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第十話 子供たち

 屋上からの景色。白、青、赤、そんな、多くの様々な光に包まれて、淡く黒いビルが浮かび上がる、そんな空間。

 夜になる度、自分もまたこんな、美しい夜景の一つになっていた。けど、家からは見えなくて、こうして屋上に立つことで初めてそれを見ることができた。

 そして今も、自分はあんな夜景の一つになっていることだろう。

 そして、それも今日が最後になる。

 なぜなら、自分はこれから、地上に光るあの夜景じゃない。

 地上の光りのせいで見え辛くなっている、夜空に光る夜景になるのだから。


 最後の夜景を目に焼き付けながら、両手に持つロープに目を戻した。


 ……

 …………

 ………………


「凪ちゃーん、レジよろしくー!」

「咲ちゃーん、そこの籠持ってきてー!」


 『ARINOSU』の店内。そんな閃夜の叫び声が響き、その中を閃夜が、そして双子が右往左往と行き来していた。

 いつもゆったりとした雰囲気の『ARINOSU』にしては珍しい光景だが、それも無理は無い。なぜなら現在の『ARINOSU』は、これまでに無いほど大勢の客で賑わっているのだから。しかも、その客のほとんどが……


 キャーキャー

「ああ、このアリすごーい!」

 キャーキャー

「見て見て、このアリ変なかおー」

 キャーキャー

「どれがいいかなー」

 キャーキャー


 幼稚園・保育園児から小学校低・中学年の男の子がほとんどなのだ。

 話を聞いていると、理由は分からないが、今子供達の間でかつてない程の『蟻ブーム』が起きているらしい。

 そんな状況で、『ARINOSU』という、様々な蟻を扱う専門店は、まさに都合の良い存在(ばしょ)だったというというわけだ。

 もっとも、(この店の存在価値は差し置いて)蟻などわざわざ買いに来ずとも、その辺りで捕まえれば済む話しなのだが、そこにおかしな対抗意識を燃やすのが子供というもので、そこらで簡単に手に入るような普通の蟻では満足できないらしい。

 少しでも珍しく、且つ、友達が絶対に持っていない、そんな蟻を手に入れようと、こうして来店し、それを周りの子も同じように考えた結果、このような大混雑が生まれてしまったのである。


 そんな混雑を生み出す子供達の波間を歩く閃夜だが、いつもと同じ接客と対応を行うことはできずにいた。

 まず、子供という時点で大人しくは説明を聞いてくれない。

 相手が大人なら、欲しい蟻を買うという時点で、その蟻を買っていった後で果たすべき義務と役目を、実際に果たすかはともかく、果たすために一言一句丁寧に聞こうとしてくれる。

 だが子供はそんな義務以上に、欲しいという欲求を第一に考えて行動し、なお且つ他への興味という新たな欲求が生まれることで、大人しくする、という行動を放棄してしまう傾向が強い。そのため店内の案内をしても、すぐに別の蟻に目移りして勝手に歩き回り、蟻の説明はと言えば、そもそも聞こうとすらしてくれない。

 とは言えこちらも商売であるため仕方なく、できるだけ完結に、且つ重要な事柄は話さなければならない。そして、それをしながら他の子供にも目を光らせておかなければ、こちらに害が及ぶ悪戯や、店をめちゃくちゃにしかねないやんちゃをする者さえ現れる。


「それでこの蟻が……こらっ! 水槽を叩くな! 籠を持って走り回るなそこ!」


 そして何より辛いのが、そんな子供達の相手を、閃夜一人で行わなければならないということ。

 というのも、咲も凪も、蟻に関しては説明はおろか、店内のどこにどの蟻が置いてあるのか、ということさえ把握できておらず、閃夜が行っているような、店内の案内は不可能だった。

 そもそも、二人とも蟻に関する予備知識が一切無いうえ、掃除と会計処理を主な仕事とし、客相手の仕事はレジ以外に頼まれていないため当然と言えば当然である。

 何より、蟻を傷つけることなく売り物用の水槽に移すこと、それは閃夜にしかできない芸当である。

 その場面には子供達も注目し、感嘆の声をあげてもくれた。だが五回も行えば飽きてしまったらしく、また店内を走り回るのである。


「それでこっちの蟻が、やめなさい……餌を、ジッとしなさい……虫よりもスポンジで砂糖水を、おやめ……土が……大人しくしなさい!」


 叫んだ直後に後ろに手を回す。掴んでみると、ちょうど男の子の一人の、合わせた両手を掴まえた。合わせた両手の人差し指を突きだし、ニヤつきながらわざわざ忍び足で背後に周ってきた、その目的は……

