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第十一話 恋人

 八月も、残りは数える程となり、多くの学生はカレンダーを睨みながら、必死に猛暑と宿題の残りを相手に格闘している。

 そんな時期、咲と凪の双子の姉妹は、余裕の表情を浮かべながらアルバイトをこなしていた。

 二人とも高校生である以上、無論宿題は出ている。だが凪が中心となって二人で定期的に取り組んでいたし、どうしても分からない所は閃夜に聞く事で、難なく問題を解くことができた。そのため、かなりの余裕を持って全ての宿題を完了させていた。


「店長も学生だった頃は、宿題は早く終わらせてたんですか?」

 スタッフルームで咲が閃夜に尋ねた。この二人に加え、凪も緑茶を啜りながら二人の会話を聞いている。

 今までは少なくとも、誰かしら一人がレジに座っていたのだが、どうせ客が来る時は閃夜には分かるのだから、全員スタッフルームにいても心配無いだろうという結論に至り、こうして三人でいることが増えていた。

「うーん……いや。結構最後の方まで溜めてたけどね」

「本当ですか」

「本当だよ。学生時代は部活とか忙しかったし、面倒臭かったし、大体五日もあれば全部終わらせられたしね」

「それって嫌味ですか?」

 閃夜も咲も、互いに笑っていた。

 そんな二人の光景に、以前までなら凪の心境は穏やかではいられなかっただろう。だが今ではその程度で揺らぐことは無い。なぜなら、

「そう言えば咲ちゃん、憧れの彼とは進展あったの?」

 答えの分かりきった質問。そして、分かっていた答えの通り、咲は首を横に振った。

「結局あれから一度も会えなくて。毎晩夜になると空を見てるんですけど、何せ真っ暗だから何も見えないんですよねぇ。けど、いつかまたきっと会えるって信じてまけどね」

 満面の笑顔でそう言い、目を閉じる。そうやって、命の恩人に思いを馳せているのだろう。

 咲ほど会話が上手いわけでもなく、閃夜との気が合うわけでもない。だから今までは、それができる咲が閃夜と笑い合っている光景を見れば、少なからずの嫉妬を募らせた。

 だが今では、閃夜とは別の思い人という存在がある。だから、二人が笑い合う光景を前にしても平然としていられた。

 しかし、姉のそんな恋心が、叶わぬ恋であろうこともよく分かっている。

(姉さん……ちょっと、かわいそう……)

 だが同時に、本人も叶わないと分かっているからこそ、それを叶える日を目標に今を生きているという事実も知っている。姉を気の毒に思う気持ちと同時に、応援したいという気持ちとで、複雑な感情が凪の中に芽生えていた。

(ひょっとして、姉さんも私を見ながら、こんなこと感じてたのかな……)


 そして、閃夜はと言えば、

(参ったなあ……ていうか何でこうなったのかしら?)

 笑顔を作りながら、咲に対して何度も同じ疑問に募らせていた。

 思い人の真の姿を突きつければ、百年の恋も醒めるだろう。そう思った。だが、まさかそれでなお恋心が強まるなど、何度考えてもどういう理屈なのか理解できない。

(とは言え、せめて今だけは、夢を見させてあげておいてもいいかもだけど……)

