十九 癒えない傷
冒険者ギルドで起きた事件は各方面に多大な影響を与えた。
魔物領への抑えとして設立されたはずの冒険者ギルドでは、ギルドマスターを初めとした冒険者の七割が死亡し、生存者の大半も重傷を負っているせいで機能不全に陥っていた。
また、事実上の最高責任者となったローレンスも失った右腕を初めとして全身にダメージを負っており、現在は「銀色の天秤」のメンバー達がギルドマスター代理として、ギルドの立て直しに奮闘している。
RCISの特殊戦術部隊も壊滅状態となり、訓練生の育成が急ピッチで進められている。また、パトリシア・テイラー特別捜査官の容体は芳しくなく、今も予断を許さない状況が続いている。
魔物領と冒険者ギルドに最も近いところに領地を持つガストン子爵は嫡男と共に無事生還したものの、古くから仕えてきた忠臣二人と多くの兵士を失い、領地が隣接するマカリスター子爵の援助を受けながら一刻も早い復興に向けて動いている。
援軍に出向いたジョーンズ子爵の次男であるデイヴィッドは、深手を負っている状態で人狼になった反動で傷の治りがかなり遅く、意識はあるものの未だに寝たきりの生活を送っていた。
作戦指揮を執っていたトラヴィス伯爵と、彼に追従していたケラー男爵は戦後の死傷者確認の際に遺体が見つかっており、いずれも跡継ぎが幼少の長子か夫人になるということで、お家乗っ取りを画策する者が早くも出始める始末だった。
また、表向きは戦場で散った英雄とされているものの、同じ戦場にいた者達からすると二人の行動は決して看過できるものではなく、彼らに対する潜在的な嫌悪感が外部からの乗っ取り行為の黙認に拍車をかけている現状があった。
ここまでの報告を受けて、いつも笑みを絶やさず飄々としているトレヴァー・マクファーソン第一王子もさすがに渋面を作るほかなかった。
「これは酷い結果だね……。辛勝と言うのも悩ましい程に被害は甚大だよ」
「ええ……。特に冒険者の多くを失ったことはかなりの痛手ですわ」
エミリー・マクファーソン第三王女が悲しみを湛えてうつむく。
そんな妹の様子を気遣いながらも、トレヴァーは今回の件を報告するゾーイ・スペンサーに視線を向ける。彼女はRCISの最高責任者という表の顔と、国王直属の諜報部隊出身の裏の顔とを最大限に活用して詳細な報告書を練り上げるだけでなく、それを自ら口頭で説明していた。
そのゾーイが遠慮がちに話を進める。
「ですが、希望もあります。ベアトリス・マッコードが開発したジャベリンシップは、これからの戦争の様相を大きく変えます。
度重なる戦闘でいくばくかのダメージを既に与えていたとはいえ、死霊術を駆使してデーモンスパイダーとの融合さえ果たしていた相手を難なく退けたのは特筆すべきことです。
まして、今までだと考えられない遠距離からの攻撃が可能になったのはかなりのアドバンテージになります。
今まで王国はリーヴェン帝国と魔物領への二方面から圧迫を受けてきましたが、今回の件でパワーバランスは大幅に変わるでしょう」
「その点は否めないね。だが、味方を巻き込んでしまう危うさもある。現に、今回は何人もの兵士や冒険者達にまで被害を与えてしまった」
「恐れながら殿下。あの状況下では仕方ないことでした。倒れたはずの仲間が死体になって牙を剥いてくるような地獄絵図の中で、誰が生存者の存在を確認できたでしょうか」
「その通りだよ。けれどもこのことは最終決定者の自分が背負うべきことなんだ」
トレヴァーは力なく椅子に座り込むと、右手で両目辺りを覆いつつ、こめかみをじっくりともみ込んだ。まだ年若いはずの好青年が一気にニ十歳以上も老け込んだ姿になっているのを見て、ゾーイは驚きを隠せずにいられなかった。
それは身内であるエミリーも同じだったようで、心配そうに兄を見つめていた。
「お兄様。少し無理が祟っていませんか?一度、お休みになられた方が良いのでは?」
「いや、自分だけ休むわけにはいかないよ。これからが勝負なんだから」
しばらくの間、トレヴァーはぼんやりと天井を見上げているような素振りを見せていたが、やがて視線を元に戻すと、二人に曖昧な笑みを向ける。