「甘いわ」

 振り返りながら言うと、男の子は悔しそうに笑顔を歪ませた。

 その男の子が離れたのを見て、また店を見渡し……


「ちょっとーぃ!!」


 ……

 …………

 ………………


「疲れたー……」

 どうにかこうにか子供達全員に蟻を売ることができ、帰ってくれたことで、子供達から解放された。その直後、閃夜はスタッフルームでぐったりとしていた。

「一度にあれだけの子供が来るとか、やれやれ……買いに来るのはいいけど、ちゃんと世話するのかなぁ……」

 説明もほとんど聞いてなかったし、と、仕事としての感情が三割、親としての子供の心配が七割の気持ちで呟いた。


「大丈夫ですか?」


 その直後、双子もスタッフルームに入ってきた。

「平気平気」

 凪の問い掛けに閃夜は背筋を伸ばし、笑顔を見せる。そしていつものように、部屋の横に置いてある饅頭に手を伸ばした。

「このくらいね、お菓子食べたらすぐ回復しちゃうからね。二人も食べる?」

 二人とも頷く。双子もさすがに、レジの計算だけとは言え、疲れたらしい。


 三人ともが椅子に座り、各々好みのお菓子を食べ始めた。

「私達がバイトに入る前にも、あんな子供のお客さんが来ることはあったんですか?」

 お菓子を食べながら、咲がそう尋ねてきた。

「今日ほどじゃないけど何度かはあったかな。元々開店したての頃は子供の方が多かったし」

「やっぱり」

「やっぱりって?」

「前から思ってたんですけど、店長って子供と接するのに慣れてるみたいだったので」

「ああ……」

 閃夜は納得し、また饅頭を一口食べた。

「まあ、俺自身、子供は嫌いじゃないよ。単純に見ていて可愛いし、やんちゃをするのも可愛げがあるしね」

 何より閃夜自身も、一応は一人の『母親』である。自分の子供を可愛いと思える人間が、他人の子供を見て可愛いと思えないことは無い。これが母性本能というやつなのだろう。

「子供かあ……」

 話し終わった時、突然咲が、天井を仰ぎ見た。

「私も将来は、彼との子供欲しいなあ……」

「……」

 妄想を呟き、遠い目になる咲の姿に、閃夜はただ苦笑を浮かばせていた。


 一方、話を聞いていた凪は、

(子供か。店長との子供……)

 自分は閃夜の家にいて、そこで一人の子供と遊んでいる。

 閃夜そっくりの可愛い息子。

 そこに「ただいま」という声。

 息子と共に玄関に行き閃夜を迎える……。

(イイ……)

 そんな妄想を膨らませて、二人には見えないよう赤面しながらニヤついた。


 そして、閃夜はと言うと、テレビの電源を入れつつ、

(そう言えばお母さん……人間の子供は作れるのかしら……?)

 一般的な『避妊薬』の仕組みは、服用することでその女性の体を妊娠時と同じ状態にすることで、新たな妊娠を防ぐと言う理屈によって作られている。つまり、人間に限ったことではないが、女性は既に妊娠している状態では新たに子供を宿すことは無い。

 それを考えると、閃夜は常に妊娠している。いやむしろ、常に子供を産んでさえいる。

 そんな自分が、果たして人間の子供を作ることができるのか。

 気付いてみると、閃夜の全く想像の外にある事実だった。

 もっとも、それはあくまで子供を宿す、生物学的な『女性』に当てはまる事柄なのだが。

(一応、人間ていう動物としては雄だし……人間の子供は生むんじゃなくて作る方だけど……けど蟻を産むって意味では一応『母親』なわけだし……やっぱり人と蟻とじゃ都合が違うのかな……? ていうか、性別の問題なのかしら……?)

