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二月半ばの朝は、凍てつくように寒かった。中田康浩は白い息を吐きながら自転車を飛ばして、中央医科歯科大学医学部棟一階にある法医学教室へ飛び込んだ。改めて自分の携帯電話をポケットから出すと、時計は午前八時を指していた。
「調書と裁判所からの鑑定処分許可状は、遺体と一緒に九時すぎに届けます」という杓子定規な市警本部からの通告を受けたのは、午前七時半だった。
康浩は一年前まで外科医で救急をやっていた。外科勤務は本当に過酷だった。勤務時間外の呼び出しは当たり前で、病棟に重症の受け持ち患者がいると帰れない。そのほかに否応なく回ってくる当番制の当直では、救急外来が繁忙で徹夜になっても翌日は通常業務が待っていた。女性と真剣に交際する暇もなく独身のまま今に至っている。そんな康浩にとって、今朝の呼び出しくらいは朝飯前だ。
法医学教室に入って電気をつけると、所せましと並んだ試験管や測定器具が薄く光った。康浩は、一番手前のデスクにあるファックス装置に警察から届いていた司法解剖依頼書を取って見た。
遺体氏名、佐山健一、四十三歳、男性。職業、第三製薬重役。昨夜二十三時四十分に繁華街の雑居ビル一階の階段出口で通行人に発見された。二十三時すぎに同ビル二階にあるバー、カリフォルニアから出たところを階段から転落したと思われる。現場での検死所見としては前頭部に著しい外傷があり、頭蓋内損傷による死亡が疑われる。なお佐山健一は某事件の容疑者であり、詳しい死因を究明する必要あり。以上。
これ以上ないほど事務的に書かれた依頼書を読み終えた康浩は、出勤途中の自動販売機で買ったホット缶コーヒーのプルトップを引いて一口飲んだ。温かいコーヒーが胃に達すると、頭が本格的に活動し始めた。
「おはようございます」
背後でドアが開き、女性の声がした。振り返ると、半年前に赴任した客員研究員の韓国系アメリカ人、キム・スヨンが立っていた。漢字で書けば金秀英、両親が仕事で韓国から米国に移り住んでから生まれたそうだ。
彼女はアメリカで育ったが、家庭の事情で高校の三年間だけを祖父母の住む韓国で過ごした。大学はアメリカに戻りピッツバーグ大学医学部に進学したそうだ。
卒業後は大学病院で二年間の研修医を修了してから法医学教室で三年間働き、公費海外留学審査をパスした。国外での研鑽を希望する彼女を見込んで引っ張ったのが、康浩の属する法医学教室の梅田幸三主任教授だった。
「ああ、おはよう」 康浩が彼女に答えた。
「事件ですか?」
ファックスを持つ康浩を見た彼女の切れ長の目が、朝日に光った。彼女の日本語会話能力は飛躍的に進歩している。感心することしきりだが、少しだけアクセントがある。どこが変かと尋ねられても、康浩にはうまく説明できない。
「うん、昨夜、いや、昨日の晩、階段から転落した男性の遺体がここに来る」
彼女に対して康浩は、なるべく簡単な日本語を選び少しゆっくり話す。
康浩は貿易会社に勤めていた父親の関係で小学校二年生から三年間、ドイツで暮らした経験を持つ。住んでいた街は古い聖堂が街の中心に建つ、小さくも美しい町だったと記憶している。そこはフランス国境に近かったので週末には多くのフランス人が街に来ていたし、自分たち家族も気軽にフランスに入る。地元の人たちは言葉の通じない相手に動じない。互いに理解できる言葉を出し合って暮らした経験が、康浩には何となく根づいている。
「わかりました。すぐに準備します」
そう言ったスヨンは、肩までのびたストレートの黒髪に黒く澄んだ大きな目を持つ色白の女性だ。その整った顔立ちを歪ませることは少なく、ポーカーフェースという言葉が相応しい。どことなく翳りを持った瞳には、ミステリアスな臭いも感じさせる。
康浩はスヨンに「十分後に解剖室で」と言うと、急いで教室の向かい側にある准教授室に入り、コートと上着を脱いで青い術衣に着替えた。
そうしている間にも頭の中では、これから行う仕事の工程を忙しく組み立ている。事故死、自殺、他殺、自然死のすべてに対応できる手はずを短時間のうちに遺漏なく整えなくてはいけない。梅田教授が出張で不在なので、自分が全責任を負わなくてはいけない。そこまで考えたとき、身が引き締まった。
青色の術衣に着替えた康浩が勇んで背廊下に出ると、朝早い医学部の廊下は人気もなくしんしんと冷えた。そのまま奥の解剖室に入ると、すでに黒髪を後ろに束ね眼鏡をかけたたスヨンが、青いマスクと手術衣姿で司法解剖の用意を整えていた。