「ゾーイはジャベリンシップのことが漏洩しないように、引き続き細心の注意を払って欲しい。特殊戦術部隊の再編成で大変だと思うけど、最優先事項は情報の秘匿だ。良いね?」
「かしこまりました」
「エミリー。ベアトリスの授業だけど、これからも臨時休講をお願いすることが出てくるだろう。なるべくそうならないように配慮するけど、その時は宜しく頼むよ」
「はい、お兄様」
「では、そろそろ失礼するよ。今回の件を母さんに伝えないといけないからね」
「お待ちください、殿下。その前にこちらをお返し致します」
席を立ったトレヴァーに、ゾーイが慌てて羊皮紙を差し出す。それを受け取ったトレヴァーは複雑な表情を浮かべていたが、やがて何かを決心したように頷くと、火魔法でその羊皮紙を焼却した。
「もう必要ないものだと思わないとね」
トレヴァーの言葉にゾーイは真摯に頷いた。エミリーはその正体を知りたかったが、兄の今まで見たことのない表情を見て、自身の好奇心を最大限しまい込んだ。
「では、私も失礼致します」
「ちょっと待って」
トレヴァーが退室した後、ゾーイも続いて退室しようとするがエミリーが呼び止める。ゾーイは一瞬、彼女が羊皮紙の正体を聞き出そうとしているのかと訝しんだが、表情を窺うに要件は別のところにあると見て取った。
エミリーはスッと立ち上がると、姿勢を正してゾーイを真正面から見つめる。そしてためらいがちに尋ねた。
「ジーナは……。彼女はどうしてるの?」
その言葉にゾーイは彼女のことをどう伝えれば良いか考えを巡らせる。だが、どれだけ取り繕ったところで、その裏にある真実を嗅ぎ分けるのは容易なことだろう。
ため息交じりにゾーイは話し始める。
「彼女は……。自責の念に駆られています。
今回の件の原因は全て自分にあると思い込み、不眠不休で魔物領に侵攻しては目に付く魔物を独りで狩り続けています。魔物の返り血に濡れたその姿を見た他の冒険者からは「ブラッディ・キャサリン」と揶揄されていますが、それに構わず黙々と自発的に狩りを行っています」
「そんな……。余りにも惨い話じゃない」
「誤解を恐れずに言えば、生存者達は彼女を責めてはいません。ローレンス様から彼らに対し、ジーナが密命を受けて行動していた旨は伝えられています。
ただ、ジーナ自身が心に壁を張ってしまっているので、どうも対応などが無機質に映るようです。
周りから差し出された手を掴むだけなのですが、それができない程の強い責任感を持っているのが彼女ですから」
「何とかならないかしら」
「恐れながらその件に関して、より懸念されることがございます」
「何かしら?」
「ベアトリスです。彼女はあの戦場で死人を見た。敬愛していたかつての上官でありながら、国王陛下に対する反逆行為に加担したことで極刑に処されたはずのジーナ・ローリーを。何よりもまずこの問題に対処する必要があります」
ゾーイの言葉に込められた意味がエミリーの中でどんどんと大きくなっていく。この問題は扱い方を間違えると、新たな火種を生むものであった。
エミリーはしばらくの間、黙考する。だが、そんなに都合よく良い答えが見つかるものでもなかった。
「何とかならないかしら……」
思わず口から出たその独り言に驚きつつも、エミリーは深くため息をつくばかりだった。
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数日振りの学院は驚くほどに普段通りだった。
まるで何事もなかったかのように、皆は思い思いの学生生活を満喫している。勿論、友人の何人かからは、体調を案じられたり戦いへの従軍をねぎらわれたりしたが、不思議と大きな話題になることはなかった。
あの戦いについてまだまだ心の整理がついていないエリカにとって、その距離感はとてもありがたいものだったが、それ以上に何とも言えない気まずさのようなものが心に残っていた。
だが、周りが冒険者ギルドの件をほとんど話題にしない理由はすぐに分かった。
その日の始まりの授業は蒸気機関学だったが、相変わらず休講状態のままで、教室内のクラスメイト達は形だけの自習を楽しんでいた。しかし、エリカだけは教室に隣接する教授の研究室兼私室に呼び出しを受けている。
「空いているところに適当に座って」