 下らないことを真剣に考えながら、悶々としていた。


 そうして三人が三人とも、『子供』という一つの話題から妄想や想像を膨らませていた。

 そんな三人を現実に引き戻したのは、

「あ、お客さん」

 という、閃夜の一言だった。


『……の屋上で、一人の男子学生が、首を吊った状態で発見されました。懐からは遺書が見つかっており、警察は自殺として操作を開始しており……』


 プツッ


 ……

 …………

 ………………


「おつかれさま。今日もありがとう」

 いつも通り閃夜は言い、双子に給料を渡す。

「ありがとうございました」

「ありがとうございました」

 双子は同時に言いながら給料を受け取り、外に出ていった。

 その後で閃夜も自分の仕事を終わらせ、『Latent』へと向かった。



「こんばんわー」

 陽気な口調を掛けつつドアを開くと、門口が笑顔を見せながらチョコレートサンデーを置いてくれた。

「今日は早いんですね」

「そろそろ来る頃だろうと思ったんでな」

 そんな言葉を全て聞き終わる前に嬉々として座り、さっそく一口食べる。その光景に、門口も笑顔を浮かばせた。

「お前、いつも美味そうに食うよな」

「だって、実際に美味いんですもん」

 そんな会話を挟みながら食べ続けた。


「さて、食い終わった所で仕事だ」

「わーい!」

 閃夜がサンデー以上の喜びの声を上げるのと同時に、門口は懐から写真を取り出した。

 ウキウキしながらその写真を見た時、閃夜の顔からは、好奇が消え、代わりに疑問に変わった。

「これは……」

「名前は『三村(みむら) 秀人(ひでひと)』。某大手サラ金会社の社長……の、(せがれ)だ」

「倅……しかも、これって……」

「ああ。その写真の顔と服装の通り、相手は十四歳の中学生だ」

「中学生って……」

 その事実を改めて門口の口から聞き、思わず写真と、門口を何度も見合わせる。

「えっと……確かうちの組織って、未成年は暗殺対象にできないはずじゃ?」

「建て前上はな。実際には支払い金額の増額如何(いかん)でどんな相手でも仕事の対象にはなる」

「へぇ……」

 その事実を初めて知った上で、もう一度写真を確認する。

「未成年、おまけに中学生、まだ子供ですか。この歳で、殺して欲しいって依頼を出されるほど、どんな悪いことしたんですか?」

「子供だからって甘く見るなよ。近頃のガキは、昔以上に知恵が付き易くなっちまった上に、親馬鹿ならぬ馬鹿親共の甘やかしのせいでどんどん生意気に育ってやがるからな。それが全てとは言えねえが、そのせいで救いようの無えくらい捻くれて育っちまったガキもいる。こいつもそんなガキの一人なんだろうぜ」

「ほえぇ……」

 一見すると、それだけ悪いことをする子供には見えない。むしろ見ようによっては可愛げさえ感じる。もっとも、そんな姿に簡単に化けることもまた人間であることは、閃夜自身が誰よりも知っていることではあるのだが。

「さて、話しを戻すぞ。そのガキの通ってる中学校でな、最近自殺騒ぎが起きたらしい。それで、その自殺の原因てのが、そのガキからのイジメが原因なんだそうだ」

「イジメ……」

「それで、自殺した生徒の親が、いくら子供でも許すことはできねえからって、息子を死に追いやったそいつも、息子と同じように死んで償って欲しい。そんな依頼だ」

「……自殺に追い込む子供も狂ってますけど、だから安易に復讐のためにその子供を殺すっていう親も、中々狂ってますね……」

「そう思うか?」

「違うんですか?」

「今までだって、子供の仇を取ってくれって依頼はいくつも受けてきたろう。今回はたまたまそれが子供になったってだけのことだ。親としては、単なる子供の行きすぎた悪戯で済む問題じゃないんだよ」

「……まあ、その気持ちはよくわかりますけど」

 自分も、人ではなくとも親なのは同じだから、子供を殺された親の怒り、苦しみ、全て理解できる。理解できるが……

「……明日は土曜日ですね」

 ちょうど、『ARINOSU』の定休日である。

「ちょこっと、俺なりに調べてもいいですか?」

「ああ。急ぎの依頼じゃねえからな。お前の納得できるようにすればいいさ」


 ……

 …………

 ………………


 翌朝の午前七時。

 門口から聞いた住所にある家を、近くのビルの屋上に腰掛けながら眺めていた。

 社長の御曹司と言うだけあり、その家、と言うより屋敷は、閃夜の家と比べても遥かにでかい。

 でかいが、閃夜にとっては、手の平に納まる大きさの水槽にしか見えない。

(大勢いるな。まあ、当然か)

 そう言いつつ、見えているマネキン全員の、服の形と顔の輪郭を確認する。

(このやたら多くて、頭に変な飾りしてるのは、今流行りのメイドさんね。で、これは台所だから、料理人かな? 家族はもっと中心の方か……)

 庭先、玄関、風呂場、書斎、その他用途のよく分からない、無駄に多い部屋を探っていく……

(ん?)

 その部屋からは、多くの金属、機械の匂いが鼻を突いた。

 どれも武骨な形状で、そのくせ精密な作りをしている。そんな金属の塊がいくつも密集し、おまけに汗臭い部屋。行ったことは無くとも、それがどんな部屋なのかは分かる。

(トレーニングルーム、かな?)

