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鳴海楽は努力しない  作者: 悪癖


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15/58

第15話 相沢陽太

前の場面から、時間を少し戻す。


九条が翌年のコンクール会場で俺の名前がないことを知るより前。


俺が小学校を卒業した、その次の春。


青瀬市立青瀬中学校へ入学した。


朝、玄関で靴を履いていると、父さんが部屋から出てきた。


「楽」


「なに?」


「忘れ物」


「ない」


「そうか」


それだけだった。


小学校へ初めて行った時みたいに、父さんが学校まで来ることもない。


入学式には保護者も来るらしいけれど、俺は先に一人で行く。


もう道も分かる。


「行ってきます」


「ああ」


外へ出る。


春の朝は少し冷たい。


歩いていると、同じ方向へ向かう制服姿が増えていった。


知っている顔もある。


青瀬第一小学校から来たやつ。


見たことのないやつ。


青瀬市内の別の小学校から来たらしい。


六年前、小学校へ入った時は、同じ年の子供がこれだけ集まる場所自体が初めてだった。


今はもう慣れている。


人が多ければ音が増える。


それだけだ。


青瀬中学校の校門を通る。


掲示板の前に人が集まっていた。


クラス分け。


俺の名前を探す。


一年二組。


「鳴海!」


横から呼ばれた。


田島だった。


小学校の時より背が高くなっている。


「田島」


「お前二組?」


「うん」


「俺三組だわ。木村も三組。橋本は一組」


「ばらばらだね」


「マジ最悪。せめて一人くらい同じにしろよな」


言いながら、本気で最悪だと思っているわけではない。


残念ではある。


でも、新しいクラスも少し楽しみにしている。


昔ならそこまでそのまま言ったかもしれない。


今は言わない。


「じゃあ昼とか会えるじゃん」


「まあな。部活もあるし」


「何入るの?」


「まだ決めてねえ。サッカーかな」


田島は人の流れに押されて掲示板から離れる。


「じゃ、あとでな」


「うん」


俺も一年二組へ向かった。


廊下。


階段。


教室。


小学校より机が少し大きい。


椅子も違う。


窓から入る光の高さも違う。


俺の席は窓側から二列目。


鞄を置いて座る。


周りでは、知り合い同士がもう話していた。


同じ小学校のやつを見つけて安心している人。


誰も知らなくて困っている人。


平気なふりをしている人。


早く誰かと話したい人。


小学校一年の時より、みんな隠すのが少し上手くなっている。


それでも分かる。


俺は机を指で一度だけ軽く叩いた。


とん。


小学校の机とは違う音。


もう一度。


「それ何してんの?」


隣から声がした。


見る。


男子が一人立っていた。


短い黒髪。


細身。


制服は同じだけど、立ち方が少し軽い。


表情も分かりやすかった。


こっちを見て、普通に興味を持っている。


言葉の裏に別のものがほとんどない。


『何してんだろ。ちょっと気になる』


だいたい、そのままだった。


「机の音聞いてた」


俺が答える。


「机の音?」


「うん」


男子が自分の机を指で叩く。


こん。


俺の机とは少し違う。


「あ、ほんとだ。微妙に違うな」


「違うよ」


「でも、それ聞いて何が面白いんだ?」


「違うから」


「答えになってなくね?」


笑っている。


馬鹿にしている音ではない。


分からないけど面白い、という感じだった。


俺はその男子の机を見る。


「そっちの方が少し高い」


「マジ?」


「うん」


「交換したら分かる?」


「俺は分かる」


「俺は?」


「たぶん分かんない」


「そこ俺だけ雑じゃね?」


男子はまた笑った。


怒っていない。


『変なやつ。でも話しやすそう』


それも、ほとんどそのままだった。


「あ、俺、相沢」


「鳴海」


「名字は知ってる。机に書いてある」


指を差される。


机の横に名前が貼ってあった。


昔、田島に似たことを言った気がする。


「じゃあなんで聞いたの?」


「名乗っただけだろ。会話ってそういうもんじゃん」


「そうなんだ」


「そこ納得するとこ?」


相沢陽太。


名前を覚える。


別の小学校から来たらしい。


少なくとも、俺は今まで会った記憶がない。


もし話したことがあれば、声を覚えている。


「相沢、どこの小学校?」


「青瀬西。鳴海は?」


「青瀬第一」


「じゃあ知らないわけだ」


「うん」


「俺、このクラス知ってるやつ二人くらいしかいないんだよな」


言いながらも、あまり困っていない。


むしろ、


『知らないやつ多い方が、まあ面白いか』


という方が強い。


話していることと中身が近い。


こういう人は楽だった。


余計に聞き分ける必要がない。


「鳴海は知り合いいる?」


「いるよ。でも別のクラス多い」


「じゃあ一緒じゃん」


「二人いるなら相沢の方が多いかも」


「そこ勝負してねえよ」


また笑った。


その時、先生が入ってきた。


相沢は、


「やべ」


と言って自分の席へ戻る。


『怒られたくない』


本当にそれだけだった。


分かりやすい。


俺は少しだけ相沢の背中を見た。


 