心なしか冷たさを感じるベアトリスの言葉だったが、エリカは素直に指示に従う。
エリカが椅子の一つに腰掛けたのを見ると、ベアトリスはその向かいの椅子に座る。
「単刀直入に言うけれど、あそこで見たものは他言無用よ」
「はい、先生。その件は勅命を受けております」
エリカは数日前のことを思い出しつつ答える。複雑な感情を抱いたまま戦場を後にし、王都へと戻ったエリカ達を待ち受けていたのは王城からの勅使だった。そしてその勅使がRCISの本部長を務めるゾーイ・スペンサーであったことから、勅命の内容はいやでも予想がついた。
エリカの言葉にベアトリスは鼻を鳴らしつつも、とりあえずは言葉を呑み込んだ。
そのまま、気まずい沈黙が続く。
「一つ質問しても宜しいでしょうか?」
耐え切れなくなってエリカは会話を切り出した。
「何かしら?」
「あの時、どうして先生もあそこにいたのですか?」
「答えられないわ。機密事項だもの」
あっさりと言葉を返すベアトリスに、エリカは確信を深めた。
彼女が厳命されたのは、あの日見た新兵器に関する一切の言及や伝聞を禁じるものだった。逆に言えば、それに関する補足説明なども受けていないので、散らばったパズルのピースを一つに集めるのは容易なことだった。
あの新兵器にはベアトリスが絡んでいる。
だが、エリカが確信を深めたことを彼女も見抜いていた。
ベアトリスはジッとエリカを見つめると、詰問口調で問い質し始める。
「あまり驚いていない様子だけど、何か知ってるのかしら?」
その質問からエリカは彼女が本当に知りたいことは何なのかを察した。
「先生の得意分野については、かねてより学ぶ機会がございましたから」
ベアトリスはその言葉をじっくりと頭の中で反芻しているようだった。エリカは言外に表明したのだ。「蒸気機関の第一人者であるジーナ・ローリーを知っている」と。
あの戦場で二人が言葉を交わす機会はなかったはずだが、お互いの姿はまず間違いなく視認しているだろう。その時に、ベアトリスは混乱したはずだ。何故、死んだはずの彼女が生きているのかと。
表沙汰にはなっていないが、ジーナ・ローリーが極刑に処されたはずの一件にエリカが絡んでいることは早くから掴んでいた。元とはいえ、彼女自身も近衛兵の一人だったのだ。王族に纏わる話は今でも耳に入ってくる。
だからこそ、死んだはずのかつての上官があの場にいることを説明できる唯一の人物がエリカだと考えるのは無理もないことだった。
ベアトリスはゆっくりと言葉を選ぶ。
「あの戦いでは多くの人が傷付いたわ。死んだはずの仲間が自分に襲いかかってくるなんて悪夢そのものよ」
「はい」
「……あの時、私も死人を見た気がする。決して生きてはいないはずの人を」
「その方は先生のお知り合いですか?」
エリカは敢えてとぼける。この場は二人きりであることは自明だったが、それでも新兵器に関する勅命を受けている以上、使う言葉には細心の注意を払う必要があることはお互いに認識していた。
「ええ。この職に就く前からの古い付き合いよ」
「……冒険者ギルドには共同墓地があります。邪悪な死霊術によって永い眠りを無理やりに妨げられたのでしょう」
「いいえ。彼女はそこに埋葬されていないわ」
急にベアトリスの全身から剣呑とした雰囲気がかき消えた。代わりにそこに残っているのは、すっかりその背が丸くなってしまった一人の小柄な女性だった。
「あなたのことだから、もしかしたら知っているかもしれないけれど、私は大きなミスをしでかして近衛兵を辞めたの。
でも、その時に文字通り身を挺して守ってくれた上官は私のことを気にかけてくれていた。当時、発見されたばかりの蒸気機関を研究する任を与えてくれたわ。感謝してもしきれなかった。
けれど、王都での一件に彼女が絡んでいた。そんなことはないって思っていたけれど、でも……」
ベアトリスは身を縮める。
「彼女が極刑に処されたところを実際に見たわけじゃない。でも、私の中では確かにジーナ・ローリーは死んだの。
折り合いを付けるのに苦労して、ようやく心の整理がついたはずだった」
エリカは彼女の独白を黙って聞いていたが、最後の言葉に心の中で深いため息をつく。
「教えて。あの時私が見たのは誰だったの?」




