十一 シェリルの行く末
迎賓館の中庭はシンプルなデザインで、色とりどりの花が自然に目に映るように植えられている。
本来は白を基調としたテーブル席が三席、お互いにかなり間隔を開けて設置されているが、今は一時的に取り除かれている。
それらの代わりに鉄製の鎧が三つ、等間隔に並べられている。エリカはその前に立つが、周りから注がれる視線が痛い。特に、デーモンスパイダーとの戦いを見ていた二人の隊長からの尊敬のまなざしが眩しくて耐えられなかった。
エミリーがエリカに話し掛ける。
「その鎧はキャッスル先生が錬金術で生み出した物ですし、周辺にも結界魔法をかけていますので、安心して魔術を発動して頂戴な」
その楽しげな様子にエリカは観念するしかなかった。
「では、始めます」
左端の鎧にエリカは風魔法を放つ。鎧は軽く宙を舞うと、ドーム状に張られた結界魔法にぶつかる。その部分の結界にはひびが入っていた。
啞然とした表情を浮かべる見学者達を尻目に、エリカはため息をつくしかなかった。いくら魔法陣が刻まれているとはいえ、デーモンスパイダーの時と同じ威力のまま発動したのは自分のミスだった。
「今のは……」
コーナー男爵が口元を震わせる。その近くにいたキャッスルは不満たっぷりの表情でエリカを見つめていた。
「風魔法です……」
エリカは正直に答える。ただ、イメージしたのは洗濯物を早く乾かす為の微風ではなく、傘が持っていかれる程の強烈な風だった。
安全の為に結界魔法が張り直される。そこには父親のアルフレッドだけでなくコーンウェル伯爵夫人も加わった。
伯爵夫人がキラキラした目でエリカを見やる。そこにはかすかに挑戦するような気配があったが、エリカは何も気付いていないふりをした。
キャッスルは残りの鎧を一旦消してしまうと、錬金術で新しい鎧を作成する。こちらもエリカに向ける視線が穏やかではなかった。
「では、続けます」
真ん中の鎧にエリカは水魔法で作った水球を撃ち込んでいく。頃合いを見て、水に濡れた鎧へ冷気を送って凍らせる。そして氷の矢を作ると、それは見事に鎧を貫いた。
「彼女は錬金術も使えるのですか」
「いや、勉強には元々熱心ですが……」
アンダーソンがアルフレッドに尋ねるが、父親も我が子の成長ぶりに驚きを隠せない。
ただ、これも錬金術ではなくイメージの問題に過ぎない。
「最後がこちらになります」
最後の鎧に向かってエリカは土壁を押し付ける。その重さに耐えきれず鎧は見事に砕け散った。この辺りではエリカもやぶれかぶれになっている。
エリカは軽く一礼すると、後ろに下がる。
場には重い空気が立ち込めている。その中でもジェラルドは感心した様子でエリカを見つめていた。
伯爵夫人は目を輝かせてエリカに近付くと、彼女の手を取った。
「さすがエリカさん。あのオズワルドの厳しい教えによく耐えて、ここまで頑張りましたね」
よしよしとエリカの手をさする伯爵夫人にエミリーがニコニコした表情で話し掛ける。
「伯爵夫人、そう慌てないで。まだ全てを見た訳ではないわ」
エミリーはエリカをじっくりと眺めるだけだった。エリカはその視線から逃げたかったが、グッと我慢するととぼけてみせる。
「恐れながらエミリー王女。仰っていることがよく分からないのです。どういうことでしょうか?」
「あら、とぼけるの?凄まじい光を放つものと黒い炎があるでしょう。彼らから報告は受けているのですよ」
そう言うとエミリーは二人の隊長を見やる。彼らは力強く頷いていた。仕方なく、エリカは用意しておいた答えを伝えることにする。
「ああ、そのことでしたら落雷ですわ。雷が偶然にもデーモンスパイダーに直撃したのです」
「雷ですって?」
「ええ。そうなんです」
エリカの答えを信じていないといった様子だったが、エミリーは素直に引き下がった。
「まあ、分かりました。何はともあれデーモンスパイダーの討伐、見事な活躍でした」
エミリーは全員の方へ向き直る。
「明日、ここを発って王都に戻ります。それまで皆さん、しっかりと骨を休めてくださいな。
それと、コーナー男爵。今回の件で叙勲式を行います。立て直しで大変な時期だと思いますが、その時は王都までよろしくお願いしますわ」
エミリーが護衛の騎士と共に帰っていく。その姿を見送ったエリカ達は肩の力を抜く。
するとコーナー男爵がアルフレッドと共にエリカの元にやって来る。
「エリカ嬢。この度は我らの窮地を救って頂き感謝しております」
「コーナー男爵。わたくしはたまたまその場に居合わせただけのことですから」
