2-1
「先生、事件報告書を読みましょう」
教室に戻ると、スヨンが康浩に言った。彼女は、日本語会話はかなりできるようになったが、漢字混じりで書かれた文書を読むのは不得手だと言う。結果解析の作業をしながら、彼女に事件の背景を読み聞かせることにした。
二人は部屋の中央にある大きな実験机をはさんで、康浩は顕微鏡を、スヨンは形態計測装置を出してそれぞれの作業を始めた。康浩は傍らに報告書を置いて、それを音読し始めた。
佐山健一は地元大手の第三グループの中にある中堅企業、第三製薬の重役。創業者の大島誠一が社長で、彼はかつて画期的な消炎鎮痛剤を開発した薬理学者だった。そのヒット製品のおかげで今の第三製薬がある。
亡くなった佐山健一は、大島誠一の娘、恵子の婿だった。恵子は地元私大の薬学部を出て、父親の会社の開発部を手伝っていた。同じ会社の経理部に勤めていた東大経済学部出身の佐山が、恵子と結婚したのは三年前だ。佐山の経営能力は卓越していて、今は実質的に会社を取り仕切っている。
大島家の子供には佐山の妻である恵子のほかに、異母兄の一郎がいて第三製薬の専務を勤めている。父と同じ薬理学者である一郎だったが、さしたる新薬も完成できずにいる。独身の彼は、最近では本業よりも遊びや競馬に凝っていて、有名競走馬の馬主もしている。
ところで佐山健一は死亡当日、かねてからの仕事を終えた後、十七時ころに一旦帰宅してから十九時に繁華街の日本料理店、和膳で大島一郎と会食した。食事を終えた二人は二十二時過ぎにバー、カリフォルニアに入った。二十三時ころ、「疲れた」と言って佐山一人が店を出たと複数の従業員が証言している。
二十三時四十分ころ、同店へ向かう客の江藤が一階の階段出口で血まみれになって倒れている佐山を発見。通報を受けた救急隊員が約五分後に駆けつけたところ、すでに心配停止状態になっていた。直ちに救命処置を行ったが反応はなく、十五分後に到着した警察医が死亡を確認。死因特定のため司法解剖を依頼。以上。