 咲に申し訳ない気持ちを感じつつ、そう考える。そう考えなければやってられない。


 その直後に閃夜は立ち上がった。双子もそれに注目する。

「お客さん」


 いつものように双子はレジに立ち、閃夜は入り口近くに立つ。そこでドアが開いた。

「いらっしゃいませ。『ARINOSU』へようこそ……」

 訪れたのは、女性客だ。

 いかにも爽やかで清純そうな、短い茶髪が光るその女性は、閃夜の顔をまじまじと見ている。そして閃夜も、互いに見つめ合っていた。

「え、閃夜君?」

 女性が驚いた様子で、閃夜に対して言う。閃夜はばつが悪そうに顔を背けたが、

「やっぱり! 髪が伸びてて一瞬分からなかった。覚えてるでしょう、私のこと」

 閃夜はごまかしは効かないと分かり、真っ直ぐ女性の顔を見た。

「お久しぶり……」

 複雑な笑顔で言う閃夜を、双子は黙って見ていた。

 二人はしばらく会話した後で、閃夜が蟻を選び、女性はその蟻をレジまで持ってくると、勘定を済ませ帰っていった。

「……店長」

 ずっと女性を見ていた閃夜に、凪が話し掛ける。

「今のお客さんが、どうかしたんですか?」

 心配そうな声と表情で聞いてくる凪に対して、閃夜は一言、

「高校の頃、同じクラスだった人」

 そう答えた後は無言になり、黙ってスタッフルームに入っていった。そんな姿に、それ以降、双子はスタッフルームに入る気分にはなれなかった。


 ……

 …………

 ………………


「お疲れさま」

 閉店時間、閃夜が二人に給料を渡す。

「ありがとうございます」

「ありがとうございます」

 同時に挨拶して、双子は裏口から出て行った。


 その帰り道、二人は、特に凪は表情を曇らせながら、先程の閃夜の表情ばかりを考えていた。

「どうなのかな」

「え?」

 前を歩いている咲が、唐突に話し掛けた。

「え、じゃなくて、あんたもさっきの女の人、いい加減検討がついてるんじゃないの?」

 凪は言葉を詰まらせるが、咲の言う通りでもある。

「で、もしかしてあんたこのまま引き下がるの?」

「……」

 すぐには返事ができなかった。少し考える仕草を見せ、そして、

「……店長が、あの人のことが好きだって言うのなら、私のどうこう言う所じゃないよ」

 それは、決して正直な気持ちではない。しかし同時に、それが最善の選択であろうことも分かる。

「店長はともかく、あんたはそれで満足なの?」

「……」

 また言葉を詰まらせる。満足なわけが無い。その言葉が素直に出ず、

「うん……」

 そう頷いた。すると、咲は立ち止まり、こちらを振り向き、笑顔を見せた。

「明日店休みだし、久しぶりに二人で遊びに行こうか」

「……え? 何で?」

「いいから行くの。良いわね?」

 笑顔のまま言われ、凪は無言で頷くしかなかった。


 ……

 …………

 ………………


 翌日、双子は約束通り、街を歩いていた。

 しばらく二人で出かける機会は無かった。だからだろう。思い思いの場所を周りながら、思い思いの会話を繰り返す。それだけの他愛ない行動で、思いの他盛り上がることができた。ゲームセンター、デパート、昼食にはハンバーガーショップと、街中の周りたい場所は一通り周った。

 やがて、いつの間にやら夕方となり、二人は港近くの公園のベンチに座り、夕日を眺めていた。

「やっぱ、たまには二人でデートするのも悪くないわね」

 咲が凪に言う。そんな咲に、凪は顔を向けながら、

「うん……ありがとう、姉さん。元気出た」

「……」

 急に言われたため咲は少し戸惑いを見せたが、他ならぬ妹の笑顔に、自身も自然と笑顔を浮かべた。

 そしてまた、夕日に目を向けた、その時だった。

「あの人……」

 咲が言い、凪もそちらを見る。

 そこにはまぎれも無い、昨日店を訪れた、あの女性が歩いている。

「行こう」

 咲は立ち上がりながら、凪の手を引いた。

「え? どうするの?」

「いいから行こう」

「でも……」

「ああもう! いいから行くの!」

「ああ……」


 そうして半ば強引に、咲は凪の手を引き女性の元へ行った。

「こんにちは」

 咲が愛想よく女性に挨拶をする。女性は振り返り、双子の顔を見た。

「あ、昨日の……」

「はい。昨日はどうも」

 どうやら、女性の方も双子の顔を覚えていたらしい。愛想の良い声を発しながら、爽やかな笑顔を向けてくれた。

「何かしら?」

「えっと、店長の高校時代のクラスメイトだったんですよね? 良かったら店長のこと、少しお話し聞かせてもらたらなって思って」

 そう言うと、女性は更に笑顔を見せ、

「いいわよ。座って話しましょうか。私は『津野田(つのだ) (れい)』。よろしく」

「西園寺咲です。こっちは妹の凪です。」

 三人は、先程双子が座っていたベンチに戻り、『津野田 令』を中心に、左右に双子が津野田を挟む形で座った

「それで、何が聞きたいの?」

 笑顔で尋ねる津野田に、咲が答える。

「店長って、学生の時はどんな人だったんですか?」

 津野田はその質問を聞いて、遠い目になった。

「すごく優秀な生徒だったわ。テストがある度にトップの成績で、運動も一番にできて。学校の皆が彼に憧れてた。彼ね、空手部のエースだったの。全国大会にも出場したのよ」

「本当ですか!?」

 咲が言い、凪は声を出さなかったものの、双子は共に信じられないという顔になった。

「ええ。けど彼、不思議と誰とも打ち解けようとしなかった。毎日暗い顔して、周りの人を遠ざけてるみたいだった。とても無口だったし、誰に話し掛けられても冷たかった。暇さえあれば、難しい本を読んでるような印象だった。そんな時の彼には誰も近づけずにいたわ。とにかく、見てるだけで凄く怖かったのを覚えてる」

