5:ちょっと落ち着きましょうねー
災害用のためか、その建物には非常用の予備電源が安置されていた。
使える水素カートリッジ(有機ハイドライド)も幾つか生き残っていたので、無事に役所の電源は動き出す。
しかし残念なことに、オシラサマの図体では建物の奥まで入ることが叶わなかった。そこで天海は、オシラサマが入ることのできたエントランスまで、適当な資材を運び出した。長いケーブルたちに絡まりつくように自生していた蔦たちと格闘しながらも、なんとかオシラサマと一緒に役所のデータを閲覧できるスペースを設けるに至る。
『塔の地図と、重力鋲の配置図、それと一応この街の活動記録を探してください』
「はいはい。機械の操作は苦手なんだけどなあ……」
『わたしが出来ればいいんですけど、この身体じゃね……』
オシラサマの指示に従って、天海はコンピュータの操作を続けた。
天海には電子の文字が読めない。言霊が宿っていないからだという。
やがて大きめのディスプレイには、思い通りの情報が羅列されはじめた。
塔の全図に示された現在地を見やって、オシラサマは短く息を吐いた。
『高度八万キロ……バルド完成時には宇宙空間となるような場所でしたか……』
「歩いて地上に行くには、ちょっとつらかったね」
自宅近辺にできた新しいコンビニに行くときのような気楽さで、天海は言った。
「でも、宇宙空間ってなんだい?」
『地球の外殻の外側にある世界です。地球はその世界の……まあ砂粒みたいなものです』
「それはまた、虚しくなる話だね。僕たちは何億年をかけても地球から離れられないのに」
そんな会話を交わしながら、必要な情報を集めていく。
ひととおり出揃ったところで、オシラサマは、
『一応PHBメモリに移しておきますか……』
「了解。僕がやればいいんだよね?」
『火傷しないように注意してくださいね。あと割っちゃわないよう』
「はいはい」
『あの、それと……メモリは沢山入ってますけどストレージ構成がRAID0(ストライピング)になっているので、一本でも抜いたら、わたし、いつもみたいに初期状態に戻っちゃうと思います。大丈夫だとは思いますけど、そうなったら上手く言い包めてあげてくださいね?』
「…………」
『よろしくお願いします』
少しだけ嫌そうな顔を覗かせた天海だったが、指示に従ってオシラサマの外装のタッチパネルにしばらく指を滑らせると、やがてカシャッという音を立てて右脚部の外装がスライドし、霊子結晶製の内部骨格が剥き出しになった。その隙間からは白い冷気が漏れ出している。天海はそこから素手で何かを摘み出した。
中指ほどの長さの小さな六角柱。石英の柱状結晶のようなもの。霜が付いている。
光化学ホールバーニング(PHB)メモリーとは、結晶型の読み出し専用記録媒体の一つだ。
ひどく原始的な容器だが、ここにはオシラサマの人格と記憶が眠っていると言っていい。
難しい言葉で、人工単子とか.mndファイルとかと呼ばれるデータだ。
彼女はそれをアルミトレイの上に載せて、手近なコンソールに挿し込んだ。
それから拙い手つきで、データ転送の操作を進める。
天海が選んだのは、〈情熱のモーガン〉全ての地形データと、この都市の公式活動記録。
それから、周辺の塔や空中都市への連絡通路の所在データ。
――と、そんな矢先のことだった。
『…………な! なにここ! え、なにこのレバー! え! これレシーバーのコクピットじゃないの? なにこれ! なにこれ! 誰か! 誰か助けて! 誰かあっ!』
沈黙していたはずのオシラサマが、にわかに騒ぎはじめる。少し様子がおかしい。
ただ、躯体はまったく身動きをとろうとしないままだった。
「始まった……」と天海がぼやくと、オシラサマは可愛らしく悲鳴をあげた。
『きゃあ! あなただれ! ていうかここはどこなんですか? わたし、さっきまで部屋で寝てたはずなのに……! 誘拐! あ……違う。わたし、選ばれたんだ……。お兄ちゃんの言ってた、トーテムとかいうやつに……。どどどどうしよう! お兄ちゃん! お父さん! お兄ちゃーん!』
「はいはい、ちょっと落ち着きましょうねー。吸ってー吐いてー」
天海はデータ転送の作業を進める手を休めないまま、精神年齢が大幅に退行……というより声音に見合った歳相応の性格に戻ってしまったオシラサマに、そっけなく話しかけた。オシラサマ(?)は、天海の言うことに素直に従った。
『すうーはあー』
「そのまま驚かないでコックピット内のコンソールの日付を確認してくださいな。今は第六紀八四〇七六年の七月八日金曜日、地球が滅びてから三十一億年後程度にあたります。現在第二の地球〈バルド〉は大気だけの状態で、宇宙エレベーターとかいう大きな柱が何本も何万本も建造されている状態で、そこを足掛かりに足場を組んで、大地を敷き詰めていくそうですよ」
『え? じゃあ、あなたはなんなの? みんなPHBメモリの人工単子ファイルに変換されて、生身の人間は居ないはずなんでしょ?』
「えーっと、それはですねぇ……」
『あ、分かった! ここはまだ〝外〟じゃないんでしょ! わたし聞いたことありますよ! トーテムに選ばれた人たちは一度サーバー上に再現された仮想空間に召喚されて、地球そっくりの其処を拠点に実習を受ける流れになるって! つまりここはトーテムのシミュレーター……バーチャルコクピットってやつですね! ならわたし、取り敢えず躯体から降りたいと思います。どうやってログオフするんですか? それとも仮想のハッチとかあるんですか?』
「うーん……飲み込みが早いのか、それとも早すぎるのか……」
『おぉい、出してくださいよ、ねえ』
その後もオシラサマは、『彗星はもっと……』とか『ぶわぁーっ』とか、錯乱めいた台詞を吐き続けた。天海はもう面倒くさくなったのか、彼女の相手をすることを諦めた。やがてだいたいのデータ保存を完了すると、氷点下二五〇度にも及ぶPHBメモリーを、再びオシラサマのメモリースロットに素手で押し込んだ。
「えい」
すると騒いでいたオシラサマの声がブツっと途切れ、システムの再起動が始まる。
そして再び言葉を口にするときには、オシラサマの意識は元の状態に戻ってくれていた。
『はい、お疲れさま。地図のデータ、入りましたよ』
「いつも思うんだけどさ……機会があったら通信ケーブルか何かを標準搭載するべきだと思うよ、僕は。もしくはストレージの構成をRAID1(ミラーリング)にしたりとかさ……」
『わ、すごい! コクピットレイアウトがバージョン8.1にアップグレードされてます!』
「ねえ、聞いてる……?」
脱力した天海をよそに、オシラサマは新しく更新された地形データを読み込んでいった。
『三十キロほど〈情熱のモーガン〉を下ったところに、八十三番棟〈ブリューゲルのバベル〉への連絡通路が残っているそうです。そこからは重力鋲も安定域に入っているはずなので、もう少し頑張りましょう。ブリューゲルのバベルは絶賛稼働中の塔ですし、地上にある〈苔むしたダヴィデ〉は近からずも遠からずといった感じですから』
「それは朗報だね」
一晩明かしてから、二人と一羽は無重量区画の廃墟都市を後にした。