ただ走る
「青春みてえなもん見せるな。オレの胃に悪いじゃないか。教えるのやめるぞ」
「意味わかんないこと言ってないで教えてくれ。困るし」
ルーディオは気だるげに蒸気を零した。
「翔ぶつっても複数ある。滑空なら走って、跳んで、出しっぱでいい。そうじゃねえならそうだな。まずは火を灯せ」
ディストは遠くを睥睨した。アメリアに何もできなかった無力さ、手遅れになってから気づいた後悔と、……憎悪が燃え上がっていく。
火種は意志と使命感を滾らせ、感情の銀焔が四肢を伝い熱を帯びていく。
「はっ、硬い表情だな。もっとリラックスしろよ。熱くなるのはいいけど。死にたくねえならクールになれ」
焦燥する様をルーディオは嘲りながらも真摯な言葉を掛けてくる。
ディストはなんとか応えるように、炎の出力を弱めることなく深く息を吐いて、向かい合った。
「それでいい。あとは手足を使わずに移動しろ。その火の出力だけでな」
「……? 銀の炎は物体を加速させる力であってそのものに出力があるわけじゃないだろ」
「まじで出力がないなら炎が熱いわけねえだろ。じゃ、オレはルサールカちゃんのところに…………」
不意に考え込むようにルーディオは静止した。ディスト、そしてレーニャも怪訝そうに一瞥していく。
「どうしたんです、ルーディオ。ようやくワンナイトだの君の瞳にだのと言ってもルサールカに意味がないと気づきましたか?」
「いや、ミルシャがいつの間にかいねえなと思ってな。……まぁ様子ぐらい見に行くか。あいつは観ておかないとなんか不安なんだよな」
ルサールカへの態度とは一変して、ルーディオは思い悩むように金属を軋ませると、とぼとぼと離れていった。
ディストはおかしなものでも見るみたいにルーディオを見届けてから、……レーニャと目があった。
「……妹と似ているらしい。それでミルシャに対してはセクハラもなくあんな態度だ。ルサールカにも普通に接すればいいのに。あれはアホだと思いますね」
「アホってのは同意だな。……ってなんだよ。じろじろ見て」
レーニャは無視して小さく呻くと、ふんと。ディストを鼻で笑った。
少しの脱力。クソ真面目な表情が僅かに綻ぶ。
「少し一緒に歩こうか」
ジジジと。近くの電光掲示板が僅かな火花を散らして蛍光色に点滅した。レーニャの髪が鮮やかな逆光を反射してネオン色に煌めいていく。
「……っ、ああ? ああ……」
ディストは見惚れるように気の抜けた返事を返した。
「どうした。きもいぞ」
「っうっせーよ」
誤魔化すように都市を眺めた。
ウルルクの街並みは薄汚いが、きらびやかだ。高く、高く築かれた都市は見上げても夜闇に呑まれていて際限がない。
直線上に奔る光は都市を巡る鉄道だろう。頬を殴る風は冷え切っていて、かすかに白い砂塵混じりだった。
レーニャは段々と歩き始めた。響く靴音。踏み抜いた濁った水たまりは、夜の底に冷えて凍りついている。
吐く息が白く染まった。だんだんと、速くなっていく歩み。
「このまま食品市場まで向かう。今日の食事当番は私だったが、お前がやれ」
「別にそれはいいけど……急いでるのか?」
宙ぶらりんだった腕に力が籠もり始めた。規則的な呼気。地を踏む脚、疾くなっていく。
「リーダーにお前を任された以上どうすべきかと考えたが。才能ではどうにもならん問題点を見つけた」
「何の話さ。それ……っ。急いでることと関係があるのか?」
瞬間的な全力疾走とは違う有酸素運動。
銀雲急便の義体と刺青で素肌のときよりはよっぽど身体能力は底上げされているが。肉体そのものが全て変わるわけではない。
ディストは少しずつへばっていった。
「関係大有りです。お前は肉体労働をするには少し細すぎるんです。筋肉がないとは言いませんが。……食が細かったようだな。だから走る。だから食材を買い足す。鍛えるためにな」
「……ッー、生憎、っー……。両親を養ってたもんでな。俺は二の次にしてたんだ」
「ならば自分を第一にしろ。誰かを助けようとして考え無しに飛び出すな。という話もここに繋がる。ディスト、お前は……覚悟は充分過ぎるが、自分を想わな過ぎる節がある気がする。その眼から光が失せたらおしまいなんだぞ」
その目は«秒針»のことだろう。
理解していたが、痛いところを突かれるみたいにアメリアの目が潤んだ。誤魔化すように、走ることだけに意識を向け直す。
夜の底に冷えた空気。煤けた臭い。遠くで雑音が響いていても、この場所で聞こえるのは靴音と、吐息だけだった。
レーニャはペースを崩すことなく遠ざかっていく。歩幅、呼吸。先に乱れたのはディストだった。
「どうした。もうバテたか?」
「っー、当たり前だろ……。こちとら新入りだ」
ただ目的の場所へ向かうだけなら酷い遠回りだった。
薄暗い路傍を駆けて、荒く気道に入る空気が痛む。冷えていて、少しむせると血の味がした気がした。
「強くなりたいんじゃないのか? ワタシを父さん……んん。【銀炎】のもとに連れて行くんだろう?」
「あーそうだよ。だから……っ、後ろ追いかけてんだ」
「ふん、頼もしいことですね。…………ならもう少し――疾走ろうか。見失ったら銀の灯火に五感を向けろ。火は互いを結びつけてくれる」
優越感と嫉妬。少しばかりの好感をクソ真面目な表情に押し込めて、レーニャはほんの僅かに口角をあげた。柔らかに緩む頬に自覚なんてない。
地を踏む一瞬、火飛沫をあげる銀色。レーニャは一瞬で加速し、ディストを置き去りにした。少女の背が一瞬で遠ざかっていく。
「……新人イビリだな」
ディストは乾いた笑いを零した。