「怖かったって、店長がですか?」

「ええ。今はどうなのか知らないけど、あの時の閃夜君は、凄く怖かったわ」

『……』

 あの明るい店長が。

 どうやら、自分達のよく知る閃夜と、過去の閃夜の姿はあまりにも違いすぎているらしい。

「今の閃夜君は違うみたいね。髪を随分伸ばしてるのもそうだけど、昨日久しぶりに会話して、昔とは全然違うって分かった。あなた達を見てるとよく分かるわ」

 笑顔でそう言われ、双子もまた笑顔で頷いた。

「津野田さんはもしかして、店長と付き合ってたんですか?」

 あまりにストレートな言葉で、咲が尋ねた。凪も津野田も、いきなりの質問に目を見開いてしまった。しかし、津野田は微笑んだ。

「ええ。実を言うと付き合ってた。三年生の時よ」

「……」

 その発言は、凪の表情を深刻にさせたものの、咲を見ていた津野田がそれに気付くことは無かった。

「私から告白したの。二言返事でオーケーしてくれて、すごく嬉しかったわ。けど、学校で話してても、外でデートする時も、彼は一度も笑おうとしなかった。いつもの暗い顔しか見せなかった。なのに、私がどんな我がままを言った時も、彼は黙って言う通りにしてくれた。私のして欲しいって言ったことは、何も言わずに何でもしてくれた。断ったことなんて一度も無かったと思う。そんな、何でも願い事を叶えてくれる閃夜君が、私は何だか怖くなったの。私が死ねって言えば、いつも通りの顔で、何も言わず死んでくれるんじゃないか、そんな考えが浮かんだこともあった。そんな彼と付き合うのが耐えられなくなって、私から別れ話しを切り出したの」

『……』

 双子はまた呆然と口を開いていた。

 あの店長が、信じられない。もはやそれしか思うことができない。

「別れようって言った時も、彼はいつもと同じ顔で、何も言わずに別れてくれた。彼にとって、私はその程度だったんだなって、その時は思った」

「……」

「けど、違った」

「え?」

「いつもと同じ顔だって思ったんだけど、よく見ると、目だけは、いつもと違って悲しそうだった。そう見えただけかもしれないし、ただの見間違いかもしれないけど、けど、その寂しそうにしてる目を見て、彼も、私のことを好きでいてくれたんだなって、その時初めて思えたの。別れた後になっちゃったけど、ちょっとだけ嬉しかった」

「……」

 凪は、足下を見ながら思い出していた。ピクニックの時、閃夜が言っていた言葉。


 ――「守りたい人の存在が、生きることの原動力になる」


 高校時代の店長はもしかしたら、純粋にそんな人を求めていたのかもしれない。自分が本当に大切だと思える人。自分が生きていくために、そんな存在が必要だったのではないだろうか、と。

「今の……」

凪が、静かに呟いた。咲も、咲を見ていた津野田も、凪を見た。凪は津野田に顔を向けながら、

「今の店長なら、好きになることができますか?」

「……」

 その不意を突かれた言葉に、津野田は無言になる。そして、そんな凪の真剣な表情に微笑みながら、優しく話し掛けた。

「凪ちゃん、だったかしら。あなた、閃夜君のこと好きなのね」

 その言葉で凪は顔を赤らめ、そっぽを向いて無言になった。津野田はそれ以上は何も聞かず、今度は質問の答えを返した。

「確かに今の閃夜君は昔とは違う。凄く素適な人になったと思う。けど駄目。もう終わった恋だから。何より私には今、他に恋人がいるしね」

「そう、ですか……」

 凪はそれ以上、何も言えなくなった。

 考えてみれば、また何とバカなことを口走ったのか。

 そう思いながらうなだれる凪の背中に、暖かい手が触れる感触。見るとそれは、津野田の手。

「あなたの気持ちは分かるわ。けど彼のことが好きなら、彼の幸せを願って何かをするだけじゃなくて、お互いに幸せになるかもしれないこともするべきだと思う」

「お互いって……私も、ですか?」

「そう。もちろん、凪ちゃんの気持ちも分かる。好きな人のために、何かしてあげたい例え自己満足で終わっても、その人のために何かしたいって。だけど、そうやって自分のことをないがしろにしてたら、それはただ自分が辛くなるだけよ。大好きなその人のため、だけじゃなくて、その人が大好きだと思うことが出来る自分のためにも、ね」

