三 御前試合への布石
朝の学院が慌ただしいのはいつものことだったが、その日はいつになく学生が多く、混雑としている。
もみくちゃにされながらもエリカは正面扉を潜り抜け、最初の授業場所へと向かおうとする。
「御前試合だってさ!」
「マジかよ。何年振り?」
「どうしよう。今から緊張してきた……」
色々なところで声が上がっているが、エリカは我関せずといった表情でひたすら無心に目的の場所を目指す。
「ええー。来年からなのー」
「卒業するから無理じゃん。出たかったなあ」
「え、知らないの?私達にも機会があるんだって」
「嘘!?なら頑張らないと!近衛兵になる絶好のチャンス!」
「俺はRCISの特別捜査官になりたいな」
「バカ。上級魔術学で苦労している奴がなれるわけねえだろ」
最上級生の熱気が凄まじい。確かにチャンスがないと思っていたところにその機会があると言われたらやる気が出るのも当然のことだろう。
そもそも御前試合とは、国王の代替わりや国全体に波及する吉事などが起きた際に行われるもので、王立バンクロフト学院に通う各学年の代表者十名ずつによるトーナメントが国王を初めとする王族の立ち会いの下行われる。
少し前に第一王子が代々行われている諸国行脚から帰還したのは記憶に新しいが、それを祝して今回の御前試合が決まったらしい。
この御前試合に参加するには事前に行われる模擬戦で席次を獲得する必要があり、その模擬戦自体が長期間通して行われるので、学院中がお祭り騒ぎのような状態になっているのも無理からぬことだった。
だがエリカにとっては何の関心も湧かないものだった。そもそも御前試合に何の意味があるのかと考えてしまう。
会社員だった頃を思うと、御前試合は上司同席のプレゼンのようなもので、必要以上のプレッシャーを感じてしまう。
一人げんなりしたものを抱えつつ魔物・動物学の教室へと入ったエリカは、普段人気がない授業の中でも五本の指に入るはずの教室にただならぬ熱気が立ち込めていることにたじろいだ。
その熱気を生み出しているのは意外なことにシェリルとグロリアで、お互いに強い眼差しをもって見つめ合っている。
既に教室内には大半のクラスメイトがいたが、遠巻きながらも皆固唾を飲んで二人を見守っている。
そんな二人の前でおろおろすることもなくニヤニヤすることもなく、ナタリアはただ呆れ返った表情で親友達を見つめていた。
エリカはナタリアに挨拶すると、事の次第を尋ねる。
「ねえ、何があったの?ケンカでもしたの?」
「うーん。まあ、ケンカと言えばケンカになるのかな……」
はきはきとモノを言うタイプなのに、今日のナタリアは珍しく歯切れが悪かった。それだけでなくクラスメイトの数人が緊張に満ちた視線を向けてきたのが気になった。
「あまり聞かない方が良い話?」
「うーん……」
ナタリアのリアクションから本能的に巻き込まれない方が良さそうだと察すると、エリカはわざと距離を取って手頃な席に腰掛けようとする。
そんな彼女の耳にシェリルの声が響いた。
「悪いけど、絶対に渡さないよ」
「それはこっちのセリフ」
どうやら二人は何かを取り合っているらしい。仲が良い二人が静かに闘志を燃やすほどのものの正体が気にはなったが、エリカは席に着いて授業の準備をする。
好奇心は猫をも殺すという言葉があったが、ナタリアのリアクションはまさにそれを物語っていた。それに二人ともエリカにとって大切な存在の一人である。変にどちらかに肩入れしてしまうと今後の友情にひびが入る可能性もある。それだけは絶対に避けたいことだった。
「オズワルド様とそう簡単にお近付きになれると思わないで」
「それはシェリルも一緒でしょう?それに私はこれでも商会の娘だから、いくらでも機会はあるのよ?」
「はい、ストップ」
エリカは席を立つや否や火花を散らし合う二人の間に入った。
「二人とも、ちょっとこっちにいらっしゃい」
有無を言わせずそれぞれの片腕を掴んでエリカは教室の前方へと引きずり出す。思いのほか力が強かったのか、二人が抗議の声を上げたがエリカはそれを完全に無視した。
「ちょっと何なのよ!今、大事な話をしているところなの!」
「そうよ!邪魔しないで!いくらエリカだからって怒る時は怒るよ?」
だが、二人は急に押し黙る。エリカが向けた視線に込められているものに完全に委縮していた。
