三 前途多難の蒸気機関学
その日は蒸気機関学の初授業の日だった。
王立バンクロフト学院の授業時間割は独特な構成になっている。一時限は四十五分で、各時限の合間の休憩時間は移動込みの十五分間となる。
午前の授業時間割は九時開始の四時限となっているが、授業によっては二時限連続ということもある。
また、土日は休みで平日が授業日というのは珍しくないことだが、金曜日に関しては午前授業で終わりとなっている。
それだけに三限目と四限目が連続する蒸気機関学の教室は、週末の最後の授業ということもあって、様々な熱気に包まれている。
それはエリカも同じで、この世界ならではの蒸気機関の仕組みがどういうものかを知りたくてたまらなかった。
だが、授業開始を告げるベルが鳴ってもマッコードは姿を見せなかった。
「先生、どうしたんだろう……」
「もしかして遅刻?」
「まさかね……」
教室のそこかしこで不安げな声が上がり始めた時、廊下の方からけたたましい足音が聞こえてくる。
扉に近いところへ陣取っていたエリカやクラスメイト達はびくりと身体を震わせる。それ程の音を立てて誰かが廊下を走っている。
力強く扉が開かれ、スライディングするような勢いでマッコードが駆け込んできた。前のめりになりながらも地べたに倒れなかった体幹の良さにエリカは感心するが、周りのクラスメイト達はただ苦笑いを浮かべるしかなかった。
「お、遅れてすみません……」
荒々しく呼吸しつつマッコードは頭を下げる。だが、次の瞬間には顔を輝かせて大声で宣言する。
「ですが皆さん、ついさっき新たな成果がありましたよ!最初の授業でこちらをお見せできることが嬉しくて仕方ないです!」
そう言うや否や、マッコードは袈裟懸けにしていたカバンからごつごつとした大きな物体を取り出す。
「さあ、これが蒸気機関の可能性です!」
物体を両手で掲げながらマッコードはうっとりとした表情を浮かべていた。だが、当然のことながらエリカ達はぽかんとした表情で彼女を見つめる他なかった。
体感時間で三十秒ほど何とも言えない間が続いたが、クラスメイトの一人が勇気を出してマッコードに尋ねる。
「あの……。先生、それは何ですか?」
よくぞ聞いたと教室の全員がその彼に惜しみない称賛の意を表すが、マッコードは瞬時に表情を改めると、愕然とした様子で辺りを見回す。
「皆さん……。冗談ではないですよね?本当に何か分からないのですか?これは見ての通り時計ですよ!」
時計はこの世界にもあるが、マッコードが見せびらかしている物体はどう考えても時計に見えない。
「時計って針が付いてるあれだよね?」
「先生にはあれが時計に見えるのか?」
「何なんだろう……。よく分かんないや」
ざわつき始める教室内の様子にマッコードは深く溜息をつくと、困った表情を浮かべる。そして、まるで小さな子供を諭す母親のような口調で話し始める。
「良いですか、皆さん。蒸気機関の素晴らしさや秘めたる可能性を真っ先に知ることができる立場にあなた達はいるんですよ?それなのにそんな無気力な反応しか見せられないなんて、なんて勿体ないことなんですか」
いや、授業始まってすぐからのあなたのハチャメチャ振りについていけてないだけですとは言えず、クラスメイト達はただ目を伏せるしかなかった。
「すみません、先生。その時計ですがどう使うんですか?針が見えないんですが……」
スッと手を挙げながら発言したのはエリカだった。彼女の勇気に周りは顔を上げる。
マッコードはチラリとエリカを見ると、笑顔を浮かべる。
「よくぞ聞いてくれました。その探究心が新たな分野への第一歩ですよ。もっとも、この程度のことなら推測して欲しいところではありますが」
そう言うとマッコードは手に持つ物体に魔力を流し込む。すると、物体の一部が盛り上がっていき、小さなゴーレムに形を変える。そのゴーレムは細長い棒のようなものを手に持っており、それを器用に動かし始めた。
「さて。どなたでも良いので時計塔の針が何時何分を指しているか見てもらえませんか?」