「……!」

 好きな人のため、だけじゃない。その人を好きでいられる、自分のため。

 言われてみれば、閃夜のためじゃなくて、自分のための行動なんて、精々一度だけ、閃夜を尾行した時くらいしか覚えが無い。それ以前も以降も、閃夜の姿を見る度、何かしてあげたい、何かをしたい、そう思ったことはあるが、何かをしていたい、と思ったことは、一度も無かった。

 それを思い出し、改めて考えた時、なぜか、胸が熱くなるのを感じた。

 自分とは全く形の違う、咲の、自分の幸福を願う恋の気持ちが、初めて理解できた気がした。

「はい。ありがとうございます」

 笑顔で礼を言う。今までに無く晴れやかな笑顔だった。

 直後、咲が腕時計を見ながら立ち上がった。

「じゃあ、もうそろそろ帰ろう、凪」

 凪の前まで来て、手を引こうとした。しかし、凪はその手を後ろへ下げた。

「えっと……もう少しだけ、津野田さんと話しがしたい」

「……」

 そんな凪の言葉に、咲は思わず目を丸くした。凪が、また我がままを言っている。「閃夜を尾行しよう」と言い出した、あの時と同じように。しかし、

「駄目。津野田さんにも迷惑でしょう」

 そう言い聞かせながら無理やり凪の手を引こうとした。しかし、

「私なら大丈夫よ」

 津野田がそう、笑顔で言った。

「え? でも……」

 まだ明るいとはいえ、時間は夕方。普通なら家に帰るべき時間なのに。

「大丈夫。時間が許す限り何でも聞いて」

 最後のその言葉は、凪に対する物だった。凪は一気に笑顔になる。咲はそんな妹の姿に、寂しさを覚えたが、

「分かった。じゃあ、あんまり遅くならないようにね」

 いつもの笑顔を作りながら言い、その場から立ち去った。しばらく歩いた後でまた妹の方を振り向く。

 遠くから見えた凪の笑顔は、やっぱり、とても晴れやかだった。


 ……

 …………

 ………………


 いつもと同じく、閃夜は『Latent』の指定席に腰掛け、門口から渡された写真を見ていた。まだ若さが残る、坊主頭で、細目で凛とした姿勢の男がこちらを見ている。

「『秋元(あきもと) (じん)』。表向きは小さな診療所の院長だが、裏ではこっそり年端もいかねえ子供や学生を攫って、バラバラにして出てきた臓器やら血液やらを売って金にしてやがる外道だ」

「わぁ、げっどお~」

「そしてそいつが、今夜行動を起こすらしい。だからこいつの始末と、可能であれば攫われた人間も救出すること。これが依頼だ」

「お~、それ面白そ~」

 あくまで冷静に、淡々と自分の役割を真っ当する門口とは対照的に、閃夜も変わらない幼稚さで対応する。獲物が劣悪であればあるほど、外道であればあるほど、閃夜の中にある興奮は刺激され、楽しみへと変わっていく。

 いつもと同じ光景だった。

「……でも、それだけのことしてて、行動も分かってるのに、俺に依頼が来るって、逮捕とかはされなかったんですか?」

 平らげてスプーンを置き、写真を手に取りながら尋ねてみる。

「何度か疑われて調査はされてるんだが、証拠が一つも出てこなくてな。医者なだけに死体も証拠も処理は完璧ってわけだ。何より医者としても優秀らしくて、診療所の医者としてのこいつを信頼する患者も結構いる。だから警察も、最近じゃ迂闊に手を出せないんだと。今夜行動を起こすっていうのは、そいつを張ってた奴からついさっき入った情報だ」

「外道な上に賢いのかぁ……分かりました。部屋借ります」

 笑みを絶やさぬまま、写真を手に立ち上がった。

「ああ。頑張れよ。それと、救出する方は依頼のついでではあるが、やる気があるなら急いだ方がいいぜ」


 母親姿で外へ出て、周囲に人気が無いことを確認する。そして、夜空へと羽ばたいた。

 ある程度の高さへ飛翔した所で、まずは集中し、感覚を研ぎ澄ませる。街全体をガラスの水槽とし、人間全てをマネキンとし、その全てを俯瞰し、時に水槽を歩いてみる。

(……いない)