 

 

〓〓〓

 

 

 


入学式は長かった。


校長の話。


来賓の話。


新入生代表。


校歌。


説明。


小学校の時とあまり変わらない。


内容は違うけれど、長い話をたくさん聞くところは同じだった。


俺は必要なところだけ聞いて、あとは体育館の音を聞いていた。


小学校の体育館より少し狭く感じる。


人数のせいかもしれない。


拍手が起きる。


天井へ広がる。


止まる。


隣の列で誰かが小さくあくびする。


前の方で先生が振り返る。


あくびをしたやつが口を閉じる。


その少し後ろに相沢がいる。


目が合った。


相沢が口だけ動かす。


ながい。


声は出していない。


でも読めた。


俺も小さく頷く。


相沢が笑いそうになって、慌てて前を向いた。


式が終わって教室へ戻る。


担任から学校生活について説明が始まった。


教科ごとに先生が変わる。


移動教室。


部活動。


委員会。


定期テスト。


小学校より決まりが増えるらしい。


でも、一度聞けばだいたい分かる。


困ることはなさそうだった。


担任が黒板に自分の名前を書いてから言う。


「では、せっかくなので簡単に自己紹介をしてもらいます」


教室の音が変わった。


嫌そうな人。


何を言おうか考える人。


少し楽しみにしている人。


順番に立つ。


名前。


出身小学校。


入りたい部活。


好きなもの。


それくらい。


相沢の番が来る。


立つ。


「相沢陽太です。青瀬西小から来ました」


声が明るい。


「部活はまだ決めてないです。体動かすの好きなんで、運動系を見てから決めようかなと思ってます。よろしくお願いします」


少し笑う。


座る。


言ったことと、内側がほとんど同じだった。


人前で話す緊張は少しある。


でも、それを隠そうとして変なことを言っていない。


次。


次。


俺の番。


立つ。


「鳴海楽。青瀬第一小です」


少し考える。


部活は決めていない。


「好きなのは音。部活はまだ分かんない。よろしく」


座る。


前の席の女子が少し振り返った。


相沢は離れたところから、やっぱりな、という顔をしている。


机の音を聞いていたからだと思う。


自己紹介が全部終わる。


担任が次の説明へ移る。


俺は窓の外を見る。


中学校も、小学校と同じで人が多い。


でも、少しだけ人の音が変わっていた。


自分をどう見せるかを考える人が増えている。


言いたいことと、言うことが違う。


思っていることと、顔が違う。


別に悪いことではない。


小学校の六年間で、そのくらいは分かった。


全部口に出す必要もない。


ただ、聞く方は少し面倒だった。


相沢みたいに、そのままの人の方が楽だ。


 

 

 

〓〓〓

 

 

 


