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深海起源可塑性細胞集合生物



深海起源可塑性細胞集合生物


――通称「グランスライム」総合基礎資料およびヒト結合実験計画概要――



二十二世紀初頭において、一般社会に「グランスライム」の名で知られる深海起源生命体は、再生医療、極限環境適応生物学、人工生体設計、人類進化研究、封鎖生物安全保障の全てにまたがる最重要研究対象である。

だが、この名称は本来、漁撈関係者と初期海洋調査班のあいだで便宜的に用いられた俗称にすぎない。

「グラン」は、採取された個体群が既存の海洋粘性生物より明らかに大型かつ高密度であったことに由来し、「スライム」は流動性のあるゼラチン質外観から呼ばれたものである。

この俗称は大衆的には定着したが、研究現場では長らく不正確な呼称と見なされてきた。

なぜなら、この生物は粘菌でもなければ単純なゲル状動物でもなく、現存するいずれの門・綱・目にも安定的に配置できない、高可塑性細胞集合体だからである。


作中世界において、グランスライムの学術的理解は一枚岩ではない。

研究の進展とともに分類名も改訂されてきたが、NIBBおよび主要共同研究機関が暫定的に採用している中心的学名は以下の通りである。




1. 学術名称と分類上の位置づけ


1-1. 暫定学名


Abyssoplasma granulosum compatibilis


これはNIBB深海起源生体分類委員会および国際共同生物学標準化会議第二分科会で広く用いられる、現在最も影響力の強い学名である。

語構成は以下の意図を持つ。


* Abysso- :深淵・深海起源であること

* -plasma :単純な個体というより、原形質的・集合細胞的性格を強く持つこと

* granulosum :微細顆粒状の内包体・高密度小胞構造を有すること

* compatibilis :異種細胞・異素材との異常に高い適合性を示すこと


ただし、この学名は確定分類ではない。

分類学上の最大の問題は、この生物が単一個体として安定している場合と、条件依存的な集合体・分散体・寄生的相互系として振る舞う場合があり、「一個体」と「細胞群」と「環境依存システム」の境界が固定されない点にある。

そのため一部研究者は、これを通常の生物種ではなく「深海起源動的生体相」として扱うべきだと主張している。


1-2. 別称・同義的研究呼称


研究現場では以下のような呼称も使われる。


* 深海起源可塑性細胞群

* 極圧適応多能性集合生体

* 0系細胞体

* AGC系(Abyssal Gauge-Compatible)

* 深海互換性原形質体

* 第0原種


一般社会向け資料や報道では、依然として「グランスライム」が圧倒的に通りがよい。

NIBB内部でも公式文書では学名ないし分類コードが用いられる一方、現場会話では俗称が多用される。

これは恐怖の対象が学名では呼ばれにくいという、研究施設特有の言語習慣でもある。




2. 発見経緯と初期観察


グランスライムの最初の記録は、小笠原海溝深部における堆積物コア採取および高圧対応サンプルカプセル回収作業の最中に得られた。

回収班は当初、採取器外壁および岩片間に付着した半透明~暗灰色の粘性物質を、単なる深海微生物マットの一部か、有機堆積物由来の変質層と判断していた。

しかし加圧保存槽内での挙動が異常だった。

通常、深海由来の柔質生体成分は減圧・温度変化・酸化環境により急速に崩壊する。

ところが当該物質は、


* 保存容器内で局所的に収縮・再膨張を繰り返す

* 切断片の境界が時間経過とともに再接合する

* 別サンプルに接触すると表面構造を模倣する

* 生体由来組織片に対して選択的に付着する

* 外見上は無神経に見えるのに、刺激方向に偏って流動する


といった性質を示した。


最初の大きな誤認は、この存在を「一種の高圧耐性粘性動物」だと考えたことにあった。

しかし顕微鏡観察、電子線解析、蛍光標識実験、圧力条件下代謝測定、分子構造分析が進むにつれて、それは既存動物学、生化学、細胞生物学の枠に収まらないことが判明する。

グランスライムは、表面的には粘性塊として観察されるが、その実態は高度に可変的な細胞集合ネットワークであり、通常の組織学的区分――上皮、筋、神経、結合組織など――を固定的に持たない。

