第114話 薬
某日、某所────
「ええ、そうです。外観に変異の兆候がみられました」
『素晴らしい。遂にかね』
「はい。詳細は解析待ちですが、現状はA+に相当すると思われます」
『きみの仮説が立証された気分はどうだね?』
「……自分のためではありませんので」
『ハハハハ、そうだった。失念していたよ。きみは大事な家族のことしか考えていないのだったね』
「それよりもその『大事な家族』である奥さまとお子さまがたを迎えに行かれてはどうです? 実家にお戻りになっておられるとか」
『ぐっ! なぜそれを……その件は追々善処するとしよう。それで、以降のスケジュール的には影響が出るのかね?』
「はい。今後の実験、研究、治験は大幅に加速されると思われます」
『そうか……これはまさしく光明となるだろう』
「ええ、そう願っています。では後程レポートにて」
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【OSO】内、首都アランテル。
宿屋3階スイートルーム────
「うん? どうしたんだいアキくん。随分しょんぼりとしちゃって」
「今はそっとしておいてあげてくださいキンさん。アキきゅんはちょっとした人生(と性別)の転換期なだけですから」
「ふむ? ヒナさんがそう言うなら聞かないでおこう。僕は紳士なんでね」
クイッとサングラスを中指で押し上げながらキザったらしく言うキンさん。
『あんたは変態紳士だろ!』と抗議すべきところだが、正直そんな気力も湧かなかった。
今は『このまま女の子になっちゃったらどうしよう!』と言う不安で頭が一杯なのだ。
俺とヒナは、このバグ(?)による幼女アバターへの変遷が俺の脳になんらかの作用をもたらした可能性がある、と考えていた。
所詮は専門家でもない高校生の勝手な憶測だが、思い当たる原因がそれくらいしかなかったのだ。
そして、あながち間違っているとも思えないのが恐ろしい。
世界でも類を見ないほど最先端の技術を駆使しているこの【OSO】。
未だ未知の部分が多い人間の脳に直接干渉する以上、今後どんな精神的、肉体的変化が出たとしても不思議ではなかろう。
ゲームの廃人ならともかく、本物の廃人にされてはかなわない。
そう思い至り、運営宛てに再三メールを送っているのだが一向に返信は無く、完全に梨の礫なのは悩みの種でもあった。
いやマジでどうなってんだここの運営は。
試しにヒナが普通のなんでもない質問したら、返事がすぐ帰ってきたとか言ってんですけど!
なんで俺のだけ無視すんの!?
そっちがその気ならこっちも好き勝手させてもらうぞクソァ!
「ぷるぷる震えてるが本当に大丈夫かい? 頭でも痛いのかね?」
「……んにゃ、平気」
「うーむ……それにしてもアキくん」
「あん?」
「きみの幼女アバターはそんなに美しかったっけ……?」
「は?」
「ぷすーっ!」
「いや、なんと言うかこう、元々美幼女ではあったんだが、可愛らしさに凄味が出てきたと言うか……」
「…………気のせいじゃない……?」
「ぷーっぷぷぷ……」
キンさんの言葉に、思い切り笑いをこらえるヒナ。
いやもう完全に噴き出している。
リアルの俺が今どうなっているかを知っているだけに、さぞや面白かろう。
その癖、チューはねだってくるからなコイツ。
『なんだか女の子同士でしてるみたいでドキドキしますね』なんて言ってたの、キンさんにバラしてやろうか?
そもそもあなた、俺が幼女姿の時でもキスしてきますよね?
実は元から百合っ気あるんじゃねーの?
「おっとすまない、頭痛で思い出したよ。アキくん、ヒナさん、一度ログアウトして薬を飲んでくるから待っていてくれ。夕飯後に飲むのを忘れてたんだ」
「薬? キンさん、どこか悪いんですか?」
「頭じゃね?」
「ぷすすーっ!」
「なんてこと言うんだい!? そうじゃなくてだね、大学生の頃、一斉検診に引っかかったのさ」
「それって何年か前の全国一斉検診ですか?」
「うむ。あれ以来毎日薬を飲まされてるんだ」
「え? 私も飲んでますよ?」
「マジで? わたしも」
「おや、きみたちもかい? それは奇遇だね。あれに引っかかるのはかなりの少数派らしいんだが」
「そうなんだ? うちは姉も妹も引っかかったんだよなぁ」
「ほう。それは極めて稀なケースかもしれないね。全国でも2万人いるかいないかって話だから」
「ふぅん」
「そうだ二人とも、こんな噂を聞いたことはあるかい?」
「噂?」
「きみたちも飲んでいるあの薬。体質による栄養不足を補う錠剤と聞かされているだろう?」
何故かドスの効いたキンさんの声に、俺とヒナは思わず神妙に頷く。
キンさんの持ってくる噂話は興味深いものが多いのだ。
だからつい耳を傾けてしまう。
「だがね、実際は栄養失調ではなく脳の疾病で、脳内物質の異常分泌を抑制、もしくは促進させるための薬品だって話だよ」
「へぇー! そんな噂あるんだ?」
「あはは、頭がおかしいのは私たちのほうだったんですね」
「ヒナは頭いいじゃん。しかも超可愛いとか、いったい何者だってーの」
「確かにその通りだねぇ。ヒナさんの可憐さには僕もはじめ驚いたからね」
「そ、そうですか? えへへー、そう言ってくれるのはアキきゅんだけですよー、嬉しいなー」
「あれ!? ぼ、僕も褒めたんだけど……」
ピンクツインテをピコピコさせ、テレテレモジモジするヒナも愛くるしい。
こいつのすごいところは自分が美少女だと思っていないところだ。
幼少時代から散々チヤホヤされてきているはずなのだが、それらの全てはただのお世辞であり、本音でも真実でもないと考えていたらしい。
決して謙虚さからではなく、ごく自然に。
だから鼻にかけない。
だから気取らない。
親が権力者である以上、人々の言葉に多少なりと忖度や世辞が含まれていたのは間違いなかろう。
それでも褒めちぎられ続けられれば人は増長するものだ。
凡百の人間ならば。
だがヒナにそれはない。
自分を飾らず、驕らず、ありのままで接して来るのだ。
俺が惚れたのもきっとそこなんだろうなぁ。
自然体っつーか、気を使わなくていいっつーかね。
しかも、そこらの男に褒められまくっても普通の反応しかしないヒナが、俺にちょっと言われただけでこの有様になるんだぞ?
可愛すぎない?
そういや俺、ヒナにお世辞とか言ったことないもんな。
だから余計に信用されてるのかも。
「じゃあ、取り敢えず僕は一旦ログアウトしてくるよ……(どうせ僕が落ちた瞬間きみたちはイチャイチャするんだろうけど)」
「あ、うん。了解ー」
「いってらっしゃいです(チャンス到来!)」
「ツナさんと合流したら予定通り出発しようか。では」
そう言い残し、ヒョインと消えていくキンさん。
彼の言った今日の予定とは、北方へ向かうことである。
そしてすかさず俺を抱っこするヒナ。
くんかくんかと凄まじい勢いで俺の後頭部に鼻を埋めていた。
金髪をクシャクシャにされながら、俺はふと先程の会話を思い出す。
それにしても、『脳の疾病』ねぇ……