「娘が迷惑をかけた。改めてお詫び申し上げる」
アルフレッドの口ぶりから、既に同じような話があったのだろう。改めてエリカは貴族という身分の面倒くさい部分に頭を悩ませた。
「もし何かあればお申し付けください。必ずやお役に立ちます」
コーナー男爵が真剣な眼差しを二人に向ける。堅苦しい男だが、こういう一本気なところをエリカは尊敬している。
男爵が去った後、ナタリアとグロリアの家族がやって来て、お詫びとお礼の挨拶をしてくる。その平身低頭ぶりにエリカは少し申し訳なく思いながらも何とか挨拶を返した。
援軍として来ていた学院の教授達は何か言いたげそうにエリカをずっと見ていたが、それだけで結局言葉を交わすことはなかった。どうせ学院に戻れば嫌という程顔を合わせるわけだし、彼らよりも気になる人がいた。
シェリルである。
彼女は気まずそうに中庭の端っこの方に立っていた。時々、ナタリアとグロリアが声を掛けているが、それぞれの家族が危険な場所から無事に帰ってきた娘を叱ったり抱きしめたりと中々離してくれないこともあって、一人ぼっちのようになってしまいがちだった。
エリカは、アルフレッドが他の家族と同じく娘を構おうとするのをそっと押しのけると、シェリルの元に向かう。
後ろの方で、拒絶されたと思い込んだ父親ががっくりと肩を落としたような気がしたが、あえてそのままにしておく。いや、そうしなければならなかった。
「シェリル。そんなところにいないで、こっちに来なよ」
エリカの呼び掛けにシェリルは笑みを返したが、その表情はどこか薄暗い。
それを見たエリカは自分の予想が当たっていたことを残念に思う。
シェリルの村はデーモンスパイダーが最初に襲ったところである。その後も立て続けに襲撃を受け、今となっては最初の村で生き残っているのは彼女だけだとエリカは風の噂に聞いている。
彼女には、帰るべき場所も無事を祝ってくれる人もいなかった。
エリカは静かにシェリルの肩に手を置くと、そっとドレスを整える。
「着崩れしそうだよ」
気遣ってるなんて上から目線は相手に失礼だ。エリカは心の中の葛藤を悟られないように気を付ける。
手早くドレスを整えたエリカは立ち去ろうとする。そのエリカの手をシェリルはサッとつかんだ。
「ど、どうしたの?」
「いきなりごめんなさい。でも……」
我に返ったシェリルは急いで手を放す。ただ、その行動の裏に何かがあることはエリカにも分かったので、何も言わず彼女の次の言葉を待った。
「私、強くなりたいんです。私に魔術を教えてくれませんか?」
エリカは一瞬、面食らう。まさかのことに開いた口が塞がらなかった。
「えっと……。私、そういうのは苦手で……」
しどろもどろになるエリカにシェリルがにじり寄ってくる。その眼差しは真剣で、決意に満ちていた。
「お願いします!私のせいでもう誰も死なせたくないんです。私が……、私がデーモンスパイダーに見つからなかったら、みんなはまだ生きていたはずです。
私は逃げることしかできませんでした。でも、力があれば戦えるんです。戦えるようにならないとダメなんです。お願いします!」
頭を下げるシェリルの両目から見る見るうちに涙があふれて出てくる。
どうしたものかとエリカは頭を悩ませる。魔術を教えることは簡単なのだが、イメージが伝わらなければ意味がない。それに、シェリルがスタンフォード家の領民ならまだできることもあるが、彼女はコーナー家の領民である。家を飛び越えるようなことはしないのが明確なルールだった。
「あらあら、難しい顔をしてるわね」
いつの間にかエリカの後ろにコーンウェル伯爵夫人が立っている。伯爵夫人はいつものニコニコとした表情を振りまきながら、二人を見比べている。
「何かお悩み事?」
「いえ、それは……」
「ごめんなさい。ご迷惑でしたよね」
無理に笑みを作ってその場を立ち去ろうとするシェリルを伯爵夫人は自然な仕草で押しとどめる。そしてその顔をおもむろに両手で包み込むと、いきなり両頬を横に引っ張り始めた。
「え、痛い痛い。いひゃいです……」
ウフフと笑いながらも伯爵夫人はシェリルの頬で遊び始める。そしてエリカにも聞こえないくらい、小さな声でそっとつぶやく。
「これで涙の後も気付かれないからね」
その言葉にシェリルはハッとした。それを見た伯爵夫人はいつもの声の大きさで話し始める。
「シェリルちゃんのほっぺた、ぷにぷにでモチモチだね。ずっと触っていたいわ」
「伯爵夫人。シェリルが困っていますので……」
「はいはい。もう、エリカさんたら堅苦しいのね」