必要に応じて、似た機能を果たす構造を一時的に形成しているにすぎない。




3. 肉眼的形態と外観的特徴


グランスライムの外観を一言で表すなら、「安定していない器官性」である。

つまり、ある瞬間には生物らしいが、次の瞬間には単なる流動体に見え、さらに別の条件下では器官様の局所構造が現れる。


3-1. 基本外観


標準的な高圧保存下個体は、半透明~灰白色の高粘性ゲル状塊として観察される。

内部には微細な顆粒、繊維様ストランド、微小気泡様小胞、金属光沢を帯びた粒子状反射が混在する。

全体として均質ではなく、視覚的には濁ったゼリーと内臓組織の中間のような印象を与える。

大型個体では、内部の流動速度差により表層と深部で質感が異なって見え、あたかも複数生体がゆるく融合しているように見えることもある。


3-2. 圧力依存変化


低圧下では表面張力が増したような緊張状態を示し、球形・楕円形・薄板状など比較的単純な外観に収束しやすい。

一方、高圧下では内部構造の再編自由度が上がり、襞、節、索状突出、吸着面、感応膜様構造が出現しやすい。

このため地上環境で観察されるグランスライム像は、本来の生態の一部にすぎないという見方が強い。


3-3. 色彩変化


標準状態では半透明灰白色だが、外部イオン濃度、金属元素、摂取した有機物、生体由来組織との接触履歴により、青灰、褐灰、黒緑、乳白、淡赤褐色などに変化する。

とくにヒト由来タンパク環境に長時間暴露した標本は、微妙に血色に近い色調を帯びることがあり、多くの研究員が本能的嫌悪感を抱く要因となっている。


3-4. 擬器官性


グランスライムは恒常的な眼、口、肢、神経索を持たない。

だが刺激応答に応じて、一時的に以下のような構造を形成する。


* 光受容膜に類似した薄層

* 圧力差検知用の小胞集積

* 付着・侵入のための索状突出

* 物質取り込み用の吸着腔

* 神経網に類似した信号伝播面

* 支持構造としての繊維化領域


これらは固定器官ではなく、必要なときにだけ器官様機能を持つ場を作るという、きわめて異質な生体戦略である。




4. 細胞学的特徴


グランスライム研究の核心は、肉眼的外観ではなく、その細胞が示す異常な可塑性にある。

現行のモデルでは、グランスライムを構成する基本単位は単純な一種類の細胞ではなく、少なくとも三層の機能単位からなると考えられている。


4-1. 基底可塑細胞(Basal Plastic Units)


最も基本的な構成単位であり、多くの分化や結合の起点となる。

形態は不定形だが、膜構造は非常に安定しており、内部には高密度小胞群と可動性の高い骨格様構造が存在する。

他生物の幹細胞に似た振る舞いを示すが、それ以上に重要なのは、周囲の物理環境そのものを細胞運命決定シグナルとして利用する点である。

圧力、イオン濃度、金属種、界面構造、他細胞膜の電荷状態などが、遺伝子発現に相当する機能転換を引き起こす。


4-2. 相互適合性媒介細胞(Compatibility Mediators)


グランスライム最大の異常性を担う単位。

異種細胞や無機素材との接触面に集まり、膜融合、接着、相互認識、拒絶抑制、局所再編を媒介する。

通常、生物は異物を排除するか、排除できない場合は壊死・炎症・線維化に向かう。

しかしグランスライムは、その接触境界を排除反応ではなく構造編成の機会として扱う傾向が強い。

このため、骨格材料、人工ゲル、培養皮膚、哺乳類細胞塊、神経組織片など、広範な対象に異常な親和性を示す。


4-3. ゲージ担体小胞群(Gauge Vesicular Arrays)


後述する「ゲージ」現象の中核。

細胞内外の分子配置を高密度かつ柔軟に維持する微小小胞系であり、一般的な細胞小器官とは異なる。

内部には高電荷・高極性・高安定性を持つ特殊分子が存在し、膜・細胞骨格・細胞外マトリクス・界面タンパク質の保持に関与すると考えられている。

この系があるため、グランスライム由来細胞は通常なら崩壊する環境でも形態破綻を起こしにくい。




5. ゲージとは何か


グランスライム研究において最も重要であり、かつ誤解されやすい概念が「ゲージ」である。

一般向け報道では「細胞の強さ」「生命力」「再生力」などと表現されるが、科学的にはそれでは不十分である。


5-1. 定義


NIBB基準では、ゲージ(Gauge)は次のように定義される。


細胞および組織が、外部環境変動・機械的損傷・分子不均衡・異種接触に晒された際にも、構造整合性と機能継続性を保持し再編する能力を示す、生体分子レベルの総合維持指標。


