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2-3

「アルコール濃度は0.2ミリグラム、予想より高くないです」

 死んだ佐山の血液を、化学物質分析装置で調べていたスヨンが、康浩に報告した。


「この程度のアルコールで意識を完全に失うことはないか……」

 脳組織の切片標本を作り上げて顕微鏡で観察を始めていた康浩は、そのままの姿勢でつぶやいた。同時に頭の中では、スヨンの言葉の意味を必死に考えていた。


「はい。しかも、佐山氏体内のアルコールを分解するアセトアルデヒド脱水素酵素はGGタイプでした」 スヨンは、そんなところまでも調べていたかと、康浩は舌を巻いた。


「それは白人や黒人のように、お酒に強いタイプだ」 顕微鏡から目を上げて、康浩は言った。

「はい。そうです」 スヨンは思慮深い顔をして丸い回転椅子に座って、こちらを向いていた。彼女の白衣の下に、白い脚線が美しくのぞいていた。


「我われアジア人には半分しかいないGGタイプ。その佐山氏が、飲酒で意識を失うことは考えにくいね」

 康浩やスヨンのようなアジア人には、アルコールに弱い人が少なくない。康浩自身も酒を飲むと顔が赤くなるから、おそらくその口だ。しかし亡くなった佐山は、そういう人間ではなかったようだ。


 彼は、誰かに突き落とされたのだろうか?


「ところで、脳の組織検査の結果は、どうでしたか?」 康浩に対して、スヨンが質問してきた。

「ああ。……脳には動脈硬化などなく、外傷性の血腫以外は異常がなかった」 

「そうですか」 康浩の答えを聞いて、彼女は軽く腕を組んだ。彼女の脳は今まさに、高速で回転しているに違いない。


「調書によると、佐山には糖尿病や脂質異常症などの合併症はなかった。高血圧はあるが、一年前から薬を飲んで正常範囲内に落ち着いているそうだ」 康浩が、警察が調べた調書にある既往歴の項目に目を通してスヨンに伝えた。


「そうなると、病死の可能性は、ほとんどゼロですね。真実は一つだけなんですが……」 スヨンは考え込むように、死体から採取した試料の瓶を見つめた。その視線は、まるで死者の臓器を透かし見ようとするかのように、鋭く必死に見えた。


「ああ。でも、佐山氏は意識をなくした状態で階段から落ちている。これは、一体どういうわけか?」  康浩は、独り言のように呟いた。

 判明した事実はどれも、確かにうまく説明ができなかった。


「……血液サンプルから、薬物検査をしてみます」 少しの間、考えていたスヨンがくるりと背を向けると、再び化学物質分析器に向き直った。


 セットされていた血液の入った注射器の中身から、さらなる分析のためにスヨンは装置のキーボードをたたいた。一心に作業を進める彼女の後姿を見た康浩は、自分も作業を進めねばと思い直して顕微鏡所見をパソコンへ記入し始めた。


 しばらくうなりを上げていた分析器の画面に数値が並んだようだ。それを上から下まで見たスヨンが、「フー」と息を小さく吐いた。


「どうした?」康浩は、白衣を着て髪を後ろに結んでいるスヨンのうなじ辺りに声をかけた。

「青酸カリ、バルビタール系睡眠薬、モルヒネ系麻薬、覚せい剤を調べたんですが、検出できませんでした」 スヨンが康浩に首だけ向けて言った。その眼は、悔しそうだった。


「……そ、その検査の意味は?」 彼女は毒薬や劇薬について分析したようだったが、康浩には彼女が恐ろしいことを意図している予感がして、思わずどもった。


「はい。毒殺という仮説も考えてみましたが、違ったようです」

 スヨンは、やはり恐ろしいことを考えていたが、それを平然と言ってのけた。


 その後、スヨンは何事もなかったように淡々と分析器の後片付けを始めた。彼女の後姿を見ていた康浩は短い身震いを感じて、しばし凍りついた。




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