 顔は分かっていも居場所の手掛かりが何も無いような場合、こうして感覚を研ぎ澄ませば見えてくる。とは言え、外見の特徴が際立っていたり、体臭があまりにもきつかったり、ビルのような限られた範囲ならともかく、範囲が街一つ、匂いも外見も普通となれば、それにはどうしても時間が掛かる。

 医者ともなれば、肌から薬品の匂いがしそうなものだが、医者など大きな街には大勢いる。バラバラにしようというなら道具があるだろうが、それらを常備している医者も多い。

 やはり、見えてくるマネキンの顔を一つ一つ確認していく他ないらしい。

「……少し進んでみるか」

 制止しているよりも、移動した方が目的に近づける。それは空でも変わらない。

 別段、誰が殺されようと興味は無い。ただ、せっかくいつもと違って時間制限が設けられているのだから、それに挑戦するのも悪くない。

 タイムリミットを捉えながら、且つ楽しみながら、獲物を探す。

 探しながら、目に飛び込んできたのは、今飛んでいる場所のほぼ真下。

「あれは……」

 少女は自宅の前で辺りをきょろきょろしながら、何やら焦ったふうな顔を浮かばせている。

(……)

 仕事中ではあるが、反射的に急降下を始めた。



(私があの時もっと強く言っていれば……)

 何度周囲を見渡しても、凪が現れる気配は無い。

 今時、学生と言えども帰りが遅くなることは大いにあり得る。だが凪に限って言えば、バイト以外で帰りが遅くなるようなことは無く、遅くなる日は必ず家に連絡を入れていた。それが、今になっても連絡は無く、こちらからの連絡も繋がらない。

(どうしよう……)

 あの時、甘やかさず無理やりにでも手を引くべきだった。悔やんでも悔やみきれない。いくら悔やんだところで、凪は帰ってこないのだから。


「どうかしたか?」


 聞き覚えのある声が聞こえ、そちらを振り向く。そこには、クイーン・アントネストが、塀の上に腰掛けている。

「え、あ……」

 突然の登場に、顔は赤くなり、言葉を失った。

「何があった?」

 その質問で我に帰り、縋るような思いで叫んだ。

「凪が……妹が帰ってこないの! 最後夕方に港の公園で別れて、遅くならないようにって言ったのに何の連絡も無いの! 何度携帯に掛けても出ないし、もうどうしたらいいか……!」

 そこまで、クイーン・アントネストは無言で聞いていた。そして、

「……よし、お前は家へ入ってろ」

 そう言い残し、空へ羽ばたいた。

 どうか、凪を見付け出して。

 それを、ただ切に願った。



 咲の話を聞き、一つの考えが頭をよぎった。

 それはほとんど勘による閃きでしかない。それでも可能性はゼロではない。できることなら勘のままで終わって欲しい。そう思いながら、記憶している凪の匂いを追う。かつて、森を彷徨(さまよ)う凪を見つけ出した時と同じように。



   ◆



 廃墟と化したビル。

 『秋元 仁』は、目の前に縛られ、気絶している女を眺めていた。周りには様々な道具が置いてある。のこぎりや工具と言った。どれもが物を切断、解体するための物。

(やはり、バラすのなら若い女が一番だ)

 興奮しながら、まずは懐からメスを取り出す。

 このメスも、今まで医療の現場ではろくに使った(ためし)が無い。どんなに腕が良いと言われ、患者の信頼を勝ち得ようと、重態患者は全員大病院が(さら)っていく。小さな診療所では当てにさえされない。

 ずっと手術がしたかった。いや、実際には、とにかく人を切り刻みたかった。そのための理由が手術だった。だがその手術ができない以上、こうする他に方法は無い。欲望は満たされ、金も手に入る。一石二鳥だ。

 その考えの(もと)、もう一度、女とメスを交互に見る。いよいよだ。そうして座り込む。


 カランコロン


 その音に、反射的に振り返る。なぜかこちらに向かって空き缶が転がってくる。その空き缶の先から、誰かが歩いてくる。

「誰だ!?」

 やや狼狽しながら、向かってくる影に尋ねた。


「あんたは俺を知らないだろうが、俺はあんたのことは大体聞いて知ってる。『秋元 仁』。お前医者のくせに、今まで何人の人間バラしてきたんだよ」


 影が徐々に姿を現す。それは頭の触覚と長髪の目立つ、上から下までの服装全てが黒ずくめの男。

「お前、警察か?」

 狼狽したままそう尋ねてみた。


「いや。けど罪が証明された以上結局殺すことになる。ある意味それは同じかもな」


「殺し屋!?」

 男の正体に気付き、叫ぶように言う。そしてその直後、まだ気絶している女を縛っているロープを持ち、自分の前に立たせる。その女の顔にメスを突きつけながら、

「どう()るのか知らないが、この女がどうなってもいいのか? お前もプロだろう。プロなら素人の人間は傷つけられねーよな!?」

 これで相手は手が出せないはず、そう思ったが、男は笑っていた。


「マンガの読み過ぎだな。本物のプロが、そんなこといちいち気にするわけないだろう」


 人質が効かない!