つまりゲージは単なる「硬さ」ではない。

高ゲージ生体は、壊れにくいだけでなく、壊れたあとに構造を再統合しやすい。

さらに重要なのは、ゲージが高いほど、異なる素材や組織をまとめて一つの機能系として維持しやすくなる点である。


5-2. ゲージの構成要素


ゲージ値は単独パラメータではなく、以下の複合評価で測定される。


* 膜構造安定性

* 細胞骨格再構成速度

* 損傷後の局所接着回復性

* 異種界面での破綻遅延

* 分子間保持圧

* 電荷偏在の持続性

* 代謝停止後残余構造維持時間

* 高圧・低酸素・極低温における組織統合性


このため、高ゲージとは見た目の頑丈さではなく、生体秩序がばらけにくいことを意味する。


5-3. 生物学的意味


通常の生物は、あまりに高い構造維持性を持つと可塑性を失う。

逆に可塑性が高いと不安定になりやすい。

グランスライムの異常性は、この二つを高い水準で両立している点にある。

すなわち、柔らかく変化しながら崩れにくい。

流動しているのに統一性を失わない。

この性質が再生医療に革命的可能性をもたらした一方で、封じ込め上の悪夢も生み出した。




6. 遺伝情報と情報保持の問題


グランスライムの研究を困難にしている大きな要因の一つが、遺伝情報の保持形式が既存生物と大きく異なる可能性である。


6-1. 通常型核ゲノムでは説明困難


初期解析では、核酸様分子は検出されたが、その配列と発現様式は従来のDNA/RNA中心モデルにきれいには収まらなかった。

ある条件下では配列一貫性が見られるのに、別条件下では構造再編が起きているように見える。

また、同一由来標本でも環境条件によって発現パターンが大きく変動し、それが単なるエピジェネティクス以上の再配置に見えることがある。


6-2. 分散情報保持仮説


有力な仮説の一つは、グランスライムが遺伝情報を単一の核内に固定しているのではなく、細胞群・小胞群・界面構造・化学勾配に分散して保持しているというものである。

この仮説が正しければ、グランスライムは「遺伝子で設計された個体」ではなく、「環境と相互作用しながら自己更新する動的情報場」に近い。

このことが、切断片や小片からの再統合、異種接触後の急速な適応、器官様構造の一時形成を説明しうる。


6-3. ヒト細胞結合研究への影響


もし情報保持が分散型であるなら、ヒト細胞と接触した際、グランスライム側は単に組織素材として振る舞うのではなく、ヒト細胞側の構造や信号を取り込んで自らの情報体系を書き換える可能性がある。