 そして、そんな金属を上下に動かす、男が一人。

(ここの家族みたいだ。あの子じゃないようだけど……)

 逞しい肉体に丹精な顔つきのその男は、写真の子供と比べて明らかに顔の輪郭が違う。だが、少なくとも『父親』をできるほどの年齢でも無い。

(他を当たるとしよう)

 すぐに見切りを付けて、更に家の中心へ。

 そこには、広いリビングルームがある。十人くらいのメイドさんと、同じくらいのスーツを着た男、執事さんの姿も見える。

 そんな男女に囲まれた場所の中心に立つ、大きな机。様々な料理の並ぶその前に、一組の男女が座っている。

(他のスーツとは匂いが違う。多分この人が社長さんだ。てことはこの人は奥さん? また偉く若いこと……)

 そんな感想を抱きつつ、更に部屋を移動しようとした時、丁度ドアが開いた。


「おはよう」

「おお貴人(たかひと)。トレーニングは終わったのか?」

「ああ。今日も良い汗掻いて腹減った」

「すぐに食事にしましょう」

「そうだな」


(貴人……ん? 秀人がいない……)

 三人が朝食を取り始めたのを確認した後で、肝心な存在を改めて探す。

 三人が普通に食事をしている中で、貴人と同じく倅だという秀人は何をしているのか。

(家族との食事はしない、ワルってことかな……?)

 様々な憶測を抱きながら、更に奥を覗いてみる。

 奥へ、奥へ、だいぶ奥へと進んだ、その先で。


(見つけた)


 大人しそうな顔の輪郭、写真から見られる大ざっぱな体格の特徴、何より写真と同じな制服の形が、写真と同一人物であることを示している。

 そんな子供が、部屋の中でジッと座りながら、おそらく運ばれてきた食事を取っている。

(三人に比べて随分質素だな……)

 三人が食べているであろう机の料理は、大げさな言い方をすれば『豪華絢爛』な食事だった。朝食だから一概にそうとは言わないが、少なくとも閃夜と同じような一市民の食べるようなメニューではない。

 それが、秀人が今食べているのは、トースト一枚に大ざっぱな炒り卵と、ペットボトルの水一本。一市民の朝食と大差ない。

(自分で作った……? 元から小食……?)

 また様々なことを考えているうちに、食事を終えたらしい。食べ終えた食器を持ち、部屋を出ていった。

 ついでに見る場所を、先程のリビングルームに移してみる。

 三人とも朝食を終えたらしい。三人とも既に部屋にはいない。おそらく各々これからの仕度を整えているのだろう。

 もう一度色々見てみると、父親は荷物を整理し始め、母親はお洒落を始め、貴人は、秀人と同じ制服を着ている。

(このガタイと顔で中学生ですか……)

 思わず苦笑が漏れたが、すぐに着替えを終え、自室から出た。


「……!」

「……」

 自室から出た貴人の前に、秀人が立ち、二人の目が合う。

「……」

「お、おはよう。兄さん……」

「……」

 秀人の挨拶を、貴人は無視し、歩いていく。

 そんな貴人を見ながら、秀人は視線を落として歩き始めた。


(この二人が兄弟ね。ちょっと、言われても理解できないかも)


「おい」

 貴人は玄関まで歩くと、近くにいた執事を呼び付ける。

「はい……」

 急いで寄ってきたその若い執事の胸倉を、貴人は掴みかかった。

「何度も言ったよな? あのクズを俺の前に立たせるなってよ」

「も、申し訳ありません……」

「次にあいつの顔見たら、お前、制裁だぞ」

「は、はい……」


(おぉおぉ、秀人の顔見ただけでこれか。名前じゃなくてクズって……にしてもクビとかじゃなくて制裁って辺り、見た目通りの筋肉バカみたいね)

 そんな感想を抱きつつ、秀人の様子を確かめる。顔を俯かせたまま、貴人よりもかなり遅れて玄関まで歩いていた。


「あ……」

「……」

 玄関の前で、秀人は父親と顔を合わせた。

「お、おはよう、父さ……」

「まだいたのか?」

「ご、ごめんなさい……」

「すまないと思うのならさっさと学校へ行け。挨拶もいらん。声も聞きたくない」

「……」

 もう一度、謝ろうかと思ったが、辞めた。声も聞きたくないのなら、謝罪だろうと聞きたくはないだろうから。

「……」

 無言のまま、玄関のドアを開く。そして庭を歩き、自転車を押して、バカでかい門を出る。車に乗せられていった貴人よりも五分ほど遅れての登校だった。


(この家での扱いは散々みたいだな。家族にイジメが知れ渡ってるからか、それとも他に理由があるのか……)