マッコードが自信たっぷりに言うと、時計塔が見える窓際に座っているクラスメイト達が一斉に窓の外に視線を向ける。
「十一時十三分です」
誰かがそう言うと、マッコードは得意げにその物体を見せびらかす。ゴーレムは既に動きを止めているが、何があったのかはよく分からない。
マッコードもそれに気付いたようで、慌てて魔法でその物体を宙に浮かせると、教室内をゆっくりと移動させていく。
「え、嘘」
「どういうこと?」
その物体を確認した者達が皆驚きの声を上げていく。エリカのところにもう少しで回ってくる頃には、再びゴーレムが動き出していた。
「時計塔の針が動いたらすぐに報告!」
何処かウキウキとした表情を浮かべながらマッコードが窓際のクラスメイトに指示を飛ばす。
ゴーレムがいる物体がエリカの前にやってきた時、ちょうどゴーレムが動きを止めた。
「十四分になりました!」
ゴーレムの足元には細かな砂が敷き詰められており、そこに時計塔が示す時刻と全く同じものがアラビア数字で刻まれていた。
その仕組みをもっと見たくてエリカは身を乗り出すが、教室内を動き続ける時計はエリカを待つことなく次のクラスメイトの元へ向かう。エリカは我を忘れて立ち上がると、その物体を追いかけた。
ゴーレムが再び動き始めると、砂が敷き詰められたスペースにブーンというかすかな振動音が鳴り響き、徐々に砂がならされていく。そしてまっさらになったスペースへゴーレムが新たにアラビア数字を刻み込んでいく。
「これが蒸気機関なの」
いつの間にか後ろに立っていたマッコードが優しく微笑みかける。そこでようやくエリカは自分がこの時計の後ろをついて回っていたことに気付き、恥ずかしさを覚えた。
いそいそと席に戻る時、別の席に座るナタリアがおどけてウィンクしてきたのが見えたが、エリカは気付かない振りをする。
マッコードが教室内を歩き回りながら話していく。
「皆さんも私も当然のように使っている魔法ですが、できないことだってあります。今の時間を知ることもその一つです。
でも、蒸気機関は魔法にできなかったことを私達にもたらしてくれます。それこそこの時計のように。
飛行船で空を気軽に飛ぶことができるようになりましたが、それだけではありません。船を動かすには風が必要ですが、蒸気機関の工夫次第では風魔法に頼ることなしに船を自由自在に操れるようになるでしょう。その分、クラーケンなどの魔物と出くわした際に取れる選択肢も増えるかもしれません。
移動に馬車を使う人もいますが、物資の輸送は別の手段になる可能性もでてきます。荷台の部分に蒸気機関を搭載すれば、馬を酷使しなくても物資をもっと速く輸送することができるかもしれません。
他にも色々なことがもっと便利になるでしょう。それらをもたらしてくれる可能性を秘めているのが蒸気機関なんです」
いつの間にか教室内の全員が食い入るようにマッコードを見つめ、話す内容の一言一句に耳を傾けていた。
特にエリカは彼女の頭脳と好奇心に敬意を抱いていた。まるで転生者かと思うくらいにマッコードの研究視点は先見の明だと言わざるを得ない。しかし、彼女が転生者でないのはジーナから聞いている。
この世界に大きなうねりが迫っているその瞬間に立ち会っているかもしれないことにエリカは興奮を隠し切れなかった。
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「はあ……。退屈なの」
先程までの興奮はすっかり冷めきっていた。
思わず口からこぼれ出たその言葉に、周りのクラスメイト達が苦笑いを浮かべる。だが、それ程までに今受けている授業はひどくつまらなかった。
そっと教室を見渡せば、他も目が死んでいるか考えることを止めていた。中には綺麗に机に突っ伏している者もいる。
そんな中で一人、マッコードは目をらんらんと輝かせたまま蒸気機関の説明を続けている。いや、厳密に言えば自分が創りだしたものの自慢話だ。それが途中の休憩をすっ飛ばすくらいに長く、たまらなく面倒で仕方なかった。