 それが分かった直後、男はこちらに人差し指を向け、


「どちらにせよ、俺の知り合いに手を出したのが、お前の運の尽きだったな」


 そう言った瞬間、何やら口の中に、唾液とは別の液体を一滴感じた。

 その直後だった。突然息苦しさを感じ、胸が痛み出す。溜まらず胸を押さえるが、それでも胸の痛みは強くなる一方。女から手が離れ、その場に倒れ込んだ。

(ど、毒……!? いつの間に……!!)

 それを最後に、思考できなくなってしまった。



   ◇



(やれやれ。今日は子供の出番も無しか)

 ゲームもあっさり終えてしまい、閃夜は倒れている凪の方へと駆け寄った。ロープを解いてやると、体にけがをしている様子は無い。とは言え、このまま放っておくわけにもいかず、呼び掛けながら体を揺すってみる。


 何度か揺すったところで、凪は目を覚ました。

「あれ、ここは?」

 まだ朦朧とする意識で周囲を見渡した時、

「うわ!」

 目の前に、あの時の男が立っていた。とっさに体を遠ざけてしまった。

「慌てるな。何も取って食おうって気は無い」

「……」

 それは分かるが、知り合いとは言え神秘的な存在に、体が示す反応は狼狽だった。

「立てるか?」

 だが男はそんな狼狽など知らず、手を差し伸べてくる。

 まだ狼狽は消えないが、凪はその手を取り立ち上がった。

「ありがとう、ございます」

 凪が礼を言った、その瞬間だった。


「……!!」

 血や薬品の染みついた秋元の匂い。それと同時に、鉄と、硝煙の匂いがどこからか漂ってきた。

 咄嗟にそちらを向き、凪もそちらを見る。そして何を思ったか、凪は閃夜を前へ押した。


 タアンッッ!!!


 その音と共に、凪の胸から血が噴き出し、穴が開く。凪はその場に倒れた。

 何が起こったのかを理解するのに多少時間が掛かったが、すぐに閃夜は片ひざを着き、凪を抱き寄せる。

「誰だ!!」

 銃声のした方を向き、叫んだ。


「あーあ。これからがお楽しみだったのに。あんたのせいでせっかくの金ずるがいなくなっちゃったじゃない」


 女の声だった。声の主は徐々に素顔を見せた。

 もっとも、姿を見せる以前から、漂う匂いには覚えがあった。銃を片手に立っているのは紛れも無い、津野田令。

「……そうか。お前が誘拐担当か」

 ずっと疑問だった。秋元は医者で、解剖には長けているとしても、誘拐までできる男には見えない。写真を見た時からずっと疑問に思い、目の前にした時に確信した。だから、誰か別の人間がいるのだろうかと思っていたのだが……

「そう。更に言うと、この話を持ち掛けたのも私の方。ちょっと遊ぶ金が欲しくて利用してやったの。バカで単純な男だったわ。元々人を切り刻みたいって欲求があったみたいだったから、そこにうまく付け込んで……」

 そこまで話したところで、津野田は口を閉ざした。しばらくこちらをマジマジと見つめ、

「あなた……あなた、よく見ると閃夜君じゃない!? あなた今殺し屋なんてしてたの!?」

「……」

 返事はしなかったが、津野田にとってはその沈黙が答えになったらしい。

「あっはははは! 何これ! まさか過去に付き合ってた二人がこんな場所で再開するなんてね!!」

「……君はそんな女じゃなかった」

 大声を上げて笑う津野田に、閃夜は静かに声を掛けた。

「人は変わる物よ。あなた自身よく分かってることじゃない」

 なおも笑いながら言っている。そんな津野田が、閃夜は不快でならない。だがそんなことはお構い無しに、津野田は今なおひざを着いている閃夜に近づき、そして、凪を見た。

「いいこと教えてあげる。その子、あなたのこと好きなのよ。ちょっと会話しただけで分かったわ。それで相談に乗ってあげたら簡単に私のこと信用して。バカな女よね。これから誘拐されてバラバラになるとも知らないで。今までもそうやって誘拐してきたんだけど。けどまあ、最後に好きな人の身代わりになって死ねたんだから、幸せよね」

