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「……血液から、アルコール濃度を計測していいですか?」
スヨンは、いつの間にか眼鏡をかけていた。軽い乱視があると言う彼女は、実験室では眼鏡をかけていることが多い。その眼鏡は黒縁なのだが、それは単色ではない。どことなくスタイルも変わっている。服装も黒っぽいスーツに白っぽいカットソーで出勤してくることが多いのだが、それらの生地にも少し光る糸が織り込まれていたり、フォルムが少し変わっている気がする。これらの衣服にブランドのマークは一切見たことがないし、装飾品も基本的につけない。
彼女は来日して半年しか経っていないのだから、服や眼鏡の多くはアメリカか韓国で買いそろえたものだろう。彼女は外見上、間違いなくアジア人の血を引いているが、どことなく異邦人の風情が漂っている。いや、はっきりした目鼻と整った顔立ち、完璧なプロポーションに、どこまでも漆黒の髪と瞳からは異星人のような距離感さえ感じることがある。
スヨンは、解剖所見で明らかになった佐山氏は転落するときに意識がなかった原因を調べようと思い立ったようだ。だから死体から採取した血液を分析器にかける許可を、康浩へ律儀に求めてきた。
康浩がうなずくと、スヨンはさっと透明ケースに入っていた佐山のサンプルの瓶を手に取って、白衣の裾を翻し立ち上がった。そして、すぐ背後の壁際にある分析装置の前にある丸椅子に腰かけると、手際良くサンプル瓶から注射器で血液を数ミリリットル吸い取り、それを分析器へ注入して流れるように解析作業を始めた。
「俺は脳の組織標本を作って確認してみるよ」
スヨンの凛とした後姿に向かって、康浩は語りかけた。動脈硬化など、突然意識障害をおこす病気の有無を確かめてみようと思ったからだ。
スヨンは、その可能性は小さいと言いたげだったが、転落する寸前に病気をおこした可能性も否定はできないから確認しなければならない。真実を究明するために、考えられる仮説を一つずつ絞ってゆく消去法だ。
スヨンの背中が、康浩の言葉に対して少しうなずくように揺れた。
法医学教室は全国的に、慢性の人手不足に悩まされている。康浩の所属する法医学教室も例外ではなく、あと二年あまりで定年を迎える梅田教授のほかには康浩とスヨンがいるだけだ。
以前は白い巨塔体制、よくも悪くも教室の主任教授が実地臨床の指導ばかりか人事権までも持つ絶対君主だった。しかし新しい臨床研修医制度が始まって若い医師たちが自由に就職先を選べるようになると、潮が引くようにへき地や救急、そして基礎医学部門から人がいなくなっていった。
元々外科医だった康浩自身も、威張れたものではない。所属していた外科学教室から「空きポスト」を埋めるため法医学教室に移籍してきたからだ。
元々は移植外科医を目指した康浩だったが、上司だった外科の津田主任教授兼医学部長が、梅田教授の定年後に法医学教室が無人になってしまうという危機感を募らせ、自分の配下にいた康浩に出向を命じた。
当時の外科学教室では、康浩の五年上の柳田が准教授になり次期教授と目されていた。「このままでは君は一生、助教どまり。いずれは何処かの地方病院に出てもらうしかない」と津田教授に言われた。
幸いにも康浩の書いた「細胞の経時的変化」という英文論文が、法医学上の死亡推定時刻決定にもつながる研究だと評価された。康浩は大学の教授会に諮られて三十八才の若さで法医学教室の准教授に昇格した。津田教授の言うとおり、外科にいたら望めない二階級特進だった。
法医学の梅田教授は、康浩の論文のほかに解剖の手腕を高く買っていた。康浩が来てから教授は、解剖の多くを任せ「解剖時間が三割は短くなったよ」と喜んでくれた。移籍当初は梅田教授から多くを教わったが、もともと飲み込みは早く手先も器用だった康浩はすぐに慣れていった。
しかし簡単な仕事など医学界にはない。康浩が書いた解剖報告書は、教授に訂正されることが少なくなく、そのたびに学問の奥深さを学んでいった。
昨秋にスヨンが赴任してから、梅田教授はほとんどの解剖や報告書を二人に任せきるようになった。当時、教授が医学副部長になったこともあったが、法医学については康浩よりも経験が長いスヨンが来てくれたので安心したようだ。
実際、教授は康博とスヨンが二人で作成した解剖報告書には、ほとんど全部「完璧だ」と言ってくれた。先週は、「これなら安心して定年退職できる。すべてを任せられる」と満足した様子で二人の肩を叩いて笑ってくれた。