「……というわけで、飛行船を生み出すことができたのです。今は四隻が稼働していますが、数年後には一日に複数の飛行船が飛び交うようになっているでしょう」
ドヤ顔をするマッコードの丸眼鏡をかち割りたくなる思いを必死に堪えつつ、エリカはただひたすらに授業がさっさと終わることを祈るしかなかった。
そんな願いが通じたのか、マッコードがハッとした表情を浮かべる。そしてお披露目したばかりの蒸気機関式時計をまじまじと見つめると叫び声を上げる。
「嘘!?もうこんな時間!?どうしよう、今日の課題に必要な説明を忘れてた……」
最後の方はほとんど聞き取れない声になっており、明らかにシュンとしてしまっていた。だが、すぐに顔をキリッと改めるとマッコードは再び話し始める。
「こうなっては仕方ないので、今日の課題はなしにします。ただ、来週からは課題を出していきますので皆さんそのつもりで」
それだけ言うとマッコードは教室を出ていこうとするが、そこで教室がまたざわつき始める。
「あれ、ベルって鳴ってないよね?」
「後十分あるはずなのに」
「早く終わるならもう良いんじゃない?疲れちゃった」
色々な声が上がり始めたことに気付き、マッコードは足を止める。
「あれ、まだ時間あるんですか?」
何で時間を分かっていないんだよ、という声にならないツッコミがエリカ達の心の中に響き渡る。
さすがにマズい空気を察したのか、マッコードはハハハと力なく笑うと言い訳をし始めた。
「ま、まあ。誰でも最初は不慣れなものですからね。それによく考えれば、休憩時間も飛ばしてしまったみたいですし、まあ良いじゃないですか」
全く何が良いのか分からないが、もうどうでも良いし、早く終わるならさっさと終わってくれというのが全員の正直な気持ちだった。
結局そのまま授業終了という流れになり、そそくさとマッコードは教室を出ていく。その場に取り残されたような感覚に釈然としないものを覚えつつも、一人、また一人とクラスメイト達は席を立ち、授業開始時の熱気とは程遠い気だるさを抱えながら、重い足取りで教室を後にする。
「エリカー。ほんと、疲れちゃったよー」
情けない声を上げながら、ナタリアがぐったりとした様子でエリカにもたれかかってくる。
そんなナタリアのお腹の辺りをぺちぺちと叩きながらエリカはたしなめる。
「いや、あんた途中で寝てたでしょう?見てたぞ」
「あ、叩くな。気にしてるんだぞ」
「もたれかかってきた時点で貴様の運命は決まっていたのだ」
そんな風にじゃれ合っていると、グロリアとシェリルもやってくる。心なしか二人ともげっそりとした表情をしている。
「お疲れー」
「こんなのがこれからずっと続くの?耐えられそうにないんだけど」
「ずっと自慢話で終わるなんて思わなかったよ……」
深く溜息をつく二人に頷きながらエリカはナタリアのお腹をぺちぺちと叩き続ける。それを見ていたグロリアが噴き出した。
「そんなに音が出るなんて……。大丈夫?」
「気にしてることを言うんじゃないよ。あんたも叩いてやろうか。ちょっとシェリル、グロリアを捕まえといて」
「ああ、シェリル。何してんの。手を離しなさいよ。ナタリアもにじり寄ってくるな!」
「ラミアなんでにじり寄るのは得意なの」
「馬鹿言ってんじゃないわよ」
くだらないことを言い合いつつも自然な笑みがこぼれている三人を見ながら、エリカはようやくいつもの日常が戻ってきた気がして嬉しくなった。
「みんな、時間あるなら食堂でご飯食べていかない?」
エリカの提案に三人は動きを止める。そして嬉しそうに微笑んだ。
「賛成!」
「エリカがそんなこと言うなんて珍しいね。私も大丈夫だよ」
「自分も少しなら大丈夫だと思う」
「じゃあ、食堂まで競走ってことで。あ、最下位のおごりね」
「え、そんなのってないよ」
「私もそれは遠慮するー」
「なんでー。面白くないなあ」
「だって、あんたが一番有利だもん」
「まあ、それを言われると何も言えないんだけどね」
ワイワイガヤガヤと騒ぎながら四人は食堂へと歩いて行く。
涼やかな風が辺りに吹き抜けた。