 そう言いながら、また声を上げて笑う。

 よほど楽しかったのだろう。良き理解者として、良き相談相手として、悩みを聞き、話しをしてくれた。そんな存在を信用し、そして頼った、そんな、凪の姿が、津野田にとってはよほど滑稽に映ったらしい。そして、そんな存在が殺されることも、楽しかったのだろう。


「……つも……」



   ◆



 もうそろそろ撃ち殺そう。そう考えた直後、閃夜は何かを呟いた。だがそれを聞いた瞬間、足がむず痒くなるのを感じた。


「……つもいつも……」


 次第にそのむず痒さが体中に広がる。たまらず体を見てみた。

「……え、うそ、なに!?」

 いつの間にやら、大量の蟻が体中にまとわりついている。


「いつもいつもいつもいつも……」


 すぐに手で振り払うが、数が多すぎて、おまけに動きが早くて、追いつかない。そうしている内に蟻は次第に数を増やし、体から肌の色が見えなくなり、体まで重くなっていく……



   ◇



「ぎぃゃああああああああああああああああああああああああああああああ!!」


 つんざくような悲鳴が、廃ビルに響いた。


 バキッ

 グシャッ


「ぎゃっ……ぐぇっ、がっがぁ……」


「いつもいつもいつもいつもいつもいつもいつもいつも……」


 閃夜は立ち上がると、ややうつむきながら、今や蟻の塊と化している津野田の前に立った。


 ブッシュゥゥゥウッッッ


 その時、大量の血液が、閃夜の体に降り掛かった。

「いつもいつもいつもいつもいつもいつもいつもいつも……」

 血まみれの状態でなお呟く閃夜の前で、固まりは徐々に小さくなっていく。そしてそれは、最終的に平らになった。蟻がそこから離れると、後にはわずかの骨と、血液しか残っていない。

「……どうしてこういつもいつも!!


「女って奴は、俺を本気で怒らせることができるんだ!!」


 最後は、絶叫してしまった。

「……」

 凪を一瞥し、携帯を取り出し電話を掛ける。その間に、蟻達は閃夜の中へ戻っていった。

 しばらく話して携帯を切った。


「店……長……」


「……!」

 その声に、閃夜は振り向き、凪に駆け寄った。

「店、長……」

 胸を撃たれ、意識を朦朧とさせている。弾は貫通しておらず、耐え難い激痛に見舞われているだろうに、自分のことを呼んでいる。

「……」

 秋元仁に言った言葉に嘘は無い。仕事の中で誰が巻き添えになり、死んでしまおうと、知ったことではない。当然プロとしてそれらを出さないよう努力はするが、いざ死んでしまえばそれまで。償いも無ければ、反省もしない。

 だから、それは例え自分の雇う従業員だろうと同じこと。それで凪が死のうと、咲が辞めようと、また別の人間を雇うだけのこと。むしろ、一人でも何の支障もない。

 そう。誰が死のうと、凪が死のうと、何も変わらない。関係は無い。

「……」


「俺はここだよ。凪ちゃん」

 気が付くとひざを着き、凪に向かって声を掛けていた。

 凪は何も見えない様子のまま、その声に向かって手を伸ばしている。その手を握ってやると、凪はそれに安心したように笑みを浮かべた。

「店長……私は……ずっと……」

「それ以上喋らないで!」

 しかし凪はその言葉を無視し、息が絶え絶えになりながらなお話し続ける。

「私はずっと、店長のこと……好きで……店長は……覚えてないかもしれないけど……バイトに入る前……店長に会って……一目惚れでした……店で……アルバイトができるって、決まって……それが、すごく嬉しくて……ずっと……言えなかったけど……最後になるかも……しれないから……」

 そこまで言った後で、凪は口を閉ざした。閃夜は、握る手に一層力を籠めた。

「だったら死んじゃ駄目だ。死んじゃったら、返事をしてあげることもできないじゃないか。俺はそんな、弱気になってる凪ちゃんは嫌いだよ。俺はいつも真面目で、一生懸命仕事をしてる凪ちゃんが好きなんだよ」

