正義
三章:照らす火、継ぐ炎
ウルルク協会の管轄都市は陽光汚染を防ぐために朝焼けと夕焼けを失っていた。暗闇、ずっと夜。
異界道具がもたらした黒色は鬱蒼と都市に影を差していた。
夜の街の薄暗い路傍に、カツン、カツンと。靴音が響かせていく。
何者にも怯えることがないから大袈裟なくらいに鳴り響かせていく。
背の低い少女だった。
だぼだぼのコートと結んだ銀の髪を風に靡かせながら。キラリと、暗闇を貫く金色の瞳で薄汚い路傍を見据えた。カツン、カツンと。
普通だったら誰も近づかないだろう汚らしい少女に近づいて、視線を合わせるために膝をついた。
跳ねる汚泥が新品のスーツを汚れていてもかまわない様子だった。
「とても大変そうに見えました! ぜひ、これを食べると良いですよ!」
自身の夕食だった缶詰と粉末ソーダ飲料を差し出した。
「…………どうして、ほんとうにくれるの?」
「それはわたしがフェンリル社所属! オルトロス十三区の治安警備隊隊長! 【正義】だからです! 正義とは、顧みぬこと。たとえ全てを救えずとも、今わたしが手を差し伸ばせる者を見て見ぬフリをせず施すのが正義ですから」
【正義】はぎゅっと手に力を込めてから、優しく離した。家もない少女はじっと、正義を名乗った便利屋を見上げると、深く頷いた。
「ありがと……お姉ちゃんほんとうに正義のヒーローみたい」
「ありがとう!! けどお姉ちゃんだからヒロインかな!?」
【正義】は大袈裟にそう語ると、見返りを求めることもなく颯爽と背を向けた。
瞬間、市場から狭い路地裏へ、【正義】の目の前に薄汚い少年と店の男性が走ってくる。
「泥棒だ! 頼む! 捕まえてくれ!」
「了解しました!!」
【正義】は慣れた様子で少年の頭を鷲掴むと、躊躇いなく地面に叩きつけた。鈍く響く殴打の音。息を詰まらせたような悲鳴と嗚咽が漏れたが。
【正義】はさらに、少年の腹部を踏みつけ、蹴り飛ばした。
指を踏み躙り、鳩尾を抉るように鋭く蹴る。蹴る。蹴る。
「待って! だめ! だめ、だめ!! お兄ちゃんなの! お兄ちゃんなの!!」
つい先ほど助けられた少女が悲痛な声をあげて【正義】にしがみつく。だが、身体強化施術を全身に施した肉体を止める術などなかった。
ガシャンと、少年が盗んだ缶詰が転がっていく。少年がボロ雑巾のように血と汚泥で汚れ、体が緩み切って跳ね飛ばされていく様を前に、少女は目を見開いた。
「あ、お兄ちゃんが、ぁ……やめて……! お兄ちゃんは私のために――!」
少女は消えうるような声を発して、【正義】の腕にしがみついていた。
【正義】は輝く瞳で少女を見据えたが。
「止めることはできません。確かに腹を空かせていたのでしょう。君を養おうとしたのでしょう。同情できます、が。泥棒は悪です。正義とは躊躇わぬこと。悪を裁く拳を止めぬことです」
【正義】は止まらなかった。少年が声も発せなくなるまで制裁を下すと。何事もなかったかのように盗まれた商品を拾っていく。
「店主さん、これで彼はもう泥棒などできないでしょう。正義が下されましたから。はいこれ、商品。傷つけた分はわたしが買い取りますよ」
「ああ、いや……だ、大丈夫だよ。ありがとう……」
店主の男性はそそくさと逃げていった。
残された【正義】は一人、黒い夜空を見上げた。
「……おい、何寄り道してんだ。集合時間過ぎてんぞ。【正義】」
小さな後ろ姿に掛けられた粗暴な声。振り返ると、狼頭の男がいた。
彼は、最近お気に入りらしい腕の仕込み銃を弄りながら、【正義】のもとへと歩み寄っていく。
「失礼。私を求める者がいたので。ええと……マーヴェリックさんですか? ……なにぶん犬の顔は見分けがつかなくて」
爛々と輝く金の瞳が狼頭を見上げた。
「狼な? 失礼なやつだな……。フェンリル社の猟犬隊所属のマーヴェリックだ。今回の仕事はオレ達と【正義】でやれとのことだった」
彼は一匹狼ではなかった。夜闇の奥からギラリと瞬く無数の相貌。牙の隙間から溢れる呻き。狼頭の連中が路傍を埋め尽くしていく。
誰一人例外はなく、皆が頭部を獣に身をやつしていた。
「本当はアメリア・クラークスからブツを押収すれば終わりだったんですがね。あなた達は《秒針》、《分針》のどちらかを破壊すればいいです。既に取り込んでいたら目に時が刻まれているので、見ればわかるでしょう!」
【正義】は指で宙を描くと、レーニャとディストの二人のデータを見せた。
「ちっ。悪かったな。あのクソアマ、死ぬ前に認識阻害をかけやがったんだよ……。今回は殺すだけでいいんだな?」
「はい。わたしも同行しますので同じような過ちはもうないでしょう。この仕事はひっじょー! に名誉です。プレッシャー感じてください? なにせ彼らが持つ異界道具が揃えば、時計の針が完成すれば存在自体が無かったことになる可能性すらあるんですよ! それほどまでに時の操作というのは罪深いんです」
【正義】は小さな背を盛るように爪先立ちをして、大袈裟に両腕を振り仰いだ。マーヴェリックは冷ややかに距離を取った。
「…………俺たちは金があればなんだってするさ」
「ええ知っています! 正義のために金に糸目はつけません! だって時計の針が揃えばこの素晴らしい世界をやり直してしまうかも! それは絶対に許されない。悪です。それゆえに撃滅するんです。皆殺しですよ」
少女は嬉々としていた。正義を握りしめ腕を震わせ、感動に目を輝かせていく。
「オレもあんたも一課……それなりに強いはずだが、敵も同じだろ? 勝ち目は?」
「もちろん! オルトロス十三区はこの世界が侵食されて以来、宇宙人も異界人もあらゆる道具も許していませんからね。秘策はありますよ! ふふ、本当はこの街も反吐が出ますよ。夜の帷ばかりで美しい夕暮れも清々しい朝焼けもないんですから」
「そりゃ同感だ。お先真っ暗ってのはなぁ……」
【正義】の心酔を前に、マーヴェリックは適当な相槌を打って話を濁した。
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