逃げてる。お前さんには何も見えていない!
「わしは全ての夢を把握している。無論、お主の願望も経験も知っている。本当は戻りたくないのだろう?」
そんなわけがない。だけど、改めて聞かれると、どこか胸がもやもやしている。
伊武輝は頭を振った。
「わかりません」
「ずっと一人だった。誰も見てくれなかった。そんな現実と、そして今、どちらが大事だ?」
「わかりません。ただ、まだここにいたいのかもしれません」
迷いがあって白黒はっきりしない伊武輝に、エレはため息を吐いた。
「いずれにせよ、悪夢に対抗できぬお前にとって、夢の外も内も危険だ。お主は身を守るだけのちからを持ち合わせていない。せめて武器が必要だろう」
エレはぶつぶつと呪文を唱えると、伊武輝の前に、杖が現れた。仮想世界のゲームで使っていた武器そのものだ。伊武輝は目を丸くして杖を受け取った。
「なんでこの杖が?」
夢の世界に出るとき、武器は無くなった。それは仮想世界のゲームでしか使えないからだ。
だけど、ゲームで使っていた杖と瓜二つのものが現れるなんて目を疑った。杖の先端が欠けていたり、握りやすいよう少し削った跡があったり、戦闘でできた切り傷もあったりした。正真正銘、伊武輝のものだ。
一部制限はあるが、他の仮想世界や現実世界に複製物を送れるものの、他者の物を許可なく呼び寄せたり、複製することはできない。別の仮想世界から勝手に物をコピーするなんて、こんなの、どの仮想世界でも不可能なことだ。
エレは、伊武輝の驚いた顔を見て満足そうに頷いた。
「言ったであろう、夢を把握していると。あれが人工の夢だとは知らなかったが、どうやらわしでも垣間見ることができるらしい。魔法で作ってみたがどうだろう。無論、使用していた魔法も使える。悪夢に立ち向かうには十分なはずだ」
伊武輝は確信した。ここは仮想世界ではない。本当の本当に、ここは夢の外側の世界なのだ。人の夢も仮想世界も出入りができる。
しかし、悪夢と戦えるかもしれないが、ウイルスは討伐できるだろうか。ゲームとはいえ、世界トップのチームが無残にやられていたんだぞ? とてもじゃないが、勝てる気がしない。
そんな伊武輝の思考を読み取ったのか、エレは朗らかに言った。
「言っておくが、悪夢から逃げる手段ではなく、戦う手段として有効という意味だ。悪夢だけでなく、お主の言うウイルスも同じだろう」
「いったいどういうことですか?」
エレはマナを一瞥してコホンと咳払いをした。
「もう知っているはずだが、マナはウイルスに負われた傷を治癒できる。だが他に、マナの持つちからを分け与えることもできる。よって、お主にはマナから受け継いだ魔力がある。そのちからはお主自身のちからと組み合わせれば、ウイルスと対抗できるであろう」
伊武輝はそれを聞いて、ぱっと顔が明るくなった。
「ありがとうございます!」
伊武輝は深々とお辞儀をすると、エレは満足げになった。
「お主に戻る気があるなら、早めに言いなさい。お主の夢の場所を教えよう」
再び深い濃霧が立ち込めると、伊武輝たちの前方に感じていた威圧感が消えた。エレはいなくなったようだ。
この杖さえあれば戦える。あの赤い目の化け物をやっつけられるってもんだ。それに、ゲームができなかった欲求不満をぶつけることもできる。まさに一石二鳥だ。
霧がすっかり晴れると、伊武輝は杖を高々と掲げて歓喜していた。だが、バクとマナは低姿勢から立ち上がると、伊武輝を挟み撃ちにした。
「なあお前さん。有頂天になっているところで申し訳ないが、これだけは言わせてくれ。お前さんはいったい、何がしたいんだあ」
バクは伊武輝と同じ目線になるように宙に浮き、前足を組んで問いただした。その言葉の節に少し棘が感じられた。水を刺された伊武輝はバクを睨んだ。
「別に関係ないだろ」
ぶっきらぼうに投げる伊武輝に、バクは激怒した。
「なに言ってる。長は寛大だけど、ここにいる以上、責務を果たさんといかんよ。マナは夢に潜り込んで悪夢の退治、おいらは収拾のつかなくなった悪夢の処理。夢の世界にいる者のほとんどが夢の守護者だ。悪夢は日々勢力を増している。なんとか抑えつけようと、みんな協力しあって頑張っている。で、お前さんには何ができる? ただ逃げることしかできないお前さんに、何ができる?」
伊武輝はふと、あの赤い目のウイルスの言葉が頭によぎった。
君は逃げる方を選んだんだね。
「逃げてなんて、ない。それに、これさえあれば問題ない」
「逃げてる。お前さんには何も見えていない! たとえ武器があっても、迷っていてはなにもできなくなるんよ」
「見えていないのは、お前の方だろ、バク?」
伊武輝はバクの真ん前まで顔を突き出して言った。
「どんな過去があるのかも聞きもしないで勝手に決めつけるのは、いい気持ちじゃないんだよ」
「何を偉そうに。夢に過去はないんだ。今しかないんだよ。今の連続しかない」
伊武輝はその言葉に言い返せる言葉がなく、鬱憤がさらに溜まった。だが、ここは冷静にならなくてはいけない。今度のことを考えると、夢の世界の『動物たち』とうまく付き合う必要がある。
マナは何も手を出さず、伊武輝の背中から見守っている。伊武輝は数歩引き下がり、目を閉じて静かに深呼吸した。
バクも高ぶる興奮を沈めるために、大きく深呼吸した。
「それで、何をするんだい?」
伊武輝は杖を指輪に変形させ、左の中指にはめた。そして振り返ってマナに近づき、頭をなでなでした。マナは目を細め、とてもうれしそうに顔が緩んだ。
マナに会ってから迷惑をかけてばかりだ。無知で無力な故に、傷つけ、助けられたことか。だから今度は、
「マナの手助けをしたい」
「悪夢退治の補助、というわけか。だけど、忠告しておく」
バクは念を押して言った。
「夢というのは、そんなに生易しい世界じゃない。なにも、手強いのは人間が作ったウイルスだけじゃない。人の記憶から生まれる一般的な悪夢も人を惑わす。心に芯がなければ、たとえマナの持つちからを持ってしても太刀打ちできない。お前さんはこの世界を見くびっている。その甘さと心の弱さが、きっと仇になる。マナだけでうまくやれる場面でも、お前さんと一緒にいることでうまくいかないときもある。それでも覚悟はあるんかい?」
伊武輝はそこまで考えておらず、返答に困った。だが、言った言葉に責任を持たずに済むようにいつもどおりに保険を掛けた。
「わからない」と伊武輝はバクに一言だけ言って、その場から離れた。バクは呆れて何も言い返せなかった。一方マナは、じっと伊武輝の背中を眺めていた。
手助けしたいのは変わらない。だけど覚悟があるかどうかなんて、そんなのわかるはずないじゃないか。
覚悟ってなんだ? 悪い結果を受け止める心構えか?
あいにく、そんな覚悟なんて持ち合わせてないよ。
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