「何よりもまず確認しておきたいんだけど、あなた達が火花を散らしている原因は何?」
その声は普段のエリカのものだったが、どうしてか背中の辺りを冷たいものが流れ落ちていく。
「い、いや、別に?何もないよ?」
「う、うん。そうだよ?」
「オズワルド様とお近付きになりたいなんて声が聞こえてきたのだけれど?」
追い打ちを掛けてくるエリカに辛うじて向き合いながら、不用意にオズワルドの話をしてしまったことを二人は今更ながらに後悔していた。
「オズワルド様は私の先生ということを忘れないでくれる?」
エリカは圧をかける。だが、それに反論を唱えたのはシェリルでもグロリアでもなく、ナタリアだった。
「エリカ。気持ちは分かるけど、それはあまり関係ないよ」
「何ですって!?」
「グロリアもシェリルもオズワルド様に惚れてるんだから、エリカの先生かどうかなんて意味はないよ」
「そ、そうよ!」
「そうだそうだ!」
ナタリアの援護射撃に勇気づけられた二人はエリカに再び抗議の声を上げる。
「先生は二人には不釣り合いよ。現実を見なさい」
「あんたが言うことじゃないでしょう」
「そうよ!」
「お?なんだやる気かこのやろう?」
エリカが再び圧をかけると、二人のみならず近くで事の次第を見守っていたクラスメイト達も一歩後ろに下がった。そんなつもりはないが、やはり実戦経験に裏打ちされたものがにじみ出てしまうのだろう。
「何のことだか分からんが、決着は模擬戦で決めれば宜しかろう」
担当教授のトーマス・アンダーソンがムスッとした表情を浮かべながら三人を見つめていた。
「さて、これより授業なのだが早くそこを空けてくれないかな?私の場所なのでね」
そう言うとアンダーソンはシッシッと軽く手を払いながら歩み寄ってくる。エリカ達は慌ててそれぞれの席に戻った。
人気がない授業の中でも群を抜いてつまらないだけあって、先程まで教室内に漂っていた熱気は十分も経たずにすっかりしぼんでしまった。
だが、退屈な授業を受けている中でエリカは、思いがけず知ってしまった親友達の想いに少しだけ心揺り動かされるものがあった。
去年の春先に二人がオズワルドに好意的な眼差しを向けていたのをエリカは思い出す。
その時はただの気まぐれか冗談半分かと思っていたが、二人の反応を見るにどうもそう言うわけではないらしい。
事実、授業が終わった後に二人は決然とした表情を浮かべてエリカの元にやってきた。
「エリカ。残念だけどこうなったら決着を付けましょう」
「いや、そもそもその土俵に立つつもりはないんですけど……」
そう強がるエリカだが、何となく次に出てくる言葉が分かってしまう。
「いいえ、逃がさないわ!決着をつけるのは模擬戦よ!」
やっぱりと思いつつエリカは正論を投げかける。
「模擬戦って言うけれど、私達がぶつかる可能性はまず無いんじゃない?学年全員でやり合うんだから、そんな都合よく私達が対戦相手になることはないでしょう」
「いいや、要は上位十人を目指せば良いのよ。そうすればいずれ戦うことになるわ」
「中々の脳筋理論だけど、まあ分かったわよ」
仕方なくエリカは頷く。二人には申し訳ないが、そんなに甘い話ではない。自分達は学年の中でも成績は上位に位置しているが決して最高ではない。それに模擬戦は普段の授業とは違うものが求められるので、成績順位と必ずしもイコールにならない。
だからこそエリカは二人の挑戦を受けて立った。どうせ模擬戦で一緒になることはないのだ。わざわざ拒否して話をこじれさせるくらいならうんと頷いておく方が良い。
しかし同意したエリカに二人はニヤリと微笑んだ。それはまるで捕食者のような笑みだった。
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学院内の理事長室でエミリーとバンクロフトが気まずそうにソファーに腰掛けている。その二人を尻目にトレヴァーはのんびりと窓の外に広がる景色を眺めていた。
「お兄様。繰り返しになりますけど学院に来る時は事前に連絡してくださいな」
「だからごめんって。でも、いきなりでないと出迎えの準備などで時間を取らせるだろう?それが嫌だったんだよ」
完全に貴族言葉を使わないトレヴァーにエミリーは目を見開いて抗議し、バンクロフトが顔をしかめた。
「第一王子。いくら部外者は私だけとはいえ、もう少し周りに気を遣われなければなりません」