昼休み。


小学校から来た知り合いと話していると、相沢が来た。


「鳴海」


「なに?」


「購買ってもう行った?」


「行ってない」


「俺も。見に行かね?」


「何買うの?」


「いや、別に買わなくてもいいけど。どんなのあるか気になるじゃん」


本当に気になっているだけだった。


「いいよ」


二人で廊下へ出る。


途中で相沢の知り合いらしい男子が声をかける。


「陽太、どこ行くん?」


「購買。お前も来る?」


「俺いいわ」


「そっか。じゃまた」


それで終わる。


相手が来ないことを気にしていない。


断られたから嫌われた、みたいな余計な考えもない。


階段を下りながら、相沢が聞く。


「鳴海ってさ」


「うん」


「なんか変わってるよな」


小学校の頃から何度も言われた。


「そうらしいね」


「自覚あるんだ」


「言われるから」


「机の音聞いてるやつ、俺初めて見た」


「相沢も聞いたじゃん」


「お前がやってたからだろ」


笑う。


それから少し考えて、


「でも、確かに違ったな」


と言った。


合わせているわけではない。


本当にそう思ったから言っている。


「鳴海って耳いい?」


「かなり」


「自分で言うんだ」


「いいから」


「まあ、それならそう言うか」


驚いているけれど、嫌な感じはない。


「音楽とかやってんの?」


「前はピアノ習ってた」


「今は?」


「やめた」


「飽きた?」


「父さんがもう習わなくていいって言ったから」


相沢が足を少し緩める。


「それでやめたの?」


「うん」


「自分は続けたくなかった?」


「弾きたい時は弾けばいいし」


「習うのとは別ってこと?」


「そう」


「へえ」


分からないなりに、そのまま受け取った。


『まあ本人がいいならいいのか』


やっぱり近い。


俺は相沢を見る。


「相沢って、思ったことだいたいそのまま言うね」


「え?」


「そのまま」


「何それ」


「楽」


「何が?」


「聞いてて」


相沢が少し眉を寄せる。


「俺、そんなうるさくないだろ」


「そうじゃなくて」


説明しようとしてやめた。


俺の聞こえ方を全部話すと長い。


「分かりやすいってこと」


「ああ」


相沢は納得する。


「それ褒めてる?」


「たぶん」


「たぶんかよ」


「俺には楽」


「なら褒めてんじゃん」


相沢は笑った。


嬉しい。


そのまま。


何か裏を探す必要がない。


相沢は本当に、聞いていて楽だった。


購買は思ったより小さかった。


パン。


飲み物。


文房具。


必要なものが並んでいる。


「普通だな」


相沢が言う。


「普通だね」


「もっとなんかあるかと思った」


「何が?」


「知らん。中学っぽいやつ」


「中学っぽいやつって?」


「分かんねえけど」


二人で少し笑った。


結局何も買わず、教室へ戻る。


途中、廊下の窓から校庭が見えた。


いくつかの部活が準備をしている。


相沢が少し立ち止まる。


身体を動かしている上級生たちを見ていた。


興味がある。


でも、どこに入りたいかはまだ決まっていない。


「見に行くの?」


俺が聞く。


「放課後? たぶんな」


「何部?」


「まだ決めてないって言っただろ」


「じゃあいっぱい見る?」


「そうする。鳴海は?」


「別に」


「部活入らないの?」


「必要なら入る」


「必要って何だよ」


「やりたいのがあったら」


「それ普通じゃね?」


「じゃあ普通」


相沢が笑う。


俺も教室へ戻る。


 

 

 

〓〓〓

 

 

 


放課後になる。


初日だから授業はない。


部活動を見る人。


知り合いと帰る人。


教室に残る人。


それぞれ動き始める。


俺は特に予定がなかった。


鞄へ配られた紙を入れる。


相沢が近づいてくる。


「鳴海、帰んの?」


「たぶん」


「たぶんって何?」


「他にすることないし」


「俺、ちょっと校内見てくる」


「部活?」


「それも。あと、まだどこに何あるか分かんねえし」


興味。


楽しみ。


面倒だから誰かを連れていきたい、ではない。


一人でも行くつもり。


でも俺が来れば、それはそれで嬉しい。


分かりやすい。


「鳴海も来る?」


「なんで?」


「暇そうだから」


合っている。


「暇」


「じゃあ来れば?」


少し考える。


家へ帰っても、やることはない。


父さんは仕事をしている。


宿題もまだ出ていない。


学校の中には、まだ知らない場所が多い。


「行く」


「よし」


相沢が先に教室を出る。


俺もついていく。


廊下には、朝とは違う音が増えていた。


体育館。


校庭。


吹奏楽らしい音。


机を動かす音。


上級生の声。


まだ何をする場所なのか知らない教室もある。


相沢は歩きながら、気になったものをそのまま口にする。


「あっち体育館だよな」


「たぶん」


「運動部、もうやってんじゃん」


「聞こえる」


「え、ここから?」


「うん」


「マジで耳いいな」


驚く。


それで終わる。


変に疑わない。


持ち上げもしない。


「じゃ、こっち行ってみようぜ」


「うん」


中学校に入った初日。


まだ相沢のことをよく知らない。


向こうも俺を知らない。


友達と呼ぶほどのことも、まだ何もしていない。


ただ、話していて面倒が少なかった。


言葉と音が近い。


笑う時は本当に面白がっている。


知らない時は知らない顔をする。


気になる時はそのまま聞く。


そういう人間は、今まで思っていたより少なかった。


だから相沢陽太という名前は、初日からちゃんと残った。


俺は相沢の少し後ろを歩きながら、まだ知らない中学校の音を聞いていた。


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