(だとしたら、家での扱いが最悪だから誰かを虐めてる……? もしそうなら、確かに家と家族がこれじゃ、捻くれた性格にもなるわな……)

 そこまで考えた後で、翅を広げた。



 街のかなり中心の方に位置する学校。貴人は車で、秀人は自転車で到着した。

(資料読んだから分かってたけど、さすがに実物はでかいなぁ……)

 再びビルの屋上から眺めているが、それを差し引いてもかなりでかい。

 小中高一貫となっているその私立高校は、一般的なイメージのそれに漏れることなく、優秀であったり、お嬢様やお坊ちゃんが通学する学校らしい。秀人はそこの中学校に在籍している。

 そして毎日、朝七時半には家を出て、八時までに学校へ行くらしい。

(今は夏休みだから、部活動かな?)

 そう思いつつ、集中してみる。

 閃夜の思った通り、貴人は運動部、それもどうやら柔道部に所属しているらしい。汗臭い香りがここからも伝わってくる。顔もガタイもいかついことに納得できた。

(それで、秀人は……)

 もう一度集中して、汗臭い匂いを全て辿ってみたが、どうやら運動部にはいない。

 なので、汗臭いが、圧倒的に量の少ない場所、校舎を探してみる。


(……あ、いた。)

 見ると、教室の一室で、数人の生徒と共に、机に向かって何かをしている。

 教室の前から黒板と、チョークの匂いが伝わってくる。黒板には当然チョークの匂いが染みついているものだが、今はそれ以上に濃い匂いが漂う。そういう場合は、文字が書かれているのが一般的な状態だ。

(成績……不良生徒……特別……補習……)

 そんな文字が読めた。

 もう一度教室の生徒達の匂いを感じてみる。

 机に向かってプリントを解いている姿は一見真面目な優等生だが、その表情からは全く覇気もやる気も感じられない。

 代わりに感じられた印象としては、誰からも見捨てられ、全てを諦め、絶望し尽くして、それでも形だけでも生徒を保とうと、必死で努力を演技する。

 そんな、何とかして中学生であり続けようという努力の行為。

(今時の学生も大変なんだ……)

 そう思いつつ、秀人を見てみる。


 秀人もまた、そんな表情を浮かべながら、プリントを解き続けていた。

「……」

 こうしてプリントを解いている間も、周囲からは漏れなく好奇の視線を向けられ続ける。そして、口々に、同じことを呟かれていた。


八木(やぎ)君の自殺、やっぱり三村弟のせいかな)

(そういう噂だけど、ていうか、あの三村弟がそこまで大それたことするかな)

(まああの子のイジメがあったのはみんな知ってて知らない振りしてたしね。先生達も全員黙ってたし)

(けど、三村弟がな……)

(いつも気弱で無口で体まで弱くて、貴人兄貴に比べて劣等生な弟が……)

(劣等感に苛まれて、ストレスの捌け口に使ってたのかもよ)

(情けねえな。成績も人格もさ……)


(貴人君の名前は呼ぶのに、秀人君の名前は無しかよ)

 家でも学校でも、どうやら扱いは残酷なものらしい。やはり、他の生徒達や門口の話したように、性格が捻くれて起こしたことなのだろうか。

(それとも……)