この点はのちの実験計画で最重要危険項目の一つとなる。




7. 代謝と栄養要求


グランスライムは何を食べ、どう生きているのか。

この問いに対する答えは、いまだ完全ではない。

ただし、現在の研究では、単純な従属栄養でも独立栄養でもない、条件依存型の複合代謝を行っていると考えられている。


7-1. 化学合成依存性


深海環境では、硫黄系・鉄系・メタン系などの化学環境との強い結びつきが示唆されている。

これは深海熱水系微生物と似ているが、グランスライムの場合、それだけで必要代謝を賄っているとは考えにくい。


7-2. 有機物取り込み


アミノ酸、脂質、糖、核酸断片、生体膜成分に対する取り込み能が高く、とくに他生物由来の損傷組織、分泌物、細胞残骸への接着が強い。

しかしそれは単なる摂食ではなく、取り込んだ分子配置を参考に自己構造を再編している可能性がある。

つまり食べることと学習することが近い。


7-3. 代謝休眠と再活性化


低栄養下や不適環境下では、代謝を極端に落としつつ構造を維持する。

この状態では外見上ほぼ非生物的に見えるが、適切な圧力・イオン環境・有機物接触により急速に再活性化する。

この性質は輸送・保管・廃棄処理において非常に危険であり、「死んだと思っていた標本が再活性化した」という事故の原因となる。




8. 生殖・増殖・個体性


グランスライムは「増える」が、それを生殖と呼ぶべきかは議論がある。


8-1. 分裂的増殖


一定質量以上に達すると、内部秩序を維持したまま複数塊へ分離する現象がある。

これは単なる切断ではなく、あらかじめ内部構造が再配分された後に起きているように見える。

この場合、両者はある程度独立に振る舞うが、由来の同一性を完全に失ったとは言い切れない。


8-2. 接触再融合


分離後の塊は再接触すると再融合することがあり、その際、どちらがどちらの継続個体なのか判定できない。

このため個体識別の概念自体が不安定である。


8-3. 異種接触後の擬似再生殖


もっとも危険視されているのは、異種細胞・組織との接触後に増殖性が変化する現象である。

接触した生体の特徴を模倣した表層・支持構造・接着様式を伴って増殖することがあり、これが単なる環境応答なのか、情報取り込みによる新相形成なのかは未確定である。

ヒト細胞との結合研究が危険視される大きな理由がここにある。




9. 知覚と応答


グランスライムは脳を持たない。

しかし無知覚とも言えない。

その刺激応答は、単純な反射を越えているように見えることがある。


9-1. 物理刺激応答


圧力差、温度差、光刺激、電位差、振動、化学物質濃度勾配に対して高い応答性を示す。

とくに圧力変化と生体由来電位への感受性が強い。


9-2. 生体接触優先性


金属やガラスより、生体膜、タンパク層、血清成分、細胞外マトリクスに対してより選択的に反応する。

これは単なる吸着ではなく、接触後の構造変化が速いことから、生体環境そのものを強いシグナルと認識している可能性がある。


9-3. 学習様挙動


長期観察下で、繰り返し与えられた刺激に対する反応速度や接着位置の選択が変わることがあり、一部研究者は「前適応記憶」または「局所構造学習」と呼んでいる。

この現象を知性と呼ぶのは時期尚早だが、少なくとも単なる化学塊ではない。




10. 医療応用可能性


グランスライム研究が国家規模で推進された理由は明白である。

この生物は危険であると同時に、既存医療が到達できなかった領域に手を伸ばせる可能性を持っていた。


10-1. 再生医療


損傷組織への適合、足場形成、拒絶抑制、構造再建能力を利用すれば、


* 難治性皮膚欠損

* 重度熱傷

* 臓器部分再建

