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第一話 雪の匂い

嘉永3年


冬。


白河。


雪が降っていた。


静かな夜だった。


音を呑み込むみたいな雪。


白い。


冷たい。


そして。


どこか嫌な匂いがした。


「っ……ぁ……!」


久世由美が苦しそうに息を吐く。


産婆が声を張る。


「もう少しです!」


囲炉裏の火が揺れる。


そのそばで、

高志は落ち着かなかった。


部屋を何度も歩き回る。


「高志さん、邪魔です!」


「いや、でも……」


「父親が慌ててどうするんです!」


怒鳴られ、

高志は渋々座った。


でも。


胸のざわつきが止まらない。


理由は分からない。


ただ。


“また失う”。


そんな感覚だけが、

ずっと頭から離れなかった。


その時だった。


高志の脳裏へ、

突然知らない景色が流れ込む。


赤い雪。


燃える町。


黒い化け物。


白い炎。


誰かの泣き声。


高志は息を呑む。


「……なんだ、今の」


頭が痛い。


最近、

時々こういう夢を見る。


知らない景色。


知らない戦場。


でも。


妙に懐かしい。


その時。


由美が苦しそうに叫んだ。


次の瞬間。


――おぎゃああああっ!!


産声。


部屋の空気が止まる。


産婆が安堵したように笑った。


「元気な男の子ですよ!」


高志はゆっくり立ち上がる。


足が震えていた。


なぜか分からない。


怖かった。


産まれてきた我が子が。


由美は疲れ切った顔で、

それでも優しく笑っていた。


「……見て、高志」


その腕の中。


小さな赤子。


雪みたいに白い肌。


小さな手。


小さな身体。


そして。


静かな目。


高志の背筋へ、

ぞくりと寒気が走る。


赤子なのに。


妙に落ち着いて見える。


まるで。


“何か”を見ているみたいに。


由美が優しく赤子を撫でる。


「雪みたいね」


高志は少し黙った。


それから。


赤子を見つめる。


「……雪弥」


囲炉裏がぱちりと鳴る。


「久世雪弥だ」


その瞬間。


「へぇ」


女の声。


高志が振り向く。


いつの間にか、

囲炉裏の向こうに少女が座っていた。


年は十六、七ほど。


雪みたいに白い肌。


長い黒髪。


紫色の瞳。


着物は妙に着崩れていて、

肩が少し見えている。


しかも。


人の家なのに、

勝手にみかんを食べていた。


「甘っ」


高志が固まる。


「……誰だ、お前」


少女はみかんを飲み込み、

面倒そうに視線を向けた。


「えー、第一声それ?

 普通もっとあるじゃん。

 “どこから入った”とか」


軽い。


妙に軽い。


しかも。


全然空気を読まない。


少女は由美を見る。


「おつかれー。

 死ななくてよかったね」


高志の顔が引きつる。


「おい」


「いやほんと。

 一歩間違えたら母子共にぽっくりだったし」


由美は聞こえていない。


産婆も。


高志だけが、

その少女を見ていた。


いや。


違う。


雪弥も見ていた。


少女が気づく。


「あ」


紫の瞳が細くなる。


「へぇ。

 君、見えてんだ」


雪弥の鼻が小さく動く。


変な匂いだった。


花みたいで。


甘くて。


でも。


どこか腐っている。


少女はにやにや笑いながら、

赤子の雪弥を覗き込む。


距離が近い。


「かわいーじゃん」


そして。


さらっと言った。


「まぁその子、

 たぶんいっぱい地獄見るけど」


高志の空気が変わる。


「……ふざけるな」


少女はけろっとしていた。


「だってほんとのことだし」


悪びれない。


デリカシーがない。


でも。


どこか人間っぽかった。


少女は雪弥を見る。


「君、鼻いいでしょ」


雪弥の目が少し動く。


少女は楽しそうに笑った。


「分かるよ。

 この世界、臭いもん」


その瞬間。


外。


雪の向こう。


白い顔が笑っていた。


裂けた口。


ぐにゃりと歪む笑み。


少女はそちらを見て、

嫌そうに顔をしかめる。


「あー……

 もう来てるんだ」


そして。


面倒そうに呟いた。


「最悪」


でも。


その紫の瞳だけは、

少し冷たかった。


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