 ……

 …………

 ………………


 夕方、貴人が車で帰っているであろう中、秀人はまた自転車に乗り込み、帰宅していた。


「ねえ」


 赤信号に捕まり、青になるまで待っている時、急に男の声が聞こえた。

「……」

 周囲を見渡すが、自分以外に人は見られない。

 無言で振り返ってみると、

「こんにちは」

 そこにいたのは、びっくりするくらい髪が長く、背が高く、そして、顔が綺麗な、声を聞いてようやく性別が男性だと分かる人が立っていた。

「こ、こんにちは……」

 一瞬その綺麗な顔に見惚れてしまいながらも、どうにか挨拶を返すことができた。

「悪いんだけど、少しお話しできないかな?」

「え?」

 初対面の人と話すのもいかがなものか。第一、あまり帰りが遅くなるのもまずい。

 そう思った直後、そうでも無いことを思い出した。あの家に、自分の心配をしてくれる人など、一人もいないのだから。

「いいですよ」


 場所を近くにあった公園に移し、ベンチの上に座った。

「大変だね。せっかくの夏休みなのに」

「いえ、悪いのは、成績が悪い僕の方ですから……」

 こんな優しい言葉を掛けられたのはいつ以来だろうか。侮蔑でも軽蔑でもなく、単純な興味の視線を、彼は向けてくれていた。

「それで、僕に、話しって?」

 そう尋ねると、閃夜は、変わらぬ綺麗な笑顔を浮かべた。

「その前に、君、みんなから酷い扱い受けてるのに、随分補習頑張ってたように見えたんだけど、いつもあんなふうに頑張ってるの?」

「え?」

 いきなりのそんな質問に、いつ見ていたのかという驚きと疑問、それらの入り混じった戸惑いが生まれる。

「答えたくない?」

「え? いや、その……」

 それ以前の問題なのだが、あまり追求しない方がいいと、本能で感じ取った。

「その……そうですね。正直、頑張っても無駄だってことは分かってるんです。けど、それでも諦めたくないんです。今更、兄さんくらい優秀にはなれないけど、せめて、家族からはまた好かれるよう、頑張りたいなって……」

「家族は誰も、君のこと好きじゃないみたいだよ。むしろ、好きになるどころか、いなくなって欲しいって、思ってるみたいだよ」

「そんな所まで見てたんですね……」

「軽蔑した?」

「少し……」

 実際には、少しどころかかなり軽蔑すべきところなのだろう。けれど、なぜかこの人を嫌いになることはできず、今まで誰にも話したことのない言葉が、次々と口から溢れてくる。

「努力が無駄だっていうのと同じように、それも分かってます。でも、それでも俺は、父さんも母さんも、兄さんも大切なんです。だから、好きになってくれること、諦めることができないんです」

「……じゃあ、そのために、八木君を虐めたの?」

「……!!」

 そんなことまで、知られているというのか。

 どうやら本当に、下手にごまかすだけ無駄らしい。

「兄さんが、言ってくれたんです。八木君を苦しめたら、父さんや母さんにも頼んで、昔みたいに接してくれるって。また、三人に好かれるなら、どんなことでもしたかった」

「そのために、自殺するまで虐めたんだ」

「はい……」

「……狂ってるね」

「はい。僕も、多分兄も、狂ってるんだと思います……」

「……」


(門口さんの言った通り、捻くれてるな。この子)

 門口や自分が最初に考えていた方向性とはまるで違う。だが、また家族として認めてもらいたくて、罪の無い同い年の人間を簡単に殺す。十分に、捻くれている。

「もう二つ、質問があるんだけど……」

「はい」

「どうしてお兄さんは、八木君を虐めろって言ったのかな?」

 この理由如何によっては、これから起こすべき行動が百八十度変わっていく。

「……八木君、兄と同じ、柔道部だったんですけど、前に練習中の試合で、兄さんに勝っちゃったらしいんです。それで、後輩のくせに生意気だって……」

「それだけ?」

「だと思います。兄さん、凄く怒りっぽいから」

 この弟にして、あの兄あり。

 どうやらこの兄弟は、本気で救いようが無いほどまでに捻くれ、狂ってしまっている。

「最後にもう一つ、質問してもいい?」

「……どうぞ」

「……」


「八木君のご両親がさ、君にも死んで償ってほしいって言ってる。君は、どう答える?」


「……」


 ……

 …………

 ………………



   ◆



「まったく。あのガキが死んだのは今でもすっきりしたぜ」

 今でも笑いが止まらない。

 後輩のくせに、この俺に試合に勝ち、大喜びしていた後輩。

 俺のように金も将来も無いくせに、たった一度の結果に歓喜し、自信に溢れ、これからに希望を抱いていた。

 その純粋さに、胸の奥から腹が立った。

 何を喜んでいるんだ。

 俺に勝ったことがそんなに嬉しいか。

 俺はお前の踏み台だとでも言うつもりか。

 憎かった。今すぐ殺したい。あの時本気でそう思った。

 だから、じわじわ殺してしまおうと考えた。もう二度と、あんな笑顔を浮かべさせないように。どんなことにも、喜びも希望も与えてやらないように。

「けど、まさかそれをあのクズが、本当に実行するなんてな……」

 くくく、と、思わず笑い声が漏れる。

 自分で実行するのはさすがに色々まずい。だから、家族愛を餌に、あのクズにやらせてみることにした。

 勉強はダメ。スポーツもダメ。習い事のことごとくは失敗し、おまけに陰気で人見知り。

 人としてあまりにも酷く、生きている価値が皆無だった。両親からは見捨てられ、当然俺も、あのクズのことを弟と思うことは無くなった。

 それでも、あのクズはまた、自分をこの家の家族に戻してくれることを望んでいた。だからそこに付け込んで、あのガキの始末を頼んでみた。

 クズはあらゆる手段でガキに嫌がらせを行い、精神的に追い詰めていった。なお且つ、それをクズがやったと気付かせることを忘れず、そして、それを誰にも言えないよう弱みまで探しだし、握っていた。

