳴りが治まらなくって寝付けなかった。

タマキさんとヒビキさん。私は、どっちが好きなの?

 こんな苦しい思いは初めてです。

お爺ちゃん、お婆ちゃん、私はどうしたらいいの?


 ゴールデンウィークは、学校が休みになる。

タマキは、画材道具と、描きかけの絵と無くしたくない沢山のスケッチを家へ持って帰ることにした。

久しぶりの休暇だから、どこかへ行こうかと思い立った。

初音を、美術館へ誘ってみる。

「美術館?」

初音は、ちょっと躊躇した。

硬い印象派とか、よく分からない。退屈しないかな…。

それを言うと、タマキは、

「そんなんじゃないよ。」

と笑った。

行ってみると、絵本の絵を展示している。

アンデルセンや、グリム、それに日本の昔話もある。

「どう?」

「けっこう、楽しい。」

「よかった。美術って、難しいだけじゃない。もちろん難しいものは、一杯あるけど楽しいものだってあるんだよ。」

「そうですね。こんなのだったら、また来たいな。」

「あ、これ、昔読んだことありますよ。」

「月夜とめがね。お婆さんと蝶々の話だね。」

「短いけど、とってもいい話です。」

「ほんわかして、君みたいだよね。」

「それは、お婆ちゃんのイメージ?」

「優しい朧月夜のイメージだよ。」

「今日のタマキさん、切れがいまいちだわ。」

「ちぇ、今日は調子出ないな~。」

そういいながら、タマキは、初音の手を握った。

握る手が、温かかった。

帰りにポストカードをタマキが買ってくれた。

小さいながら、今日の記念とか。

例の、月夜と眼鏡の絵が描かれてあった。

 

翌朝、ヒビキはタマキの描いた絵が部屋に飾ってあるのを、じっと見ていた。

そして短く、そっか、と呟いた。


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