* 神経接続補助

* 骨・軟骨複合再生

* 失われた血管網の再生


などに応用できる可能性がある。


10-2. 高耐久生体組織


ゲージを部分導入できれば、老化・損傷・虚血・低酸素・慢性炎症に強い組織が設計できる。

これが「アンチ・エイジング」研究の基礎となった。


10-3. 極限環境適応


深海、宇宙、極地、災害現場などでの生体負荷を軽減するため、グランスライム由来構造を用いた生体保護技術が研究された。

ただし人体応用は極めて限定的で、社会的にも警戒が強い。




11. 危険性と封じ込め上の問題


医療的有望性と同等以上に、グランスライムは危険な研究対象である。

問題は致死毒や感染力が単純に高いことではなく、何が危険の本質なのかが固定しにくいことである。


11-1. 異種融合性


多くの生物学的危険は「侵入」「増殖」「毒性」で理解できる。

グランスライムの場合は、それに加えて「構造的に馴染んでしまう」危険がある。

排除されず、組み込まれ、しかも局所的には機能改善を示すことすらある。

このため初期症状や異常判定が遅れる。


11-2. 死亡判定困難


代謝低下状態では死んでいるように見えるが、環境変化で再活性化する。

廃棄処理、凍結保管、薬剤処理後の再活性化が複数回報告されている。


11-3. 情報学習性


接触環境から構造情報を取り込む可能性があり、一度人間環境に馴染んだ標本が別条件下で異なる危険性を持つことがある。

すなわち、実験が進むほど危険性が変質する。


11-4. 判断錯誤


局所的に治療効果や組織改善が見えると、研究者や医師は有用性を優先しがちになる。

グランスライムはこの意味で、物理的脅威であると同時に認知的脅威でもある。

「うまくいっているように見える期間」が存在することが、封じ込め判断を難しくする。




12. ヒト細胞結合研究の理論的背景


ここから本題である、「ヒト細胞を培養し、グランスライムそのものと結合させることを目的とした新たな実験」について述べる。

この実験計画は、単なる人工生物開発ではない。

その本質は、ヒト細胞の脆弱さと、グランスライム由来細胞の過剰な可塑性のあいだに、制御可能な中間構造を成立させられるかを問うことにある。


12-1. なぜヒトと結合させるのか


既存研究では、グランスライム由来細胞を単独で用いると、組織形成は可能でも、最終的に人間側の生理機能と安定接続しにくいことが多かった。

逆にヒト細胞を単独で高ゲージ化しようとすると、増殖不全、分化異常、腫瘍化、機能不均衡が起きやすかった。

そこで生まれた発想が、ヒト細胞そのものを先に培養・設計し、そこへグランスライム側を段階的に結合させるという方法である。


12-2. 研究目的


表向きの研究目的は以下の通り。


* 高拒絶性再生医療材料の開発

* 難治性組織損傷に対する高適応性細胞基盤の確立

* 老化抵抗性を持つヒト組織モデルの構築

* 極限環境生存性向上のための基礎研究

* ゲージ導入による組織維持機構の解明


しかし内部文書では、より踏み込んだ目的が示される。


* ヒト組織における持続的高ゲージ化の可否

* ヒト・非ヒト境界における安定知性担体の構築可能性

* 既存人類生物学の上限を越える適応個体の設計可能性

* 新人類創出計画における初期基盤モデルの確立


つまりこの実験は、治療研究であると同時に、新人類研究の入口である。




13. 実験計画の正式名称


NIBB内部でこの計画は複数の名称を持つ。


13-1. 表向き名称


高適合性再生基盤構築実験計画

英語略称:HCRC Project

(Human-Compatible Regenerative Convergence)