 ガキが柔道部から、もしくは学校から消えてさえくれれば良かったのだが、それをまさか、自殺に追い込むまで追い詰めてくれるとは。

「意外に、人殺しの才能があるんじゃねえのか、あのクズ。くくく……」

 どの道、ガキの残した遺書に、クズの名前がはっきり書かれていた。だから、両親はなお更クズに冷たくなった。俺も、最初からそんな約束を守る気など無い。近いうち学校にはいられなくなり、家からも追い出されることになるだろう。

「ガキとクズ、二人を一度に始末できるなんて、最高だな」

 惜しむらくは、あのクズの殺人の才能を手放すことになることくらいか。

「まあ、どうでもいいか。もう寝るとしよう」

 そう呟き、明かりを消し、ベッドに体を預け、これからの明るい未来を見つめた。



 深夜、おそらくメイドや執事も眠りについている時間帯に、急に目が覚めた。

 酷く喉が渇く。ベッドの横に置いてある水に手を伸ばし、グラスに注いで一口飲む。

 いくらか乾きは癒えたものの、それでも眠気が再発することは無い。

「眠れない……」

 ベッドに座ったまま、そう呟いた、直後だった。


「寝かせてあげようか?」


 どこからか突然声がして、体が跳ね上がってしまった。

 反射的にその声のした方を見る。男が一人、こちらを見ている。

「誰だお前……」

 大勢いる執事は、全員が黒いスーツを着ている。だが、それでも目の前の男は見覚えが無かった。

 執事にしては、その服装はあまりにもラフ過ぎた。何より、こんな頭をした執事など、一度でも見掛ければ間違いなく記憶している。

 まっ黒なスーツとおかしな触覚を生やした頭。執事ではないと、一目見ただけで確信できた。


「君は俺を知らないだろうが、俺は君のことは大体聞いて知ってる。『三村 貴人』君」

 男はそう言うと、こちらに近づいてきた。

「何だよお前、何なんだよ……」

「眠りたいんでしょう? だったら俺が眠らせてあげる。もっとも……永遠に起きることの無い眠り、だけどね」

「……!」

 その言葉の意味は理解できた。すぐにベッドから飛び起き、壁に設置された防犯用の警報ボタンを押した。

「ああ、それは意味が無いよ。ここに入る前に壊しておいたから」

「なっ!」

 試しに押してみたものの、確かに、何も反応が無い。

 頼りの警報が使えない、となると、残された手段は、ドアから逃げるか、戦うか……


「うわああああああああああ!!」


 体は、戦うことを選んだ。今日まで鍛え続け、全国出場をも果たした自分の柔道なら、この男も倒すことができる。そう信じて……


 ガッ


 男に掴みかかる前に、顔面に蹴りを入れられ、後ろに吹き飛ばされる。

「なっちゃいないな。今までどんな鍛え方してきたの?」

「……」

 柔道に打撃技は存在しない。そして、練習中も打撃を受けることなど無い。だから、反撃のすべなど知らなかった。


 ボタボタ……


 激痛の中で床に何かが落ち、見ると、暗い中でも赤色と分かった。

「~~~~~~~!!」

 この男には勝てない。蹴り一発が、その事実を本能に刻み込んだ。だから、殺されないうちに、逃げるしかなかった。


 バッ


 何も考えず、男の後ろにあるドアに向かって走る。


 ガシッ


 だが、襟首を掴まれ、動けなくなったかと思うと、そのまま上に体が持ち上げられる。

「が……あ……」

 襟首を後ろに引っ張られ、口にパジャマの袖口が首に食い込む。

「ぐ……う……」

 大声を上げたら助けが来たかもしれない。だが、この状態ではそれもできない。できるのは精々、

「ど……どう……して……」

 こんな凶行に走る、動機を尋ねることくらいだった。


「依頼だよ。八木君のご両親から」


「……!!」

 それは、信じられない返事だった。

「八木君のご両親が、息子を自殺に追いやった奴を、死んで償わせてやってくれってさ」

「……」

 ふざけるな。

「ふざ……」

「ん?」

「ふざけるな……!!」

 出せない声をどうにか絞り出し、叫ぶことができた。

 その後も苦しみにも構わず、叫び続けた。

「あの、ガキを殺したのは、うちの、クズだろうが……!! 何で俺が、殺されなきゃいけないんだ……!! 遺書まで残ってるのに、てめえは……依頼とか言っておいて、その対象の……区別もつかねえのか……!!」