「何言ってるんだい。リチャードは父親みたいなものじゃないか。部外者なんてことは一切ないよ」
その言葉にバンクロフトは驚愕する。確かに相談役として長年国王を初めとして王族達に寄り添ってきたが、そのように言われるのは大変な名誉であり、一個人としてもとても嬉しいことだった。
「それに普段、エミリーにはまるで父のように接しているのだろう?僕が次期国王だからってこんなに扱いが違っていたら寂しくなるよ」
「そ、それは……。学院内では身分にこだわらない大前提がありますから……。あくまで学院長として理事長に接しているだけですし、理事長からそうするようにと着任初日に命を受けておりますので……」
「ふーん。あのおてんば娘がしっかりしちゃって……。兄として嬉しいよ」
「もう、からかわないでください!」
顔を上気させるエミリーに快活に笑いかけると、トレヴァーは表情を改める。
「さて。今回は御前試合実施に向けて協力してくれて感謝している。二人ともありがとう」
頭を下げるトレヴァーにバンクロフトは慌ててそれよりも深く頭を下げる。
「先日も話したが、母は張り切り過ぎている。父を亡くし、私達も実力不足だったことで、この国を文字通り一人で背負っていかねばと思い込んでいたんだ。
その思いが長い年月の中で凝り固まっていく中で、蒸気機関という莫大な可能性を秘めたものに出会ってしまった。それに憑りつかれてしまったのも無理からぬことだろう。
だが、だからといって二人を遠ざけるのは間違っている。この国を思うのは決して自分一人だけではないということを母に思い出させたいのだ。
二人には辛い思いをさせてきたが、この御前試合を通じて私が何とかする。だからもう少しだけ力を貸して欲しい」
「もったいないお言葉でございます……」
「お兄様……」
バンクロフトは目頭が熱くなるのを感じていた。エミリーも心なしか涙腺が緩み始めている。
そんな二人を見やるトレヴァーの瞳にも小さくきらめくものがあったが、あくまで自然に、それでいてゆっくりとまばたきするとトレヴァーは再び口調を変える。
「まあ、でも絶対に大丈夫だよ。最難関である母さんの説得はすんなりと成功したからね。もちろんコーンウェル伯爵夫人の後押しも効いたけど」
「確かに。彼女が人員の増加を視野に入れていると告げたのは大きかったようですな」
コーンウェル伯爵夫人の情報網と諜報力はすさまじく、一時は国王直属の諜報部隊を育成、指揮することもあった。その役目を降りた後も独自の諜報組織を築き上げて、何度も王国を危機から守ってきたのは公然の秘密だった。
しかし今回の王都の事件によって初めて伯爵夫人は、自身の組織の抜本的な見直しに踏み切った。今まで盤石の体制だと思われていたものが完璧でなかったことが明らかになった事実は伯爵夫人の誇りを見事なまでに傷付け、打ちのめした。
二度と同じ愚を繰り返さない為に伯爵夫人は徹底して組織構造や諜報網の見直しを図っていた。
「でも、お母様がわたくし達に意見を求めてきたのは意外でした」
「私も正直に申し上げて驚きました。てっきりまた通達が来るだけかと思っておりましたので……」
「まあ、二人が一度腹を割って話し合う場を設けたのが良かったようだよ。あの時の二人ときたらまるでケンカした夫婦のように一言も口をきかず、ずっと押し黙ったまま紅茶ばかり飲んでいたからね。話を振るのに苦労したよ。
でも、その効果は確かにあったみたいだね」
エミリーはこくりと頷いた。
「ぶっちゃけて言ってしまえば御前試合に反対する理由がないんだけど、それでも押し通さなかったところを見るに、二人との氷解も近いと強く思っているよ」
「そうなることを願っております」
トレヴァーは再び窓の方へと向かい、外の景色を眺める。
学生達が運動場で教授から何かの説明を受けている。食堂に続く廊下では調理人らしき者達が食材を運んでいる。
最近ようやく復興した学院内医療センターのセンター長が副センター長から必死に逃げ惑っている。相も変わらず事務作業を丸投げしてサボっているようだ。
トレヴァーは自身の目に映るこの光景をしっかりと脳裏に焼き付けると、二人の方へと振り返る。この景色を今まで守り続けた者達が目の前にいた。
その二人を今度は自分が守ろうとトレヴァーは改めて決意した。