「……」

 凪は、ずっと笑っていた。閃夜の最後の言葉に、笑顔が更に際立ったように見えた。

 そしてそれっきり、動くことは無くなった。


 ……

 …………

 ………………


 門口は店の奥で作業をしながら、閃夜からの連絡を待っていた。

「いつもならそろそろ掛かってくる頃なんだが……見つからなかったのか?」

 閃夜というプロに限って、それは考えにくい。とはいえ閃夜も人間である以上、化け物の力があろうと絶対はあり得ない。

 と、思ったのだが、その心配は杞憂に終わった。裏口のドアが開く音がした。そんな場所からこの店に入る人間など、自分以外には閃夜しかいない。

 ちょうど他に客も来ていない。それを閃夜も分かっているから、裏から入ってきたのだろう。

「おう、どうした? 連絡もよこさねーで……」

 ドアを開き、その姿を見た時、言葉を失った。

 いつかスーツをボロボロの黒焦げにして帰ってきた時と同じように、いつもと違う、血をべっとりと浴びている、閃夜の姿。

「お前……」

「着替えます」

 何も言えない門口をよそに、閃夜はカバンを取り、服を取り出して着替え始めた。


 ……

 …………

 ………………


「先生!! 凪は、妹は助かるんですか!?」

 凪が銃で撃たれ、救急車で病院まで運ばれた。そんな連絡を受けた咲と両親は病院へ直行し、医師に詰め寄っていた。

 そんな咲を前に、中年の医師は手にしたレントゲン写真を見ながら、言い辛そうな声を出した。

「……残念ですが、弾丸は心臓に食い込んでいて、今生きているのが不思議な状態です。あれだけのけがの処置が可能な人間は、当病院には……」

 そこまで言って、言葉を切る。そんな医師に、咲はなお詰め寄る。

「そんな! 先生は医者でしょう、何とかしてください! お願いします!!」

 涙ながらに必死に訴え、仕舞いには土下座までしていた。

「……もう手の施しようがありません」

 どれだけ言葉を尽くそうと、頭を下げようと、現実は、凪の生を許してはくれない。

 床に額を擦りつけている後ろで、両親の嗚咽が聞こえた。

 凪が死ぬ。何の前触れも無く。突然降って湧いたそんな現実を受け入れるなど、咲はもちろん、両親すら不可能だった。


 バタンッ!!


 受け入れきれない現実を突きつけられる絶望の中で、そんな音は響いた。

 激しくドアが開く音の先に、閃夜が立っていた。閃夜は大股で医師に近づくと、その手からレントゲン写真を奪う。文句を言う医師の言葉を無視し、しばらくそれを見た後、閃夜はまたレントゲン写真を突き返した。

 突き返して、一言だけ漏らす。


「俺に手術させろ」


 ……

 …………

 ………………


 幼い頃の光景を見ていた。

 自分の手を引いているのは、『彼女』だ。彼女は明るく活発で、能天気だが自分よりも強い心を持っている。気が付けば、自分が挫けそうになった時、いつも彼女が手を引いてくれていた。

 そんな彼女が、小さな頃からの憧れだった。それは今でも変わらない。彼女は掛け替えの無い、世界でたった一人の姉だった。


 そしてもう一人。その光景は、初めて『彼』に会った時。

 高二に進学したばかりの春、高校に向かい走っていて、途中転んだ場所があの店の前だった。彼は転んだ自分に手を差し伸べてくれた。身長が高く、髪の毛が驚くほど長かった。その外見で、おかしな人だと思った。けどその顔を見て、彼が誰よりも優しい人であることが一目で分かった。

 彼の手を取り、立ち上がってまた走り出したその日から、気が付くと、彼のことばかり考えるようになっていた。そして、同じ年の夏休み、その店でバイトを始め、彼のことを知る度、その思いは強くなっていった。


 『彼』と『彼女』、二人の憧れが、強く目の前に浮かんだ。

 そしてそれは、徐々に見えなくなっていった。


 ……

 …………

 ………………


 目を覚ますと、『彼』と『彼女』はそこにいた。両親と共に、横になった自分の前で座ったまま眠っている。

 眼鏡が無く、少しぼやけた視界でもはっきり分かる。二人は同時に目を覚まし、自分を見た。

 彼女は立ち上がりながら自分の名前を呼び、涙を流した。

 彼も自分を見ながら、安堵に穏やかな表情を浮かばせた。

 両親はその後に目を覚まし、自分の名前を呼んだ。


 そんな大切な人達に囲まれながら、今はただ、確信する。


 ――私は今、生きてる。





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