少し不服そうに手を離すと、途端に真面目な顔つきに変わる。
「ねえ、シェリルちゃん。聞くつもりは無かったんだけど、聞こえてしまったからついでに首を突っ込ませてもらうわね。
今のままだとエリカさんに魔術を習うことはできないことは把握しておいて頂戴。あなたはコーナー家の領民なんだから。それにこの子は学生なの。教えを受ける立場の者が誰かを教えるのは認められていないのよ」
その言葉にシェリルは肩を落とす。
「それでね。エリカさんの魔術は普通のものとは違うの。さっきの実演でも、この子が必死に手加減していたのがあなたには分かったでしょう?それ程危険なものなのよ」
「やっぱりそうですよね……」
力なく答えるシェリルに伯爵夫人は優しく話し続ける。
「でも、私はあなたの気持ちを尊重したい。あなたには勇気と行動力があるわ。誰も中々信じてくれない中でも、あなたはデーモンスパイダーのことを警告し続けていた。そのおかげでわたくし達もすぐに対応することができたのよ。まあ、退治したのはエリカさんだけどね」
伯爵夫人は一息つくと、話の核心に触れた。
「そこであなたに提案します。シェリル、わたくしの養子にならない?」
「え」
「え」
エリカとシェリルの声が重なった。そんな二人の反応を楽しそうに眺めながら伯爵夫人は左手からコウモリを召喚した。
「あなたが養子になると言うなら、今からコーナー男爵を呼んで養子の件を承認してもらいます」
「ちょ、ちょっと待ってください。どうしてそんな話になるんですか」
「あら、私の養子になるのは嫌なの?」
「いえ、そういうことではなくて。私はエリカさんみたいに強くなりたいんです。それが難しいことだっていうのは分かりましたが、どうして養子の話が……」
「ああ。それはね、わたくしがエリカさんの姉弟子になるからですわ」
それは暴論だとエリカは思わずツッコみたくなる。だが、二人ともオズワルドに習ったことがあるのは事実なので、間違いとも言い切れなかった。
「それにわたくしの養子になれば、学院にも通いやすくなります。エリカさんのように強くなりたいにしても、まずは基本から身に付けないと」
「ですが……」
「もちろん、あなたがこのまま村に戻りたいと言うのであれば無理に引き留めはしません。すべてはあなた次第です」
シェリルはしばらくの間悩んでいたが、やがて顔を上げる。
「私、礼儀作法も知らないし、戦闘も全然ですが、必ず身に付けます。ですからどうか宜しくお願い致します」
伯爵夫人はとびきりの笑顔を浮かべると、シェリルを抱きしめた。
「こちらこそよろしくね、シェリル」
召喚されていたコウモリがどこかへ飛んでいく。コーナー男爵を探しに行ったのだろう。
エリカは水を差したくなかったが、どうしても気になることを聞かずにいられなかった。
「あの。コーナー男爵はそうも簡単に承認するんでしょうか?」
「ああ。そのことなんだけど、できれば穏便に済ませたいのよ。だから、あなたの力を貸してもらえる?」
そう言うと伯爵夫人は自分が考えたことをエリカに伝える。考えたといっても単純な話で、何かあったら話して欲しいとコーナー男爵が口にしていたことを早速、実行してもらおうという提案だった。
そう簡単に上手くいくのだろうかとエリカが考えていると、アルフレッドがこちらへ近づいてきた。いつの間にか伯爵夫人がコウモリを使って呼んでいたらしい。
「如何致しましたか、伯爵夫人」
緊張気味にアルフレッドが一礼する。伯爵夫人も挨拶を返すと、先程の話を伝える。
「スタンフォード家が得た貸しを早速使わせてしまうのだけれども、シェリルの為にもお願いできないかしら」
「滅相もございません。私共にお気遣い頂かなくとも喜んでお力添え致します」
「感謝しますわ、スタンフォード子爵。コーンウェル家はこの恩を決して忘れません。何かあれば遠慮せず頼ってくださいな」
感激に打ち震える父を見ながら、エリカはこれがチートかと冷静に考えていた。コーナー男爵の気持ちも嬉しいが、コーンウェル伯爵夫人への貸しの方が何十倍も魅力的なのは否定できない事実だった。
あ、そうそうと思い出したように伯爵夫人がエリカに向き直る。
「エリカさん。これからもシェリルと仲良くしてあげてね。後、魔術の訓練にも付き合ってあげて」
そう言うとエリカにだけ分かるように耳元でささやく。
「シェリルの訓練は任せるからね」
驚いたエリカは何とか反論しようとするが、伯爵夫人はもうエリカの方を見ていなかった。愛らしく右手を振っている。
コーナー男爵が急いで駆け寄ってくるところだった。