「区別くらいつく。秀人君が殺すよう命令したのは、君だろう」

「ふざけるな……!! 俺は、あいつに殺せって言っただけだ……!! それで殺したのはあいつだ……!! 俺が殺したんじゃない……!! 俺は何も、悪くない……!!」

 どうして自分が殺されなければならないのか。男の答えは、全く納得できなかった。


「……」


 パッ

 ガタッ


「げっほ、げっほ……」

 突然手を離され、床に落ちた。

 分かってくれたのか。必死に叫んだお陰で、自分が殺すべき人間じゃないことを理解してくれたのだろうか。


「……もうダメだ、君。救いようがない」


 帰ってきたのは、そんな、冷たい返事だった。

「え?」


「いくら子供でもそこまで狂ってちゃ、やっぱり死ななきゃ治りそうにないな」


「……!!」

 その言葉の直後、突然手足がむず痒く、そして、動かなくなった。

 見てみると、両手足を、何かが覆っている。まっ黒い何かが手と足を隠し、床に固定してしまっている。全く動かせない。

 一体何だ。そう思い、顔を近づけた時、

「かっ!」

 首に何かを巻き付けられた。そして、手足のむず痒さが無くなると同時に、体がまた、上へ持ち上がった。

「か……あ……」

 首への痛みと、呼吸が止まっていく苦しみの中、足を必死にばたつかせながら、首に巻かれた、ロープに触れる。だが、それは手で解くことのできるものではなかった。


「そう言えば、俺が誰か、まだ答えてなかったな」


「……」

 痛みの感覚が無くなっていき、まるで、体がフワリと浮くような感覚が生まれると同時に、また、男の声が聞こえた気がした。


「俺は、君の手足を押さえた奴らの『家』、そして『母親』」


「名前は、『クイーン・アントネスト』」


「……」



   ◇



 息子を死に追いやった奴を殺すこと。それが依頼。

 これで、残るはあと一人。


 ガチャッ


 思考した直後、ドアが開いた。鍵は開けておいたため、誰かが来れば中に入ることもできる。そして当然、彼が近づいてきていたことも、分かっていた。

「……」

「……」

「……夕方に会った人、ですよね」

「……」

「八木君のご両親の、願いを叶えに来たんですね」

 首を吊った貴人の死体を見ながら、秀人は、穏やかな微笑みを浮かべていた。

「じゃあ、僕のことも、殺すんですね」

「……」

 何も答えなかったが、秀人は無言で近づいてきた。そして、目の前に立ち止まり、目を閉じる。その顔は、どこか満ち足りたように、安らかだった。

「……」



「八木君のご両親がさ、君にも死んで償ってほしいって言ってる。君は、どう答える?」

「……僕は、受け入れます」

「いいの?」

「はい。僕が家族を大切に思ったように、八木君の家族だって、八木君を大切に思って、僕のことを恨んでるのは当然です」

「それだけ?」

「それに……正直、八木君を死なせたことに、今でも後悔を感じることができないんです」

「……」

「家族のためとは言え、ここまで狂っちゃってる人間が、生きていくことなんて、できそうにないから。罪の意識も感じられない人間が、真っ当に生きることなんて、きっとできないから。だから……殺されるっていうのなら、僕は、喜んで受け入れます」

「……」



「……」


 ジュ


「……!」

 ピクリ、とだけ動き、秀人は息を引き取りながら、床に倒れ込んだ。

 せめて、兄ほど苦しませないよう、指先から毒を溢れさせ、それを首筋に当てた。

 最後まで生に執着しながら、首を吊った兄と、その横で、死を受け入れ、中毒死した弟。

 その二人の顔も死に様も、あまりに対照的で、改めて、同じ血の通う兄弟だと、理解することは一生できない。そう感じた。


 ……

 …………

 ………………



「一昨日のは何だったのかしら」

 水槽を見ていきながら、一昨日とはあまりに対照的な店のガラガラ具合に、思わずそう漏らしてしまった。

「まあ、ブームっていうのは移り変わりが激しいですからね。特に子供の場合」

「そうかなぁ……」

 レジからそんな咲の言葉を聞きながら、自分の子供達を見ていった。

「……」


(二人とも、まだ子供だったのに……人間て、蟻より何でもできて、蟻より遥かに長生きできるくせに、家や親が違うだけで、蟻より長生きすることもできなくなるんだなぁ……)





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