13-2. 内部技術名称


ヒト起点型相互適合性融合計画

または

Human-Origin Convergence Series


13-3. 最上位秘匿呼称


複数案があるが、もっともよく噂されるのは

Project New Cradle

である。

これは「新しいゆりかご」を意味し、人間を改良するのではなく、人間から別の生体秩序を産ませるという不穏な含意を持つ。




14. 実験の基本原理


この計画の原理は、単純な細胞混合ではない。

むしろ逆で、いきなり混ぜると大半は破綻するため、段階的な結合環境を作り出す。


14-1. Phase I:ヒト細胞基盤の培養


まず、ヒト由来細胞を用いて基礎組織を構築する。

候補は以下の通り。


* 線維芽細胞

* 上皮細胞

* 血管内皮細胞

* 神経前駆細胞

* 間葉系幹細胞

* 誘導多能性幹細胞由来分化系

* 免疫調整細胞


目的は、ヒト生理に準拠した組織秩序を先に確立することにある。

つまり、主導権を最初は人間側に置く。


14-2. Phase II:中間足場の形成


次に、グランスライム直接接触を避けるため、中間足場を作る。

これは人工ゲル、生体コラーゲン、電荷制御膜、分子シグナル層、模擬細胞外マトリクスからなる複合基盤で、ヒト細胞とグランスライム側の界面衝突を和らげる。

この工程の目的は、融合ではなく交渉可能な境界面を作ることである。


14-3. Phase III:低濃度グランスライム因子導入


ここで初めて、全細胞ではなく、抽出・分画されたグランスライム由来因子が導入される。

たとえば、


* 相互適合性媒介分画

* ゲージ担体小胞分画

* 非増殖性膜成分

* 低活動性基底可塑単位


などである。

まずは組織の崩壊が起きないこと、拒絶が暴走しないこと、構造が保持されることを確認する。


14-4. Phase IV:限定的直接結合


選抜された培養系にのみ、極少量の生存グランスライム細胞が接触させられる。

ここで重要なのは、グランスライムがヒト組織を侵食するのではなく、ヒト組織側が主導権を保ったまま高ゲージ化することが期待されている点である。

しかし理論通りにいく保証はない。


14-5. Phase V:機能評価


結合後の培養系について、


* 組織強度

* 再生速度

* 代謝安定性

* 神経伝達保持

* 老化マーカー

* 腫瘍化傾向

* 免疫反応

* 独自行動性の発生有無


などが評価される。




15. 実験対象の段階分類


この計画では、いきなり人間個体に近いものを作るのではなく、段階的モデルが設定される。


15-1. H0系


純粋ヒト培養系。

対照群。


15-2. HC系


ヒト細胞 + グランスライム由来非生存分画。

構造安定化の初期評価用。


15-3. HG系


ヒト細胞 + ゲージ担体分画。

老化抵抗性・損傷耐性評価。


15-4. HX系


ヒト細胞 + 限定生存グランスライム細胞。

もっとも危険な領域への橋渡し群。


15-5. HXA系


高度適応試験群。

一定の自己修復性、高環境耐性、異常な組織維持性が認められた系。

ここから先は「再生材料」なのか「新規生体」なのか判断が曖昧になり、倫理区分が揺らぐ。




16. 期待される成果


研究者・政府・企業がこの計画に期待する成果は多層的である。


16-1. 医療的成果


* 臓器移植不要な部分再構成治療

* 長寿命組織による高齢者機能維持

* 脊髄・末梢神経再生の飛躍

* 難治性免疫拒絶の制御

* 事故・災害後の高速回復


16-2. 生体工学的成果


* 極限環境用人体補助組織

* 長時間深海作業に耐える生体被膜

* 自己修復型生体インターフェース

* 生体・機械・人工素材の安定結合


16-3. 新人類研究上の成果


* ヒトの生物学的寿命限界の延伸

* 細胞損耗速度の低下

* 環境適応の飛躍

* 通常人類では不可能な再構築性

* 既存人類とは異なる新たな発生秩序の兆候




17. 想定される失敗と最悪のシナリオ


この計画が危険視されるのは、成功したときだけではない。

むしろ中途半端に成功することが最も危険である。


17-1. 組織乗っ取り


見かけ上はヒト由来組織が維持されていても、実際にはグランスライム側の構造原理が内部で優勢化し、ヒト組織を素材化している可能性がある。


17-2. 境界不明生体の誕生


培養系が一定の自己維持性・刺激応答性・選択的行動性を示した場合、それを単なる試料と呼んでよいのかが曖昧になる。

とくに神経前駆細胞を含む系では、この問題が深刻化する。


17-3. 人間環境適応の獲得


グランスライム側がヒト細胞との接触により、人間体内や人間社会環境に適応しやすい構造を獲得する可能性がある。

これは封じ込め上、致命的な転換である。


17-4. 研究者側の認知汚染


局所的成功例により、研究チームが危険性評価を甘くし、段階飛ばしの実験を行う恐れがある。

実際、多くの禁忌研究は「あと少しで治療になる」「この結果を見捨てられない」という心理から進む。




18. 第0ビオトープとの関係


この新実験が特に不穏なのは、単なる培養室研究ではなく、第0ビオトープ由来の新鮮標本・環境因子・圧力適応データが深く関与している点にある。


第0ビオトープでは、グランスライムが地上培養系で見せるよりはるかに複雑な相転移を起こしている可能性が高い。

もし地上で扱うグランスライムが「不完全に眠らされた断片」にすぎないなら、ヒト細胞との結合実験は本質的に、原種側が本来持つ適応原理を地上ヒト生物学へ持ち込む試みとなる。

このとき、主導権が人間側にある保証はどこにもない。


そのため第0由来標本は最高機密とされ、HCRC計画の一部フェーズは海上施設上層ではなく、深海接続に近い限定区画でのみ実施される。

噂では、一部の実験は「地上で成立しない結合」が「深海圧下では成立する」ことを前提に設計されているとも言われる。




19. 科学的総括


グランスライム――学術上は Abyssoplasma granulosum compatibilis と暫定命名される深海起源可塑性細胞集合生物――の本質は、単に不定形で再生力の高い怪物ということではない。

その本質は、生命が通常持つ境界感覚の薄さにある。

自己と他者、器官と環境、損傷と再構成、死と休眠、個体と集合体。

グランスライムはこれらの境界を、人類が当然視するほど堅固には扱わない。


だからこそ、それは治療の夢を与える。

壊れたものを戻し、切れたものをつなぎ、老いたものを持ちこたえさせ、異なるもの同士を共存させる可能性がある。

しかし同じ理由で、それは人間の定義を侵食する。

人間の細胞とグランスライムを結合させる新実験が危険なのは、未知の毒性や単純な暴走だけではない。

その最も本質的な危険は、人間が人間のまま強くなるつもりで始めた計画が、いつの間にか「人間とは別の構造秩序」を産み出してしまうかもしれないことにある。


研究者たちはそれを「高適合性再生基盤」と呼び、国家は「次世代生体技術」と呼び、投資家は「寿命革命」と呼び、理想主義者は「救済」と呼ぶ。

だが、もしグランスライム側から見れば、それは単に新しい接触面にすぎないのだとしたら。

この問いこそが、NIBBの第0ビオトープから始まる全ての異常実験の中心にある。


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